論文

特集  第46回千葉全国研究集会
分科会テキスト
> 大嶋訴訟判決から始める判例研究(東京会)
> 会計事務所の悩み解決(東京会)
> 日本の法人税率は本当に高いのか?(大阪会)
> 税の歴史とその時々の国家の成り立ち(神戸会)
> 最強の税務調査対策(関信会)
> 給付付き税額控除と納税者番号制度を考える(埼玉会)
> 税理士法、いま何を問うべきか(千葉会)
> 公開事例研究 - 納税者の権利と課税権力のはざ間に立って
(中国会)

税理士法、いま何を問うべきか
- 税理士制度が内包する矛盾について -
千葉税経新人会
(伊藤清、上田郁、小林岩雄、吉元伸)

はじめに
いま、業界では税理士法改正がいろいろと論議されている。
税理士法改正に関しては、日本税理士会連合会(以下「日税連」)には、過去に、有識者の意見を聴き、会員税理士の全会的討議を経て取りまとめた「税理士法改正に関する基本要綱」(以下「基本要綱」)と題する改正案があり、これを1965(昭和47)年に、広く一般に公表し、この基本要綱に基づく法改正運動に税経新人会も全国の会をあげて取り組んだ経緯がある。

しかし、この基本要綱は、大蔵・国税当局によってすげなく一蹴されるや、当時の日税連執行部は、これまたあっさりとこれを「凍結」してお蔵入りとし、以後基本要綱は再び顧みられることなく今日に及んでいる。

その後税理士法は、大蔵・国税当局の主導による数度の改正が行われ、今日に至っているが、日税連は、昨2009(平成21)年11月25日「税理士法改正に関するプロジェクトチームによるタタキ台」(以下「タタキ台」)なる文書を発表し、会員税理士の意見を求めた。

千葉税経新人会が、今回、全国研究集会の分科会の席をかりて、税理士法について皆さんと一緒に考えてみたいと思っているのは、必ずしもそのタタキ台の論議に加わろうとするものではなく、また過去の基本要綱について、再びここで論議しようとするものでもない。

タタキ台であれ、基本要綱であれ、何であれ、すべて税理士法改正を考える前提として、日本の社会において、国民・納税者の税務を代理する制度とはいかなるものであったのか、あるのか、あるべきなのか、このことを改めて考えてみたい、皆さんからもいろいろと教えていただきたい、という思いから、この分科会を企画した。どうか多数のご参加をいただいてご議論していただくことを切望している。
納税者のために自然に生まれた

明治維新以後、日本の支配者が、西欧帝国主義列強に抗して国の独立を維持し、自らも東アジアに進出するため朝鮮を日本の支配下に収めることを狙い、朝鮮の覇権をめぐって清国と戦って勝ち、さらには中国東北地方から朝鮮半島に勢力を伸ばしてきた帝政ロシアとも干戈をまじえ、これに辛勝するや、直ちに朝鮮を強圧してこれを植民地とし、大正に入って第一次世界大戦に参戦、ロシアに社会主義革命が起きるやこれに干渉してシベリヤに出兵、さらに昭和に入っては中国東北地方に武力進出し、かいらい満州帝国を建設、その満ソ国境でのソ連軍とのノモンハン衝突事件、さらに中国本土に侵攻し長期にわたる中国侵略の全面戦争、そして米英との捨身の太平洋戦争突入と、1945(昭和20)年8月の敗戦に至るまで、明治、大正から昭和にかけて、まさに戦争から戦争の繰返しという時代が続いたのである。

そうした戦争のための軍備費や戦費を賄うためには膨大な財政資金が必要であり、それは結局税金として国民から強制的に徴収しなければならない。そのため、増税に増税を重ね、しかも大衆課税化せざるを得ない。

また、日本の資本主義の発展につれて商工業者が増加し、税制もそれまでの地租、消費課税中心から、それら商工業者の所得を税源とする営業税、所得税、法人税などが生まれ、その所得を生む営業形態の多様化に応じて税制・税法規も一般納税者の理解を超える複雑難解なものになっていく。

