論文
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埼玉税経新人会 定期総会 記念講演
子どもの貧困から見える時代
白鳥 勲(さいたま教育文化研究所)
本稿は、平成25年7月10日、埼玉税経新人会第25回定期総会における記念講演の内容を講演者の白鳥勲氏に起稿していただいた文章です(編集部校正)。
はじめに

いつの時代も青少年は、その時代に翻弄される小舟のような存在といわれます。同時にその時代を最も強く映し出す鏡でもあります。しかし、多くの少年・少女は時代に対して自分を主張する力と表現を持っていません。

15歳でおおよそ2割の子が小学校3 4年程度の学力、3人に1人が孤立感を感じている(先進国平均は7%なのに)、不登校12万人、高校中退年間6万人、いじめ、校内暴力、自殺、子どもの貧困率15.7%、貧困の連鎖、日本の多くの子どもたちは生きづらさを感じながら日々をすごしています。

「天真爛漫にして粗野」な子どもらしい子ども期を過ごす時間と空間、関係性を奪われつつあるといわれる子どもたち。今を生きる子どもたちに共感し希望をいだくことができる社会、地域、学校、家庭をつくることが私たち大人に課せられています。
貧困と孤立の現場で

2010年の10月から中学3年生対象の「無料学習教室」で数学、理科を教えています。経済的な問題などで困難を抱える家庭の子どもたちへの学習支援で埼玉県の事業です。親や時代を選べない、次の社会を担う子どもは「社会全体で育てる」という道筋を拓ければという思いで参加しています。

県内17ヶ所、昨年は670人の生徒が来ました。「授業についていけてない」子がかなりいます。不登校の子もいます。教室に通い始めるうちに多くの生徒の表情が変わりました。やわらかくなりました。片道1時間ほどかかる子もいますが通い続ける理由は

・わからないことをわからないといってもいい場だから
・となりに教えてくれる大人や大学生(ボランティア)がいるから
・勉強ができなくても馬鹿にされない、比較されないから
・問題の意味がわかったり、解けたりするとうれしいし、少し自分が変わったと実感できるから
・仲間がいるから

そして、無料だから - という感想がほとんどです。

15歳になるまで隣に安心して「わからない」と言える大人、年長者がいなかった子どもにとって貴重な居場所 - ほのかな希望をみつけられる場のひとつになっているかもしれません。

授業についていけず、勉強嫌いになっているかもしれないから学習教室できちんと学び続けられるか不安でした。しかし、見事にその不安は子どもたちによって打ち消されました。乾いた砂地に水がしみこむように勉強を続けています。ほとんどの子は休憩をとろうともしません。子どもたちにとって学ぶことは生きることなのかもしれません。

生活保護家庭で育つ子どもたちが抱える困難とはなにかを家庭訪問と学習教室でみてきました。低い高校進学率ー平成21年度、埼玉県の中学3年生の高校等進学率98.2%に対して生活保護家庭の進学率は86.9%で10ポイントの差、全日制では25ポイントの差、そして生活保護世帯で育った子どもの4人に1人が大人になって再び生活保護をうけるという実態調査結果(道中隆 関西国際大学教授)があります。高校中退率も埼玉県全体中退率の約2倍です。

さらに「学校に行けずに閉じこもっている子ども」が多数いたこと、学習教室に来ている中学生の6人に1人(中学生一般不登校出現率の約6倍)が不登校でした。昨年度は670名ほどの中学生が学習教室に来ましたがその半数以上は小学校4年で学ぶ分数・少数計算ができませんでした。学力の「底抜け」、不登校、高校進学率の低さー人生のスタートに立つ15歳の子どもが背負う困難さの中身は重いと感じさせる現実があります。
自己責任ですまされない現実

小学校1年の時に親は離婚、母親は2カ所でパートしていて帰宅しても親は仕事で家にいないことが多く、小2の時から1人で夕ご飯を食べ、18歳でシングルマザーになった姉の子どもの世話をしながら夜をすごしてきた女子生徒がいました。授業でわからないことがあっても教えてくれる人はいない、連絡帳をみて明日のための準備を手伝ってくれる人がいない生活を小2から続けてきました。

10歳に満たない年で、大人がいない夜をすごすのはつらかったと言います。小学校4年から授業はほとんどわからなくなりました。中1の時、さびしさを紛らわすために同じような境遇の遊び仲間に加わるようになり、夜遊びを覚え、授業をさぼり、昼夜逆転の生活に入り込みました。心優しく、思いやりのある子です。ポツリポツリと話す彼女が過ごしてきた幼児期から15歳までの生育歴を聞くと勉強のできなさを彼女の「努力不足」ときめつけることはできません。勉強をしなければと思っても何から始めたらいいか、「わからないことがなにかもわからない」といいます。

出口が見えないで立ちすくむ親子にとって我々の家庭訪問とその中での会話 - 共感と励まし、そして学習教室での個別指導は「暗闇の中の明かり」だったと話してくれました。貧困と孤立に悩む生活保護家庭に何より必要なのは周りからの支え - 「家の中に外からの風が入る」ことであることを学んだ3年間でした。
大人社会の崩れ

大人が崩れる前に崩れる子どもはいないといわれます。子どもたちの生きづらさの前に大人社会の大きな変動がありました。2000年以降急速に進んだ新自由主義政策にもとづく構造改革によってもたらされた市場原理、競争原理に基づく社会システムの改変です。

国が企業の競争を組織し、企業は社員間の競争を組織し、教育分野では学校・教職員が子どもの競争を組織する。トップがきめたスタンダード目標の達成度によって情け容赦なく評価され、優勝劣敗が決まるという冷たいシステムです。「支えあい」が敵視されるシステムです。
その結果どのような現実がつくられたでしょうか。

