論文

> アメリカの税務行政の現在
行政不服審査法改正作業と国税不服審判所の問題点
東京会  関本  秀治

課税処分等に対する権利救済制度の現状

更正・決定など、税法上の処分については、原則として異議申立てと審査請求の二段階の不服申立てを経た後でなければ抗告訴訟(処分取消しの訴えなど)を提起することはできないこととなっています。これは、国税通則法(以下、「通則法」という。)に、「国税に関する法律に基づく処分で不服申立てをすることができるものの取消しを求める訴えは、異議申立てをすることができるものにあっては異議申立てについての決定を、審査請求をすることができる処分にあっては審査請求についての裁決をそれぞれ経た後でなければ、提起することができない」(通則法115条1項、カッコ書き省略)と規定されていることによります。

行政事件訴訟法(以下、「行訴法」という。)8条1項は、「処分の取消しの訴えは、当該処分につき法令の規定により審査請求をすることができる場合においても、直ちに提起することを妨げない」と、原則として、訴訟か不服申立てかを被処分者の選択に任せながらも、「ただし、法律に当該処分についての審査請求に対する裁決を経た後でなければ処分の取消しの訴えを提起することができない旨の定めがあるときは、この限りでない」と規定し、法律による不服申立て前置主義の強制を認めています。

通則法の異議申立て、審査請求の強制は、この行訴法の規定を根拠としていますが、不服申立て前置の強制は、最終的に裁判を受ける権利(憲法32条)を奪うものではないにしても、その権利を阻害することになるので、運用如何では憲法違反になる危険性もあるといえます。

行政庁に対する不服申立ては、一般的には行政不服審査法(以下、「審査法」という。)によることになっていますが、通則法80条はカッコ書きで、審査法の2章1節から3節までの「不服申立てに係る手続」を適用除外とし、税務上の不服申立ては、通則法8章1節の「不服審査」によるべきこととしています。したがって、審査法が適用されるのは、1章の総則、2章4節の「不作為についての不服申立て」、3章の補則だけとなっています。

通則法のこの規定は、昭和45年の国税不服審判所の創設を含む法改正によるもので、審査法の不服審査手続のほぼ全体について適用除外とし、通則法の中に自足的に不服審査手続規定を設けることになりました。この適用除外の目的は、税務行政の「独自性」を強調する結果となり、それが現在まで40年近く続いているわけです。

異議申立ては、処分庁に対して行なうものですから、異議申立てについての調査の過程で、処分庁として改めて調査をし直し(見直し調査)、もし見落としがあったら再更正もあり得るという有形、無形の圧力がかけられるという事態も考えられないわけではないという問題があります。

このような事態の発生を危惧して、昭和45年の通則法改正案を審議した国会では、衆参両院で附帯快議がつけられています。たとえば、衆議院大蔵委員会では、「納税者がためらうことなく自己の権利救済を求め、その主張を十分行ない得るために、いやしくも税務当局が不服申立人を差別的に取り扱うようなことのないよう、厳に適正な運営を確保すること」と明確に述べています。

鳴り物入りで発足した国税不服審判所も、当初は、以前の協議団制度に比べて多少なりとも改善されたものの、その後の運営の実態は、決して中立的な第三者機関といえるものではありません。

まず、審判官の身分保障の問題です。審判官は、弁護士、税理士、公認会計士、大学の教授、助教授、裁判官、検察官の経歴を持つ者、一定の地位にあった国家公務員であって国税に関する事務に従事した経歴を有する者の中から選任されることとなっています(通則法施行令31条)が、実際に審判官に任命された者は従来の協議団の協議官が主体で弁護士や判事、大学教授等の中から選ばれた者は極く少数でした。それだけではなく、審判官と執行部門である税務署長や副署長との人事交流が頻繁に行なわれて来ました。これでは審判所の第三者性を保つことはできません。

