論文

> 沖縄の米軍基地と普天間移設問題
> 米海兵隊普天間基地の即時返還を求めて
【特集  沖縄・米軍基地問題】
危険な普天間基地は即時撤去を!
= 鳩山総理は公約守れ =
沖縄会  高良  正一  

1005011.jpg 今、沖縄の米軍普天間基地問題が大きな政治問題となっています。

昨年8月の衆議院総選挙前から鳩山党首(当時)や民主党の主要幹部たちは沖縄県を訪れ、演説会や記者会見など公の場で普天間飛行場の危険性に触れ、移設先は「県外か国外、最低でも県外へ」と再三明言しました。そして総選挙で民主党が圧勝し、鳩山連立政権が誕生、県民は歴史的政権交代に大きな期待を寄せました。

1997年に普天間基地の移設先として辺野古が決められて以降13年間、県民はこれ以上の基地を作らせないと粘り強く戦いを続けてきました。しかし、自公政権は沖縄県民の要求に耳を貸そうとする姿勢は全く示さず、あくまで米軍の言いなりで珊瑚・ジュゴンが生息する美しい海を埋め立てて辺野古に強大な新基地建設を強行してきました。

沖縄県民は民主党政権下で県内移設が中止になることに大きな期待をかけました。ところが、鳩山連立政権が発足してすでに半年余が経過しました。政権発足直後から伝わってくる関係閣僚たちの沖縄基地問題に対する発言等は沖縄県民の気持ちを逆なでするものばかりです。

沖縄県内では各界各層、地元マスコミで早くからこれら政権幹部の発言に対する批判がみられましたが、政府の迷走ぶり、移設先決定期限とする5月31日が目前に迫るも、ここにきてもなお県内に移設候補地を挙げていることに県民の怒りも頂点に達しています。

今年2月に沖縄県議会は与野党全会一致で「米軍普天間飛行場の県内移設に反対し国外、県外への移設を求める意見書」を可決しました。

「県内移設に反対する」が絶えず7〜 8割を占めている「県内世論」の状況ですが、県議会の全会派が一致して「県内移設反対」を決議したのは初めてで、歴史的出来事であります。また、地元新聞社が2月末に県内41市町村長対象に行ったアンケート調査によると全ての市町村長が普天間飛行場の県内移設を拒否し、国外、県外への移設を求めました。

このような動きの中で県議会は、全会派で沖縄の要求を日米政府に迫る必要があるとして、4月25日に県民大会を開催することを決めました。県民大会は10万人規模の結集を呼びかけています。多くの県民がこれに賛同し県民大会の成功に向けて、各組織、地域で実行委員会を結成するなど取り組みが始まっています。

税経新人会沖縄会も会ののぼり旗を立てて参加する予定であります。
戦後65年間も基地に翻弄され、今また新たな基地の負担を押し付けようとする仕打ちに対し、沖縄はまさにこれを許さない島ぐるみで闘う様相になってきています。
普天間基地移設問題とは

普天間基地は沖縄本島の都市・宜野湾市(人口約9万2千人)にあるアメリカ海兵隊の航空基地です。戦前、集落だったところを第2次大戦中に上陸した米軍が、住民が疎開先に避難中に一方的にブルドーザーで家屋を壊し、奪って造ったものです。

市のど真中に位置し、市民はその周辺を取り囲むようにして生活することを余儀なくされ、日常的に民家の上空をヘリコプターや飛行機が旋回し訓練しており、いつ墜落するかも知れない世界一危険な基地との指摘がされています。

沖縄は国土の0.6%の県土に日本全体の米軍基地の75%が存在し、墜落や騒音、米軍犯罪など基地があるが故に起こる事件事故に戦後65年間ずっと悩まされ続けてきました。多すぎる基地の整理縮小を訴え続けてきたことは周知のとおりです。県政や基地所在地の自治体の業務も基地問題の対策に多くの時間が費やされます。

普天間基地はそんな沖縄にあっても解決が急がれる最も危険度の高い基地で早くから固有名をあげて「早期撤去」の要求があがっていました。アメリカが定める基地安全基準によると基地の隣接区域(クリアゾーン)には居住が認められていないといいます。ところが普天間基地ではこのクリアゾーンに小学校や保育所、病院など18施設があり、3,600人の宜野湾市民が居住、約800戸の住宅があるのです。小学校では、万一の墜落事故に備えて避難訓練までやっている状況です。

1995年米海兵隊員3人による少女暴行事件が起こり、あの8万5千人の県民大会が開かれ、県民の怒りがかつてなく燃え上がる中で、1996年4月、日米両政府は普天間基地の全面返還を発表、県民は大きな喜びに包まれました。しかし、喜んだのはほんの束の間で、同年12月、県内に「代替施設」をつくることを条件としました。県民は喜びから戸惑いへと変わり、やがて怒りへと変わっていきました。県民の要求とかけはなれていたからです。

これが普天間基地問題の発端です。

全面返還発表から14年、県民は危険な普天間基地、飛行場の1日も早い閉鎖を訴えてきましたが、返還の目途さえつかなく危険性もなんら改善されていません。住宅地上空を米軍ヘリが低空で旋回、訓練する状況が今も毎日繰り返されています。

2004年8月、不安は現実となり米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落する大事故が起こりました。ところがそれ以後も自粛することなく我が物顔でヘリが飛び交っています。一体この国の政府は何を思っているかと言いたくなります。
移設ではなく撤去の国民世論を

