論文
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憲法を活かす - 本当の積極的平和主義とは
ジャーナリスト(元朝日新聞特派員) 伊藤 千尋
憲法9条を保ち続けている日本国民がノーベル平和賞を受賞するかもしれないと沸き立ったのは記憶に新しい。
神奈川県座間市の主婦が平和賞の選考機関「ノーベル委員会」に「9条に平和賞を」と呼び掛ける電子メールを送り始めてから、わずか1年半。たった一人の小さな行動が40万人を超す署名運動に広がった。受賞が急に現実味を帯びたのは発表の1週間前、ノルウェーの民間研究機関が憲法9条を候補のトップに挙げたからだ。
9条は人類の夢

ヨーロッパの研究機関が突然、日本の憲法に注目したのには理由がある。
中東に生まれた「イスラム国」の不気味な動きは、テロが個人や小さな組織を超えて国家規模に拡大したことを見せつけた。目には目を、武力には武力を、という考え方が蔓延すれば、世界はまるで暴力団の抗争事件、あるいは戦国時代のような無法社会になってしまう。英国やフランスなどの若者が戦士になることを志願して「イスラム国」に詰めかけたことから、欧州には強い危機感が生まれた。

もともと欧州は戦争が相次いだ地だ。二つの世界大戦はヨーロッパから生まれたし、狭い地域にたくさんの国がひしめく地だけに領土を巡る争いが絶えなかった。それだけに平和を求める声も強かった。今から200年以上も前、ドイツの哲学者カントは『永遠なる平和のために』を著し、世界が永遠に平和になるためにはどうすれば良いかを説いた。そこで挙げた軍隊の廃止を世界で初めて憲法に明記したのが日本国憲法である。憲法9条は、日本人だけでなく、長い戦乱に明け暮れたヨーロッパの人々の、いや世界の人類の夢が実現した結晶だ。

憲法9条は米国から押し付けられたものだという人たちがいる。だが、誕生日のプレゼントをもらったときに「押し付けられた」と言うだろうか?いいものなら素直に使えばいいではないか。憲法を押し付けられたと表現する人たちは、最初からこの憲法が嫌いだという価値観のもとに発言している。もし、どうしても「押し付けられた」と言いたいなら、言ってやろう。この憲法を押し付けたのは人類だ、と。歴史の中で戦いに命を落とした人々やその家族らは、戦争のない世の中を望んだだろう。非業に生きた彼らすべての意思が集まったのが、この憲法9条だ。

こうした歴史的な背景のもとに、暴力の連鎖ではなく、互いの信頼を基礎にした話し合いによる解決こそ本来は望ましいという考えは広がった。どうしようもなくなる前に世界の流れを転換したいという気持ちが、ノーベル平和賞を憲法9条に与えたいという意識につながったと見ることができる。憲法9条をなくそうとする日本政府の動きをけん制する意味もあっただろう。
アフリカ沖の9条の記念碑

この機会に憲法9条を世界に広めようという声が日本国内にあるが、世界は憲法9条に無知ではない。むしろ日本よりも世界の方が憲法9条の価値を知っているように思える。
アフリカ沖のスペイン領カナリア諸島には日本国憲法9条の記念碑がある。
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カナリア諸島の憲法9条の碑
この島にあるテルデ市の中心部の一角が「ヒロシマ・ナガサキ広場」と命名され、日本国憲法9条の記念碑が置かれたのは1996年1月だ。これからの世界を平和にする原点は軍隊の廃止をうたった日本の憲法9条だとテルデ市の市長は考えた。彼は記念碑の建立を発案し、市議会は満場一致で賛成した。

除幕式には市長と市議全員、さらに市民1000人が詰めかけて全員でベートーベンの第九「歓喜の歌」を歌った。第9条に第九という符合した取り合わせだ。思わずニッコリしてしまう。ここで重要なのは、日本人ではなくスペイン人が思い立ち、彼らがカネを出して、よその国の憲法の記念碑を建てたことだ。日本人が関与したのは翻訳で協力したくらいだ。

この事実が示すように、憲法9条はもはや日本人だけのものではなく、平和を求める世界の人々のものになっている。今の日本人が勝手に捨てられるものではない。まして安倍首相という個人や、彼の率いる内閣の意思で簡単に葬られるべきものでは、断じてない。日本の宝物というより、今や世界の宝物になっているのだ。