そうした増税に加えて、難解な税務処理が、納税者にとって大きな経済的・精神的負担となることから、納税者に代わってうまく税務を処理してくれる専門家が欲しい、という要求が納税者のなかからでてくるのは自然の成り行きで、そうした納税者の要求に応えて、その税務を納税者に代わって行う(以下「税務代理」という)職業、職業人が自然発生的に生まれてきたのである。
業者を警察による規制・取締り

さて、この納税者に代わってその税務を処理する税務代理業者が上記のように自然発生的に生まると、いろいろ厄介な問題も出てきた。一つが、報酬をめぐる依頼者と税務代理業者との間の紛争や、税務代理業者と税務当局との間に起きるいたずらな不服申立て等のトラブルであり、さらに困った問題は、業者と役人との間の忌まわしい脱税に係る贈収賄事件の多発したことである。当局が、業者に対し警察による規制・取締りを行ったのは、こうした事件がキッカケとなって、納税者の間に重税や税制・税務行政に対する不満や批判が起きることを、もっとも恐れたからと思われる。

これらの問題を防止する手段として、大阪府や京都府など業者の多い大都市では、「税務代弁者取締規則」を定め、税務代理業者を警察による厳しい規制監督のもとに置いた。

その規制の方法は、その税務代理業を行う者を警察の許可制として不良分子を排除し、許可を得た業者にはその業務内容を記載した帳簿を備付けさせてこれを警察が随時点検できることにし、また報酬を認可制としたり、その他業者についてその非行を取締るいろいろな手立てを講じたうえで、もしその規制を逃れる無許可のモグリ業者がいれば、これに対しては厳重に処罰することとした。

この警察による厳しい規制・取締りは、この税務代理業が、国家の課税権力に対抗して、国民(当時は臣民)の生活・事業・財産を守るために生まれたというその本来的な性格に由来するものということができる。上記した当局の言う税務代理業の弊害のなかに「いたずらな不服申立て等のトラブル」が挙げられていることからも、当局は、これら税務代理業をある意味では反社会的な警戒すべき存在と考えていたフシのあることをうかがわせる。このことは逆に、この代理業の本質を示す重要な歴史的事実として記憶に留めておく必要がある。
戦時税務行政の人手不足を補う

上記したうち続く戦争の深刻化に伴ない軍国主義、国粋主義が謳歌され、反戦・平和思想、自由主義的傾向は排除、弾圧されはじめる。1935(昭和10)年には憲法学界主流の美濃部達吉博士の天皇機関説が激しく攻撃され、国体明徴運動がやかましく叫ばれるようになる。36年に陸軍内の一部青年将校によるクーデター2.26事件があり、37年に国民精神総動員運動が起こされ、さらに38年には国家総動員法が公布され、また産業報国連盟が創立される。こうした情勢のなか、税務代理業 者の間にも官僚OBを中心に、国家の戦時財政に奉仕したいという運動が盛り上がってくる。

戦費調達のため、国民に対し増税に増税を強いたのであるが、恐らく納税者の生活や事業も余裕を失ってきたことから税金の滞納も増えてくる。しかし、徴兵召集により徴税事務にあたる男子の税務署員も不足してきたことから税務行政も円滑を欠き停滞してくる。こうした税務行政の人員不足による窮状を打開するため、税務代理業者に税務行政を援助させることが考えられ、そのために作られたのが国家制度としての税務代理士制度であった。

1942(昭和17)年1月、東条英機内閣の賀屋興宣蔵相(いずれも当時)は貴族院での税務代理士法の提案理由のなかで、「(前略)租税は国家財政上極めて重要な地位を占めて居るのでありまして、その運営の適否が、直ちに国政の全般並びに国民の利害に重大なる影響を与えるのであります。(中略)殊に戦時下におきまする財政需要の増加に伴いまして、相次いで増税を行い、さらに今回相当程度の増税の措置を行うことと致したのでありますが、(中略)新たに税務代理士法を制定し、税務代理士の制度を設け、その素質の向上を図りまするとともに、これらの者に対する取り締まりの徹底を期し、これにより戦時における税務行政の円滑なる運用に資せんとするのであります(以下略)。」と述べ、この税務代理士制度を「戦時における税務行政の円滑なる運用」に役立てることを目的したものであることを明確にしていた。

