II 支援法から考える
被災者の実際からの違和感とは何か。このことは受給者になって初めて理解したことであるが、支援金は被災した住宅に居住していた者に対して世帯単位を基本に支給されるのである。つまり支援金は当該住宅の所有者ではなく、居住者に対して支給される。とすれば、建物の損失補てんとして位置づけられる場合の保険金と、同質のものではないことは明白である。
(1)支援法第1条(目的)
「この法律は、自然災害によりその生活基盤に著しい被害を受けた者に対し、都道府県が相互扶助の観点から拠出した基金を活用して被災者生活再建支援金を支給するための措置を定めることにより、その生活の再建を支援し、もって住民の生活の安定と被災地の速やかな復興に資することを目的とする」(支援法第1条 目的)
要は、支援金の支給を受ける対象者は、「生活基盤に著しい被害を受けた者」であって、支給基準は建物の損壊の程度にはよるが、建物の損害を受けた人ゆえに支給されるものではない、と解される。
(2)貸家の場合
建物の損壊に対する支援であれば、所有者を支援するのが当然である。しかしそうなってはいない。貸家を想定すると、ことはより鮮明である。被害を受けた貸家の改修費用の負担は基本的に大家であるが、そこへの公的支援は一切なく、基礎支援金(全壊の場合100万円)を受けるのは店子である。
つまり居住者に対する支援なのであるが、その意味は建物所有者ではない借家人が受けたところの「生活基盤への著しい被害」に対する支援と解するのが自然である。
(3)支援金の区分と使途制限
さて支援金は、基礎支援金と加算支援金とに区分される。前者は「生活基盤に著しい被害を受けた者」に対して、全壊の場合100万円・大規模半壊50万円(いずれも2人以上世帯)と住宅被害の程度に応じて支給するものであり、後者はやはり「生活基盤に著しい被害を受けた者」が、居住用家屋を取得する場合に200万円・補修する場合に100万円(いずれも2人以上世帯)と住宅の再建方法に応じて支給するものである。あたかも資金使途が特定されているかの様な規定であるが、そうではない。使途の制限はないのである。内閣府が発行している「支援法Q&A」という冊子には「Q 17支援金には全く使途制限はないのか」に対し「A 17支援金には使途の制限は一切なく、事後の報告も必要ない。加算支援金は住宅建設に対する直接支援ではなく、被災世帯の生活の再建を支援するための見舞金的な性格のものなので、その使途については限定は付されていない」とある。
要は、基礎支援金の使途自由はもちろんのこと、加算支援金は住宅建設への直接支援ではなく生活再建の見舞金であって、これも使途の制限はないのである。
(4)支援法の沿革
阪神淡路大震災を契機として、多くの国民の多様な運動の中、支援法は1998(平成10)年5月に制定された。当時の内容は、家財道具等の購入等に要する経費に最高100万円を支給するものであった。その後2004(平成16)年3月には、これに加え住宅再建等に要する経費に全壊世帯で200万円支給する改正がなされた。しかしながら、これら支援金の支給方法は使途を限定した上で実費額を精算支給するというものであった故に、支給要件の煩雑さの解消等の被災者の生活の再建等に向けた一層の支援を図る必要が内在していた。その後多発する災害の被災者を中心とした改正を求める世論を受け、2007(平成19)年11月9日、現行支援法の基礎がつくられる重要な改正が、全会一致でなされた。その特質は、従来の補助金的な性格ではなく、その法的性格が見舞金であることの明確化生活再建の支援のための給付であって、損害の対価という関係にもないことの明確化、にある。すなわちこの2007(平成19)年において支援金は、災害弔慰金や義援金と同種・同質の給付金であることが明確に確立したのである。
(5)生活基盤の著しい被害の概念
次に、支援金の受給者である「生活基盤に著しい被害を受けた者」とはどの様な概念であるか、について述べる。それは、生じかねない誤解の解消のためである。生活基盤の典型は、もちろん住宅と考える。しかし住宅だけではなく電気、水道、ガスといったインフラも生活基盤の重要な要素を構成する。住宅だけの被害に目を奪われがちな方に質問したい。「貴方は電気・水道・ガスが未整備の建物を、完成した住居として認めますか?その状態で購入しますか?」大方は「ノー」であろう。故に、インフラを含めた住宅等の著しい被害を受けた者が、支援金の受給者となる。
もっと広い概念でいえば社会的インフラー道路・港湾・鉄道・病院・福祉施設・情報通信網等の産業基盤基礎施設と住宅・環境衛生・上下水道・学校等の生活基盤施設とに区分されるーが生活基盤の重要な要素である。「これらの全てが破壊された」といっても過言でないのが、今回の東日本大震災であると認識している。故に、個的なインフラ含めた住宅被害はもちろんのこと、社会的インフラの喪失による生活基盤の著しい被害を受けた者が、支援金の対象となる。だからこそ支援金は、見舞金なのであって建物損害の補てんなどとの誤解はあってはならない、と考えるものである。被災者救援という広角でモノを言えば、生活基盤の著しい被害を受けた者は、住宅の全壊・大規模半壊の被災者だけではないのであるからこそ、現在の支援法の更なる改正が求められると考える。
