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時潮
> 荒川民商「広田事件」の教訓と税務調査
牛島税理士訴訟の勝利から学ぶ
東京会 湖東 京至
1 あなたは税政連の会費を納めていますか

「あなたは税理士政治連盟に入っていますか?」。「税政連の会費を納めていますか?」。「税理士会と税政連は車の両輪、ということを聞いたことがありますか?」。

おそらく、あなたは税政連が何をやっているか、どういう団体かあまり関心がないでしょう。ときどき送られてくる税政連の機関紙を見て「幹部の人が自民党の政治家の後援会をやっているんじゃないの?」「自分には関係ない団体」と冷めた目で見ているのではないでしょうか。

でも、かつて税政連は実質的に強制加入だったのです。1978年(昭和53年)、南九州税理士会は税理士会員から税理士法改正に要する資金として、5,000円の特別会費を徴収することを決議しました。そしてその資金は全額南九州傘下の各県税政連に配布され、各県税政連は再び南九州税政連にもどし、南九州税政連はそのほとんどの4,316,000円を日本税理士政治連盟に上納したのです。そして日本税理士政治連盟は総額1億3,000万円を選挙の陣中見舞いとして101名の国会議員にばらまいたのです(日本共産党、公明党の議員は受け取りませんでした)。

強制加入の税理士会が税理士から強制的に集めた会費を税政連という隠れ蓑を使って特定の政治家に「一つよろしく」と渡していたのです。傑作なのは議員を特級(500万円)からC級(50万円)まで5段階に評価分けしたことです。特級になったのは自民党税制調査会のボスたちでした。つまり、特定政治家への献金が、強制加入の税理士会の会費から賄われていたのですから、実質的には税政連は強制加入だったわけです。

これに噛みついたのが熊本の牛島昭三税理士です。牛島さんは5,000円の特別会費を納めることを拒否しました。南九州税理士会は会費を滞納しているとして牛島さんに役員の選挙権と被選挙権を奪うという決定をしました。これを不服として南九州税理士会を訴えたのが牛島税理士訴訟です。

2 最高裁で全面勝利判決、17年にわたるたたかいの後の美酒

1986年(昭和61年)2月13日、一審の判決が熊本地裁であり、牛島さん側の勝ち。二審の福岡高裁(1992年4月24日判決)は一審判決を覆して税理士会側の勝ち。1996年(平成8年)3月19日、最高裁は二審を破棄・自判し、牛島さん全面勝訴の判決を出しました。

1996年(平成8年)3月19日、最高裁判所西門前は全国からかけつけた大勢の支援者で埋まっていました。傍聴席に入れるのはほんの一部です。わたしは北野弘久先生と一緒に最高裁第3小法廷に入れていただきました。緊張の一瞬後、園部逸夫裁判長は「原判決を破棄する。本件を福岡高等裁判所に差し戻す」という判決を下しました。涙が出るほどうれしい判決内容です。「全面勝訴」の垂れ幕が西門前に掲げられました。湧き上がる「ウオー!」という歓声、「ヤッター、ヤッター!」という声、鳴りやまぬ拍手が今も耳に残っています。

この判決を受けて、税政連の強制加入は見直され、東京税理士会のように建物も職員も別、役員も別、会計も税理士会とは別で会費も別に徴収、入会も退会も自由となりました。

3 反省のない税理士会幹部

しかし、「税理士会と税政連は車の両輪、税理士会の要望を政治の世界で実現する実働部隊が税政連」と言ってはばからない税理士会の幹部がいます。支部税政連の会費を所属支部が代行収納しているところもあります。税政連の総会を支部総会と同日、同じ会場で開催しているところがほとんどです。

税政連の活動をみても、国会議員や地方議員との交流・会食会、選挙の際の推薦が主なもので、税制改正の要望内容などは税理士会がつくったものをそのまま踏襲しているようです。要するに税理士会の別動隊であることは昔も今も変わっていないのです。ただ、牛島税理士訴訟に負けたため、少々形式を重んじるようになっただけです。

さて、牛島税理士訴訟で最高裁は「税理士会は強制加入団体であるから、会員には脱会の自由がない」としてます。そのうえで「その構成員である会員には様々な思想・信条及び主義・主張を持っている人がおり、税理士会の活動にも、会員に対する協力義務にも限界がある」と判示しています。さらに「税理士会が政治団体に寄付することはいかなる場合でも目的の範囲外」だとし、税理士会の政治活動を厳しくいさめているのです。

