論文

> 2011年度税制改正大綱の検討、その問題点
納税者権利憲章と国税通則法
- 憲章制定は税務行政の便宜のためであってはならない -
東京会 関本 秀治

1.1962年(昭和37年)「国税通則法」制定の意義

政府税調は、1961年(昭和36年)7月、「国税通則法制定に関する答申」をだしました。それは、それまで個別税法に規定されていた共通的な事項を、一つの法律としてまとめ、納税者に分かりやすいものにするという説明でしたが、その中身は、「実質課税の原則」(税務署が実態として認めたところで課税できるようにする規定)、「一般的な記帳義務」、「質問検査権の一般的規定と特定職業人(弁護士、税理士、医師など)の守秘義務を税務調査については認めないこととする規定」、「資料提出義務違反に対する罰則規定の創設」など、強権的な税務行政を推進する国民の基本的人権に関わる重要な問題を含むものでした。

そのため、答申が発表されるや否や全商連をはじめとする業者団体、日本税法学会などの学者や研究者、税経新人会などの職業専門家、弁護士などの法曹界からも強い反対意見が出されただけでなく、通則法の制定に反対する国民的な運動が急速に盛り上がりました。

このような反対世論の高まりによって、答申どおりの法案を提出したならばその成立も危ぶまれる情勢となりました。

そこで、法案の作成に当たっていた大蔵省主税局は、通則法を何としても成立させることと、盛り上がっている反対世論を分断させることを狙って、答申の中の次の5項目の立法を断念し、それを除いたところで法案を作ることにしました。

実質課税の原則、租税回避の禁止に関する規定及び行為計算の否認に関する宣言規定
 (いずれも税法の恣意的な解釈や適用を広く課税庁に認めるもの)

一般的な記帳義務に関する規定

質問検査に関する統合的規定及び特定職業人の守秘義務と質問検査権との関係規定

資料提出義務違反に対する過怠税の規定

無申告脱税犯に関する改正規定

この主税局声明によって、官製業者団体等は、「通則法の危険性は無くなった」として反対運動から脱落していきましたが、逆に、法案が発表されると、「人格のない社団等」(労働組合の大部分がそれに当たる)と関連して、総評を中心とした労働組合、税経新人会、日本民主法律家協会、日本社会党、日本共産党、全国税労働組合など19団体が、「国税通則法反対東京連絡会」を結成し、全国に反対運動を呼びかけました。その結果、反対運動への協賛団体は33団体にのぼり、1962年(昭和37年)2月26日には全国から8,000人を超える業者、労働者、職業専門家などが東京に結集し、文京公会堂、共立講堂の2会場で大会を開催し、代表266人の大陳情団が首相官邸、国税庁など13カ所に反対陳情しました。国会では、このような反対運動の盛り上がりの中で白熱した議論が行われ、「人格のない社団」についての規定が一部修正されたうえで、衆参両院で可決成立しました。審議が紛糾したため、1962年(昭和37年)4月2日の成立で、施行日はその前日の4月1日という異例の法律となりました。

この通則法の成立過程は、当時の大蔵省や国税庁にとっては、いわば屈辱的な敗北であり、彼らは虎視眈々として反撃の機会を伺っていたといえます。
2.民商や全国税に対する報復的な大弾圧

通則法の成立に最も強く反対し、その運動の中心的な担い手だったのが、民間では全商連・民商であり、国税当局の内部では全国税労働組合でした。

通則法が、大蔵(財務)官僚の意に反して、いわば満身創痍の形で成立した翌年から彼らはなりふりかまわぬ反撃を開始しました。それが民商・全商連会員に対する税務調査を口実とした組織破壊攻撃です。中野民商事件、川崎民商事件、荒川民商事件などは、裁判闘争にまで発展した主要な事件です。いずれも、税務調査を妨害したという公務執行妨害罪や税務調査に対する不答弁、虚偽答弁などを理由とした所得税法違反の刑事事件として民商事務局員や納税者本人の逮捕拘束などを伴う過酷な弾圧事件でした。

