論文
【特集 秋のシンポジウム報告】
> 2012年秋のシンポジウム(東ブロック)に参加して
> 2012年秋のシンポジウム参加の感想
> 憲法の31〜40条がなぜあるのか
> 秋のシンポジウム「新国税通則法と税務調査への対応」に参加して

2012年秋のシンポジウム参加の感想
関信会 中川 正彦
2012年11月17日、東京税理士会館において「新国税通則法と税務調査への対応」と題するシンポジウムが行なわれました。鶴見祐策弁護士による憲法的意義、永沢晃税理士による改正国税通則法による実際の税務調査の対策が提案されました。後日、講師を含め111名と多数の参加があったと連絡がありました。

様々な議論がありましたが、私の個人的な感想を、鶴見祐策弁護士の「納税者の権利の憲法的意義と質問検査権」に絞って述べさせていただきたいと思います。

税理士は、会計人であると同時に法律家であると思います。鶴見先生は憲法論を通じ、このことを示唆しておられたのではないでしょうか。
刑事事件においては、ほとんどの立証責任は国家側にあります。強大な権力・組織・調査機関がある国家と私たちが争う場合、適正な手続によって、国家側が犯罪の立証責任を負うのは自然なことだと思います。

鶴見先生は、こうした権利にかかる憲章は歴史であると説明されました。ときの権力者に恣意的な処罰や課税をさせないため、市民が歴史で勝ち取った権利です。
国家に適正な手続を負わせるのは、刑事事件以外でも、公権力の行使においても適用されることが川崎民商事件で明らかにされています。事件には、常に比較衡量の考え方をもって臨むべきだ、ということが荒川民商事件で示されています。

さて、改正通則法の質問検査権の位置づけは、「公益的必要性と納税者の私的利益の比較衡量」と法令解釈が通達されています。しかし、この解釈通達によっても、税務当局は「公益的必要性」を強調すると考えられますが、あくまで調査は任意調査であり、納税者の利益のためには、納税者の理解と協力が絶対に必要なものです。

今回、罰則が強化されましたが、実際に罰則を適用するのは、相当に煩雑で、時間と手間がかかり、従前と同様に罰則が適用されることは、ほとんどないと思います。レジュメ別紙9(31ページ中段以降)で、岡田俊明税理士は「よほどのことがない限り罰則の適用はないと考えてよい」と述べられています。
提示・提出・留置きは、永沢晃先生の提案や自由討論でも議論が集中しました。

提出と留置きの違いは何か、コピーはどう考えるか、提出したものの返却は可能かなど、議論すべき点がまだ多くあると思いますが、あくまで、質問検査権の行使は「完全な任意」であることから、結論を導き出すことが重要だと思います。そもそも、帳簿書類は誰のものか(もちろん納税者の所有物です)、コピーは誰のものか、留め置かれた帳簿等を税務署内でどうするのか、コピーするのか、その場合どの部分をコピーしたのかを当局に説明する義務はあるのか、など問題点は多いと思います。
その他の問題として、更正の請求と理由付記について再認識させられました。

更正の請求をすると調査があるといわれます。これは、税務署長は調査により更正する規定((旧)国税通則法第24条)に根拠があると思われます。実務では、この場合の税務署長の調査が、更正の請求の理由部分のみの調査でなく、通常の調査、いわゆる「所得金額の確認」となることが多いようです。鶴見先生の言葉で言えば、争点主義が総額主義にされてしまう、ということになります。このため、調査を回避したいので、更正の請求がしにくい情況にあるわけです。調査における理由開示により、争点主義が徹底されることが期待されます。

同様に更正の請求においても、そもそも申告納税制度において、自ら計算誤り等を認識したのですから、その部分のみが問題になるのが自然ではないでしょうか。
調査終了時においても、非違の理由が、これまでの調査理由のように、漠然と「所得金額に誤りがあった」などでなく、具体的で争点主義に徹底した説明が望まれます。

最後に、鶴見先生は、イェーリングの「権利のための闘争」について触れられました。自分の権利を守るのは私たちの義務である、と要約されるでしょう。これを納税者の権利に置き換えると、納税者の権利を守るのは私たち納税者の義務であると読み替えることができる、と改めて確信しました。

(なかがわ・まさひこ)

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