論文

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東京大空襲・戦災資料センターの第2ステージ
ー 増築1年を振り返って
東京大空襲・戦災資料センター研究員  山本  唯人  

増築から1年−戦災資料センターの第2ステージに向けて


増築完成した戦災資料センター
東京大空襲・戦災資料センターの増築から1年がたった。設立から5年目の英断だったが、税経新人会のみなさまをはじめ多くの方々の協力で、何とか実現することができた。スタッフ一同、この場所を守り育てていく責任を感じながら、毎日の仕事をしている。

今年の3月10日で、1945年の東京大空襲から63年が経過した。早乙女勝元館長は、ニュースの最新号で、資料センターもいよいよ「第二期」に入ったと述べている。

それは、建物の「器」が整ったというだけではなく、体験者の高齢化が進むなかで、体験をどう「継承」するのかの問題が正念場を迎えることをさしている。東京大空襲をそのなかに含み、幾億の人々を巻き込んで終わった「アジア太平洋戦争」とは一体何だったのか、20世紀の歴史を通して、そこに関わったそれぞれの立場から見直すことが求められる時代ということもできるだろう。

増築から1年、新しく広がった活動やつながりを振り返り、資料センターの「第2ステージ」を展望してみたい。

空襲体験を聞く―繰り返し立ち戻る原点

戦災資料センターは、1970年民間で発足した「東京空襲を記録する会」を前身としている。大規模なものとしてははじめて、一般の人たちから空襲体験を募集し、東京都の助成を得て記録集にまとめた(『東京大空襲・戦災誌』全5巻)。その活動を引き継いで発足した戦災資料センターにとって、「空襲体験」を聞くことは、繰り返し立ち戻る原点である。そこで、まず、昨年のつどいで語られた、二瓶治代さんの体験に耳を傾けてみよう。二瓶さんは当時8歳、被災地の真っただ中である亀戸で暮らしていた。今は資料センターで図書の整理を担当するかたわら、訪れる修学旅行生などに空襲体験を語り伝えている。

「1945年、3月10日、ここ亀戸は一面火の海でした。空も、まわりの家々も、地面もごうごうと唸る、猛り狂う炎の風に包まれていました。「火の粉」は容赦なく横殴りに吹きつけ追いかけてきます。畳や障子、屋根瓦やトタンなどが燃えながら吹っ飛んできました。その中を人はみな亀戸駅の方に向かって走っていました。反対の方に行く人は誰もいませんでした。髪は燃え、服は燃え、背負われた子どもは母親の背中で燃えていました。お母さんに手を引かれている小さな子どもたちも燃えながら走っていました。人はみな生きたまま紅蓮の炎に呑み込まれていったのです」(東京大空襲・戦災資料センター編『語り継ぐ東京大空襲いま思い考えること』2007年)。

この日の空襲では、約10万人の人々が亡くなったといわれる。まさにその渦中に投げ込まれた、8歳のまなざしが見つめた63年前の光景である。短い語りのなかで、二瓶さんはこの日以来2度と出会うことのなかった人たちに触れている。前の日の夕方まで一緒に遊んでいた近所の子供たち、大の仲良しで防火用水の氷をカンカン砕いていた男の子、消防ホースを持ったまま燃え尽きていった消防士たち、「ヤマトダマシイ、ニッポンジン」と叫ぶ男の声、一糸まとわず、火傷のまますっぽんぽんの姿で親を探す子供、まるでごみ屑か、木の葉のように焼き殺され、路上に放り出された人たち―何も語れず消えて行った人たちの声が、二瓶さんにとって、今もこの巨大都市・東京にこだましているのである。

「みんなのもの」であり続けるために

二瓶さんは、この体験を50年以上誰にも語れなかったという。でも、彼らのもっと生きていたかったという思いを、何より彼らが人間だったことを伝えなければならない。それを「話す勇気」を与えてくれたのが資料センターだった。そして、この場で語り、伝えることを通して、今生まれたばかりの若い子どもたちの芽を大切に育て、平和への希望を託していきたいと述べている。この二瓶さんの発言は、戦災資料センターがこの地に存在し続ける意味を、あますところなく表現している。

「戦災資料センターは国のものでも、東京都のものでもありません。江東区のものでもありません。こよなく平和を愛し、心から平和を願う私たちみんなのものだと思います。」戦災資料センターは、下町の心ある篤志家から土地の提供を受け、純粋な民間募金によって設立された。このことは、靖国の遊就館はもちろんのこと、広島の原爆資料館とも異なる、東京大空襲の資料館が持つ大きな特徴の一つである。

それは、確かに苦渋の選択ではあったが、播かれた種が芽を吹き始めた今、焼け跡を生き延び立ち上がった人々が、国にも東京都にも頼らず、60年を越えてはじめて獲得できた「自分たち」の場としての意味を持っている。二瓶さんの一言が示す意味は決して小さくない。

資料センターが、これからも、平和を愛し平和を願う「みんなのもの」であると心からいえるような施設であり続けるために、どのようにこの場の持つ可能性を守り育て、発展させていけるか―そのことが、この場に関わるすべての者に問いかけられている。

