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特集  第45回佐渡全国研究集会  分科会テキスト
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普遍主義的福祉国家をめざして
〜スウェーデンに学ぶ地方自治と政府の役割〜
名古屋会  

小林多喜二著『蟹工船』(新潮文庫)が再びベストセラーとなった。現代社会に実在する『格差』が、当時の社会と酷似しているからなのであろうか。本稿構成時は、ちょうど総選挙をひかえ各政党のマニュフェストが出揃い、それぞれ喧々囂々騒ぎ立てているときである。誰のための政策、何のための国家。立法・行政がなすべき施策とはいかなるものであろうか。

最近まで、民営化・自由化こそ効率的で公平なサービスの提供につながるといった「小さな政府」の解釈がトレンドであったように思われる。しなしながら、いつしかその延長線上において、経済の成長や安定には将来の不安の払拭が必要であり、医療・福祉・年金等が、制度として磐石でなければならないと重ねて論じられるようになってきた。また、大阪や宮崎の知事のメディアへの露出が進む中、公共事業等の直轄負担金の問題などからも、地方財政の窮状がますますクローズアップされるようになった。財源・役割・権限などの側面から、中央と地方との役割分担についても、総括的・体系的に議論しなければいけない時期に至ったと思われる。

そこで、これらの問題に光を当てるよう、名古屋会では、中央と地方の役割について、高福祉・高負担国家であり、同時に国民の満足感が高いとされるスウェーデンのモデルについて参照し、いわゆる「福祉国家」について検討してみたいと思う。

第1章  スウェーデンの諸制度

(1)スウェーデンの歴史概観
スウェーデンの歴史は古く、中世にはバルト海の覇者として君臨する。しかし、フランス革命後、ナポレオンの元帥であったフランス人ベルナドットを王(カール14世ヨハン)として迎え、以降、彼の取った中立政策が現在まで貫かれている。19世紀半ば、産業革命を経て世界が帝国主義の時代に入る中、スウェーデンは、中世ヴァーサ朝以後貫かれてきた領土拡張と北欧覇権の追及を放棄したのである。現在のスウェーデンが形成されるその基礎は、僅か200年前のこの政策転換にあると考えられる。

先史時代から古代、ヴァイキングの時代(中略)
中世、ヴァーサ朝の成立とその盛衰(中略)
スウェーデンの近代〜中立政策の展開〜

ナポレオン戦争後のスウェーデンは、カール14世の政策により将来のスウェーデンを決定付ける政策変更を行った。端的にいえば、この国に残る歴史的な大国意識、バルト帝国復興のテーゼに代表される覇権追求の政策を放棄したのである。対外的にもスウェーデンは1814年の対ノルウェー戦役以降一度も対外戦争を行ったことがないのである。

覇権追求による国富の充実を図ることを断念した以上、国内建設に専念し国民経済自体の発展によって生活の質の向上を実現してゆくという政策以外は考えられないことになる。

19世紀半ばになると、北欧全土が列強の脅威にさらされる事となり、スウェーデンを中心に汎スカンディナヴィア主義(ノルマン主義)と呼ばれる運動が、北欧諸国民の間で盛んになった。これは列強への対抗心からの北ヨーロッパ統一の機運の高まりであった。この運動を利用して、オスカル1世の大国復興を巡る駆け引きが行われたが、王権の低下と共に挫折した。

1872年に即位したオスカル2世は、汎スカンディナヴィア主義の幻想をドイツ帝国の汎ゲルマン主義と重ね合わせたが、もはや国王の統治権は形骸化しつつあり、国王による国家牽引は時代遅れであった。その後スウェーデンでは民主化が進められ、1866年には二院制議会が置かれ、さらに1908年には成人男子による普通選挙制度が導入され、1920年には労働者を支持基盤とする社会民主労働党が政権を獲得した。

ナポレオン戦争以後は戦争に直接参加しなかったため、学芸と科学技術が大いに発展し、探検家ヘディン、作家ストリンドベリ、経済学者ヴィクセル、ダイナマイトの発明者でノーベル賞の設立者ノーベルなどの偉人が現れた。1905年には平和裏にノルウェーの独立を認め、さらに第一次世界大戦、第二次世界大戦でも中立を維持し、NATOにも加盟しないなど、武装中立政策を貫徹した。