この前年41年4月、名古屋商工会議所で開催された税務代理人法制定期成全国大会で、税務代理業を行っている関西や名古屋の業界代表者を前にして、来賓として出席の田中豊名古屋税務監督局長(税務代理士法案は、田中氏が名古屋転出前、国税課長であったとき松隈主税局長のもとで作られたとされる)が、「国家の税務行政の円滑を図る補助機関として活躍すると共に、税の知識の乏しい納税者達のよき相談相手となり指導者となって職域奉公に努めてもらいたい。」と、税務代理士を税務行政の補助機関とすることを、祝辞のなかで述べていたのも同趣旨である。

この非常事態にあたって国家のお役にたつだけでなく、税務代理士という国家資格を肩書にすることになれば、この職業に対する社会的評価も高まると考えた当時の代理業者の多くは、この制度の創設を大いに歓迎したものと思われる。
資質と規制強化のため強制加入制

税務代理士法の規定によれば、弁護士、計理士その他一定の者を税務代理士となることのできる資格者として限定している。では、その資格者であれば自由に税務代理士となることができるのかといえば、そうではなくて、税務代理士となるためにはさらに主務大臣の許可を受けなければならないとしている。税務代理士の質の向上をはかろうとしたものである。

また税務代理士の義務、規律も厳しく法律のなかに規定されているが、ここに一つ注目されることは、税務代理士は税務代理士になると同時に自動的に税務代理士会という組織に入り、その会員としてその税務代理士会の会則をまもる義務を負うことにしたことである。

そして、この会には、会員のなかに、税務代理士としての品位を失墜したり、業務上不正な行為を行ったなどの非違行為と並んで、この会の会則に違反したり、違反する虞のあったときには、その会員を退会させる権限(主務大臣の許可を条件として)がある。この税務代理士会から退会させられると、主務大臣から与えられていた税務代理士の許可が失効し、以後税務代理士を続けることができなくなる。ということは、税務代理士会は、生殺与奪の大変な権限をもって会員に睨みを利かすことができるわけだが、これは会に自主権・自律権が与えられていたと即断してはならない。なぜなら、この会の会則の制定、改廃も、すべて主務大臣の許可を得なければ成立しないことに見られるように、会自体が主務大臣の強い監督統制のもとに置かれているわけであるから、会のもつ権限も主務大臣の税務代理士に対する強い監督・懲戒権限を代行するに過ぎないというべきである。

こうした税務代理士会の強制設立、強制加入は、民主的な又は自由主義的な団体はすべて解散させられ、世の中が大政翼賛体制一色に塗りつぶされていた時代であったことを考えれば、特に異とするに当たらないのかもしれない。
対立する矛盾を含むか税理士法?

うち続いた戦争の時代も終局に近づきつつあった1942(昭和17)年に、はじめて国家の制度として生まれた税務代理士制度(税務代理士法)は、天皇主権の明治憲法=大日本帝国憲法下の、しかも国家の運命をかけた激しい戦時のなかで、税務行政の補助機関としてつくられたものであるのに対し、戦後、シヤープ勧告を受けての1951(26)年成立の税理士法は新しい平和・民主・人権をうたう日本国憲法のもとで、税務代理士法を廃棄してつくられた。

しかしそのころわが国は、講和会議を前にしてまだアメリカ軍の占領下にあり、税理士法制定の前々49年に中華人民共和国が誕生、前50年には朝鮮戦争が勃発するなど、日本をとりまく状況は、すでに東西冷戦の時代に入っていた。

国内では、戦後のインフレとその克服を狙ったドッジラインで国民生活は困難を極め、民主主義的団体による重税反対の運動も各地で頻発し、各地の税務官公署(税務行政)が国民の攻撃の対象となる世情のなかで、その補助役でしかない税務代理士は、国民の信頼のない影の薄い存在であったといえる。

シャープ勧告のいう税理士の質を高め、税理士を税務官吏と対等に渡り合える代理人として国民の信頼を得させることは、いわゆる反税団体対策としても必要なことであった。

ところで、現行税理士法の問題について、私が感じていることの若干を述べれば、現行税理士法には対立する重大な矛盾を含んでいるのではないかということである。

一つは、税理士は納税者の代理人として税務権力と対峙する立場にあるものであり、いま一つは、税理士法によって国家から規制・取締りの対象とされ、また税理士会の会則によって税務行政の補助的役割を担わされている税務行政の補助者としての立場にたつものである、という矛盾である。