「イスラム国」を生んだのは米国だ。米軍がイラクに侵攻した結果、イラクはメチャクチャになった。それまでの政権が良かったとは言わないが、少なくともサダム・フセインの時代よりも今の方が宗教対立が激しくなり、統制が効かない混乱が渦巻いている。

世界に火種をばらまいているのが、武力には武力をという姿勢の米国だ。こんな危ない国といっしょになって自衛隊を世界各地に送り戦争をしかけようというのが安倍政権の言う集団的自衛権の中身だ。自衛隊は日本と関係のない国に侵略者として戦争をしかけ、よけいな恨みを買うことになる。自衛隊員に死者が出るだろう。

なぜ、自分からわざわざ他国の戦争に巻き込まれに行き、血を流さなければならないのか。愚かなことだ。日本国民の命を守るのが本来の政府のやるべきことだ。安倍政権はアメリカのために日本人を犠牲にしようとするのだ。いったい、だれのための政府なのか。
積極的平和と消極的平和

安倍首相がしきりに掲げるのが「積極的平和主義」という言葉だ。自衛隊を国軍にして日本を「強い国」にし、気に入らない国は武力で黙らせようという。そのどこが平和なのか。平和主義という言葉で軍国主義に向かうところが、そもそも日本語としておかしい。

積極的平和という言葉は、彼が言い出したのではない。世界には平和学という学問があり、すでにきちんとした定義がされている。社会の正義が保たれ、構造的な暴力がない状態を本来、積極的平和という。その反対に消極的平和という言葉がある。ただ戦争がないだけで、飢えや差別、虐め、社会の格差、領土問題などもめごとにつながる要素がある社会のことだ。今の日本がまさにそうだ。放っておけば紛争が拡大する。こうした社会悪を取り除くのが積極的平和の概念である。もちろん対話など平和な手段によるのであって、武力を使うのではない。

国を挙げて積極的平和に取り組んでいるのが中南米の小さな国、コスタリカだ。
この国は日本に次いで世界で2番目に平和憲法を持った。日本と違うのは、憲法の条文どおり本当に軍隊をなくしたことだ。しかも、平和憲法をただ持っているだけでなく、活かしている。1986年に就任したアリアス大統領は、内戦をしていた周囲の3つの国をまわって対話による解決を説き、3つとも戦争を終わらせた。平和を輸出したわけだ。その功績で彼は翌年、ノーベル平和賞を受賞した。

彼は「平和憲法を持っている国は自分が平和なだけで満足すべきではない。周囲に平和を広げるべきだ」と考えた。周囲に紛争を広げている安倍首相に聞かせてやりたい。

コスタリカが平和憲法を採用した理由の一つがカネだ。かつて国の予算の30%が軍事費だった。軍事費は金を食う。貧しい途上国が膨大なカネを軍事に出す必要があるのかと自ら問いかけた。そして、何にカネを出せば社会が発展するのかを国会で討論した。その結論は教育だ。そこで思い切った政策を採った。軍事費を廃止し、そっくりそのまま教育費に替えたのだ。そのときのスローガンが「兵士の数だけ教師をつくろう」である。
誰もが愛される社会を

教育の現場を見ると、いっそう目を見張る。この国では小学校の入学のさい、教師が生徒に「人はだれも愛される権利がある」と教える。この国に生まれた以上、国民だれもが政府や社会から愛されるというのだ。もし自分が愛されてないと思ったら憲法違反の訴訟に訴えて、あなたが愛されるように社会を変えることができるとも習う。

その結果、この国では小学生が憲法違反の訴訟を起こす。これまで違憲訴訟を起こした最年少は8歳だ。小学校2年の少年が校庭わきの悪臭を放つドブ川のため満足に遊べないと訴えた。ドブ川程度で違憲訴訟になるのか、と日本人なら驚くが、訴訟はちゃんと取り上げられて彼は勝訴した。ほかにも、校長先生が運動場に車を停めたため遊ぶスペースが少なくなったという訴えもあった。

コスタリカの最高裁を訪れてこうした様々なケースを聞いたが、中でも感心したのは薬屋を訴えたおじいさんのケースだ。おじいさんが薬を買いに行ったが、薬屋に目指す薬がなかったため憲法違反で訴え、おじいさんが勝訴したという。薬が買えないくらいで違憲訴訟になるのかと私は唖然としたが、判決を見てうなった。