新設された「戦争とこどもたち」コーナー

重慶との交流

空襲を記録する活動は、広島・長崎がいつも「唯一の被爆国」という語りと隣り合わせであったのと異なり、重慶をはじめとする中国諸都市への日本軍自身による空襲を意識せざるをえない立場にあった。それゆえに、早いうちから加害と被害の重層的関係をみつめてきた。資料センターでは、2007年度より日本学術振興会科学研究費補助金の助成を受け、昨年9月、日本軍の最も大規模な空襲被害地であった重慶・成都、731部隊などの細菌戦被害地である常徳の現地調査、および、重慶で開かれた重慶大爆撃の国際シンポジウムに出席した。東京大空襲を「国内」の問題にとどめず、第一次世界大戦からゲルニカ、重慶を通じて東京、広島・長崎へと至る20世紀戦史の流れのなかで捉えなおす研究プロジェクトの一環である。

印象的だったことの一つは、日本の空襲研究が中国語に翻訳され、先行研究として参照されていたことだ。日本人がアメリカ軍の行為に向けて行ってきた国際法や被害の研究は、日本軍自身が中国に行った行為に対しても同等に跳ね返る。南京大虐殺が結局は「日本軍国主義」の問題に収斂させて語られがちであるのに対して、ヨーロッパ諸国も含めて加害者であり被害者であるという関係を抱える場合の多い空襲被害の問題は、国や民族を越えた共通のスタンダードで「人道」の感覚を育てていく糸口になるのかもしれない(中国調査について詳しくは、財団法人政治経済研究所付属東京大空襲・戦災資料センター戦争災害研究室『シンポジウム「無差別爆撃の源流―ゲルニカ・中国都市爆撃を検証する」報告書』、戦災資料センターにて頒布)。
ちなみに、こうした研究活動を支えているのが、2006年、資料センターに設けられた戦争災害研究室である。一橋大学の吉田裕教授を室長に迎え、月1回程度のペースで研究会を行っている。来年は今回の中国調査の成果をさらに発展させ、ゲルニカ・ドイツ・中国の研究者を招いた国際シンポジウムを企画している。純粋な「学会」ではなく、「資料センター」のなかに置かれた新たなタイプの研究拠点として、市民社会とのつながりを重視した研究活動の展開が期待されている。毎研究会の報告・討論要旨は『戦争災害研究室だより』として広く一般に公開され、資料センターのHPからダウンロードできる。
展示室入り口
B29模型と焼夷弾の実物大模型

若い世代の表現活動を支援する−現代アートによる『VOICE』展

増築の成果をもっとも分かりやすく示したのが、広がったスペースを使って開催した「特別展」である。リピーターを増やすため、年数回の企画展の開催は資料センターの悲願でもあった。2007年12月から08年1月にかけて、「若い世代の表現活動を支援する」というコンセプトのもとに、20代から30代の若手アーティストに声をかけ、現代アートで戦争を伝える『VOICE―知らない世代からのメッセージ』展を開催した。この展示は、歴史資料と現代アートのコラボレーションの試みとして、新聞などでも大きく取り上げられた。また、深川出身で「下町」をテーマに写真を撮り続ける写真家・大西みつぐさんの協力も得ることができた。

これまで、下町は比較的コミュニティのつながりが残る地域といわれてきた。しかし、バブル経済と再開発が進むなかで、かつてであれば当たり前に聞けた戦争体験は、身の回りから急速に消えはじめている。戦争体験者の孫の世代が成人年齢に達するに及んで、家族のなかからも戦争の語りは消えている。これまでのように、展示品をガラスケースに収めるだけでは、十分伝えることができないという危機感をひしひしと感じていた。

アートには、何気なくやりすごしてしまっている風景に新たな角度から光を当て、過去と現在をつなぐ出会いの<扉>を開いてくれるような役割がある。コミュニティがばらばらに寸断され、つながりの断ち切られた社会で、地に着いた記憶の継承はありえない。これからは、若い世代の<伝える>活動を積極的に支援すると共に、失われた命を見つめてきた立場から、コミュニティを再生していく活動ともつながっていきたい。

資料センターにも公益法人制度改革の荒波が押し寄せている。「公益」とは名ばかりの天下り法人の目を覆う実態が明らかにされるなかで、地域に根ざした本当の意味での「公共」をどう確立できるかが問われている。この場所に寄せられた人々の<思い>をどうかたちにしていくことができるか。市民の手で市民の戦争体験を伝えていくという下町の片隅からはじまった巨大な実験は、まだ覚束ない足取りで歩み出したばかりだ。

これからも多くのみなさまの温かいご協力と知恵をお借りしながら、伝える営みを続けていきたい。
開館要項
東京大空襲・戦災資料センター
開館時間12:00−16:00
休館日月・火曜日 年末年始12/28〜1/4
3/9・10は曜日にかかわらず開館
協力費一般300円 中高生200円
小学生以下無料
136-0073 東京都江東区北砂1-5-4
Tel 03-5857-5631 fax 03-5683-3326
HP(地図あり) http://www.tokyo-sensai.net/
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