このような事情を反映して、国税不服審判所における処分の一部または全部取消しの割合は、最近の6年間(平成10年度から平成15年度)で16.1%、全部取消しの割合は、4.1%に過ぎません(第129回国税庁統計年報書236〜237ページ)。最近の全国国税局長会議に提出された平成18年度の速報値では、さらにその取消率が低下して、一部または全部取消しの割合は12.3%となっています。全部取消しの割合は示されていません。

税務行政の分野だけでなく、他の行政分野でも、不服審査での国民の権利救済の実態は決して好ましいものではありません。

平成18年3月に発表された総務省行政不服審査制度研究会の報告書には次のとおり述べられています。
国に対する不服申立ての件数は、異議申立ては全体で7,709件であり、これを関係する法律別にみると、国税通則法関係が6,359件とそのうちの82.5%を占め、以下、情報公開関係で427件(5.5%)、国税徴収法関係が242件(3.1%)となっている。審査請求は、全体で8,736件であり、これを関係する法律別にみると、社会保険関係(健康保険法、船員保健法、厚生年金保険法及び国民年金法)が3,220件(36.9%)、国税通則法関係が2,554件(29.2%)、労働者災害補償保険法関係が1,496件(7.1%)となっている。再審査請求は全体で1,153件で社会保険関係(528件)と労働者災害補償保険法関係(429件)で83%を占める。

次に、申立てが認容されたもの(一部認容も含む)の率をみると、国の場合、異議申立てについては、情報公開法関係が51.0%、国税通則法関係が20.8%であり、これ以外のものの認容率は約7%である。審査請求については、労働者災害補償保険法関係で17.7%、国税通則法関係で17.1%、社会保険関係で10.4%となっている。都道府県の場合は異議申立ての認容率が17.3%、審査請求では2.1%、政令指定都市の場合は異議申立てが25.0%、審査請求が1.0%、県庁所在市の場合、異議申立てが3.6%で、審査請求の認容率はなかった。
この報告書の数字を見るにあたっては、税法上の不服審査制度が、原則として異議申立てを審査請求の前提要件としているのに対して、他の行政分野では、原則として、上級庁に対する審査請求が一般的な制度となっていることを考慮する必要があります。

このような現状を反映して、最近、行政不服審査制度を全面的に見直そうという動きが活発になってきました。

また、税務行政についていいますと、消費税導入と度重なる改悪によって、消費税の課税事業者が急速に増加し、所得税では課税最低限以下で納税義務がない零細事業者でも、基準期間の課税売上高が1千万円を超えて消費税だけは課税事業者になるという事態が多発するとともに、記帳や課税仕入についての請求書等の保存が不十分であるという理由で仕入税額控除を全面的に否認するという消費税の構造上あり得ない違法な課税処分が横行するような事態も発生しています。

このような無法な税務行政が横行する背景には、わが国のおくれた課税庁の体質があることも見逃すことのできない点です。欧米先進諸国では、法律や政府宣言などによって、「納税者権利憲章」が制定され、主権者としての納税者の権利が手厚く保護されています。

わが国でも、税経新人会全国協議会を含む「納税者の権利憲章をつくる会」(略称TCフォーラム)が、ねばり強い運動を続け、平成14年には、民主党や共産党を含む全野党の共同で、納税者の権利を保障するための国税通則法改正案が国会に提出されるところまできています。さきの参院選で自公政権が大敗したことによって、遠くない将来に、わが国においても納税者の権利憲章的な法制度が実現する可能性も生まれてきました。

行政と国民との間の矛盾の激化

税務行政の分野では、前述のとおり昭和45年の通則法の改正によって、国税局、税務署など執行機関からは独立した国税不服審判所が創設され、一応の形式が整えられました。その実態は前述のとおり、十分機能していないことは周知の事実です。

他の行政分野についてはどうかといえば、昭和37年に制定された行政不服審査法が現在まで45年間全く手をつけられないまま放置されて来ました。

その間に、国内、国外の情勢は大きく変わり、経済の国際化、規制緩和、「行政改革」に伴う行政事務の一部の民間への委託、独立行政法人の出現などによって、行政不服審査法だけでは国民や住民の権利救済が十分機能しないという状態が生まれました。また、それと同時に、行政の透明性、公平性などが求められるようになったことも不服審査制度の改正を求める契機となっています。

