論文

> 裁判員制度の問題点
新春インタビュー
シリーズ先人に聴く
第1回(下)伊藤清 会員
聞き手  新国  信・平石共子  

私の生まれた1919年
中国からの復員船の中で
憲法押し付け論について
税理士という職業
牛島税理士訴訟の意義(以上1月号)

広報部記事差し止めと波紋を投げた税理士会総会での発言
売上税反対の実名入りポスターに税理士会の干渉が入る
税理士会の中での思想・信条の自由、表現の自由の問題
税理士会総会の「日の丸」にみえる税理士会の本質
激変する世界情勢の中で、自分たちの立ち位置を振返る

広報部記事差し止めと波紋を投げた税理士会総会での発言
  牛島税理士訴訟は税理士会と私たちの立ち位置の違いを如実に現した出来事であったと思います。税理士会の中で、先生はどのように活動してこられたのでしょうか。
伊藤 私は税理士登録をした時のことをあんまりはっきりとは記憶していません。それより前に私は東京から千葉市に移り住んでいましてね、税理士会はその千葉市内のビルの二階を間借りしていました。そこに出かけて登録の手続きをしました。登録すれば即税理士会へ入会したことになるわけですが、そのことについても特に記憶がありません。だいたい、税理士の仕事に直接関係のある税法の勉強はしましたが、税理士法については読んだ覚えがありませんし、その必要も考えたことがありませんでしたね。だから税理士会がどんな団体であるか、全く知りませんでした。

ところが、その後税理士会のなかで一人の会員として私の行った行動とか発言が、税理士会のなかで惹き起したいろいろな反響なり出来事があって、それはどれも小さな出来事に過ぎないんですが、その出来事を通して、私は税理士会がどんな性格をもった団体であるか、ということを次第に知ることになったということがいえるでしょうね。
小さな出来事であっても、それが物事の本質を見事に反映してくるわけですよ。
  具体的にどんな出来事ですか。
伊藤 ご参考までにそのうちのいくつかを申し上げることにしましょうか。
三谷宏さんをご存知でしょう。千葉新人会や千葉青税で会長として活躍されていた先輩で、いまでも元気に活動しておられますが、その三谷さんが、その頃は支部という税理士法上の組織はなく、税務署の管轄区域ごとにつくられた税理士会の末端の組織として部会という組織があったんですが、その部会の副部会長というか、そんな役職についていたんですね。その三谷さんが、部会の会報の発行と、その担当者に私をあてることを役員会に提案し、それが承認されたんです。

私はまだ会員としては新人の口でしたが、広報紙については過去に税理士会以外の団体での経験もありましたんで、喜んで引受けました。引受けたまではよかったんですが、その何号目かに地元の商工会議所が会員あてのサービスとしてやっている税務相談や記帳、申告などの指導のことを税理士法違反として大きく取り上げたんです。

ところがこれが幹事会で大問題となり、すでに刷り上っていたのに配布差止めとしたんですね。発行の責任者は部会長で、部会長も部会の幹事会の決定に従わないわけにはいきませんから、その会議所に関係した部分を刷りなおして、やっと発行することになりました。大手間をかけたわけです。

それは千葉の一部会での出来事でしたが、ちょうどそのあとの税理士会本会の定時総会が、成田で開催されたんですね。私の所属する東京地方税理士会は、神奈川、千葉、山梨、この3県の税理士が会員となっているわけですが、私が税理士に成り立ての頃は、横浜にも総会に適当な会場がなくて、東京千駄ヶ谷の東京税理士会館を借りてやった時代がありました。その後、横浜の桜木町に地方会の立派な新会館ができてからはその会館や、その近辺にホテルもどんどんできましたのでそのホテルを使って総会を開くようになりました。

しかし成田に空港ができホテルができたことから、たまには千葉でも開けということになり、成田で開くことになったんですね。横浜以外で開かれたのはそれが最初で最後でした。私はその成田の総会に出席して初めて質問しました。それは部会での刷り直しさせられた会報の蒸し返しではありませんが、「商工会議所や商工会など民間の税務協力団体が税理士業務類似行為を公然と行っているが、これは税理士の業務を侵害する違反行為である。」と、いくつかの実例を挙げて執行部の無策を追求したんです。