判決は、薬がなければ健康な生活は送れないから、この場合は明らかな憲法違反だと結論づけた。その上で、おじいさんがいつ来てもいいように常時、この薬を備えておきなさい、と薬屋に命じた。さらに次がある。おじいさんはどこか旅行するかもしれないので、全国の薬屋さんにおじいさんの薬が置かれるよう国はしっかりと薬事行政をせよ、という内容だ。憲法に書かれた「健康で文化的な生活の保障」という生存権が本当に実現されるよう、実に細かく手を尽くしている。

日本では憲法25条で同じような生存権の保障がうたわれていながら、実際には無視されている。国民も、憲法に書かれたことは「絵に描いた餅」とあきらめている。そこが大きな違いだ。コスタリカでは憲法に書かれていることは文字通り実現されなければならないと考えられている。
平和と空気を輸出する

この国が優れているのは平和と教育だけではない。環境にも早くから力を入れている。世界に先駆けてエコ・ツアーを展開した。山の中にあるエコ・ホテルでは、泊り客に周囲の森を案内するツアーを実施し、最後は植林するプログラムを組んでいる。私も泊まってみた。

ホテルに着いたとき猛烈な大雨だった。バスを降りて両手に荷物を持って走ると、フロントに立っていた白髪のおじいさんが雨の中を走り出て、私の荷物を一つ持ってくれた。山小屋が割り当てられると、白髪のおばあさんが私に傘をさしかけ小屋まで送ってくれた。翌朝、庭を掃除していた若者と立ち話をしてわかったのは、そのおじいさんが元大統領で、おばあさんが元大統領夫人ということだ。名をカラソという。国連平和大学をコスタリカに創設した人である。

なぜ元大統領が山小屋のようなホテルの主人をしているのか、と私は素朴に質問した。彼は「コスタリカでは大統領は1期しかやってはいけないという法律がある」と言った。独裁者をつくらないため法で規制しているのだ。大統領でなくても国会議員になることはできる。しかし、若者が政界に進出する機会を与えた方がいいと思い、大統領をやめるとすっぱりと政治家であることを辞めたのだ。そのさい、今後は一人の市民として社会のために尽くそうと彼は決断した。

すでにコスタリカは平和と教育の道筋はできたので、これからは環境が大切だと考えた。地球環境も大切だが、一人一人が自分と自然とのつながりをきちんと認識することが環境の保全に役立つと考え、エコ・ツアーによる環境教育を思いついた。退職金など私財を投じて環境教育をするエコ・ホテルを建て、エコ・ツアーを始めたという。今から40年ぐらい前のことだ。

ロッジの周りは豊かな熱帯雨林が取り巻く。かつて日本の商社が東南アジアの熱帯雨林を破壊して問題になったことを思い出した。カラソ氏は、コスタリカでもかつては木を伐採して外国に売っていたという。しかし、破壊した森を子孫に遺していいのかと国会で問題になり、その年を期して伐採をやめて植林に転換したという。彼はにっこり笑って「かつては木材を輸出していましたが、その年から空気を輸出するようになりました」と言った。植林で育った樹が酸素を生み、風に乗って他の国の人々を潤す。

この国は平和と空気を輸出しているのだ。平和も空気もコスタリカにとって金もうけにはならないが、よその国から喜ばれる。こんな国を侵略してはならないし、どこかの国がコスタリカを侵略するならコスタリカを支援しようという気にさせる。

こうしてみると、日本とはだいぶ、憲法の在り方、政府の姿勢が違う。一人一人が人間として本当に大切にされ、権力者が威張ることなく市民のためになる政治を実行している。
世界の流れは自然エネルギー

ひるがえって、日本の政治家がどれほど国民のことを考えているだろうか。国民ではなく大企業や金持ちに目を向けるだけだ。今の日本で最重要課題の一つ、原子力発電所の問題にしても、あれだけの事故を起こした原発を再稼働させ、さらには外国に輸出して金もうけしようとする。

世界の流れは、もはや原発でなく自然エネルギーに向いている。先端を行くのはヨーロッパだ。ドイツは福島の事故から3か月もたたないうちに当時17基あった原発のうち8基を止め、残る9基は10年かけて徐々に止めると決めた。さらに自然エネルギーで世界の最先端を行くと宣言し、現に実行している。なぜドイツにできて、日本はできないのか。それはドイツが原発だけでなく自然エネルギーにも力を注いできたからだ。名高い風力発電だけではない。今、ドイツに行けば菜種油でベンツが走っている。作物を作らなくなった畑に、国策として菜の花を植えてきた。今やドイツの国土のうち神奈川県1県分の面積が菜の花畑だ。

