論文

> ウォール街の金融危機と世界大不況
格差が広がり貧困層の増大の中で消費税の税率アップとは
  東京会  久保田  幸夫  

はじめに

消費税の税率アップの議論が一段とかしましくなってきた。近づいている総選挙では消費税の税率アップを含む庶民増税も大きな争点のひとつになるだろう。

政府、財務省、自民党の有力議員の本音は一日も早く税率アップを実現したいと思っていることだけは間違いない。これを側面から、いや全面的にバックアップしているのが財界である。なにしろ「献金」という強力な武器を持ちつつ、表から裏から執拗に自民党に働きかけるのであるから、その影響力は庶民には計り知れない。そこへもってきて昨年から、各新聞社が年金問題の財源とからめて、いっせいに消費税アップの必要性を強力に主張し始めた。いわば政界、官界、財界、マスコミが揃って国民にその必要性を訴えているのだから、きわめて強力な布陣である。消費税のアップはもはや避けて通れないような事態になってきた観がある。上げなければ日本の未来を構築できないといわんばかりである。

小泉内閣から、初の戦後生まれの首相として安倍内閣が誕生したが、きわめて短命で退陣してしまった。2007年夏の参議院選挙で消費税増税発言が災いして(もちろんそれだけが原因ではないが)自公の与党勢力が大敗したからである。代わってあとを引き継いだ福田内閣も消費税の増税についてはいろいろなアドバルーンを上げながらも明確な表現には慎重であった。即ち洞爺湖サミット直前の6月17日には主要8カ国の通信社のインタビューに答え「財政赤字を背負っているのに、消費税の税率は5%。その辺のところを決断しなければならない。大事な時期だ」。

消費税の税率が5%だから財政が赤字になっているというのは、おかしな認識だが発言の意図は増税したい、との意向がありありだった。しかし通常国会閉幕の記者会見では「方向としてはそういうことだが、2〜3年の長い単位で考える」と先の答えを事実上訂正した。毎年秋以後に開かれる自民税調は前倒しして夏から開かれるし、財政制度委員会も来年度予算に組み込むことを目論んでいる。また、来年度には基礎年金の国庫負担割合は従来の3分の1から2分1に引き上げられることは一種の公約になっている。

その福田首相も9月初旬に突然退陣してしまった。多くの識者が「政権投げ出し」を批判しているが、政治方針に明らかな行き詰まりがあったのだから、むしろ当然だと思っている。そして誕生したのが麻生内閣。消費税については、ここのところ急激な景気悪化を考慮してか、2011年までは現行のままで以後1%ずつ引き上げ15年には10%にとの方針を表明した。相変わらず庶民増税に強く固執している。

政府がどんなに消費税に「期待」しようが、税率アップを実現させてはならない。なぜか?税制の不公平、不公正を認めてはならないからである。構造改革、規制緩和で格差が広がり、底辺が大きくなり貧困層が増大した。一部の成功者は優遇されたが、過当競争は弱肉強食を社会に持ち込んで、生きる希望を失わせる結果をなした。消費税はこれらの人たちを直撃する税制であり、そのことを肌で感じている国民が反対しているからである。消費税が実施されてから20年が経過しており、当時生まれた人はすでに成人式を終えているが、それでも「消費税の反対勢力」は健在である。

私たち庶民には実感はなかったが、日本経済は最長の回復傾向が続いていたと発表されていた。事実、大企業の儲けはかっての規模を上回り空前であったと報道されている。それがアメリカ発サブプライムローン問題、原油高、食料品高などに続き金融危機によって景気が一気に下降線をたどってきており、わが国だけでなく、世界中で大きな問題になってきている。そんな中で、一部からどんなに税率アップの必要性を説かれても、国民の命と暮らし、事業(仕事)に多大な悪影響を与える税金をおいそれと容認するほど国民はアホではない。

税制の使命

国家がある以上そこには常に財政をどの階層がどのようにまかなうかは、最大の課題だといってよい。近代の税制は所得の高い企業や大金持ちといわれる人から相応の税金を徴収し、いわゆる弱者からは税を取らないか、少なくするようになっている。これが人類史上から生まれた教訓であり、「応能負担の原則」といわれる。少なくとも戦後税制には不十分ではあるが、それが反映されていたと私は感じている。それがこの10年機能しなくなってきているのはどうしたことなのだろうか。

ここで改めて書くまでもないが、法人税の税率は42%から30%にひきさがった、所得税の最高税率も70%から37%までほぼ半減した(2007年から40%へ引き上げたが)。相続税の税率も70から50まで引き下げられた。住民税にいたっては一律10%課税になった。住民税は「応能」ではなく「応益」なのだそうで、応益にはフラット課税が最良だという。

この理論は私にはとても理解しがたい。住民税に連動して多くの人の国民健康保険料(税)、介護保険料も重くなった。こうした「応能負担の原則」に反する答申を次々と打ち出す政府の税制調査会はもはや国民のためのものというわけにはいかない。私は一日も早く税制調査会が本来の使命を取り戻して、国民のための税制論議をやってもらいたい、と強く思っている。