ところがこの私の発言に同調する声が議場各所から上がり、それらの発言を封じて議事の進行を図ろうとした議長に対し、「議長横暴!」などの怒声が飛び交い、議場は一時騒然となりました。こんなことは滅多にないことです。異論が出されても、だいたいシャンシャンでお開きとなるのがそれまでの総会の通例でしたからね。

その時の総会には、東京国税局長など税務行政関係者や地元出身の国会議員、千葉は名だたる保守王国ですから、みな自民党議員でしたが、そうした連中が来賓として総会のはじまる前から上段に顔をそろえて議事を一部始終傍聴していたんです。その来賓の一人、名前は忘れましたが与党の有力議員だったと思います。その彼が、挨拶に立って、この言葉どおりではありませんが、おおむね次のようなことを述べられたんですね。

「本日の総会の皆さんのご議論に対し、部外者である私が意見を申し上げるのは、穏当でないかも知れませんが、お許しいただきたい。」と前置きして、「商工会議所や商工会に税務についていろいろ協力してもらっているのは、すべて民商対策としての政府の施策の一環です。民商は共産党の影響を受けている反税団体ですから、この勢力を伸ばさないようにすることは、税務行政にとっても税理士の皆さんの仕事にとっても非常に有益で必要なことです。そこを理解していただいてぜひ是非税理士の皆さんのご協力をお願いしたい。」というような趣旨でしたね。民商対策だと、与党の有力政治家から税理士会総会の公式の場でハッキリいわれた、これには私もびっくりしました。

ところでそれ以後の総会では、国税局長以下の来賓は総会議事の傍聴は行わず、議事終了後に会場に臨席するようになりました。まさか成田の総会が影響したのではないでしょうね。
売上税反対の実名入りポスターに税理士会の干渉が入る
  総会での先生の発言が呼び水となって、当局の本音が飛び出したということですね。
伊藤 次に一般消費税反対運動があります。新人会の会員でその後千葉東支部の支部長もやられた高橋冬美さんと私が世話人となって千葉県内の税理士有志が行った意見広告運動ですが、これについてはこの『税経新報』にもうかなり前になりますが、詳しくその経緯を書いたことがあります。中曽根内閣の1987(昭和62)年当時のことで、その当時は消費税といわず売上税といっていました。

この売上税創設に反対する千葉県内の税理士の有志が、資金を出し合って朝日、読売、毎日、この3紙の千葉版に意見広告を出したんです。パッと人目をひくようにゴジックの太い活字で、「私達は、税金を専門職業とする税理士として、「売上税」の創設に反対します。」としました。

そしてこの意見を表明する税理士79名の名前をずらずらと並べました。税理士が政府の重要な税制案に対して反対意見を新聞に出すことは恐らく初めてのことでしょう。この私たちの運動に対して税理士会としては沈黙を守っていましたが、参加しようとしている個々の税理士に対して税理士会の役員から、また税務署出身のOB税理士に対して先輩OBから、この運動に加わらないようにという圧力がかかったことがいくつも報告されました。行政への慮りから、この運動を快よしとしない税理士会が、役員個人を使ってこの運動を押さえ込もうと画策していることは明らかでした。そのため参加人員は減りましたが、一応の成功をみることができました。
税理士会の中での思想・信条の自由、表現の自由の問題
  個人へ税理士会の役員から圧力がかかったというのには驚きました。これに対しては抗議されたのですか。
伊藤 私はその年の総会で、この役員による干渉問題を会員の思想・信条の自由、表現の自由の侵害であると追求し、会長の見解をただしました。会長の回答は記憶していませんが、たしか会の制度部長であったと思いますが、その部長が個人として、税理士会の会報に、私の総会での発言を批判する論文を載せたんです。

それは例の三菱樹脂事件最高裁判決、憲法の人権規定は、国や公共団体と個人との関係を規律するもので、私人相互の関係を規律するものではない、というものですね。それを引用して、税理士会に対し憲法問題を持ち出すのは筋違いであり、会員は会の統制に服すべき義務がある、というものであったと記憶しています。

これに対して私は、今日の社会では強大な社会的権力によって個人の人権が侵害される事実が数多くあることからみて、この最高裁判決に対してはなお検討すべき問題が多くあること。この事件の高裁の差戻審では、原告敗訴の最高裁判決にかかわらず、和解であるが事実上原告労働者が勝利をかちとったことをどう評価するか。また団体の統制権を一律に論ずることはできないのではないか、などの論点を挙げて会報に反論を投稿したものでした。