ドイツの南のオーストリアでは、せっかく原発を建設しながら、一度も使わないまま廃炉にした。「核兵器につながる核発電所を日常的に使うべきではない」という市民運動が盛り上がり国民投票となった結果、廃炉が決まったのだ。原子力発電所を英語ではニュークリア・パワープラントという。ニュークリア・ウエポンといえば核兵器だ。ニュークリア・パワープラントを素直に訳せば核発電所となる。さらに1999年、憲法に原発の建設を禁止する条項を盛り込んだ。原発として建てられた建物の敷地には太陽光パネルが並べられ、太陽光発電所に替わった。

福島の事故より前、ヨーロッパの北西の端にある島国アイスランドを訪れたとき、私は世界最大の露天風呂を見た。サッカー場よりも広い5000平方メートルの、湖のような露天風呂だ。なぜこんな巨大なものをつくったのかと問うと、「作ったのではなく、できた」と言う。地熱発電所を建設したところ、ついでに露天風呂が生まれたのだ。

地熱発電は地中にパイプで穴を掘り、出てきた蒸気の力でタービンを回して発電する。蒸気は冷えてお湯になる。周囲にお湯がたまったので露天風呂として活用しているのだ。この国では地熱発電と水力発電で電力のほぼすべてをまかなっていた。原発はないし火力発電所もない。まさにエコである。

自然エネルギーの中でも地熱発電はことに優れものだ。太陽光発電は太陽が照っている昼間しか、風力発電は風が吹いているときしか発電できない。地熱発電は地球がある限り24時間、勝手に発電してくれる。

地熱発電と原発は、実は原理が同じだ。原発は核分裂の熱で水を蒸気に変えてタービンを回す。何が違うかと言えば、原発は電気をつくるかたわら放射性物質を出し、地熱発電は温泉が生まれることだ。どっちがいいだろうか。
地熱発電で原発20基分

目の前の露天風呂を見ながら思った。地熱発電所をつくって温泉が湧くのなら、温泉がある所では地熱発電ができそうなものだ。日本は温泉だらけだが、地熱発電が盛んだという話は、その時点で聞いたことがなかった。帰国して調べてみると日本でも大分、岩手、八丈島などで地熱発電をしていたが、電力量は微々たるものだった。

もしかして日本に地熱発電の条件がないのかと思って調べたら、なんと日本は米国西海岸、インドネシアと並ぶ世界で3か所の地熱発電の好条件に恵まれた地域だとわかった。では、日本に地熱発電の技術がないのかと思って調べたら、世界最大の地熱発電のタービンを造ったのは日本の企業だった。世界の地熱発電の総エネルギー量の約7割が日本製のタービンでつくられていた。日本の地熱発電の技術は、実は世界でダントツなのだ。

さらに調べると、日本でいま地熱発電を開発すればどれだけ電力が得られるか、という数字が出ていた。なんと原発20基分である。数字を出したのはかつての通産省の下にあり、現在の経済産業省から分かれた産業技術総合研究所だ。れっきとした公の研究機関が、そう算定しているのだ。

だったら日本でも地熱発電を展開すればいいではないか。その思いをさらに強めたのはフィリピンを訪れたときだ。

先に挙げたオーストリアよりも早く、原発をつくりながら一度も使わずに廃炉にした最初の国はフィリピンだ。1985年にマルコス独裁政権下で原発を造った。ところが翌86年2月に市民による革命が起きて独裁者は追放された。替わって生まれたのが女性のアキノ大統領の政権だ。その2か月後に起きたのが旧ソ連チェルノブイリの原発事故だ。その4日後、アキノ大統領は真新しい原発を一度も使うことなく廃炉にすることを決めた。チェルノブイリの事故からきちんと学んだのだ。

この原発の名をバターン原発という。戦時中に日本軍が捕虜を虐待したことで名高いバターン半島にある原発を、私は2年前に訪れた。首都マニラから西へ車で3時間行くと、海辺にコンクリートの巨大な建物があった。中に入ると厚さ1メートルのコンクリートの壁があり鉄の扉がついている。それが2重になっている。奥に原子炉があった。もちろん燃料棒は抜いてある。

では、原発をやめたフィリピンは、何をエネルギー源としているのだろうか。この国で盛んなのが地熱発電だ。首都から南に車で4時間かけた山の中の地熱発電所を見学した。発電の設備は、タービンはもちろん他の機械まで赤いスリーダイヤのマークがついている。すべて日本の三菱製なのだ。発電所の説明をしてくれた技術主任は「我が国は米国に次いで世界第2位の地熱発電大国です」と自慢した。だが、その設備は日本製だ。