これに対して、民商・全商連は、組織を挙げて反撃に立ち上がり、逆に、憲法が保障する「結社の自由」に対する国家権力による侵害であるとして国家賠償を求める訴えを提起するなどの闘いを組織して反撃しました。もちろん、民商・全商連にとっては、初めての組織的な弾圧であり、会員が激減するなどの損害も発生しましたが、粘り強い運動によって組織を拡大強化したほか、徴税権力に対する闘いについて理論的にも組織的にも質的な飛躍を遂げる契機になったことは間違いありません。

全国税の労働者についても同様なことがいえます。国税当局は、全国税の組合員に対して個別的な攻撃を加え、組合からの脱退を強要するほか、第二組合を作り、そちらへの鞍替えを積極的に奨め、全国税の組合員の昇給や昇格を差別するなどの違法行為によって組合つぶしに躍起となりました。しかし、全国税の労働者はその陣地を守り、敢然として闘い抜き、現在も国税労働者から厚い信頼が寄せられています。

これらの闘いを通じて、納税者の権利を守る闘いの重要性が認識され、法廷闘争における成果なども吸収しつつ、質問検査権についての理論も急速に深められました。

質問検査権についての最高裁の最終的な判断は、荒川民商の広田事件(所得税法違反事件)についての73年(昭和48年)7月10日付の決定で、広田さんの上告を棄却する不当なものではありますが、その中で、最高裁でさえも質問検査権の行使について次のような一定の枠がはめられるものであることを判示した点で、その後の税務調査について少なからず影響を及ぼしているといえます。
「所得税法234条1項の規定は、・・・調査権限を有する職員において、当該調査の目的、調査すべき事項、申請・申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情に鑑み、客観的な必要性があると判断される場合には、前記職権調査の一方法として、同条1項各号規定の者に対し質問し、またはその事業に関する帳簿、書類その他当該調査事項に関連性を有する物件の検査を行なう権限を認めた趣旨であって、この場合の質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、右にいう質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解すべく、・・・また、暦年終了前または確定申告期限経過前といえども質問検査が法律上許されないものではなく、実施の日時場所の事前通知、調査の理由および必要性の個別的、具体的な告知のごときも、質問検査を行なううえの法律上一律の要件とされているものではない。」(北野弘久編『質問検査権の法理』成文堂531頁)
3.国税不服審判所創設を含む通則法「改正」

シャウプ勧告に基づいて創設された国税についての不服申立てを審査するための協議団制度(国税局長の諮問機関)が、「同じ穴のムジナ」であるという批判を受け、国税についての不服審査制度の「抜本的見直し」が行われることになりました。それは、税調の68年(昭和43年)6月の「税制簡素化についての第三次答申」によるものですが、国会提出後2回にわたり継続審査となり、70年(昭和45年)3月にようやく成立、同年5月に審判所は発足しました。

この時の通則法「改正」で、今回の「納税環境の整備」との関係で注目しておきたいのは、審判官の調査権限の中に、初めて、「納税者に帳簿書類を提出させ、これを『留め置く権限』(領置権)」を規定したことです。もっとも、この領置権に応じないことに対する罰則規定はなく、それに関連した納税者の主張を認めないという不利益を負わせただけにとどまっていました。

この時の通則法「改正」には、そのほかにも多くの問題点があり、全商連・民商や税経新人会は、この「改正」が納税者の権利利益を守ることに役立たないと判断して、反対の立場で運動をしました。その理由の一つが、審判官の権限強化が、権利救済のためのものではなく、審判所が、原処分の理由を補強するために利用される危険があるという点にありました。

この危惧は、その後の審判所の運営の実態を通じて明らかになり、権利救済機関としての役割を十分果たせないまま今日に至っています。
4.一般消費税の失敗と税理士法「改正」

昭和50年代前半(70年代後半)は、オイルショックに伴う深刻な不況の影響で、戦後はじめて税収が対前年比で落ち込み、財政危機が表面化した時期でした。政府は、この財政危機打開のため、EC型の付加価値税にならった一般消費税の導入を計画しました。