また、北欧諸国の傾向として、大恐慌以降、社会民主主義政党の力が強く、政権闘争上は保守政党と2分され争われるが、実際の政権運営は中道政党による支配が続く。この中道政党による政策同盟は『赤緑同盟』と称され、北欧の福祉国家が、労働組合と自営業者、農民と共に形成されてきたことがうかがわれる。

スウェーデンの現在
スウェーデンが世界に誇る福祉政策は、1932年から1976年まで続いた社会民主労働党政権によって推進された。この政策は第2次世界大戦後の経済成長期にスウェーデンを世界有数の「福祉大国」にすることに成功したが、1990年代には行き詰まりを見せはじめた。1991年の総選挙で半世紀ぶりに政権交代がなされ、保守政権が誕生した。しかしこの政権は経済運営に失敗し、1994年には社会民主労働党が政権を奪還する。新政権は福祉政策の弱点であった国際金融での立場の弱さを克服するため、EUの加盟にこぎつけた(1995年)。社会民主労働党政権は、経済を順調な成長軌道に乗せ、1997年には財政再建に成功する。再建された財政でスウェーデン人は再び福祉政策を増強することを選び、現在に至っている。

内政においては、様々な問題を抱えているものの好景気を維持し、外交ではサーミ人の保護、欧州統合への参加による武装中立の放棄、イラク戦争への派兵反対など、積極的な国際活動を行って、その存在感をアピールしている。またバルト三国に対する干渉も冷戦中から行われており、冷戦後には北欧資本の輸出の中心となるなど、この地域におけるスウェーデンの影響力は現在も強い。また文化面においても、ポピュラー音楽やノーベル賞など世界的流行を発信し続けている。
(2)スウェーデンの社会保障と税制
スウェーデンでは、1932年に政権を握った社会民主労働党が「国民の家」と呼ばれる社会福祉政策を打ち立てた。「国民の家」とは、国が父として、人生のあらゆる段階で、包括的で豊かな生活を保障するというものである。そこでは、階級格差の解消、社会保障の整備、経済的平等の達成、労働の保障、民主主義の確立が要請されている。

このような政策の下、今日のスウェーデンの社会保障制度は、「ゆりかごから墓場まで」ではなく、「胎児から墓場まで」とさらに進んだ段階でもきちんと保障されており、広範かつ高水準の所得保障を特徴としている。

スウェーデンの社会保障
スウェーデンの社会保障の組織体系としては、年金、児童手当、傷病手当などの現金給付は、国の事業として実施されており、保健・医療サービスは、ランスティング(日本の県に相当広域自治体)等が供給主体となっている。また、福祉サービスは、コミューン(日本の市町村に相当する基礎的自治体)が担当しており、高齢者福祉サービス、障害者福祉サービス等が実施されている。

i) 児童、女性に対する社会保障  (中略)
ii) 学生に対する社会保障  (中略)
iii) 成人に対する社会保障  (中略)
iv) 高齢者に対する社会保障
高齢者に対する社会保障としては、老齢年金、遺族年金の他、低額の年金受給者のための年金受給者住宅手当(BTP)、年金受給者特別住宅手当(SBTP:BTP受給者のうち特に低所得者を対象とするもの)、高齢者生計費補助(SBTP受給者のうち特に低所得者を対象とするもの)、高齢者介護制度としてのエーデル改革があげられる。ここでは特に、老齢年金とエーデル改革について考察していくこととする。
老齢年金は、(中略)

次に、エーデル改革であるが、この改革がどのような目的でされたのかを明確にするためには、まずエーデル改革以前の医療、介護についてみてみる必要がある。1980年代後半になると、保険医療を担当するのはランスティング(県)、社会福祉サービスを担当するのはコミューン(市)といった役割の明確な分離が、日本と同様に、社会的入院患者(ベッドブロッカー)の増加という社会的問題を生んでいた。これは、 社会福祉に責任を持つコミューン(市)には、入院医療を終えた高齢者を引き取るインセンティブがなかったことと、 ランスティング(県)が運営する医療機関における入院に対する自己負担額の方が、コミューン(市)の運営する高齢者福祉施設での自己負担額よりも低く設定されていたため、患者本人が医療施設に留まることを希望したという2つの理由が指摘されている。

このような問題を踏まえて、1992年1月よりエーデル改革が実施された。このエーデル改革は、サービスの実施主体に関する制度面とサービス提供のあり方そのものに変革をもたらした。