このような背景で、平成5年には、行政手続法が制定され、平成13年には情報公開法が、さらに平成16年には「義務付けの訴え」や「差止めの訴え」などの新設を含む改正行政事件訴訟法が施行されるなど、行政活動をめぐる法制度は大きく変化しました。

昭和37年は、行政をめぐる法制度にとっては重要な年でした。行政不服審査法、行政事件訴訟法のほか、通則法もこの年に施行されています。行政不服審査法は第一臨調の、行政事件訴訟法は法制審議会の、通則法は税制調査会の答申に基づいて法案が作成されました。第一臨調は、行政不服審査法と同時に行政手続法についても法律案要網を示して法制化を要求していたのですが、官僚の抵抗によって行政手続法の立法化は見送られ、30年以上にわたって封印されていました。

国税通則法も税調の答申どおり立法化されたわけではありません。税調答申の中には、当初、1実質課税の原則に関する規定、租税回避の禁止に関する規定および行為計算の否認に関する宣言規定、2一般的な記帳義務に関する規定、3質問検査に関する統合的規定及び特定職業人の守秘義務と質問検査権との関係規定、4資料提出義務違反についての過怠税の規定、5無申告脱税犯に関する改正規定など、憲法上も税法理論上も見逃すことができない重大な問題点が含まれていました。

そのため、日本税法学会や中小企業団体、人格のない社団等の問題についてはこの法律が労働運動の弾圧に使われる危険性があるという理由などから総評などの労働組合も反対運動に起ち上がり、上記5項目は立法を断念し、これらを除外したところで法案がつくられ、国会審議では、さらに法案の一部を修正するなどして、昭和37年法律第66号として公布、施行されたものです。

戦後の高度経済成長政策の下で、日本の独占的大資本も着実に力をつけ、数度にわたる不況や好況を経て、自動車、電機、電子機器、機械、鉄鋼等の輸出拡大によって、世界第2位の経済大国にまで発展しました。その間、安価な労働力と中小零細企業を犠牲にした「二重構造」をテコとして、集中豪雨的な輸出を行い、欧米諸国との間に経済摩擦を生み出すことになりました。

このような背景で、昭和60年(85年)には、先進5ヵ国(G5)によるプラザ合意が行われ、異常円高・ドル安が恒常化し、為替面での日本の犠牲による経済構造の調整がすすめられることになりました。その犠牲は、集中豪雨的な輸出を推進した独占的大企業ではなく、関連下請中小企業や労働者へ転嫁され、新たな矛盾を生み出す結果となりました。

その調整を図ろうとしたのが、いわゆる「前川リポート」(首相の私的諮問機関である「国際協調のための経済構造調整研究会」の報告、昭和61年(86年)4月)であり、この「構造調整」によって生じた国内の政治、経済的諸矛盾の解決を図ろうとして設けられたのが第二次臨時行政調査会(土光敏夫会長、昭和56年(81年))です。この調査会の方針に基づいて実行された方針を、「第二臨調路線」といっていますが、国鉄の分割民営化、電々公社の民営化など、貴重な国民の財産を次々と資本に売り渡し、その総仕上げとして「小泉改革」による郵政民営化が強行されました。

これら「構造改革」によって、大企業は史上空前の利益をあげていますが、同時に、中小零細企業は次々と淘汰され、勤労者の賃金は連年減少し続けています。勤労所得の低下は、国内の消費購買力を低下させ、大企業はますます輸出に依存することになります。わが国の財政は大型公共工事や、大企業・大資本家に対する減税により、年々国債の発行を増やし続け、先進資本主義国の中では最大の借金大国となる一方、国際収支では、世界一の債権大国になっています。