78年(昭和53年)12月の税調答申は、「一般消費税大綱」を示して、80年(昭和55年)年度からの導入を求めました。時の大平内閣総理大臣は、国会における不信任案の可決を受けて総選挙に突入し、税調提案の「一般消費税」導入を公約に掲げて闘いましたが、78年(昭和53年)中からの税調審議における一般消費税導入の議論を受けて、反対運動は、既に全国津々浦々に広がっており、首相は直前になって一般消費税の公約を取り下げましたが、自民党は、はじめて衆議院における過半数割れの大敗北を喫しました。

この自民党の大敗北により、一般消費税導入の目論見は消え、その後の国会において「一般消費税によらない財政再建」が決議されるなど、この段階で大型間接税導入の路線はいったん見送られることになります。

「一般消費税」導入の挫折との関係で述べておきますと、EC型付加価値税にしろ、そのほかの形態の大型間接税にしろ、売上げや仕入れなどの外形標準による課税とならざるを得ないので、事業者に記帳義務を負わせることが前提条件となります。

わが国では、青色申告制度の普及など、先進国の中では記帳慣行はかなり進んでいる方ですが、一般的な記帳義務となると、国税通則法の制定時の失敗以来、いわばタブーとされてきました。しかし、一般消費税導入には一般的な記帳義務の導入は避けて通れない前提条件です。そこで、当時の大蔵官僚が考えたのは、ほとんどの納税者に関与している税理士を、この税制の導入に利用しようということでした。一般消費税の導入と、税理士制度の下請化は、大蔵官僚にとっては車の両輪だったわけです。この両方は、セットとして、当時の大蔵省審議官だった福田幸弘氏が担当しました。

税理士側の事情としては、64年(昭和39年)の税理士法の改悪法案を反対運動で廃案に追い込んだ後、自分たちの自主的な運動で税理士法を納税者の権利擁護のための制度として確立したいという意識と運動が高まり、国会議員や国税当局へ絶えず要望を提出していました。

大蔵省は、税理士界のこの要望を完全に無視し続けてきましたが、一般消費税構想が浮上したとたん、この要望を利用して、税理士法「改正」に前向きに取り組むかのような態度を示しました。もちろん、それまでに、彼等は周到な準備をしていました。それは、露骨な税理士会の役員選挙への権力的な介入によって、国税当局に協力的な組織に改変することです。具体的には納税者の権利を守る立場を堅持してきた東京税理士会を、日本税理士会連合会(日税連)会長から排除することでした。

この日税連の変質に成功するや、国税当局は、日税連が長年の民主的討論を重ねて決定した「税理士法改正基本要綱」の効力停止を決議させ、税理士法の中に、税理士の国税当局への下請化を合法化する「税務援助」(経済的理由で税理士に依頼できない小規模納税者に対して低料金で税理士業務を提供させる仕組み)の規定を盛り込む「要望書」を提出させ、関係国会議員に対する政治献金の提供まで指示して、税理士業界の要望に基づく「改正」であるかのような法「改正」を実現しました。これが、「法律を金で買う税理士業界」というスキャンダル事件です。

「一般消費税」は、国民的な大反対運動でいったん潰えましたが、税理士法の方は業界の要望という形で「改正」され、それ以来、税理士制度の国税庁の下請機関化は年を追う毎に強化され、現在では、税理士会は、国税当局との「請負契約書」によって小規模納税者の確定申告業務の下請作業をやらされています。これは、請負契約ですから、税理士会およびそれに従事させられる税理士は、当局の意に逆った判断や書類の作成は許されません。そんなことをしたら契約違反で損害賠償を求められることになります。

これが、80年(昭和55年)「改正」税理士法の本質です。
5.申告納税制度の「見直し」

一般消費税構想が潰えて、増税による財政再建は断念せざるを得ないことになりますが、こういう情勢の中で、国民の要求(減税による生活防衛)の矛先をかわし、財界の要望にも沿う方策として登場するのが、「財政支出の削減による財政再建」路線です。