具体的には、それまでランスティングに属していた約540の長期療養病院を、ナーシングホームとうい新しい形態でコミューンに移管した。ナーシングホームのコミューン移管に伴い、そこで従事していた看護師等のランスティングの職員がコミューンの職員に身分移管した。また、特別介護住宅(ナーシングホーム、老人ホーム、グループホーム)とデイケア活動における医療の提供については、コミューンに移管された(医師がかかわるような医療の責任は引続きランスティングに残された)。さらに、財政面での責任は、ランスティングからコミューンに移行した。

これにより、特別介護住宅における医療の提供についてはコミューンの義務として明確に位置付けられ、高齢者の医療・介護の連携は看護師レベルにまで深まった。つまり、高齢者向けの医療・介護のサービス内容・利用者負担等をコミューン単位で一元化することができるようになった。しかし、コミューンが医師の診療が必要な患者を病院から引き継いだ後の責任関係が曖昧であるとういう点で課題が残っている。

スウェーデンの税制
スウェーデンの社会保障を維持するために、国民は税金の面で高負担をしており、スウェーデンの税金は高いとよく紹介されるが、税目別に検証していきたい。

i) 法人税
スウェーデンは欧州でも法人税率が低い国の一つであり、税率は28%である。しかし、社会保障制度への拠出金の雇用者負担分は、労働者の賃金の約33%あり、高い割合となっている。ただし、18〜24歳の労働者を雇用した場合は、約21%に軽減される(雇用促進が目的)。この雇用者負担分は法人の課税所得から控除することができる。なお、労働者は、賃金の7%を年金保険料として負担している。

ii) 個人税
スウェーデンは二元的所得税を採用している。二元的所得税の考え方を最初に提唱したのはデンマークのニールセン教授といわれている。二元的所得税の考え方とは、まず、個人の所得を資本所得と労働所得とに区分する。資本所得は、金融資産から生じる所得(利子、配当、株式譲渡益等)と実物資産から生じる所得(家賃、投資収益、譲渡益等)から成り、労働所得は、勤労に関係する所得(賃金、給与、年金等)から成る。次に、資本所得と労働所得をそれぞれ別個にひとまとめにして、別々の税率を適用するというものである。

具体的に、スウェーデンでは、利息、配当等のキャピタルゲインからなる資本所得は、勤労所得とは分離し、資本所得を全て合算した上で、税率30%で課税される。その際、支払利息額は、全額控除することができる。一方、キャピタルロス(損失)は、最大100%をキャピタルゲインから控除することもできるが、損失額の70%しか認められない場合もある。

勤労所得は地方税としては、居住地の自治体により、収入にかかわらず約30%の税率で課税される。税率は各自治体により決められる。さらに、所得が多くなると20%から25%の税率で国の勤労所得税が課税される。所得控除は基礎控除のみであり、極めて広範にわたり課税がされている。ただし、国税は年金保険料等の税額控除が認められている。なお、地方自治体の税源は、この勤労所得税のみである。
(中略)

iii) 付加価値税(VAT)  (中略)
充実した福祉は充実した地方自治から(中略)

第2章  日本の地方自治の現状と問題点

(1)日本における中央と地方の財政関係
集権的分散システム
日本における中央政府と地方政府との政府間財政関係は、集権的分散システムと特徴づけることができる(神野直彦「財政学」)。地方政府に自己決定権がないのに、財政支出のウエイトは地方財政のほうが大きいからである。実際、日本の地方財政の歳出の比重は、国際的にみてもっとも高い。しかも、州に主権がある連邦国家と比較しても単一国家であるにもかかわらず、地方政府の歳出の比重は高い。地方政府の歳出の比重が高ければ、当然分権的であるはずだが日本の場合はそうなっていない。決定するのは中央政府、執行するのは地方政府という集権的分散システムなのである。

機関委任事務
地方政府の実施する事務には地方固有の事務即ち団体委任事務と地方政府の「機関」である知事や市町村長に委任される機関委任事務とがあった。2000年4月には地方分権推進法の勧告により、機関委任事務は廃止され法定受託事務に、団体委任事務は自治事務になった。しかし、中央政府が地方政府の執行する事務を指令する構造は、そのまま残った。法定受託事務にとどまらず、自治事務でも法令により、事細かにその執行方法を義務づけて執行させている。