この後者の立場は、税務行政事務の下請負や書面添付制度などによって最近ますます強まっているのではないかということである。この税理士の納税者の代理人としての立場と、税務行政の補助的役割を担わされている立場、この二面性、相矛盾するものを、現行税理士制度(税理士法)が内包していることの問題点を認識し摘出し、これをいかに克服するかが、すべての税理士にいま問われている、そのことを私たちははっきりと自覚しなければならないのではないか。

この分科会において、皆さんの討議によってそのことが少しでも解明されれば、ありがたいと思うところである。
(執筆責任 伊藤 清)
税務代理士法から税理士法への変遷

昭和22年以降、所得税・法人税等主要な租税につき、申告納税制度が採用されるなど、税制民主化が図られることとなり、これまでの税務代理士の在り方もおのずからその性格を変えることとなった。ここに於いて、従来の税務代理士法を根本的に改正すべしとする意見が日本税務代理士会聯合会からも挙がることとなる。
昭和24年来日したシャウプ税制使節団は、税制と関連してこれまでの税務代理士制度にも勧告を行った。
第二次シャウプ勧告

(F)納税者を代理する専門家
能率的な租税制度は税務当局に対して納税者を代理する資格のある専門家の存在を必要とする。このような代理は、個人納税者にその個々の事件に於いて、税務行政上の誤謬に対し必要な保護を与えるものである。加えるに、この専門家は、行政制度について見識のある批判を加える能力があるから、このような制度は、行政事務全般にわたる牽制として役立つのである。その結果、行政能率を増進させ、決定を一層公正ならしめるために、絶えず必要な刺激が与えられることになる。着々と納税者の代理者の数が増し、その素質が向上するということは、日本における税務行政の成功にとっては、極めて重要なことである。・・・・・申告者を法律的に正しい者として認証することは、納税者の代理者本来の職務ではない。代理者の任務は、納税者が正しい申告書を提出することができるように、最善の努力を払って納税者を助けることである。申告書の正確さを確かめることは、税務行政の問題であって、私的団体に委任することができない。(シャウプ使節団第二次日本税制報告書附録書 所得税及び法人税の執行に関する問題、F納税者の代理より引用)
昭和26年3月31日 衆議院大蔵委員会

「私は(平田大蔵省主税局長)税理士各位が実力を養い、税務官署に対してむしろ堂々たる態度で正しい納税者の利益、権利を擁護するという意味において大いに活躍を願う、むしろそれによって税務行政自体が改善されるというところまで活躍が期待されるような方向に行くのが理想ではないか。ことに申告納税制度の下においてはどうしてもこのような民間機関が相当発達して納税者が遠慮なく相談し、それからまた税理士各位は、法律に従って正しく納税者を指導し、そして税理士業務をやっていただいてそれによって本当に法律に基づく公正な運用と税務官吏のややもすると起こす独善的な弊害をチェックする機関と致しましても私は大いに活躍を期待したい。そういう意味において新しい税理士法案というものはそういう方向に税理士の資質を向上し、地位を上げるということについて相当有効な役割を果たすものではないか、かように考えておる。」

このように、シャウプ勧告は、円滑な税務行政の補助者としての税理士像ありきではなく、納税者の協力者として、税理士がその使命を果たすことにより、結果として、税務運営の民主的な発達を促す制度としての税理士制度を想定していたものと考える。

この事は昭和26年の税理士法制定に先立って、公布・施行されていた「日本国憲法」が国民主権・基本的人権の尊重を平和主義と並んで三大原則として掲げている事を踏まえて考える必要がある。

最高法規たる日本国憲法の思想を受けて、従前の戦時下の時代的制約の下において制定された税務代理士法の想定していた、行政の補助的機関としての税務代理士から、納税者の権利の擁護に資する制度としての新たな税理士像を備えた税理士法の制定が求められたことは、当然の結果である。