赤字国債や建設国債の乱発によるゼネコン中心の公共投資や大企業中心の補助金、助成金の支出、研究開発減税や大資産家優遇の分離課税などを見直して財政支出を削減するとともに不公平な税制をただすことにより財政の健全化をはかろうという方向自体は正しいものですが、実際にその中身はどうなのかが問題です。国民は、本当の意味での民主的な税制や財政支出の削減、行政改革に希望を託しました。

このような国民的要望を担って第二臨調が発足した筈です。そのスローガンは、「増税なき財政再建」でしたが、81年(昭和56年)3月に発足した土光第二臨調は、その基本方針を、「大企業、大資産家の負担によらない財政再建」におきました。現在、強力に推進されている社会保障費や教育・文化予算の削減、軍事費の聖域化は、その基本思想を土光臨調から受け継いでいるといえます。第二臨調が示す「増税なき財政再建」が大衆課税(一般消費税)による財政再建とどこが異なるかいえば、それは税金という形で勤労国民から収奪するか、社会保障費や教育費の負担増という形で収奪するかの違いだけで、勤労国民の負担による財政再建路線である点では全く変わりがありませんでした。

それだけではなく、勤労国民に対する増税 の準備は着々と進めてきました。土光臨調の発足とほぼ時を同じくして、国税当局は労働者と中小事業者、医師や弁護士などとの間では所得の捕捉率に大きな違いがあるという「クロヨン」宣伝を系統的に展開しました。

このような宣伝は、税負担の本当の不公平が、大企業や大資産家と勤労者国民との間にあるという真実を蔽い隠し、納税者を分断しようとすることに目的があります。「増税なき財政再建」と言いながら、勤労者国民への実質的な増税のための準備は着々と進められてきました。その具体的な動きが「申告納税制度の見直し」です。

大蔵省主税局は、私的諮問機関として「申告納税制度研究会」(81年11月)を設け、そこに次のような試案を示しました。

(1)記帳義務制度
 イ 法人および一定水準以上の個人に記帳義務を課する。
 ロ 本人の記帳で所得把握困難な者については推計課税できることを明記する。
 ハ 青色申告制度を維持するため白色申告者との間に差を設ける。
(2)税務調査
 イ 弁護士、医師ら特定職業人の守秘義務と質問検査権の調整
 ロ 資料提出義務違反について罰則のほか過怠税を創設する。
 ハ 官公庁の税務調査への協力を法定する。
(3)納税環境整備の検討
 イ 申告納税に必要な資料の保存と記帳水準の向上の方策を検討し、公平な所得課税を実現する。
 ロ 脱税の場合の追徴期間を延長する。
(4)税負担の公平確保
 税負担の公平確保のため制度面、執行面での改善を図る。

この主税局試案は、結局、文書として公表されませんでしたが、ここに掲げられている事項は、いずれも62年(昭和37年)の通則法制定の際に、納税者や学界の反対にあって立法化を断念したものばかりです。それが、当時20年の歳月を経て再び浮上していることに税務官僚がこれらの立法化をいかに熱望していたかが知れます。

それから30年を経て、それらの事項が三たび「納税環境整備」の名のもとに通則法「改正」案として登場したことになります。それは、2002年(平成14年)に民主党が中心となって日本共産党、社民党と共同提案した納税者権利憲章の立法化を内容とする国税通則法改正案とは似ても似つかない内容を含んだものとなっています。この大綱を見るかぎり、民主党政権は財務官僚の野望を実現する走狗になり下ったといってもそれほど的はずれではないでしょう。

政府の「申告納税制度見直し」の84年(昭和59年)度税制「改正」案は同年3月31日成立しましたが、全商連や納税者団体、税経新人会などの職業専門家等の反対運動によって、政府が当初予定していた記帳義務、記録保存義務、総収入金額報告制度などについての罰則を断念させ、これらを単なる訓示規定にとどまらせたほか、官公署の税務調査協力義務についても公務員の守秘義務を超えない内容にとどまらせるなどの成果をあげ、大蔵官僚の当初の目論見を大きく後退させることができました。
6.消費税の導入に伴う記帳義務の強化