たしかに憲法の規定は、国家に対し要求する国民の権利です。私人間に適用されるものではありません。自民党は憲法を「改正」して、憲法の中に国民の義務規定をいれるべきなどといっています。気をつけなければいけないと思います。しかし国を規律する憲法と私人を規律する私法の関係がどうあるべきか、これはなかなか難しい問題ですね。このことは今後大いに検討する必要があるのではないでしょうか。私は牛島税理士訴訟の経験からも、そのことを最近になって痛切に感ずるようになっています。
税理士会総会の「日の丸」にみえる税理士会の本質
  伊藤先生が税理士会の総会で発言することは、先生の使命となっているのですね。
伊藤 さらに申し上げたいもう一つのことがあります。皆さんももうとっくにお気づきのことでしょうが、私たちの税理士会の総会になると、会場の正面の壁面に二つの旗が必ず並べて掲げてあります。それぞれの税理士会によって違うかもしれませんが、他の会の会報をみても、私の見た限りでは、総会の写真に一つは「日の丸」、いま一つは税理士会の会旗が掲げてあります。会場の正面ですからよく目立ちますね。

壇上には、開会の宣言をする役員や会長、それに議長などが上がりますし、挨拶をする来賓も上がるわけですが、壇にあがる際この旗に向かって必ず恭しく最敬礼します。なぜ税理士会の総会で、会場に「日の丸」を掲げるのか、しかもその旗に向かって頭を下げるのか、私にはその理由がさっぱりわかりませんので、一度その理由を聞いてみたい、できれば止めさせたいといつも考えていました。 私は、支部にはじまり、県会、そして本会の総会と一連の各総会で、その理由をただし、これをやめるよう意見を述べました。正確な内容は忘れましたが、だいたい次のようなものです。

「私は兵隊として中国への侵略戦争に駆り出されました。そこで、中国の一般の人々、老人や子供や女性が数多く殺され傷つき、その家財を焼かれ奪われました。その残虐な侵略戦争の先頭に私たち兵隊が掲げていたのが「日の丸」の旗でした。ですから「日の丸」の旗を見ると、私は胸が痛むのです。オリンピックの会場で、「日の丸」が掲げられたり、海外でのサッカー試合などで日本選手の応援に「日の丸」の旗が振られるまでを止めろというわけではありません。しかしなぜこの税理士会の総会に「日の丸」が掲げられなければならないのでしょうか、その理由がわからないのです。その理由をお聞きしたいし、できれば止めてもらいたいのです。」

といった内容なんですね。明治から大正、昭和にかけて、朝鮮、中国などアジア諸国への侵略、そこでどれだけの人間を殺してきたか、どれだけ人権を蹂躙してきたか、その日本帝国主義のシンボル、それが「日の丸」の旗でした。「日の丸」にまつわるその歴史の事実、それは永久に消し去ることはできないのですよ。

私は、それにしても、私のこの発言が税理士会総会の会場の雰囲気にふさわしくないことは十分に承知していました。一部、ひょっとすると多くの会員の反発を買うかもしれないと思いましたね、でもそれは覚悟のうえでした。本会での総会で、私の発言を引き継いで会長がとっさに「伊藤先生は中国の戦争を体験され生きて還られたので、いまの発言があるものと思います。」とわざわざ解説を加えたのも、反論が出て会場が紛糾するのを慮ってのことだと、私には思われましたね。

結局、支部・県会・本会、いずれの総会でも「日の丸」を掲げる理由は明らかにされませんでした。いままでの申し送りによるしきたりを踏襲しているだけだということでした。会の規約・規則等のなかにはないが、総会で「日の丸」を掲げるようにと書かれた庶務の内部文書があるということはわかりましたが、しかしそこに理由までは書かれていないようでした。

たまたまその総会は、千葉県がその翌年には東京地方税理士会から分離独立することが承認された特別の意義を持った総会でした。その新しい千葉県税理士会の会長に予定されていた役員が、新しい千葉県会では、私の発言の趣旨を汲んで前向きに検討することを約束して、この問題は一応幕となったのです。