しかし、残念ながらその思想は昭和26年の税理士法においても、又現行の税理士法においても十分に実現されているとは言えない。すなわち、税理士法は税理士の「職責」として「公平な判断者」としての立場を前提として、第一条に「中正な立場」と表現することで、税理士制度を納税者の代理人としての制度としてとらえるのでなく、税務行政の補助的機関としてとらえる姿勢を示したものといえる。現行税理士法においても、「独立した公正な立場」と表現を変えてはいるものの、「職責」から、より積極的な響きを持つ「税理士の使命」と表現を変えたほどの変更は見られない。税理士法の基本的骨格は、税務代理士法のそれをほとんどそのまま引き継いでいると言わざるを得ない。

税務代理士法のその性格を考える際に、法制定までの経緯及び時代背景を考慮することは不可欠である。そもそも、税務代理士の制度化の原動力は戦費調達の為の増税にともなう、租税の徴収の効率を上げるための仕組としての政府側の需要によるものである。

ここに、本来、税務当局に対し情報、知識の乏しい納税者がその手続きおよび対応の代理を目的として自然発生的に生成された税務代弁者が、税務行政の円滑なる運用のための制度として「税務代理士」としてその本来的性格を法的に変質させられた事実を認識しなければならない。

「公共性」という文言で現在に至るまで税理士に求められつつある行政の補助的役割や、税務行政の効率化などという目的で税理士の活動が管理監督されることは、国民・納税者が自らの権利を守るために発生してきた税理士制度の本質を軽視したものと言わざるを得ない。

もちろん、戦前戦後の混乱期において脱税が公然と行われていた時代的背景、および未だ未成熟であった税務代理士の当時の実態を踏まえ考える時、やむを得えなかったものとも考えられる部分もある。しかし、納税者の「代理人」としての税理士制度を考えた場合、現在の税理士法が、歴史的環境の違いにつき十分な検討をせず、税務代理士法の性格をそのまま継承してしまったかのような印象は否めない。

曲がりなりにも、敗戦を契機に国民主権、基本的人権の保護を掲げる民主的憲法を有する我が国において、税理士法が真に憲法の根本的目的に資する制度としての税理士像を描いているものか再考すべきである。

詳細は後ほどの議論に譲るが、この点は昭和24年シャウプ勧告における税理士像としてもとらえられているものと考えられる。勧告は税理士業務の重要性を認識し、税理士をして「納税者の代理を立派につとめ(ablyrepresenting the taxpayer)」、「税務官吏をして法律に従って行動することを助ける」ものとしてとらえ、また、「納税者が税務官吏と同じレベルで彼らに対抗しようとする(if theyare to meet the tax official at his informedlevel)」時の援助者として評価していた点を重視すべきである。言い換えれば、勧告において税理士は税務行政におけるいわば「法の支配(rule of Law)」の擁護者として評価されていたと考えることもできる。この事は、平田大蔵省主税局長が行政に対するチェック機能として税理士制度をとらえていた事からも税理士法制定時の根本的思想であったものと考えることができる。ただ、実際の運用が当時の敗戦を契機としたパラダイムのシフトを十分に反映させることなく、税務行税を継続させてしまった事、また、その立場に甘んじてきた税理士制度に現代の税理士法の抱える根本的問題がある。

「税理士法」の改正についても、税理士制度を真に国民・納税者に資する、基本的人権を担保する制度として確立するため、税理士制度の目的と機能を継続的に検討していかねばならないのではないか。

弁護士制度を参考にみると、弁護士制度も、戦前は「司法機関の最良な補助者」または「司法機関の一」と認識され、弁護士会も司法官僚の監督下におかれていた歴史を有する。

現在の弁護士制度が、完全な自治権を伴う国民の基本的諸権利を守るための制度として確立する前の段階から、自主自律の日本弁護士連合会に生まれ変わった事は、全国の弁護士の熱意と運動が大きな原動力であったことが推察される。ここに、税理士のあるべき姿を実現するためのヒントがあるものと思われる。
(執筆責任 上田 郁)
税理士会の目的の範囲は?