中曽根売上税は失敗しましたが、竹下内閣の下で消費税が導入されました。
消費税は最初から記帳義務と一体化された制度として発足しました。それは「帳簿方式」という形態を採用したからです。売上高にかかった消費税から仕入高にかかった消費税を計算するためには、記帳なしにはできません。導入当初、記帳または仕入伝票等の保存がない場合は、仕入税額控除を認めないという消費税法30条の7項の規定は、記帳や伝票の保存がなければ、売上高にいきなり税率を掛けて消費税を課税するという無謀な課税処分を乱発される危険があることを警告すると、大蔵省主税局の役人は、「付加価値税の性格上そのような無茶な運用をする筈はない」と経済誌の上で反論しました。

しかし、これは決して杞憂ではありませんでした。税務調査にあたって事前通知や調査理由の開示を求めると、「所得の確認のため」とか「課税売上高の確認のため」とだけ言って、それ以上納税者を納得させるような理由を何一つとして示すことなく、いきなり反面調査を行って課税売上高を推計し、これに税率を掛けて消費税の課税をするという乱暴な処分が横行するようになりました。

それだけではなく、限界控除制度が廃止され、当初は簡易課税の上限が5億円でしたが、それが5,000万円に引き下げられ、売上高の記帳だけで納付すべき消費税額を計算できる事業者の範囲が極端に狭められ、不当な課税処分を受けないためには、本則課税に備えて厳格な記帳をしなければならない制度が、消費税の導入によって事実上強制されることになりました。

これは、「納税環境の整備」を持ち出すことなく、ほとんどの納税者に対して事実上記帳義務を強制するもので、免税点の3,000万円から1,000万円への引き下げなどによって、所得税の納税義務のない事業者に対しても、容赦なく消費税の記帳義務、納税義務を強制するものとなっています。

「納税環境の整備」として周到に準備されてきた納税者に対する一般的な記帳義務は消費税の導入によって、いわば副次的に強制されることになった事実をここでは確認しておくことが必要です。
7.納税者権利憲章は「納税環境の整備」ではない

「納税環境整備」の本来の意味するところは、真に公平な税制を確立するとともに無駄な歳出をなくして国民の平和と健康、福祉の充実のために適正に税金を使う環境を整えて、納税者が進んで適正な納税申告を行える環境を整えることにあるというべきです。

ところが、政府が、現在、「納税環境整備」として羅列しているものは、主として徴税権力が、納税者から税金をとりたてやすくするための施策実現のためのものといえます。これは、納税者の権利憲章などといえるしろものではなく、「徴税環境整備」というべきものです。別の表現をすれば、徴税権限強化規定の創設といってよいでしょう。

このような視点から「大綱」を検討すれば次のようにいえます。
まず、納税者権利憲章を、納税者の義務規定ないしは税務職員の権限規定から完全に切り放すことが必要です。そのうえで納税者の権利保障の規定には一切の留保(例外)を認めないものとすべきです。

そもそも、納税者権利憲章とは、もともと日本国憲法によって保障されている国民の基本的人権を税務行政の面で念のため具体的かつ明確に定めるものでなければなりません。

日本国憲法が保障する国民の基本的人権は「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられ」(11条)ているものであり、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(12条)ほか、「国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負」っています(同条後段)。

また、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要」(13条)とされています。

「本章〔日本国憲法第三章〕の規定を一見すれば明らかであるように、各種の権利自由の多くが法律を以てしても侵すことのできない天賦固有且つ永久不可侵の権利」(法学協会『注解日本国憲法』上巻289頁、有斐閣)であることが通説として広く認められています。憲法の保障する基本的人権の中で、「公共の福祉」などによって制限できるとされるのは、「職業選択の自由」等を定めた22条と財産権を保障した29条だけで、その他のどの自由や人権についても一切、法律の留保(法律によって制限すること)は認められていません。税務行政の分野において、これら最高法規である憲法によって無条件で認められている基本的人権がほんの少しであっても侵害されてよい筈はありません。