これらの政策の背景には、サッチャーやレーガンによってはじめて採用された、新自由主義の経済政策があります。新自由主義は、「経済に対する国家の介入は最小限にして、自己責任において自由な活動を保障し、政治的には政府の役割を最小限におさえ、軍事、外交などを除き、『小さな政府』を実現する」という考え方です。

この考え方の特徴は、政治的には軍事力を背景にした『強い政府』であり、経済的には『小さな政府』で規制はできるかぎり少なく、社会保障やセーフティネットは最小限にとどめ自由競争に任せようというものです。さらに、現にある公共的事業は、原則として「官から民へ」という民営化、規制緩和路線が経済政策の基本になります。歴代自民党内閣が推進してきた国鉄の分割民営化、電々公社の民営化、最近では郵政の分割民営化、社会保障制度の連続的改悪、社会保険制度への応益負担原則の導入などもこの政策の延長線上に位置づけられるものです。

このような政策の強行により、行政機関と国民の間の矛盾は拡大し、行政処分に対する争いも多発するようになりました。行政不服審査法の見直しは、このような社会情勢に対応するために日程にのぼってきたといえます。

不服申立前置主義の強制の行方

権利救済制度の最終的な砦は裁判所です。処分庁(税務上の処分については課税庁=税務署長)に対する異議申立てや国税不服審判所への審査請求は、あくまでも訴訟を提起する前の段階で、行政庁に対して再考を促すための手続きにすぎません。審査庁が処分庁の上級庁であったり、どれだけ執行機関から独立し、第三者的な形態を保っていようとも、それが行政庁による判断の域を出ることが出来ないという点で、内閣を頂点とする行政執行の一部であるという基本的な性格を脱却することはできません。

各種行政委員会や審査会などと同様、国税不服審判所も、国税庁長官の附属機関であり、最終的には国税庁長官の発する法令解釈としての通達に拘束されます。例外として、国税庁長官に意見を求め、その指示があったときは、従来の通達と異なる法令解釈による裁決をすることができますが、この場合は、当然、従来の通達も改正されることになります。

このような通達による拘束は、行政機関である審判所の宿命であって、行政機関の一部である審判所が、個々バラバラの法令解釈で裁決するということになれば、行政の一体性、統一性は崩壊してしまいます。

これに対して、司法機関としての裁判所は、行政機関の法令解釈に拘束されることなく、法律に拘束されるだけですから、行政機関の法令解釈にとらわれずに判決を下すことができます。しかも、裁判官は、独立して権限を行使することができますから、その判断について法的には誰からも非難されることはありません。

もちろん、最高裁による強力な統制により事実上その判断が爾後の昇進などに影響がないとはいえません。これは、日本の司法の後進性といえるもので、政治が大きく変わることに期待する以外にありません。しかも、最高裁判所の判事の任命権は、内閣総理大臣にあり、形だけの国民審査が行われるだけですから、最高裁に絶対的な信頼を寄せることは残念ながらできません。

それにもかかわらず、被処分者が行政上の権利救済を求めるか、直ちに司法審査を受けるかを選択できるという制度上の保障があることは、処分を行う者が、常に司法審査を念頭において慎重な処分を行わざるを得ないという効果があります。たとえば、必要経費の一つを否認するにしても、それが所得税法のどの規定に基づいているのかを正しく説明できなければなりません。また、調査そのものが、税法の規定に則って正しく行われているのかどうかから出発しなければならず、違法な質問検査権が行使されないための防波堤にもなります。違法な調査に基づく処分は、当然違法となるからです。

ところが、異議申立て、審査請求を経た後でなければ訴えを提起できないという現行制度のもとでは、当初の処分は大まかであっても、異議申立て、審査請求の段階でふるいに掛けられ、その処分が裁判に耐えられるかどうかが検証され、「不純物」はとり除かれることになります。さらにいえば、不服申立てができないよう、更正処分ではなく、なるべく修正申告で済ませてしまおうという配慮が働くことになります。こういう実務のあり方が、納税者の権利を著しく阻害していることは否定できません。