厳密にいえば、「車の両輪」である税政連が特定の政治家の後援会をつくり、応援することも最高裁の判示に反するといえます。政治家と付き合いたければ個人で付き合い、個人として後援会に入ればいいのです。それは憲法の要請する基本的人権、思想・信条の自由の保障に基づくものです。

4 税政連は無用の団体です

では税政連はどうあるべきなのでしょうか。私見として一番いいのは、日本税政連や各単位税政連、支部税政連のすべてを解散、なくすことだと思います。そうすれば、思想・信条の自由が保障されるばかりか、無理やり「車の両輪」だといって憲法違反ぎりぎりの抜け道的政治活動をする必要がなくなります。

そういうと、「政治家とのパイプがなければ、税理士(会)の要望が受け入れてもらえない」というかもしれません。そんなことはありません。正々堂々と税理士(会)として要望を行えばよいのです。国会議員のほうは税政連も税理士会も同じだと思っています。税理士会は政治活動はできませんから、特定の政治家への寄付や後援会をつくって選挙の応援をすることはできません。でも、税理士会・日税連が税理士の要望であるとして建議書を持っていけばちゃんと聞いてくれます。否、むしろ税政連のほうが胡散臭いと思われているのではないでしょうか。

2016年4月1日号の機関紙「日本税政連」が手元に届きました。1面左上に「高市総務大臣を表敬訪問」という記事があります。その写真には高市大臣を囲んで日税連の神津会長と日税政の小島会長、近畿税政連の久保会長が一緒に写っています。この表敬訪問が政治活動と受け取られれば、神津日税連会長は最高裁の判示に違背することになります。反対に政治活動ではないというなら、税政連の役員が同席するのはおかしいことになります。

5 正々堂々と中小企業・税理士(会)の要望を国会に要請する

牛島さんは判決当日の報告集会(於、日本教育会館)の挨拶で税政連についてこう述べています。「税政連をやるなとは言わない。加入・脱会は自由であることを明らかにせよ。弁護士会がやっているように一切の便宜を与えるな。税政連というのは、やりたい人がやればよい。税理士会は、税理士法に基づいた建議権を行使しようではないか。正々堂々たる運動を起こしていこうではないか」と。

私は税政連不要論です。牛島さんも同じ考え方だと思います。「車の両輪」論は最高裁の判示からしても間違っています。税理士会は建議権に基づいて建議をすべきで、それを税政連にやらせる必要はありません。

ついでにいま、税理士会が正々堂々と国政レベルで建議しなければならないことを列挙してみましょう。建議の視点は私たちの関与先中小企業の要望であり、私たち税理士の要望であることです。

消費税の税率引き上げを中止し、税率を引き下げ、やがて廃止すること。税理士会は事務負担増大の観点から軽減税率導入による複数税率化に反対していますが、まず税率引き下げをしたうえ単一税率を要望すべきです。

プライバシーを侵害し、負担ばかりで一利もないマイナンバー制度に反対すべきです。

納税者の権利保護を法律に明記し、納税者権利憲章の制定を要望すべきです。あわせて、無予告調査の例外をなくし、行政指導のもとに納税者を呼び出し、実質的な調査を行うことを止めるよう要望すべきです。

大企業中心の租税特別措置を廃止し、応能負担原則にかなう公平な税制を要望すべきです。

6 牛島さんはどんな人ですか

ここで牛島昭三さんはどういう人だったか、簡単に紹介しましょう。牛島さんは名前のように昭和3年(1928年)2月に熊本県上益城郡御船町で生まれ、敗戦を中国奉天で迎え1946年(昭和21年)8月に引き揚げてきました。翌年19歳で御船税務署に就職、そこで税の世界に接するとともに税務労働者の生活と健康をまもり、民主的な税務行政の確立をはかるための活動をします。全国財務労働組合御船・山鹿支部の委員長に選出されました。しかし、1949年(昭和24年)レッド・パージによって税務署を解雇されてしまいます。

その後、独力で税理士試験に挑戦し1961年(昭和36年)に33歳で合格、翌年11月に税理士登録をし熊本に税理士事務所を開設します。そして納税者の権利擁護と公平な税制を求める壮大なたたかいに挑んでいきます。