民法43条(法人の能力)を争点に
民法第43条(法人の能力)は、「法人は、法令の規定に従い、定款又は寄付行為で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う。」とある。
税理士会がした税政連への政治献金が、税理士会の目的の範囲内の行為か、それとも範囲外の行為か、これが争点である。

当時、税理士会が進める法改正案は税理士の代理権、税理士会の自主権を充実させる方向での改正ではなく、消費税導入の布石(消費税を税理士業務とする)としての法改正が行われようとしていた。牛島税理士は、この法改正に絶対反対であった。しかも、その法案を通すための運動資金として税政連に集められた特別会費は、税政連から自民党などの政党や政治家に献金されるのだが、支持するつもりもない政党や政治家に献金することは、特別会費を負担した会員の思想、信条の自由を侵害することになる。との理由で牛島税理士は税政連へ政治献金するための特別会費の納入を拒否した。牛島税理士側は、税政連への政治献金は税理士会の目的の範囲外だから無効であると主張した。

税理士会の目的の範囲外で無効
「税理士会が政治資金規制法上の団体に寄附をすることは、たとい税理士に係る法令の制定改廃に関する政治的要求を実現するものであっても、法第49条で定められた税理士会の目的の範囲外の行為であり、・・・・会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効であると解すべきである。」

強制加入団体での政治献金の違憲性
「税理士会は、法人として、法及び会則所定の方式による多数決原理により、決定された団体の意思に基づいて活動し、その構成員である会員は、これに従い協力する義務を負い、その一つとして会則に従って税理士会の経済的基礎を成す会費を納入する義務を負う。しかし、法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、様々な思想・信条及び主義・主張を有する者が存在することが当然に予定されている。したがって税理士会が右の方式(法及び会則所定の多数決原理)により決定した意思に基づいてする活動にも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある。

特に政党など規制法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規制法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり、これらの団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党どの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである。」と、より踏み込んだ判断をしている。

南九会(甲)と牛島税理士(乙)との確認書
紙面の都合から全文を掲載することはできないが、確認書は極めて重要な項目があるので、是非とも全文を参照されたい。
強制加入制と構成員の思想・信条

「牛島税理士訴訟物語」(花伝社)
訴訟弁護団編「牛島税理士訴訟物語」(花伝社)の中で、松井繁明弁護士が寄せた論文「最高裁判決の画期的意義はどこにあるのか」に注目したい。

思想・信条の自由の積極的な擁護
松井繁明弁護士は言う。
牛島訴訟の最高裁判決の意義は、思想・信条の自由の積極的な擁護にある。

憲法の私人間への適用
憲法が制定されて50年、最高裁判所は「私人間には憲法は適用されない」の論理で、事実上、思想・信条を理由とする解雇を有効としてきた。例えば、三菱樹脂・高野事件でも同一の論理で解雇を有効とした。

憲法はもっぱら国又は公共団体と個人との関係を律するもので私人相互の関係には適用されないという論理である。牛島訴訟判決で、南九州税理士会も、一定の公共性をもつとはいえ、国や公共団体の機関ではない。憲法上の位置づけでは私人に過ぎない。この私人相互の関係において、税理士会の目的の範囲という中間項を媒介としながら憲法19条の適用を認めたことは前述のとおりである。これは最高裁が私人間への間接適用を承認したことに他ならない、と松井弁護士の言である。

税理士会の幹部は、それまでは「税理士会と税政連は車の両輪」と公言していた。それが牛島税理士訴訟を経験して、税理士、税理士会、税政連の関係に光があてられ、税理士会と税政連との関係が、一定程度の改善をみた。
しかし再び「税理士会と税政連は車の両輪」と無反省に述べる役員を見かけることがある。それを聞いた牛島税理士はもと来た途を引き返すかも知れない。
(執筆責任 小林岩雄)
書面添付制度

1. 書面添付制度の萌芽
第一次シャウプ勧告
昭和24年8月のシャウプ勧告は、公認会計士の更なる活用から「税法は、一定所得を越えるすべての法人及び個人の申告書には独立公認会計士に証明する貸借対照表、損益計算書及びその他の必要な資料を添付するよう規定すべきである」と述べている。