補助金
機関委任事務が中央政府による指令でコントロールされているのに対し、補助金は歳出面での誘導によるコントロールである。地方政府には「歳入の自治」即ち歳入についての自己決定権が制約されているからである。原因は地方の事務に見合うだけの地方税が配分されず、中央政府からの「仕送り」つまり財源移転に頼らざるを得ない仕組みになっている。こうして機関委任事務と補助金の二つの仕組みにより、全国画一的な財政が可能になった。
(2)三位一体改革と地方分権
小泉内閣のときに「三位一体改革」の名のもとに三兆円の税源委譲がされた。その趣旨は、 国庫補助金を極力削減し、 税源を国から地方に移して地方自治体固有の地方税という財源を増やし、 地方交付税交付金は財政調整機能を柱とし、財政保障機能が主ではないように見なおす、というものであった。地方分権も税源委譲も もともと中央政府の統制が強すぎるとの批判に応えるかたちで出てきたものである。だれの目にもあきらかだから地方分権を唱えざるを得なかった、というところでしょう。

2007年国税である所得税から個人住民税への委譲がおこなわれた。その結果低所得の住民の住民税が大増税になった。つまり、個人住民税の税率がフラット化され、応能負担の原則からみれば、大幅に後退するになってしまったのが現実です。改革の三年間、国から地方への交付税の移転額が5兆円減額され国庫補助金が4兆円減らされている。税源委譲で自由に使える3兆円増えたが、全体のパイは小さくなってしまった。国の財政再建のために地方分権が口実にされた。では、地方政府が自主的に税金のあり方を決定する課税自主権はどうなったか。建前だけは掲げられたても、地方政府の担う公共サービスの6割に対する地方税4割の構造は変わらず、差額は国から補われている。
(3)平成の大合併は何をもたらしたか < 佐渡市の例 >
平成の大合併の目的は、政府に寄れば、地方分権の推進、基礎自治体である市町村の行財政基盤の強化にあった。そして合併効果は 住民の利便性の向上、 広域的なまちづくり、 サービス高度化・多様化 行財政の効率化、4点であった。

合併後の結果は効果と言えるようなものは無く、合併自治体の内部で「地域格差」が生まれ、財政が困難になったと問題が生じている。ご当地、佐渡市も平成の大合併で新設された。2004年3月、1市7町2村が合併して人口7万人の市ができた。合併後の佐渡市を調査した保母武彦氏によれば、佐渡市の財政困難は、過大な人件費が原因になっている、と指摘されている。

佐渡市のように7万人規模の市であれば、一般職の職員の数が550人といったところだが、佐渡市はその2倍以上の1200人の職員を抱えていた。2010年までに180人を減らす計画であるが、この程度の削減ではとても財政難を打開出来る状況ではない。合併による効率行政は、人口の比較的多い中心地への施設の集中配置を伴い、きめの細かなサービスを困難にしがちである。佐渡市も例外では無く、島内の農漁村部から市中心地への島内移住がはじまっている。「自治体内部の地域格差」現実のものとなりつつある、という。島内の過疎化は新しい段階に移行した感がある、と報告している。
(4)道州制構想の問題点
合併が一段落したらこんどは「道州制」です。道州制はもともと日本経団連が政府に求めてきたもの。経団連の御手洗氏は「道州制」こそが究極の構造改革であり、総仕上げだと位置づけています。現在検討されている道州制は県をなくし人口1000万〜3000万人近くの州を10程度つくろうというものです。

道州制をめぐる問題点は次の点にある。第一に、都道府県を廃止し、大くくりの道州制導入は「地方分権」の美名のもとに「国のかたち」を改変するものであり、現行憲法下での国と地方自治体との水平的関係を壊し、国と自治体との関係を上下関係に改変するものです。第二に、道州制のもとでは地方財政調整制度を基本的に作らないとしていることです。所得の再移転、再分配を調整するものが、地方財政調整制度です。これをつくらないということは、地域で生み出され、東京に集中した冨が、地域に循環せず、漏出してしまうメカニズムが出来てしまう危険が大きい。第三に道州制のもつ「人口が一定規模以上でなければ基礎自治体たり得ないとする考え方は、現存する町村と多様な自治体のあり方を否定するものです」(全国町村会決議文より)。
参考文献
  神野直彦「財政学」有斐閣
  保母武彦「平成の大合併後の地域をどう立て直すか」岩波ブックレットNO.693

第3章  普遍主義的福祉国家をめざして

(1)概要
福祉国家という用語は第二次世界大戦中、イギリスの主教ウィリアムス・テンプルが、ナチズムの専制的・独裁主義的戦争国家を「権力国家」と呼び、当時のイギリスを指して「福祉国家」と呼んだのが始まりとされている。