修正申告の慫慂は、単なる行政指導であって、それに応ずるかどうかは納税者の自主的な判断に任されるべきものです。強要は往々にして行われていますが、それが立証されないかぎり修正申告は「自主的な申告」とみなされます。ここでは、納税者の高い権利意識が求められます。納得できなければ、更正を受けた上で争える道を確保する選択が必要となります。

不服審査制度に魂を入れるためには、例外という形をとって広汎に認められている不服申立前置主義を完全になくすことが何よりも大切であるといえます。

不服申立前置主義を維持しようとする主な理由は、課税処分のように、大量かつ継続的に行われる処分については、不服申立前置を無くすとすれば、訴えが大量に提起され、裁判所の機能が麻痺する危険性があるとか、課税処分のような専門的な知識や経験を求められるものについては、裁判に先だって課税庁の知識や経験を活用して、裁判の前の段階で解決することが納税者や税務行政にとって利益があるとか、その方が簡易迅速な救済が受けられるなどの理由があげられています。

納税者は、決して行政上の権利救済制度をなくしてしまえと要求しているのではなく、あくまでも選択制にすべきであると主張しているだけですから、前置主義を無くしてもやはり不服審査制度を利用する納税者が圧倒的に多いだろうと思います。

ですから、これらの理由は、不服申立前置主義を強制する理由とはなりません。裁判には弁護士費用などの経済的負担と長い時間が必要です。一審だけでも2年から3年位かかる例が大部分です。裁判に持ち込まれる件数は、現在、200件ないし400件程度しかありません。前置主義を無くしてもこの数はそれほど増えるとは思われません。

そのうえ、税務訴訟で、より重要なことは、その大部分で納税者の主張が斥けられ、課税庁が勝訴していることです。これは、裁判官は法律の専門家であっても税法の専門家ではないということに原因があるように思います。そのため、裁判所には、国税庁から調査官という肩書きの職員が出向で配置され、その調査官が判決に重要な役割を果たしています。

税金裁判においては、理解困難な税法の規定を手間暇かけて読み解くよりも、税法に「精通」した調査官に判決の下書きを依頼する方がはるかに楽であり、調査官の意見に沿って課税庁に有利な判決を書く方が裁判官自身の出世や保身のために有利だという事情も想像できます。裁判官の名誉のためにこれ以上のことは述べたくありませんが、私自身が補佐人として法廷に参加してみて、税務訴訟についての裁判長の訴訟指揮はどうみても納税者を課税庁と対等の立場にあると認めたがらないところがあるように思います。

さらに付け加えるとすれば、税法の規定は、民法や刑法の規定とは違い、一つの条文が数ページにも及び、その中にカッコ書きがあり、他の条文の引用があったりで、そもそも主語と述語がどうなっているかを確認することさえ困難なものが沢山あります。要するに法律としてわかりやすく作られてはいないのです。これは、税法を立案する官僚の国語力の問題であり、それを読む納税者や裁判官の問題ではありません。税法の解釈適用についてこのことを知っておくことも重要です。

納税者の権利を守るためには、国税庁から調査官を派遣してもらわなくとも、裁判所独自の力で税法を読み解く力を具えなければならないと思います。そういう意味では、ドイツのように税金裁判を専門に扱う裁判所を設けることも必要ではないかと思います。もちろん特別裁判所を設けることはできません(憲法76条2項)から、最高裁を頂点とする司法裁判所の一種としての租税に関する専門的な裁判所ということになります。この制度を持つドイツでは、日本と比較にならない程多くの税金裁判が提起され、納税者の権利保護に役立っています。

最終報告書では、この不服申立前置主義については全く触れていません。これは、行政事件訴訟法8条1項ただし書き削除の問題ですが、最終報告書は、行政手続法の関連部分の改正について触れていますが、行政事件訴訟法については何も触れていません。したがって、通則法115条1項の規定によって現行の取扱いが維持されることになるでしょう。
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