論文

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- 特集これからの税務調査〜質問検査権の法理 -
納税者の権利と質問検査権の法理  
弁護士鶴見祐策  

1 税務行政における法律家の役割

課税権力と納税義務との間は相克の関係にあります。この課税庁と納税者の間で必然的に相対する利害を調整するための法律が租税法であります。課税権力からすれば、課税の正当性の法的根拠であり、納税者の立場からすると、課税の限界を画する人権保障の規定であります。現代憲法のもとでは後者の機能が重要です。

私たちは「代表なくして課税なし」「法律なくして刑罰なし」という言葉を、イギリス革命の権利請願や権利章典、アメリカのヴァージニア憲法、独立宣言、フランス革命の人権宣言など、市民社会を切り開いた歴史の教科書のなかで学ぶわけですが、これらのスローガンが各国の近代憲法のなかで罪刑法定主義や租税法律主義として位置づけられるわけです。統治者の課税権と刑罰権はワンセットでした。そして為政者の専断に対する人民の抗議と抵抗が市民革命を成就させた原動力でありました。

日本の憲法が30条と31条にこの二つの大原則を並べて掲げているのは、そのような世界の歴史的な位置づけをふまえてのことです。84条も租税法律主義を定めています。30条の「法律の定めるところ」という文言に規定の生命があります。つまり法律に明記されない限り課税されないという人民の権利を保障したものにほかなりません。

租税国家の財源である税金が、日本では国民一般から疎まれる傾向があることは否定できません。それは見返りなしの経済的な負担だということがありますが、それよりも、課税権の現実の行使が、いかにも不透明であり、不明確であり、しばしば恣意的であり、強権的かつ一方的であり、その計算や予測が困難であるところに原因があるように思われます。それらが相乗して納税者に底深い恐怖感を抱かせるのではないでしょうか。

本来、租税の領域は、純粋に法律関係として捉えられるべきです。課税庁と納税者の法的利害の透明な調整の場であるべきだと思います。不当な税務行政に抗して本来の「法の支配」を実現させる活動、税務調査の局面でも納税者の権利貫徹のために闘う法律家が求められているように思います。新しい制度の導入で税理士にも法廷活動の分野が拓けたことは、その見地から歓迎すべきことといわねばなりません。納税者の権利擁護の立場から、租税分野における弁護士としての活躍が期待されるゆえんです。

2 申告納税方式と税務調査による補完

国税通則法は、所得税は「暦年終了の時」、法人税は「事業年度の終了の時」納税義務が成立するものとし、納税者の申告で確定することを原則とし、その申告に誤りがあるとき例外的に税務署長の税務調査に基づく更正によって確定する方式を定めています。課税庁と納税者との直接的な接点は税務調査でしょう。権力と権利とが相克する最初の局面です。納税者の権利が試されます。税務調査は、当該職員が臨場して質問検査するのが通常でしょう。個別税法に質問検査権の根拠規定があります。所得税234条以下、法人税法143条以下、相続税法60条などです。消費税法にも62条があります。

3 質問検査権行使の要件と限界

(1)検討素材とすべき判例
法律の解釈や適用を考える場合、初めから判例に頼る姿勢はよくありません。このごろの裁判の実務では、まず判例を見つけて事実をあてはめる傾向が強まっているように思います。そのほうが楽だからでしょう。しかし疑問です。何よりも具体的な事実を直視すべきでしょう。そのうえで自ら培った見識をもとに正しいと思う結論を導きだすべきでしょう。その後で判例を参照すべきです。

それを前置きとしながら最高裁の判例から検討していきたいと思います。荒川民商広田事件と呼ばれる所得税法違反被告事件の最高裁昭和48年7月10日第3小法廷決定(判例時報708号)が質問検査権の要件について言及した唯一の判例だからです。その後の判例は全てこれに倣っていると言ってよいと思います。
(2)判例の生成過程
所得税法の質問検査権の根拠規定は234条です。これの実効性を担保する罰則として242条があります。昭和41年9月、荒川区の零細なプレス加工業者が、税務調査を理由に臨場した税務職員(特団係)に対して「すでに申告と納税は済ましている。申告のどこがおかしいか」と反問したのが、ことの始まりでした。職員は「理由を言う必要はない」と突っぱねてトラブルとなりました。税務署は公務執行妨害で告訴告発したのですが、公務執行妨害での立件は無理と判断した検察庁は、所得税法242条の質問不答弁と検査拒否で起訴したのです。こうして不答弁犯の当否が立法いらい初めて法廷で争われることになったのです。