・貧困率16%、年収200万円以下の層が1000万人超え
・5100万人のうち2100万人が非正規労働、若者の2人に1人が非正規労働者
・生活保護受給者が戦後最高の215万人
・貯蓄ゼロ世帯 80年代5%、90年代10%、2010年 33%
・世界で突出した「自殺」数、自殺率ー年間自殺者数が13年連続で3万人超え
・教育費の自己負担率が先進国でもっとも高い国
・GDP 教育費比率 OECD28国中27位
・1998年2008年間で従業員賃金は94.8%に低下
一方で企業利益は2倍、役員報酬は1.5倍、株主配当は4倍
・原発安全神話の形成と破綻ー大震災と原発被害

20年に及ぶ新自由主義の「改革」は過剰な貧困と過剰な豊かさをつくりだしました。その荒波をかぶったのは「労働者派遣法」(1999年)、リーマンショックなどでリストラされ、賃金切り捨てで生活苦に陥った親たちでした。親たちは日々の生活に追われ、自己責任の呪縛で労働者として、人間としての誇りを奪われました。

子どもを愛し、子どもを支えたいと願っても経済的、精神的余裕を失い「子どもを心配する心が折れる」親が増え続けています。経済的に余裕がある家庭でも子どもと自分自身の将来への不安から子どもにプレッシャーをかけ続ける親が増えています。成果目標の達成を迫られている教職員も子どもに「いっそうのがんばり」を要求します。
新たな世界をひらく学習教室

厳しい環境の中でも大人たちの温かい支え、励ましがあれば子どもたちは本来持っている潜在能力を引き出すー劇的ともいえるほど変わる例を数多く見てきました。学習教室の「第1期生」はこの4月に高校3年生になりました。そのうちの一人は中学時代に2年間家に引きこもっていたが家庭訪問を重ねて学習教室に参加するようになり、工業高校に進学しました。彼が学んでいる高校の教員から時々、高校生活の様子を聞きますが勉強、部活動でクラスのリーダー的存在として活躍しているとのこと。就職も内定しました。

2年半前の彼の状況と比較するとその激変ぶりに驚かされました。最初の家庭訪問でわれわれの声掛けに全く答えてくれず、話ができたのは4回目の訪問の時。学習教室の誘いにウンとうなずいてくれたのは6回目の訪問。その彼が今は高校で「希望の星」とまで言われているのです。

高校生になった彼と何度か話をしました。「先生方が家にまで来てくれて、いろいろ教えてくれなかったなら今でも家に閉じこもっていたかもしれない」「中学の時、学校に行けなくなったのは宿題が出せなかったのと教材費が払えなかったのがきっかけ」「ときどき料金が払えなくてガス、電気を止められるのがいちばんつらかった、クラスの人たちとは違う世界に住んでいるようだった」

病気がちで失職した母親と二人だけの生活、学習教室で学んで高校に行けるようになって、なによりうれしいのは孤独感がなくなったことだといいます。彼らは成長、変化が激しい年代です。子どもは誰でも変わる、長い教師生活の実感からいうと「化ける」時期です。変わるには大きなエネルギーがいるし、変わり方、成長・発達の仕方はどのような環境で育つかによります。彼らの中にある潜在能力を引き出すのは親やまわりの大人たちの「暖かい」まなざしと困難さを和らげる具体的な援助だと思います。

15歳で迎える高校入試は彼らにとっては「ハードル」をこえる試練のとき。彼らが飛躍するにはきちんとした助走路が必要、ぬかるんでいる助走路を放置したままでは希望は生まれません。

子どもたちが持っている潜在能力を発揮させない社会、政治の貧困が子どもたちの未来と希望を奪ってゆくといえます。貧困は親や子どもの中にあるのではなく、冷たいとしか言いようのないこの10数年で人為的につくられた社会構造にあることを現場で実感しました。
今を生きる子どもたちに共感と希望を

貧困化の荒波にもまれながらも子どもたちは健気に必死で生きています。多くの若者たちは明日のことしか考えられない、未来をえがけない不安の中でも「今」を生きています。

彼らは何を求めているのでしょうか。

社会からの大人からのあたたかい眼差しです。身近に自分のことを本気で心配している大人がいることがどれだけ彼らをはげますことか。マクロな次元でいえば次の社会を担い、親や時代を選べない子どもの教育は社会で担うという共同の意志を形成することです。生まれてから独り立ちするまで基本的には公教育の学費は無償化すること、それなくして貧困の連鎖はとめられません。
一人ひとりの潜在能力を発揮させるための学びの機会、環境を整えることです。授業で分からなくなったら分からないと言える環境と分かるためのステップを切り刻むスタッフの充実です。鍵は少人数学級と「テストによる競争に勝つための学習」をやめることです。

子どもたちから奪われつつある「子ども時代に経験すべき遊び」仲間づくりの体験を豊かにする環境と機会をつくることです。

信頼できる大人、真似したいと思う大人の存在です。生徒達は今の社会の理不尽さを肌身で感じています。その理不尽さをただすために行動する大人がいることが彼らの希望ともなります。

彼らの願いを少しでもかなえるには、トータルとして働く人たちの貧困をなくすことが前提となります。20年間で10%以上も奪われた賃金をとりかえすことです。若者の2人に1人が非正規という働き方をなくすことです。企業にひたすら奉仕し、過労死寸前まで働き、効率よく仕事ができるスキルをもつ者だけが正社員として生きることを許される異常な労働市場をかえることです。

現在の「貧困と格差」の広がりは「新自由主義」- 競争と市場原理、効率と利益優先 - 政策によって人為的につくられたものといえます。人間によって作られた社会は人間によって変えられないはずはありません。大人たちの協同で「今を生きる子どもたちに共感と希望を」をもたせる取り組みを広げることが求められています。
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