1972年5月15日、27年に及ぶ米国支配から沖縄は日本に復帰しました。
祖国復帰運動の中で沖縄県民が求めたものは「核も基地もない平和な沖縄」でした。
ところが日米両政府が行ったのは、基地付返還で復帰して36年にもなるのに広大な米軍基地が今なお存在しています。

普天間問題で沖縄が今掲げている運動の目標は「県内移設反対」です。4.25県民大会も「普天間飛行場の早期閉鎖・国外・県外移設を求める県民大会」の名称となっています。
その中の県外移設という部分については「賛成」、「反対」を含めて県民の間でさまざまな意見と経過がありました。

「県民がイヤだというものを他府県の国民に負わせることにならないか」という疑問などです。しかし、国内で安保賛成が過半数を占めている現状、抑止力として米軍基地を黙認している国民が多数いる現状、自分の地域には基地を造るのは反対だが日本に米軍基地を必要かどうかの意見表明を避ける政治家や自治体首長が殆どである現状、結果として沖縄に押し付けている現状、普天間をどうにか早く閉鎖させたい県民の切実な思い、以上の理由と県民一致を重視した結果から来たスローガンです。「イヤなものだからこちらから何処にでも移してしまえばよい」ということで「県外移設」になったものでは決してありません。沖縄の目指すものは「普天間閉鎖」であり、その方向に全国で世論が高まることを願っているのです。
安易な抑止力論より現実に目を向けて

鳩山政権の関係閣僚、全国メディア、安全保障問題の著名な専門家等の間で普天間基地問題が語られるとき、「日米関係の危機」とか、「平和を守るための抑止力である」とか「地政学的に沖縄が適当」とか言及されることがよく見受けられます。

私たちはこういう言い方をする人たちこそ、沖縄に65年もの長い間、基地の被害を押し付け、1995年の少女暴行事件、2004年の大学へのヘリ墜落事件にも平然とし、国民の犠牲を何一つ解決しようとしなかった無責任な人たちと糾弾しなければならないと思います。1995年の暴行事件から15年が経過しようとしていますが、その後も米軍の事件事故は絶えることなく起こっています。

最近でも昨年11月に早朝ウォーキング中の60歳代男性が米軍人男性によるひき逃げ死亡事故、今年1月に米軍女性兵士による飲酒ひき逃げで幼い子が大怪我をしました。有事でもなければ、勤務中でもない平時のプライベートのときに起こった出来事であるのに、犯人の身柄は米軍が預かり、日本の警察が直ちに取り調べできません。

1995年の10.21県民大会で求めた日米地位協定の抜本改定は殆んど手付かずの状態です。前述のことを主張する人たちが、今起こっているこの現実をどう説明するか聞きたいものです。「運用で改善する」という言葉は耳にこびりつく程聞き飽きているし、少しも改善されてないことを直視し、責任を感ずるべきです。

沖縄の米海兵隊はベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラン戦争など米軍の仕掛けた戦争で常に先陣を切って突入して行った、別名「殴り込み部隊」と呼ばれる軍隊です。

アメリカの世界戦略のために沖縄に配備されているのであって、日本の抑止力のために駐留するものではありません。日米同盟の強化と言いますがどこの国と、いつから、どう戦うかなど、アメリカが日本と相談して決めるはずがありませんし、実際には米国の世界戦略に日本を組み込んでいくことが日米同盟の方向と言っても良いでしょう。

沖縄の先人たちは、650年以上のはるか以前から中国やアジアの諸国と交流し、互いに豊かな文化を築き合ってきた歴史を持っています。沖縄のシンボルで世界遺産に登録されている首里城や中城城などの城群の造形は中国の影響が色濃く表れた建造物です。赤瓦、紅型など沖縄を代表する工芸品も中国から伝わったものです。銘酒泡盛の製法はアジアから伝わったものです。約618年も前、琉球王朝に請われて、いろいろな技術指導のため、中国から数百人が来琉し、そのまま沖縄に帰化しました。その末代たちは今も沖縄に末広がりとなって各界で活躍しているのです。沖縄の税理士にも…。

現在、沖縄は観光立県で、那覇の街も歩けば中国や台湾の人たちに出会います。
21世紀に入った世の中、日本も世界も一層交流が盛んになること間違いないと確信します。
そのとき、政治に求められるのは平和外交を展開し世界から友好国として認められる国づくりを構築することが肝要と考えます。
「撤去」へ

今年1月、名護市で「辺野古新基地建設反対」を掲げた稲嶺市長が誕生しました。冒頭に述べたように沖縄県民の「基地いらない!」の声は明白となり、かつてない広がりをみせています。

もともと軍事基地は憲法違反ですが、65年前に米軍が国際法に違反して強制的に接収した土地に一方的に造った普天間基地は、米国自体の国内法にも違反する危険な基地であることを指摘しました。こんな危険なものなら直ちに撤去されるべきであります。
ですが、米国はしたたかです。思いやり予算にしがみついています。

沖縄は勿論闘います。だが、全国各地で、
「鳩山政権は公約を守れ!」
「沖縄県民にこれ以上犠牲を強いるな!」
「軍事基地は日本のどこにもいらない!」
の声が沸き起こったとき、普天間基地の撤去は実現すると考えます。

(たから・しょういち)

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