この判例の生成過程は、その意義を正確に理解するうえで大変重要です。税務当局は、この判例を都合よく切り貼りしながら課税権力の優越と納税者軽視のイデオロギーを部内に徹底させようとするからです。

第1審の東京地裁は、広田さんの無罪を宣告しました。このとき新人会の先輩の吉田敏幸先生と田中健介先生が特別弁護人として奮闘されたことは特筆に価します。ところが、第2審の東京高裁では罰金3万円の有罪となりました。そして最高裁の上告審で棄却されるのですが、その最高裁決定が質問検査権の要件について具体的に言及した日本で最初の判例となるわけです。
(3)争われた主要な論点
争点は憲法問題など多岐にわたりますが、とりわけ納税者が「申告は済ませている」「理由を示してほしい」と言ったことが重要な意味をもちました。いわゆる「理由開示」の問題です。自主申告の税額を納付すれば納税義務はあり得ないわけで、もしまだ納税義務があると認められるというのであれば、税務署側がそれを認めるに足る相当の理由がなければならない。だからその「理由」を明らかにせよ。これが本人の要求であったわけです。それ相当な「理由」がなければ、質問検査の相手として所得税法234条1項1号が定める「納税義務がある者」にも「納税義務があると認められる者」にも自分はあたらないではないかという問題提起であったわけです。
(4)東京地裁が無罪に導いた限定解釈
東京地裁昭和44年6月25日判決(判例時報565号)は無罪を言渡しました。その理由を次のように述べました。質問不答弁や検査拒否が処罰されるためには厳格な要件を必要とすると解すべきである。なぜなら職員が必要と認めるかぎり、これに応じなければどのような場合でも1年以下の懲役、20万円以下の罰金にあたるとすれば、所得税調査という広範な国民が対象となる一般的な事項であり、公共の安全にかかわる問題でないだけに刑罰法規としてあまりにも不合理であり、憲法31条のもとに有効に存立し得ないからである。

所得税法242条8号の罪は、その質問検査に合理的な必要性が認められ、その不答弁等を処罰することが不合理といえないような特段の事情が認められる場合にのみ成立する。こう解するかぎり、憲法35条あるいは38条1項違反の問題を生じない。 弁護団が主張する憲法31条、35条、38条1項をふまえて適用違憲の形をとった判決でした。
(5)東京高裁の逆転判決と最高裁の決定
ところが控訴審の東京高裁昭和45年10月29日判決(判例時報611号)は一転して被告に罰金3万円の有罪を言渡したのです。この判決は、まさにこの時期の司法の動向を反映したものでしたが、その詳細は割愛します(先日の研修会でお話したとおりです)。そして最高裁で上告棄却となるのです。いつもの型通り弁護人の憲法違反などの主張は上告理由に当たらないというわけですが、その10項に余論(蛇足)が付記されている極めて異例の決定でした。

実はこの「蛇足」部分が判例なのです。この判示には積極と消極の両面があります。税務職員の裁量権を基本的に認めている点では不当と言うほかありませんが、その半面として権限の行使に一定の法的な限界を画した点では、現実に横行する濫用の制約に役立つ意味では肯定的に評価できるものでした。
(6)示された適法要件
すなわち質問検査権行使の適法要件を次のように示したのです。

諸般の具体的事情にかんがみ客観的に必要性があると判断される場合であること(質問検査の客観的必要性)、実施の細目はその必要性と相手方(納税者や取引先)の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまること(比較衡量)、そしてその選択が合理的であること(手法の合理性)など3つの要件を示したわけです。つまり実施の細目については当該職員の裁量を認めながらも、調査と質問検査の「客観的必要性」「私的利益との比較衡量」「選択の合理性」という3つの超えてはならない枠組(限界)を示したものでした。

税務当局の見解では、これを税務職員の裁量権を認めた判例として最大限に持ち上げがちですが、そこに示された権限行使の限界を故意に無視するのが特徴ということができます。判例の正確な分析としては、むしろ示された限界のほうが重要なのです。
(7)理由開示の必要
ところで1審判決が提起した「理由開示」については、最高裁は「調査の理由及び必要性の個別的、具体的な告知のごときも、質問検査を行ううえの法律上一律の要件ではない」と判示しました。