1917年10月に革命により成立した「社会主義国家」ソビエト連邦が1991年に崩壊するころまで、わが国の革新陣営では戦後一貫して、アメリカ帝国主義と日本独占資本の二つの敵を「主敵」と見る二つの敵論と、日本独占資本主敵論に代表される論争を経て、ヨーロッパ社会民主党が目標としていた「福祉国家」論は、社民主義・ベルンシュタインの修正資本主義の流れを汲む修正主義として、批判または侮蔑の対象でしかなかった。

1942年のベバリッジ報告「社会保険と関連サービスに関する報告」が発表され、世界の資本主義国では福祉国家という用語は、積極的な社会改良を志向する1つの社会のあり方として評価され、北欧諸国やイギリスなどで積極的に「福祉国家」政策を進められていた政治は、わが国においてはあまり重視されていなかった。

しかし、ソビエトや東欧諸国の「社会主義政権」が崩壊してから、わが国においても福祉国家研究が盛んになり、特に北欧諸国への見学・論攻が盛んになった。

「租税国家は福祉国家」であるというテーゼは租税法学者によって説かれているが、福祉国家の定義はあまり定かでなく、名古屋会において「福祉国家」の定義かつその実像に迫ろうとする大それた試みに挑むこととなった。
(2)スウェーデン・モデル
福祉国家の代名詞ともなっているスウェーデンについての、国民生活や税制度はすでに他の会員が報告している。ここではスウェーデンの典型的な3つの特徴を挙げる。

i) スウェーデン型福祉国家、{国民の家}(1932年社民党政権成立)
ii) 制度化された労使協調(ただし個別企業労使の協調でなくナショナルセンターでの協調であって、しばしば単位労組はストライキを行う)・・・強力な労働組合の存在
iii) 社会民主主義の主導による合意と妥協の政治決定形態

なお、嘗て農業国であったスウェーデンが、今日のように資本主義国家として成長できたのは、100年以上も戦争がなく平和な国づくりを行った結果である。憲法第9条はこの経験から見ても大切な条項である。
(3)福祉国家の理念
社会保障
福祉国家は、格差縮小、貧困援助、最低生活の確保と生活の安定化を図る社会保障制度の確立である。具体的にはベバリッジモデルによれば、所得保障(社会保険や公的扶助)医療保障、社会福祉サービスなどである。社会保障はすべての国民に対して権利(市民的社会権)として保障され、雇用・家族政策・住宅・住環境教育政策などが国家の責任となる。

完全雇用政策と普遍的社会福祉 資本主義国家において「完全雇用」を可能にしたのはケインズであり、公共事業への投資その他の政府の経済に対する積極的介入によって完全雇用と経済成長を図ろうとするもので、スウェーデンは総需要拡大による総体的雇用維持に加えて、構造的不況地域への産業立地や労働力移動、公共職業訓練教育、障害者や母子家庭の母親などの社会的弱者への雇用、女性、労働環境の整備、失業手当給付、労働時間短縮などを実現していった。普遍主義的福祉国家(スウェーデン、デンマークなど北欧諸国)と、他の国家の福祉のあり方は大きく相違する。

自由主義型(アメリカ、カナダ、オーストラリアなど)福祉国家、選別(保守)主義型(フランス、オーストリア、ドイツなど)福祉国家は、労働権、就労権の保障が第一次的でなく、疾病や高齢などによる就労が不可能になった人に対して社会保険の給付を通じて、金銭的保障を行うことを主要な目的とする。したがって、障害者など社会的弱者に対する就労権の保障は第2次的なもので、社会保険に包括されないグループが存在する。これらのグループに対する主な所得保障は、公的扶助(生活保護等)によって行われる。

以上のような3類型の福祉国家について、北海道大学大学院教授宮本太郎教授は、その著書『福祉政治』(有斐閣2008年)において以下のように詳細に述べている。

(イ)スウェーデンなど北欧諸国のような福祉国家体制(以下レジーム)は、社会民主主義レジームは、強力な労働運動や社会民主主義政党のイニシアティブのもとで形成された体制で、公的な福祉を中心としている。社会保障や福祉は、一部の困窮した人々のための特別なものとはされず、すべての市民が人生の折々で当然に利用するものと位置づけられる。こうした考え方を一般に普遍主義という。