(6)見直し前の課税庁の問題点
関東信越国税局が平成23年4月に発行した「東日本大震災により損害を受けた場合の所得税の取扱いについて」でも、平成23年11月9日に行われた、石巻税務署の講師派遣による学習会の資料(以下「11月資料」という)にも、「支援金は、被害を受けた住宅に対する損失額等を補てんするためものとして、保険金等の範囲に含まれ、損害金額から控除する」旨の記載がある。この結論を導くために「11月資料」では、「生活に通常必要な物品の購入費・修理費及び住宅の解体(除去)・撤去・整地費等、実質的に資産の損害額あるいは災害関連支出を補てんする目的で支給されていること」の理由が記載されている。前述の筆者の論証からすれば、 この理由に根拠がないこと、 現行支援法の到達点からこの視点をみると、2004(平成16)年の取扱いのままであることを、指摘せざるを得ないのである。 |
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III 租税法律主義から考える
(1)租税法律主義違反
「11月資料」を読んで愕然とした部分がある。当初筆者は「課税庁の取扱いは、現行支援法の趣旨の無理解によるのであろうが、もしかすると支援法21条を不知なのかもしれない」と考えていた。支援法21条は「租税その他の公課は、支援金として支給を受けた金銭を標準として、課することができない」と明確に、公課の禁止を謳っている。「これを指摘すれば、いくらなんでも方向を変えるのではないか」と考え、複数の課税庁職員と議論した。しかし、判で押したように21条は脇に置き「支援金の実質は補てん金」との返答しか返ってこなかった。その根拠が「11月資料」であったことが明らかになったのである。課税庁は支援法21条不知ではなかった。「11月資料」の前段では、「支援金として受けた金銭に対しては、支援法21条により、租税を課すことが法律上禁止されている」と明記しているにも拘らず、文章の流れは前述のとおり補てん金として扱いし、結果、課税している。一体全体、一省庁に対し、法律を超えるあるいは法律を無視する権限を、この国のどの法律が認めているというのか。租税法律主義違反の確信犯である。
(2)日本国憲法
この理論展開に疑問を感じない原因を、筆者は憲法への無理解が大きいと認識している。近代国家は、租税法律主義と罪刑法定主義とを国民的合意として、車の両輪としながら、歴史を前へ推し進めてきた。日本国憲法で表現される租税法律主義、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」という憲法第30条は、「何人も、法律の根拠がなければ、租税を課されまた徴収されることはない」との意味であり、「国民は法律に定めがなければ、納税の義務を負わない」という国民の権利規定なのである。この根拠を憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」に求める、これは憲法学の常識の一つである。憲法尊重擁護の義務を国民に課していないのは、憲法は国民を拘束するためにあるのではなく、国家権力の乱用を防ぐためにあること、を教えている。国民を縛るのは法律である。
しかしながら、これ程明確な租税法律主義に反する書面(通達?)を、天下の国税庁が発したとは、真に驚愕に値する。
(3)再び「12月20日文書」について
おそらく国税庁としては、支援金の性格及び租税法律主義に違反(少なくとも背理)することを理解して「12月20日文書」を発信したものと筆者には思われる。これは「11月資料」の文中に支援金が非課税であることや、その目的の記述があることからの推測である。それにしても、この「12月20文書」では、主権者である納税者に対する謝罪の言葉は一言もないのは、如何なものであろうか。理由らしき記述は「東日本大震災後の実情などを踏まえ、再検討を行い、その取扱いを見直し」た、このセンテンスだけである。「実情を踏まえ」とは聞こえがいいが、被災者である筆者からすると押し付けがましく、厚かましい態度としか見えない。踏まえたというどの様な実情が、見直す理由というのか。説明にもなっていない。
この後の記述も振るっている。曰く「見直しは、東日本大震災の実情などを踏まえたものですが、平成19年改正後の支援法に基づき、東日本大震災以外の災害により支給された支援金についても、遡って取扱いを変更することとします」。要は以前も誤った課税をしたとの告白であり、東日本大震災の実情を踏まえなくとも取扱いを変更すべきものであったのである。「実情を踏まえ」ただけが理由ならば、踏まえた東日本大震災についてのみ見直すというのが、当然の帰結である。