さてその翌年新しい千葉県税理士会の初めての総会が開かれる朝、「日の丸」の結果を見るために私はやや早めに会場に出掛けました。しかし私の期待に反して、会場正面に「日の丸」は厳然とあったのです。新会長も会場に姿を見せていました。私がすぐさま「「日の丸」、これはどうしたんですか。」と尋ねました。

会長は何と答えたと思いますか。私の記憶では、「この千葉会の分離独立、これはわれわれ税理士だけではではどうにもできないんですよ。国税庁が許可してはじめてできたことですからね。」というのが返ってきた会長の答えだったんです。私はその答えに瞬間とまどいましたが、それ以上に聞き返しませんでした。その一言で私は、会長が何をいおうとしているか分かったような気がしたからです。

その会長の返事を聞いて、なるほど税理士会は国の作ったものだ、千葉会を分離独立するといっても、会員税理士の意志で自主的にできるものでは全くない。会長は、この分離独立の件で、国税庁に幾度となく足を運び、頭を下げ、そのことを身にしみて実感したに違いない、私はそのことを思ったからです。なるほどそれで「日の丸」の旗を降ろすわけにいかないのか、と私は了解し、それ以上会長を追求することは止めることにしました。

以上申し上げたいくつかの出来事を通じて、私は理屈ではなく、税理士会の本質を私なりにつかむことができたと思っています。
激変する世界情勢の中で、自分たちの立ち位置を振返る
  強制加入団体である税理士会と向き合うとともに、先生はもっと広い視野で世の中を見つめ発言し行動しているように思います。最後に、私たちへのメッセージをお聞かせください。
伊藤 考えてみますと、戦争が終わって軍隊と特高がなくなり、これでようやく自由と平和を手にすることができたと安堵したのもつかの間でしたね。冷戦がはじまり、アメリカはわが国をアジアにおける防共の砦として、自衛隊を創設しました。安保闘争があり、ベトナム戦争があり、平和も自由もあやしくなってきました。

そのうち中国で、私が日中戦争を通じ人民に奉仕する軍隊として信頼していた人民解放軍が中国の民衆に対して銃を向けた天安門事件がおき、その年にベルリンの東西を隔てた壁の撤去がありました。さらに翌々年にはソ連が崩壊するなど、まさに激変する時代を体験することになりましたね。

そのころ新人会では、神戸の松本茂郎さんが全国の理事長で、私が副理事長をやっていました。松本さんが私に理事長を代わってくれないかといいだしたのはその頃です。私はこの激変する時代の前で戸惑い思い悩んでいるのは、誰でも同じだといって松本さんの申し出を断り、交代を思いとどまらせたことを思い出します。

ソビエット連邦が崩壊し、その後アメリカの一極支配が続き、今にいたっています。このアメリカの一極支配こそが9.11を生み、今日のこの世界的なテロの元凶となっていると思いませんか。そのアメリカに隷従する日本という国、私たちは、その国の中で、国家によって税理士会という団体に強制的に組み込まれ、税理士として税理士業務を行いながら生活している、ということになります。

敗戦によって日本は変わったといいます。政治学者や憲法学者の中に、8.15革命といわれる方もおられます。革命とは国家の支配権力が変わることですね。たしかに成文憲法の文章のうえでは、天皇主権から国民主権にかわりました。国民主権のもとで三権分立の立憲民主主義国家になったといわれます。これが革命だとね。しかし私は、革命とは権力の交代とともに、その権力を支える国民の意識・思想が変わらなければならないはずだと思います。しかしどうでしょうか。変わっているでしょうか。

一例をあげましょう。首相は行政府の長です。日本では最大政党、これまでほとんど自由民主党ですが、その党が首相を選びますから、かれは行政権だけでなく、立法権も意のままにしています。その首相であつた人物、その政党の最大派閥の領袖が「日本は天皇を中心とした神の国である。」と公言してはばかりません。神権天皇制のイデオロギーは依然としてこの国では生きているのですね。その政党を国民は支持してきたのですよ。税理士会と一体の組織である税政連もですね。

私たちはともすれば、日常の業務に流されて毎日を忙しく過ごしがちですが、時々は今日の日本のなかでの私たち自身の立ち位置を振り返ってみることが必要ではないでしょうかね。それはこの国で、この時代を、一人の税理士として、どのように生きるかということですから。
  貴重なお話をどうもありがとうございました。

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