論文

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特集 秋のシンポジウム
民主政権がめざす共通番号付国民IDカード制
〜個人情報を公有化するデータ監視社会構想は要らない!
白鴎大学教授 石村 耕治

はじめに

平成22年度税制改正大綱では、「納税者権利憲章(仮称)の制定」などを謳い、「納税者主権の確立に向けて」とか口当たりのいい副題がつけられた。しかし、まず実施されたのは「租税制裁の強化」。また、早急に検討に入ったのは「納税者番号(納番)の導入」。一方、「納税者権利憲章の制定」は視界不良で、本気度が問われている。これでは、さらなる権力的な税務行政、“ 納税環境の劣化” が懸念される。
1「 共通番号付国民ID〔カード〕制」とは何か

民主政権は、住基ネットに加え、新たな国民監視ツールである「共通番号」と「国民ID〔カード〕制」を導入し、“ データ監視国家【国民情報の公有化】” の構築を急いでいる。これらの監視ツールは、次の3つの組織で検討されている。政府の国家戦略室共通番号制度検討会は、住基ネットに加えて、新たな国民総背番号として「税と社会保障共通番号」の導入を検討。一方、政府のIT戦略本部は、生まれたときに国民全員に共通番号付のIC 仕様の身分証明証〔国民登録証=現代版通行手形〕を発行する「国民ID〔カード〕制」を導入、2013年度からの実施を計画。さらに、税制調査会 専門家委員会納税環境整備小委員会(三木義一小委員会座長)が、「共通番号付ID〔カード〕制導入」の翼賛役を演じている。
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2 民主政権の「個人情報の公有化構想」は憲法違反

民主政権は、共通番号を使って、税、社会保障、医療、介護など多様な分野の国民の幅広い個人情報(プライバシー)を、行政や民間の多様なデータベースで分散集約管理するナショナルデータベースの構築を狙っている。つまり、共通番号は、各種データベースに入るマスターキーの役割を果たす。

この構想では、国家は、全国民の個人情報を、各人の共通番号で串刺しして、行政情報として分散集約管理することになる。一方、国民は、行政が管理する自分の個人情報については、自分に発行された共通番号付国民ID〔カード〕を提示して見せてもらうことになる。つまり、共通番号付国民ID〔カード〕を携行しないと、行政サービスが受けづらくなるばかりか、保険診療も受けられない仕組みである。そして、いずれは、警察菅がID カード読取機を持って巡回し、ID カードなしにはお使いにも出られない日常生活が待っている。
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元財務省役人でこの構想の立役者である古川元久議員は、これを「電子政府構想」だという(日経2010年5月20日朝刊参照)。だが、わが国において、“ 個人情報は個人の財産” である。古川構想は、「国民のプライバシーの公有化構想」、「スーパー電子監視国家構想」そのものである。また、IT 産業向けの新たな公共事業(公共工事)でもある。民主政権が唱えた「国民が主役」や「地域主権」の公約にぶつかるばかりか、明らかに憲法13条〔個人の尊重〕に違反する。
3 共通番号を「納税者番号」に使うことの意味

納税者番号(納番)制度は、納税者に重複しないかたちで番号を付け、「税の捕捉」が関係する雇用や金融取引、納税申告書や課税資料に番号をつけて課税庁に提出を求め、コンピュータで「名寄せ」し集約管理する仕組みをさす。大きく、個人や事業者などすべての納税者に課税庁が付番する方式と、個人には共通番号、事業者などには課税庁が付番する方式がある。付番する方式がある。わが国の場合、後者が最有力候補である。
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例えば、住基ネットで使われている住民票コードは、原則として“ 住民本人と行政機関のみが知りうるような性格の番号” として運用されてきている。「納税者番号」についても、多くの国々で採用する方式は、原則として、“ 納税者本人と課税庁のみが知りうるような性格の番号” である。つまり、わが国の現行の“ 納税者整理番号” 的な性格のもの。したがって、仮に納番が要るとしても、新たな共通番号ではなく、現在ある納税者整理番号を整備し、所轄が変わっても番号が変わらないようにすれば、それで足りるはずである。

ところが、国家戦略室共通番号制度検討会が考えている個人用の「納税者番号(納番)」は、“ 納税者整理番号” をイメージしていない。第三者にも見える(可視的な)番号である。“ 官民にまたがり、かつ、多分野で共用する” 汎用の「共通番号」の導入である。給与の支払や銀行口座の開設をはじめとしたさまざまな民間取引にも使える汎用の納番の導入である。端的にいうと、あらゆる“ 所得把握” をねらいとした納番=共通番号である。また、課税庁などは、税務調査や名寄せ・データ照合に、各人の納番=共通番号を頻繁に使うことを想定している。