ある時は水俣病の補償金に対する課税問題に取り組み、大型間接税の導入に反対するたたかいを組織し、消費税導入後は税率引き上げ反対のため東奔西走し講演活動を行います。その中で1972年(昭和47年)4月、九州税経新人会の結成に参加し、その中心的役割を果たしてこられました。消費税反対の学習会を熊本で開催したとき、私(湖東)を呼んでいただいたことがあります。勉強会の中身はあまり記憶に残っていませんが、打ち上げ会で牛島さんと飲みながら延々と議論しました。牛島さんはまさに九州男児、日本の将来を憂いた情熱あふれるやり取りを思い出します。

牛島さんは2003年(平成15年)1月24日、病に勝てず亡くなりました。74歳でした。(この項は花伝社刊『牛島税理士訴訟物語』などを参考にしました。) 

7 最高裁西門前の要請行動

牛島税理士訴訟が最高裁段階に入ってから、最高裁西門前でのビラまきや宣伝カーでの要請行動が行われました。牛島さん側は熊本地裁で勝ったものの、福岡高裁で逆転敗訴となったため、必死の思いで最高裁に上告したのです。

一審の熊本地裁の判決が画期的なものであったため、福岡高裁でも一審判決以上に素晴らしい判決がでるものと期待していました。しかし福岡高裁の判決は大方の予想に反して牛島さん側の敗訴となったのです。判決理由は、「南九州各県税政連は税理士の社会的・経済的地位の向上、民主的税理士制度及び租税制度の確立のために必要な政治活動を行うに過ぎない団体で、特定の政治家に政治献金を行うための政治団体ではない」、「5,000円の特別会費の決議が政治献金を行うためのものだったとする証拠が十分ではない。むしろ税理士法改正運動のための対策費、旅費等の経費の不足を補うためのものであった」というのです。つまり、5,000円の特別会費は政治献金に用いられたものではないと判示したのです。

これはとんでもない事実誤認ですが、牛島さんや支援者は「こんな理屈が最高裁に持ち込まれたら大変」、「最高裁では法廷を開いてほしい」、「最高裁に自判をしてほしい」と訴えました。そして毎月1回、支援者や弁護士・税理士が最高裁西門前でビラまきをしたのです。ビラは最高裁の職員に手渡されました。国民救援会の宣伝カーから職員に訴えもしました。署名も約5万人分提出しました。

雨の日も風の日も、早朝から最高裁の職員通用門に立って通勤する最高裁の職員にビラを渡しました。毎回九州から牛島さんをはじめ、弁護団の方々、東京の支援者たちが参加しました。私も何回かビラまきに参加しましたが、牛島さんの気迫あふれる行動は鬼気迫るものがありました。「たかが5,000円、されど5,000円、5,000円で命は売れない」、「最高裁は憲法の番人たれ!」。悲痛な叫び声がついに最高裁に届く日がやってきました。

判決当日まで、弁護士や税理士、支援者の方がビラをまきました。判決当日に弁護団が最高裁東門に署名を提出に行きました。そしたら最高裁の職員が、「あんたがたよくやるね。判決の日まで弁護士さんまでビラをつくり、ビラまきするんですから」とおどろいていたというのです(判決報告集会での牛島さんの発言から)。最高裁では西門を入ったところの会議室で上告人の要請を聞く機会を設けています。要請を聞くのは裁判官ではありませんが、担当の書記官です。ビラを貰い、宣伝カーでの訴えに裁判所の職員も正論に耳を傾けざるを得ないのです。それが裁判官に通じたとは思えませんが、世論形成に役立ったことはいうまでもないでしょう。

じつは今も、最高裁の西門前で毎月1回、ビラまき・宣伝行動をしています。今、私が要請しているのは倉敷民商弾圧事件です。倉敷民商の事務局長の小原さんと事務局次長の須増さんの税理士法違反事件(刑事事件)は岡山地裁、広島高裁(岡山支部)でいずれも被告・小原さん側の敗訴、そして小原さんたちは最高裁に上告し、いま最高裁で審理が行われています。

この事件は税理士法違反となっていますが明らかな弾圧事件です。申告納税権の保障、団体・結社の自由などを求めた憲法裁判です。私は最高裁西門前に立つたびに牛島税理士訴訟を思い出します。正論は必ず最高裁に通じるはずだと信じて。

(2017年4月15日記す)
(ことう・きょうじ)

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