(ロ)アメリカ・イギリスのような自由主義レジームは、労働運動やキリスト教民主主義あるいは保守主義の影響が弱い中で形成された体制で、市場原理の影響が強いレジームである。社会保障制度全体の中で、企業福祉や民間企業による社会サービスなど民間の比重が高い。公的な社会保障制度の規模は限定され、その中では困窮者救済のために所得制限付きで給付される公的扶助などの比重が高い。

(ハ)ドイツ・フランスのような保守主義レジームは、キリスト教民主主義勢力の強い制度体系で、職域や家族を基軸としたレジームである。社会保険については国家公務員共済組合や産業分野ごとに労使が労働協約で取り結ぶ年金、医療保険など職域ごとに複数の制度が運用されている。男性稼ぎ主の所得を安定させたうえで、家族主義を通して家族構成員にもその収入をいきわたらせる仕組みであった。このレジームは女性労働力が平均して低い。

混合経済体制における国家の経済への介入
資本主義諸国の経済発展(国民総生産)が一定の水準に達することによって、社会保障制度の諸手段は所得再分配によって、低所得層や一般国民の購買力を強化する。経済発展は福祉国家存立の重要な前提であり、福祉国家は資本主義体制維持の基盤でもある。福祉国家は市場経済と生産手段の私的所有を基本的に容認するが、広範な国家介入を行うという混合経済体制によって成り立つ。純粋な計画経済ではなく社会主義経済体制とは一線を画し、修正資本主義あるいは福祉資本主義とも呼ばれる。

民主主義と市民的社会権
社会保障制度の充実は、経済的弱者の生存権保障や生活水準の向上を目的とし、社会権(基本的人権)を拡大する。社会権の前提である基本的人権が保障される民主主義国家であることが必要条件である。

国民生活の平等化・均等化
所得再分配を内容とする社会保障制度は、貧困の解消や軽減だけでなく、国民各階層間の所得格差の縮小を図ることによって、生活条件の均等化を図るものである。応能負担原則に基づく累進課税による総合課税政策や、完全雇用政策、住宅政策、家族政策、教育政策などの社会政策も、国民の生活条件の均等化に大きく貢献するものである。

ここで注意を喚起したいのは、応能負担原則による累進課税制度の導入は、再分配の必要条件ではあるが、十分条件ではないということである。普遍的社会福祉政策があってはじめて所得の再分配は有効に機能する。
(4)日本における福祉国家の崩壊と再生
田中内閣の成立により、わが国においては1973年に「福祉元年」が宣言され、年金の大幅改革、医療費における高額医療費支給制度、老人保健無料化などにより社会保障支出は増加した。しかし、ニクソンショックにより財界が公的社会保障支出に批判を浴びせ、1993年における社会保障支出のGDP費が12.3%におさえられ、スウェーデン25.2%、ドイツ15.8%より低く、自由主義的福祉国家アメリカの13.2%より低い数値となった。

さらに小泉内閣の成立により、その新自由主義的政治・市場原理主義により、官から民へ、医療・社会福祉への市場原理主義を持ち込み、高齢者福祉・障害者福祉の切り下げはもちろん、労働市場においても「首切り御免の労働者派遣の自由化」をすすめ、リーマンショックによる「派遣切り」により、国民各階層の生活は困難になっている。

日本における福祉国家の再建は、「シャウプ勧告」に示された、応能負担原則など本来の租税政策に立ち戻り、中央省庁の縮小・地方分権・地方財源などの「充実した地方自治」の確立により、初めて民主主義の確立、福祉国家への道が開かれるのである。

特に地方自治についてのシャウプ勧告は、日本の中央政府と地方政府との関係改善のため、問題点を「事務配分」と「財源配分」の二つに分け、地方分権と地方財政の充実を指摘した。住民生活の進歩と福祉は、地方政府の行政の質と量にかかわってきている。

地方政府は住民の身近にあり、国民は地方行政を監視しまたは理解できる。国民は自分が地方政府から受ける利益と、それに要する費用との関係を明らかに判断できる。「地方自治は民主主義の学校である」とのべている。

なお、消費税に頼らない租税制度、地方自治の拡大・地方財源の確保は『富裕者課税論』を参照されたい。
参考文献
宮本太郎・岡沢憲芙  『比較福祉国家論』  法律文化社  2004年6月
宮本太郎  『福祉国家という戦略』  同上
安藤  実  『富裕者課税論』  桜井書店  2009年4月
訓覇法子  『アプローチとしての福祉社会システム論』  法律文化社  2004年

第4分科会  税理士が知っておくべき滞納処分
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