しかし、納番で所得把握には限界があることは自明のところである。むしろ、コンプライアンスコスト(納税協力費用)、プライバシー保護コストがかさむ。明らかに“ 外部不経済”につながる。また、納番=共通番号の導入は、その使い方次第では、個人情報や番号情報漏えいのリスクと隣り合わせの社会をつくることになる。とりわけ、共通番号を納番(所得把握)に使うことは、共通番号を“ 目に見える番号(可視的な番号)” として使わざるを得ず、納番付情報が各所に筒抜けになる危うさをはらむ。また、ネット取引全盛の今日、ネット空間にマスターキー(納番=共通番号)付個人情報の垂流しは避けられない。

民主政権から誰一人、この危険な構想に対し異を唱えないのも異様である。かつて、民主党は、野党時代、4度も住基ネット廃止法案を出した。この政党の「変節」に国民の信頼が揺らぐのも当り前である。
4 アメリカでは共通番号で「成りすまし犯罪者天国」に

国家戦略室共通番号制度検討会は、2010年6月29日に、共通番号の利用範囲や使う範囲について『中間とりまとめ』を発表した。いろいろな選択肢を盛ってはいるが、“ アメリカ型の共通番号”、つまり行政分野や民間で幅広く利用するタイプ、が本命。

そのアメリカにおいては、可視的な社会保障番号(SSN)=共通番号が濫用され、「成りすまし犯罪」で手がつけられなくなっている。議会や省庁が対策をねっっているが、抜本策を見出すにはいたっていない(サイバー税務研究No.9「 アメリカにみる社会保障番号の危険性」http://www.pij-web.net/user/pij_index.php)。

わが国においても、可視的な共通番号を導入すれば、成りすまし犯罪者が闊歩する社会になる怖れが極めて強い。共通番号制度検討会では、抽象的に個人情報の保護には触れるものの、番号濫用の実態にはまったく触れていない。意図的に回避している。きわめて不誠実である。
5 イギリス新連立政権は、人権を蝕む「国民ID カード制」廃止に

ドイツでは、共通番号制は憲法違反である(CNN ニューズ62号http://www.pij-web.net/pdf/cnn/CNN-62.pdf 参照)。

また、イギリスでは、前労働党政権が、08年から、「国民ID 番号カード制」を実施した。指紋や目の虹彩などの生体情報を含む広範な個人情報を全国民や外国人に提出させ、国家がデータ監視する仕組みが稼働した。しかし、2010年5月に誕生した新(保守党・自民党)連立政権は、「国家が必要以上に国民の個人情報を収集しない方針」を打ち出した。そして、前労働党政権下で導入した「国民IDカード制」を恒常的に国民の人権を踏みにじる制度であるとして、廃止法を制定し、この制度を即刻廃止した。

ニック・クレッグ(Nick Clegg)副首相は、マスコミのインタビューにこたえて、「この無駄で、官僚発想的で、権利侵害的なIDカード制は、前政権の害悪のすべてを象徴するような存在である。早急にこのIDカード制度を廃止することにより、新政権は、閣僚になった者の身勝手な思いつきによって市民の自由を犠牲にするようなことはしないことを約束するものである」と述べた。

ところが、わが民主政権はイギリスが廃止したのと同様の人権侵害ツールを、2013年に導入しようというのである。
6 納番なしでは給付つき税額控除が導入できないは“ 口実”

与野党ともに、「働いても貧しい人たち(ワーキング・プア)」を支援する仕組みとして、「給付(還付)つき税額控除」導入に積極的である。この制度は、1975年に、アメリカで、連邦所得税に勤労所得税額控除(EITC = EarnedIncome Tax Credit)」の名称で導入したのが最初である。その後、カナダ、アイルランド、イギリス、オランダをはじめOECD 諸国などに広がった。

(1)「福祉」と「税制」は分離していた方がセーフティネットになる

わが国の場合、この制度導入は多難である。まず、財源の捻出に加え、既存の各種控除との調整は重い課題である。また、全員確定申告するアメリカなどと違い、職を転々とし、年末調整の適用もなく働いても貧しい500万を超える人たちに対する申告支援制度整備の課題は重い。申告支援が十分でないと、逆に、この人たちを、実質的に“ 切捨て、福祉ゼロ状態” に導く。一方、課税庁の機構・サービス内容も、これら「働いても貧しい人たち」向けに大改革が必要である。まさに納税者権利憲章が必要とされるところである。

給付つき税額控除を入れても、所得のない人たち向けには最低生活給付(生活保護など)は依然として必要である。結局、二重に行政サービスが必要となるわけで、給付つき税額控除をバラ色とみるのは近視眼的である。