支援金の質的転換がはかられた平成19年、それ以降の災害に係る支援金の性格についての課税庁としての判断につき誤りがあった故に、課税の公平の観点から、遡及して東日本大震災以外の災害に対する是正が必要となった。「12月20日文書」からは、その事実が見えてくる。 |
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V その他雑損控除を巡る若干の問題提起
(1)保険金
実は、著者は保険金を損害を補てんするものとして、損失額の計算上控除することにも疑問を感じている。被災を体験して思い至った考えであるが、保険金は果たして「損失の補てん」なのであろうか。東日本大震災についていえば、多くの場合保険金の使途は、土地を含む新築住宅の取得である。人々の津波への恐怖感は凄まじいものがあり、加えて所有地の利用制限もされていて、転居を余儀なくされている方々が大勢いる。この実態を鑑みれば、保険金は「損失の補てん」ではなく、「転居の補てん」「住居建築の補てん」のためにある。一方、住宅を新築する場合の支出は、災害関連支出には該当させないのが現在の災害税制のスタンスである。このスタンスを是とすれば、保険金は新住居の取得費を補てんさせるものとして取り扱うことが妥当となろう。その後、譲渡があれば減額された取得費をもって課税する方法も考えられる。しかしそれでは、所得税法9条の非課税規定に抵触するわけで、結局、所法9条の全面適用が被災者を救う道となると考える。
(2)控除の順序
雑損控除は、他の所得控除に先駆けて第1順位で控除するのが、現行の災害税制の規定である。しかもその雑損失の金額は、基本3年間の繰越控除が認められている。東日本大震災特例法ではこの期間が5年に延長されたことや、22年に被災したものとして21年分の繰戻還付も可能となったことが、いわば課税庁の " 売り" となっている。しかしよく考えると、これも奇異なものである。22年に被災したとのみなし規定や繰戻還付は別にして、雑損控除が繰越し可能となるということは、その年の他の医療費控除や社会保険料控除等の金銭支出を伴う所得控除と課税最低限のメルクマールとされる人的控除の全てが、その年も翌年以降も全く考慮されないことを意味する。3年から5年に延長されたということは、全くの無考慮の期間がそれだけ長引いたことを意味する。これが災害税制の本来の姿であろうか。
被災しても病院に行き、年金も支払い、育児や介護を含む日常の生活はある。むしろ日常生活を取り戻す闘いが、被災地では日々繰り広げられている。この事実を税制の中に反映させるのが災害税制とすれば、雑損控除は他の所得の控除の後に計算されるべきである。翌年以降についていえば、 純損失の繰越控除 雑損失の繰越控除 その年の雑損控除 その年の雑損控除以外の所得控除の順に控除されるわけだが、23年純損失の金額や23年雑損失の金額が大きければ大きい人ほど、23年あるいは24年以降の第4順位の雑損失以外の所得控除は、控除の対象額から切り捨てられる。故に繰越が可能な損失である純損失と雑損失の金額の控除は最後尾に追いやられるべきと考える。要は順番を弱転させ の順番にすべきと考える。
(3)損失額の把握他
他にも、損失額の計算のあり様、足切り計算の必要性、災害関連支出の支出期間の制限等の諸問題もあると思われるが、そのことは後日の機会に触れたい。 |
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エピローグ
私としては、今回の見直しがなければ基礎支援金100万円を控除せず申告を行い、更正処分を受けるでしょうから、その時は青色申告でもあり異議申し立ては省略して、審査請求をする方針でした。そして堂々とこれまで記述したことを主張し、国税不服審判所長をして国税庁長官の発する通達とは異なる解釈をとる裁決(国税通則法第99条)を目の当たりにしたいものだと想像を逞しくしておりました。もちろん裁判も視野に入れてのイメージでしたが、前代未聞の国税局の見直しのもと、幸か不幸かその道は断たれました。
いつも脳裏には新人会の諸先生方がいます。私を税理士へ導いてくれた田中政明先生。関信東北税経新人会に加入した時に超えることができぬ山のように思えた宮崎栄一先生、五十嵐芳郎先生。同時代を研鑽を重ねながら歩み続けている仲間の先生方。共通認識はいつも「納税者の権利擁護」。今後もこの気持ち、初心を忘れず勉強を続けたいと考えています。真剣に生きる、それが被災後の全国各地・世界各国からの支援に対する自分なりの謝意の表現と考えています。
2012/1/11 被災後10カ月の時点で |
(しょうじ・よしあき:東北会副会長) |