同年秋大蔵省は、この勧告を受け昭和17年に制定された「税務代理士法」の改正に着手し、昭和25年税務代理士法改正大綱を作成、「申告納税制度の一層の理解、普及に資するため、現行の税務代理士制度を、税務証理士及び税務代理士の二本立てに改める」提言をした。この税務証理士は、税務代理士の業務の範囲である税務に関する書類の作成、税務代理及び納税相談のほか、税務官公署に提出する財務諸表の会計監査について意見を述べることができるものとされている。

課税当局の「税務証理士」の構想は、当時の時代背景から強硬な徴税が行われ、税務行政の中央統括機関として国税庁が発足したときであり、最大の懸案であった徴税の円滑化に資するために「税務証理士」に税務行政の補助者としての役割を担ってもらおうとのことと思われる。

第二次シャウプ勧告
第二次シャウプ勧告では「申告書、帳簿及び記録を税法に従った正しいものとし認証する資格のある「税務公証士(税務証理士)」のような新しい職種の納税者の代理者を設けることは、望ましくないように思われる。このことは弁護士や税務代理士のように会計専門家でないものが右のような地位に付く資格を認められる場合においては特にそうである。帳簿や記録の検査は会計士の仕事であり、会計専門家に限定されるべきものである。のみならず、申告書を法律的に正しいものとして認証することは、納税者の代理者本来の職務ではない。」として退けられ、課税当局の画策した「税務証理士」構想は日の目を見ることは無かった。
2. 制度の創設及びその後の動向

昭和31年の税理士法改正
当時、国税庁は、税務行政に税理士を活用する立場から、また日税連は公認会計士との格差是正・職域拡大を望む立場から、日税連及び国税庁の双方は、いわゆる税務監査制度の導入を求め、結局、書面添付制度は税理士会側からの要望を機として、昭和31年「計算事項等を記載した書面の添付制度」として創設された。

昭和39年税理士法改正案
38年の税制調査会に対し、日税連は「税務に関する監査並びに鑑定の業務を加える」ことを要望した。その理由として「他人の求めに応じ、税務に関する監査及び鑑定を行うとすれば、税理士業務について一貫性が期待できまた税務に関する書類の信憑性は客観化される」としていたが、廃案となる。

昭和55年税理士法改正案
税理士法が改正され、審査事項を記載した書面添付(以下審査書面添付制度という)を2項として付け加え、38年改正廃案となったものが復活する。この審査書面添付制度の創設によって書面添付制度は質的に大きく変化する内容となった。

平成13年税理士法改正案
税理士法が改正され、意見聴取制度を改正し、事前通知前の意見聴取を加えた。
3. 書面添付制度の検討

書面添付制度は、創設当初から日税連及び税務当局の連携で幾度の改正を経てきている。しかし、税理士にとっては実務的メリットがないため当初から利用率は低い状態で今まで推移してきている。創設以来さほど活用されていないにもかかわらず、制度自体を廃止することも無く、逆に改正のたびごとに補強され拡大されている理由はどこにあるのか。

書面添付制度への納税者サイドからの期待は税務当局の調査が減少あるいは省略されることであり、税務当局にとっては税務行政の効率化特に調査時間の省力化である。そのためには税理士が書面添付を通じて行う「監査」の内容が、税務当局が調査省略するに相当すると判断する水準で実施されなければならない。書面添付制度の変遷あるいは今回の日税連の「税理士法改正に関する意見(案)」等の流れを見てきても、税務当局は書面添付制度を通じて実質的に税理士を税務調査の代行者として本格的に活用しようとの意思の表れといえる。

そして最終的に、現在の任意規定から義務規定になれば、税理士のあり方も変質していくことになる。どんなに精緻な「監査」を行おうとも、会計監査人が行う会計監査と違い、納税申告書の最終監査の権限は税務署に委ねられていて、税理士の行った書面添付はその判断資料に過ぎない性格のものである。調査省略の甘言の元に書面添付制度に税理士が組み込まれていくことは税務行政の一端を税理士が担うことなる。納税者から税理士が期待されていることは、権力も情報も知識も無い納税者に寄り添い、巨大な権力を持つ税務当局と対峙することであり、書面添付制度はその関係を崩すものになりか ねない。
(執筆責任 吉元 伸)
       
▲上に戻る