技術がなく条件もさほどないフィリピンが世界第2位になれるのなら、技術と条件がそろった日本は米国を抜いて世界1位になれる。三菱は若者を正規雇用して、日本全国に地熱発電を展開すればいい。エネルギーも増えるし、雇用の機会も増える。

安倍政権はこうした事実を隠し、日本には自然エネルギーの条件がなく原発に頼るしかないと国民にウソをついている。日本の電力会社は独占企業体だけに勝手に電力料金を上げ、政治家と結託して利益共同体の「原子力村」の中で私利私欲に走る。原発事故が起きても国が被害者に賠償してくれるし、会社の経費は電力料金に上乗せして消費者に払ってもらえばいいという安易な経営理念だ。国民はいいように利用されている。
意識を持てば元気になれる

こうした中、地方の自治体では目を見張る動きがある。高知県梼原町は自力で、わずか10年の間に自然エネルギーの模範的な町に生まれ変わった。

山頂に風車2基を建てたのが最初だ。日本で風力が最も早いのは1年間の平均秒速が7・5メートルの北海道苫前だが、梼原町は7・2メートルあった。ならば風力発電ができると考えたのが当時の町長、中越さんだ。風車2基の費用に2億2千万円かかる。町の税収は1年に3億円だ。普通ならさっさとあきらめるだろう。中越さんはあきらめなかった。

四国電力と交渉し風車が生む電力を高値で売る契約を結んだ。町民有志をドイツとスイスに派遣し風力発電を見てもらった。町民投票で風力発電の是非を問うと、大半が賛成した。風車が稼働したのは平成11年11月11日午前11時11分。中学生がスイッチを押すと風車が回り始めた。

この風車はたった5年で元を取った。以後は四国電力に売電した利益が町に入る。年に4000万円の大金だ。それを環境基金として蓄え、町民が自宅の屋根に太陽光発電のパネルを取り付ける援助金とした。高台から町を見下ろすと、文字通り街が輝いている。

梼原町を訪れて中越さんから話をうかがったのは、福島第一原発の事故から1か月後だった。事故から1週間後に行ったのが山口県上関の祝島である。この島は30年にわたって反原発運動を続けていた。

このとき運動の先頭に立っていた33歳の山戸孝さんと焼酎をいっしょに飲みながら話を聴いた。人口わずか500人のこの島に、中国電力は10億円を出すから原発を造らせてほしいと持ちかけたという。札束になびいた人が必ず言ったのが「環境で飯が食えるか」という言葉だ。山戸さんは言う。「島の田んぼにせっかく稲が実っても放射能で汚染されたら誰も米を買ってくれない。今の福島がそうなっているじゃありませんか。きれいな瀬戸内海で魚がとれても、海が汚染されたら誰も魚を買ってくれない。農民も漁師も仕事を失ってしまう。それだけじゃない。日本の農民と漁民が仕事を辞めたら、日本人は何を食べればいいのですか」

今でさえ日本の食糧自給率は先進国で最低だ。原発が広がることで、日本人は米国の危険な牛肉や中国の毒入り餃子を食べざるを得ないような状況に陥ってしまう。環境なくして飯は食えないというのが彼の主張だ。実に簡単明瞭、素朴でわかりやすい論理ではないか。

中越さんも、山戸さんも、そして両方の地域の住民に共通しているのは、したたかさと楽観性だ。日本全国、今や元気がないが、梼原町も祝島も過疎の地域なのに実に元気だ。なぜかと中越さんに問うと、「私たちは意識を持ちました。だから元気です」と言う。山戸さんは「私たちは何もロマンで運動をしているんじゃない。原発反対と言うからには、この島を日本の模範的な島に変えようと思っている」と答えた。

共通しているのは意識を持ったことだ。意識を持てば、人間は変わる。社会を変えることができる。今、全国から地域の特性を活かした動きを起こして、原発の必要がない誰もが安心して生きていける社会を地元から作りだせば、日本を変えることができる。

水俣病を抱えた熊本県水俣市は、かつて日本最低の公害都市だった。それが環境団体によって2005年、日本最高の環境都市と認定された。町を変える原動力となった一人、元市役所職員の吉本哲郎さんは言う。「『愚痴』を『自治』に、『ないものねだり』を『あるもの探し』に変えた結果です」と。

最低を最高に変えることだってできた。私たちの環境を変えるのは、私たちの力だ。

(いとう・ちひろ)

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