逆進性がある消費税

消費税という税金は「応能負担」とは相容れない「逆進性」がある。税制にとっては致命的ともいえる欠陥が存在する。つまり大企業や大金持ちといわれる人には楽な税金だが、収入の低い人にとっては厳しく、その負担割合は高い。その代表的な例を表示しておこう(図1)。
図1
消費税が普及している国では、この欠陥を補うためにさまざまな工夫がなされているが、わが国にはその制度がない。消費税は底辺の企業や、所得のない人、あっても少ない人々にはきわめて重い、邪悪な税制である。

よく消費税は公平な税制である、と主張する人がいる。生きている人すべてが税を負担(支払う)するからである。しかし生きていてもたくさん稼いでいる人もいるし、稼げない人もいる。赤ん坊や幼児は稼げないし、年寄りも稼げない。したがってそういう人たちから税をむしりとろうというのはやはり無理があると私は思う。公平ではないのだ。

一口に「格差」といってもさまざまな格差がある。男女格差、学校教育格差、地域間格差、所得若しくは経済格差(賃金格差)。私の目的は大きく広がってきている経済格差と消費税の税率アップの関係である。私は政治とは格差をいかに小さくするか、のためにあると思っている。現実の社会には格差が歴然と存在する。格差のない社会はありえない。しかしその格差を政治の力でいささかでも小さくすることが肝心、というのが私の信念だ。

新自由主義による構造改革、規制緩和の推進者だった小泉純一郎元首相は「格差が出ても悪いことではない」とか「成功者や能力のある者を妬んだりしてはいけない」といった趣旨の発言をされていた。私は成功者や能力のある人を妬むつもりはないが、現在の格差は多くの競争者を蹴飛ばして、一握りの成功者を生んだが、代わりに多くの貧困層を生み、人間として生きながら、命と暮らしが脅かされる、そんな社会になってしまった。こうした社会を平然と見下ろす政治家を私は許すことができない。政治家であってもらいたくないし、政治家としての資質を疑いたい。ましてや首相の地位にいる人が言うべきことではない、と思う。

格差は政治だけで解決する問題ではないが、政治が意識的に解決に乗り出さねばならないと考えられる。戦後、1955年(昭和30年) {もはや戦後ではない} といって戦前の経済力を克服したことから、わが国は高度成長を続け、3C、乗用車の普及で一億総中流時代といわれる期間があった。中流の定義がはっきりしないし、私には郊外にローン付きで小さな住宅を買い、超満員の電車で遠くから出勤するサラリーマンやOLが十分満足して中流階級を意識していたとは思えないが、それでも今日、明日の生活に困らないでいた時期が4半世紀続いたのではないだろうか。その神話ともいえる時期が過ぎ、バブルがはじけて崩れたのである。1990年以後を失われた15年といわれ、底辺が増大し、貧困層の増加は大きくなるばかりであった。

以下に格差が広がって不平等に苦しんでいる状況を見てみたい。
i  ジニ係数
わが国は所得格差が小さい国と言われてきた。私はこれを誇りにしていいことだと思ってきた。一部の人からは資本主義どころか、社会主義の国だと揶揄されてきた。しかし一連の構造改革、規制緩和政策の下で、格差は確実に広がってきている。現在でも諸外国と比べると格差は小さいのだろうか。

ジニ係数というのがあります。イタリアの統計学者ジニ氏が考案した係数で、格差や不平等を計測する際に用いる数値です。人々が完全平等にいるときが0 で、完全に不平等にいるときが1。数字が大きくなれば不平等度が高い。橘木俊詔氏の「格差社会」(岩波新書)によると所得再分配後(所得から税金、社会保険料を控除した後)でみると、1972年(昭和47年)0.314 だったが、2002年(平成14年)では0.381に上がっている。(図2)

図2-1 図2-2


図2-3

これは相当な上昇だそうだ。つまり所得分配の不平等が進行していると判断される。OECDの国際比較では不平等度は15位で先進国ではかなり高いグループといえる。平等神話は完全に崩れ去っているのである。不平等度の高い国アメリカ、イギリスのまねをしなくともよいと思うのだが。
ii  一割前後が無貯蓄
総務省が8月に平成19年の家計調査年報を発表したが、これによると二人以上の世帯の平均貯蓄額は1,719万円だが(勤労世帯は1,268万円)、約3分の2は平均値を下回っている。貯蓄100万円未満が9.3%あり(勤労世帯では11.3%)、階層別でもダントツだ。(図3)
図3
金融広報委員会というところの「家計の金融行動に関する世論調査」によると平成19年の無貯蓄世帯比率は20.6%にも達している。前述の著作「格差社会」では2005年の貯蓄ゼロ世帯は22.8%になると書かれている。「日本の統計」によると推計世帯数は5,000万弱だから1,000万世帯、2,500万人が貯蓄ゼロで生活していることになる。これらの人は社会保障制度が不安いっぱいの中で、計算できない不測の事態が生じ、お金が必要になったらと思うといたたまれない日々をすごしていることになる。
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