(2)過誤申告、不正申告の氾濫

事実、給付つき税額控除を実施している国では、制度の複雑さからくる過誤還付、目に余る不正還付が横行している。例えば、アメリカでは、全EITC 申告の30%弱にも及ぶ(石村耕治「給付(還付)つき税額控除と納税者サービス:アメリカの「働いても貧しい納税者」の自発的納税協力問題を検証する(1)〜(6)」税務弘報56巻9号〜 57巻5号参照)。税制調査会現地調査報告(2009年6月)でも、アメリカでのEITC にかかる税務執行の困難さを指摘している(http://www.cao.go.jp/zeicho/siryou/pdf/sg2kai2-1.pdf)。納税と福祉を一体化し“ 納番で所得把握を厳正にし、不正監視する政策” は稚拙な空論といえる。

(3)実は、納番なしでも給付つき税額控除導入は可能

民主政権や財務省は、給付つき税額控除導入には納番が必要不可欠かのようなPR をしている。しかし、給付つき税額控除を導入している諸国では、納番を導入していない国もあるし、納番があっても納税者整理番号として利用している程度の諸国(イギリス、ドイツなど)も多い(森信茂樹編『給付つき税額控除』〔中央経済社、2008年〕39頁参照)。アメリカ型の納番がないと給付つき税額控除を導入できないようなPR は不適切。納番導入誘導のための“ 口実” である。

また、納番のない現行制度下でも、地方税法が原則として市町村内に住所を有する者のすべてに市町村税の課税ベース申告の義務を課していることから、所得額が非課税限度額以下の者も含め、すべての住民の所得把握ができる仕組みの下にある。仮に給付つき税額控除を導入するということで、所得制限のチェックが必要というのであれば、現在でも市町村がやればできる。「新たな納番」は要らない。
むすび〜憲法違反の可視的な共通番号や国民IDは要らない

「納番を導入し、租税制裁を強化することと引き換えに、国税通則法を改正するなどして納税者権利憲章を実現する」。これが民主政権=財務省のシナリオではないかとの見方もある。しかし、財務省は、さらなる課税強化策を狙っているように見える。

ターゲットは、かつて、1952〔昭和36〕年国税通則法の制定答申に盛られたような一般的租税回避否認規定【「税法の解釈及び課税要件事実の判断については、各税法の目的に従い租税負担の公平を図るため、これらの経済的意義及び実質に即して行うものとする。」】の創設(実質課税の原則の導入)ではないかと思う。最近における役所寄りの学者や実務家などの論考を注意深く精査する必要がある(例えば、品川芳宣「国税通則検討委員会報告(9):租税回避行為に対する包括的否認規定の必要性とその実効性」月刊税務事例41巻9号所収)。

国税通則法を改正して納税者権利憲章の根拠規定を盛り込もうとすると、財務省は、納税の義務強化の視点から一般的租税回避否認規定(実質課税の原則の導入)も盛り込もうと画策する可能性も高い。一般的租税回避否認規定の導入をゆるさないためにも、日弁連などが、国税通則法改正ではなく新たな「納税者権利保護法」の制定を目指す方針に転換したのには一理ある。

いずれにしろ、民主政権の誕生は、「国民が主役」で、納税者権利憲章などを制定し、納税者の権利を尊重する徴税の仕組みをつくることにあったはずである。しかし、どう見ても、民主政権が掲げた「国民が主役」、「脱官僚政治」は夢物語。逆に、今や「役人が主役」で、租税制裁強化の実施、納番(共通番号)さらには国民ID〔カード〕制の導入、巨額の内部留保のある大法人への減税と表裏一体での消費税10%引上げ等々、財務省をはじめ中央の役人はやりたい放題である。納税者権利憲章の制定など、こうした「役人が主役」状態では、実現できるわけがない。これでは、前自公政権と同じかそれ以下で、民主政権は“ 存在根拠なし” ではないか。

納番の元となる共通番号やID〔カード〕制導入について、役所や役所寄りの学者などからは、情報セキュリティ論(プライバシー保護措置を講じれば、共通番号や国民ID〔カード〕などを“ 是” とする考え方)が主張される。しかし、この問題は、憲法論、人権論の視点からの検討が必要である。矮小化されてはならない。

民主政権は、来春の通常国会に共通番号導入法案を提出するとしている。「共通番号」と「ID〔カード〕制」は一体でとらえなければならない。将来に「負の遺産」を残さないためにも、スーパー電子監視国家につながる憲法違反の「共通番号付ID〔カード〕制」の導入を絶対にゆるしてはならない。税理士界をはじめとした各界の積極的な対応が急がれる。

   (いしむら・こうじ)

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