論文

> 国税庁長官がつくる「納税者権利憲章」は「課税庁の権利憲章」
国税通則法制定時の大蔵官僚の本音
『昭和税制の回顧と展望』に見る大蔵OB の発言から
東京会 関本 秀治

1962年に制定された国税通則法の立法の経緯については、既に、本誌2月号(586号)でかなり詳しく述べておきましたので、読者の皆さんには蛇足になるかもしれませんが、大蔵省OBの座談会の記録の中に、彼等の思惑を明らさまに語っているものがありましたので、政府の意図を記録に残す意味で以下に紹介しておきたいと思います。

その文書は、大蔵財務協会の『昭和税制の回顧と展望』です。
1962年7月5日発表された国税通則法の制定についての政府税調答申には、586号で述べたように、次の5項目が含まれていました。

  実質課税の原則、租税回避の禁止及び行為計算の否認に関する宣言規定
  一般的な記帳義務に関する規定
  質問検査権に関する統合的規定及び特定職業人の守秘義務と質問検査権との関係規定
  資料提出義務違反に対する過怠税の規定
  無申告脱税犯に関する改正規定

これらは、もし立法されたならば、納税者の権利を著しく侵害する危険なものでしたが、税調答申が発表される前から、税調審議の内容が新聞等で報道されていたため、学会や業者団体、納税者団体等から激しい批判が挙がりました。また、わが税経新人会もその立法化の危険を指摘し、反対運動の先頭に立って講師活動など重要な役割を果たしました。

その通則法制定についての当時の大蔵官僚の認識を当時の主税局総務課長だった吉国二郎氏は次のように述べています。
 吉国(当時大蔵省主税局総務課長、後に主税局長、国税庁長官等を経て大蔵事務次官)

通則法をつくりましたとき、私は最後の段階ですが、総務課長(昭和36年〔1961年〕7月昭和38年〔1963年〕5月)で参加していたのです。そのときに非常に問題になりましたのは、通則法の中にいろんな厳しい規定が最初入っていたのです(これは答申のことを指す  関本注)。たとえば守秘義務解除の問題であるとか、記帳義務の問題とかいろいろ入っていたのです。ところが、そんなものをいれたら、とうてい通りっこないという話になりました。

そこで、それを落として通すか、あるいはもう断念するかということで、大分、主税局の中で問題になったのです。

しかし、結局、大筋をつくって国税通則法というものはやっぱり定めておかなきゃなるまいというので、そのときに問題になった部分を全部落としたのです。それが、いま所得税の問題としても、今後、消費税にも出てくるかもしれませんが、記帳義務の問題、それから守秘義務を解除させる問題、こういう問題が将来やっぱり問題になるのじゃないかという感じがするのです。

一方において、申告納税制度(申告によって納税者が納付すべき税額を確定する建前になっている  関本加筆)……税務署がそれに対して最終的に更正決定をする権限を持っている。その権限を補充するような手段が非常に少ないということですね。それがいまいろんなところで障害になっているのじゃないかと思うわけです。……もう少し税務署側に手段があってしかるべきではないか……だんだんと権利義務の意識が非常に強くなってきますと、調査そのものについても非常な妨害とか反対が起きてくる。それを排除するような法律的基礎が、実をいうと、通則法にあってしかるべきだと思うのですけれども、これがない。将来の問題として……再検討する必要があるのじゃないか……(『昭和税制の回顧と展望』下巻、大蔵財務協会〔1979年(昭和54年)8月15日〕154 5頁)
国税通則法制定時に、国民の反対で立法できなかった記帳義務の問題は、1980年(昭和54年)の「申告納税制度の見直し」に伴う所得税法の「改正」(所得年300万円超の事業所得者に対する記帳義務の創設、所得税法231条の2)、消費税の導入と同法の「改正」による仕入税額控除の要件の強化などによって実質的には達成されたように思われますが、その他の「積み残し」の課題は、今回の通則法の「改正」に期待がかけられていました。
このことは、同書の植松守雄氏(通則法制定当時は、主税局臨時税法整備室長)の次の発言で明らかです。
 植松(当時大蔵省主税局臨時税法整備室長、後に、大蔵省大臣官房審議官)

通則法は、最初吉国さんが言われたように、初めは経済的観察法とか記帳義務というような規定をいれようとしたのですけれども、それは各方面の反対が強く、国会に出す前の法案の段階で落としちゃったのです。ただ、われわれとしては最後まで置きたかった規定が一つあったわけです。それは、……例の人格なき社団に対する罰則の適用の問題があって、所得税法と法人税法はすでに昭和32年〔1957年〕に両罰規定の中に人格なき社団を含むというのが入れてあったわけです。ところが、間接税は税法の数が多いものですから、いちいち入れきれなかったわけです。……そこで、税法改正としてはちょうど通則法が最後のチャンスで、通則法でおよそ税法の適用にかんしては人格なき社団を法人とみなすという規定をいれようとしたわけです。ところが通則法の国会審議が難航し、ほかの税法では通則法に統合した規定を削除した形ですでに成立したのに、通則法の審議だけ4月7日(実際には4月2日  関本注)ぐらいまで残っちゃったのです。そうしたら、税法の更正決定だとか徴収に関する規定がブランクになってしまい、それで人格なき社団の改正規定を落とすように圧力がかけられ、最後に泣く泣くその通則法の規定を議員修正の形で落としたわけです。それで、結局、今日のように税法の適用に関してではなく、ただ通則法の適用に関しては人格なき社団を法人とみなすというあまり意味のない規定に換骨奪胎されてしまった。そういう経緯がありました(前掲書156頁 7頁)。
この発言で明らかなことは、通則法の制定で最も重要な狙いの一つが、一般法として税法のすべての分野で「人格のない社団」等を法人とみなして、所得税法や法人税法だけでなく、「労音」事件(労音とは、労働者音楽協議会の略称で、会員が共同でコンサートなどを開催するという形態をとっていたため、入場税をかけられなかったという事件で、後に入場税〔その後消費税法の制定時に廃止された。〕の「改正」によって対処した。)などに対応するため、すべての税法について人格のない社団等を法人とみなして課税したり処罰したりすることにあったことが証明されたことになります。

当時、国会審議で通則法第3条を修正して、人格のない社団等については、通則法の上でだけ法人とみなすこととしたことの意義は非常に大きかったといえます。労働組合までが通則法制定反対運動に立ち上がった理由は主としてこの点にあったことが理解できます。

労働組合の大部分、各税の運動団体、任意に設立された文化団体や親善団体などはいずれも人格のない社団等に含まれますから、質問検査権が通則法に統合的に規定されたことの意義は測り知れないものがあります。

もし、国税通則法が治安立法的に運用されるとしたら、国民的な諸運動を展開している全国規模の中央団体を含めて、その下部組織や自主的な地域の運動団体も、通則法による調査権によってその活動に干渉されかねない状況が生れることも予想されます。

通則法「改正」問題を改めて考え直してみることが必要であると考えます。

(せきもと・ひではる)


▲上に戻る