税務当局は、当初「理由開示」が否定されたと思って、これを歓迎したのですが、「具体的事情にかんがみ」「一律の」との表現に込められた意味を見落としていたようです。実際にはこれでは決着しなかったのです。すべての場合に必要とするわけではないが、個別事案によって「理由開示」が必要な場合があるという含みを残していたからです。この最高裁決定後の間もない例えば盛岡地裁昭和49年8月21日(刑事)判決(判例時報782号)や松山地裁昭和48年10月11日(行政)判決(シュトイエル142号)は事案によって「理由開示」の必要を認めています。その後の判例でも「調査理由」の開示の有無が税務署員の対応の適否の判断を左右するものが少なくありません。
(8)「納税義務がある者」等の意義
このほか「納税義務がある者」の意義について触れていますが、申告納税制度を前提とする限り理論上の無理があって誤りというべきでしょう。後述のとおりです。それにしても決定が「当該課税年が開始して課税の基礎となるべき収入の発生があり、これによって将来終局的に納税義務を負担するにいたるべき者」と言及していることに異様なものを覚えざるを得ません。広田事件は事後調査の事案ですから、暦年終了前における税務調査は問題にならないはずです。にもかかわらず、これに当該小法廷が異常に執着する特殊な因縁と思惑がありました(これも研修で触れたので割愛します)。
(9)調査権限の濫用抑止の効果
質問検査権の論議に決着を目指した最高裁判例ではありましたが、事態は収まらなかったのです。個別具体的な事案で枠組をめぐる新たな論争を呼ぶことになりました。この判例が今でも双方から援用され熱い論議の焦点とされる理由です。この枠組みの拡大を目指すのが納税者であり、これを狭めようとするのが課税庁と言い換えることができます(詳しくは拙稿「具体的な展開」(勁草書房「北野弘久教授古希記念論文集」をご参照ください)。

しかし、質問検査権の行使に限界を画した現実的な機能は否定できないわけです。税務行政の実務では、課税庁側に重い「桎梏」となったのは皮肉というほかありません。例えば税務当局上層部(当時東京国税局査察部長)の「荒川民商判決(注・最高裁決定)のように、客観的必要性を厳格に要求されますと、事実上調査ができなくなるということも考えられます」(増刊「ジュリスト」昭和52年1月号154頁)という発言などから窺い知ることができます。
(10)国税庁の「税務運営方針」
ともあれ強権的な税務行政に反省を迫るものでした。論議が高まるなかで国税庁も最高裁決定を受けた「税務運営方針」を作成して全職員に配布しました(「税理士界」昭和49年6月1日付)。昭和51年に一部手直しされ、それが今日も服務心得とされています。そこには「調査方法の改善」として次のように書かれています。

「税務調査は公益的必要性と、納税者の私的利益の保護との衡量において、社会通念上相当と認められる範囲内で、納税者の理解と協力を得ておこなうものであることに照らし、一般の調査においては、事前通知の励行に努め、また現況調査は必要最小限にとどめ、反面調査は客観的に見てやむを得ないと認める場合に限って行うこととする」というのです。

ただ問題なのは税務行政の現場では依然として建前に終わっていることです。これを本当に実務に根付かせ貫徹させる不断の努力と納税者の権利擁護の法制度の確立が必要だろうと思います。少なくとも不適切な質問検査をチェックするために「税務運営方針」の有効な活用を心がけたいものです。

4 税務調査権の目的と種類と構造

行政目的を達成するために国民を対象とした調査が必要な場合があり、これを行政調査と言いますが、税法の調査権は即時強制と区別して行政調査と解されています。大別して三種類に分けられます。

所得税法や法人税法など個別税法に定められている課税処分のための調査、国税徴収法による滞納処分のための調査、国税犯則取締法による犯則事件のための調査です。ほかに国税通則法97条を根拠に不服審査のための調査を挙げる見解もあります。のうち臨検、捜索、差押は裁判官の令状を得て行う強制調査ですが、それ以外は質問検査を受けるかどうかは基本的には調査対象者の意思にゆだねられているという意味で「任意調査」とされています。

ただし対象者が正当な理由なく拒否すると罰則が発動される場合があります。制裁を避けるべく質問検査に応ぜざるを得ない方向に誘導する構造となっていることから「間接強制調査」とも呼ばれるわけです。のうち質問、検査は任意調査です。間接国税に関する検査には罰則の裏付けがあります。ただし国犯法上の調査は、犯則処分や刑事訴追の告発に結びつくので行政調査と区別することが必要です。

5 課税処分のための税務調査

確定申告書に記載の課税標準(所得金額)や税額の計算が誤っていたとき、あるいは税務署長の調査したところと異なっていたときは、国税通則法24条に基づき更正されることになります(確定申告書の不提出の場合は同法25条の決定)。この場合の「調査」の方法の一つとして税務職員による質問検査権が認められています。正当な理由なく協力しない者には1年以下の懲役または20万円以下の罰金の制裁が用意されています(所得税法242条、法人税法162条)。ちなみに消費税法では10万円以下の罰金です(消費税法68条)。体刑はありません。
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