この基本的な観点をしっかりと確認しておくことが、何にも増して必要なことです。

2002年(平成14年)に、TCフォーラムなど納税者団体の度重なる要望を受けて、民主党が中心となって取りまとめ、共産党や社民党と共同提案された「税務行政における国民の権利利益の保護に資するための国税通則法の一部を改正する法律案」は、右の憲法上の要請に反するような内容は全く含まれていません。まさに、憲法に保障された国民の基本的人権を、税務行政の分野においても守らせようとする内容を、質問検査権の行使における事前通知や理由開示、調査結果に関する情報の提供などの各過程での手続を明記することによって確立することを目的としていました。特に、「国民が納税に関して行った手続は誠実に行われたものとして尊重することを旨としなければならない」という規定を税務運営の基本理念として明記することによって、国民主権主義の憲法理念を税務行政の分野でより徹底させる内容を持っていたことを強調しなければなりません。

これに対して、「大綱」に示された「納税者権利憲章」のくだりは、「権利憲章」を「納税環境整備」の一部に矮小化しているだけでなく、調査の事前通知の適用除外規定、修正申告の勧奨に名をかりた「強要」の認容、これまでは調査権に含まれていなかった「帳簿書類その他の物件の提示と預り(領置権)」規定の創設、理由付記の差別的取扱い、記帳義務の拡大、罰則の強化、「無申告脱税犯」規定の創設、官公署等の税務調査への協力義務の統合的規定の創設など、いずれも62年(昭和37年)の国税通則法制定の際に、納税者や学界、実務界の強い反対で立法できなかった、いわば積み残し部分です。それを、「納税者権利憲章」という隠れ蓑を使って一挙に立法しようという財務官僚、国税当局の野望が露骨に示されたものとなっています。

納税者権利憲章を制定しているどの先進国の例をみても、憲章の中に納税者の義務規定を定めたものはありません。それは権利憲章の性格上当然のことだからです。

そもそも、国家権力は、法律によってその行動を厳格に規制しないと国民に対してどのような権利侵害をするかわからないので、これを制限することを目的としたのが「法の支配」とか「法律による行政の原則」(法治主義)の考え方です。納税者権利憲章を論じる場合に、この大原則を決して忘れてはなりません。

右のような内容を含んだ国税通則法改悪は、これまで自・公政権でさえ行い得なかったものです。それを、民主党政権は、各個別税法における大企業・大資産家優遇、大衆課税の強化の税制「改革」とあわせて、「政治主導」を口実として強行しようとするものです。
私たちは、このような暴挙を断じて許すことはできません。

(せきもと・ひではる)

(筆者注)
本稿は、今年1月5日、全国商工団体連合会(全商連)事務局の学習会で行った納税者権利憲章の制定を含む国税通則法「改正」問題についての報告です。税経新人会としても、昨年のうちに、東京会、全国協議会ともに内閣総理大臣宛に意見書を提出していますが、税理士業界の対応としては、日税連、東京会ともに業界の長年の要望が実現することになるという理由で、法案の成立を推進する方向で動いています。

全商連としては、既に、納税者権利憲章の制定を含む国税通則法の「改正」に反対する意見を表明するとともに、反対運動に起ち上がっています。税経新人会としても単なる意見表明だけに終ってしまってはいけないと考えます。

法律案は、まだ発表されていませんが、従来の各年度の税制「改正」については、「国税通則法等の一部を改正する法律案」として、第1条通則法の「改正」、第2条所得税法の「改正」、第3条法人税法の「改正」、第4条相続税法の「改正」というふうに1本の法案にして、一部の「喰い逃げ」ができないようにして提出されるものと思われます。大綱によれば、所得税、法人税、相続税などどの部分をみても改正にあたるものはほとんどありませんから、全面反対でいくことになるでしょう。

会員の皆さんの意見形成に少しでも役立てていただければ幸です。
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