開催引受から準備の日々
千葉税経新人会の幹事会記録をみますと、平成21年1月8日(木)第5回幹事会報告で「2010年度の全国研の開催地を千葉でとの要望に対し、要望にこたえる方向で準備委員会を組織する。」と記載されております。
当時私は地域の他団体の2年間の会長職が終わり、充電期間中で、千葉税経新人会の幹事にも名を連ねてはおらず、まったくの一般会員でした。ただ税経新人会の全国研究集会だけは、この税務会計の仕事に就いた年の1983(昭和58)年第19回神戸全国研究集会(舞子ビラ)から参加し、その後、一度も欠けることなく参加し続けてきました。そんな事もあり幹事でもない私に会長職の白羽の矢があたり、「皆様の絶大なるご協力」を約束していただくのを必須条件に、浅学非才の私がはからずも会長職を平成21年7月に拝命したのでした。
「皆様の絶大なるご協力」の約束はその後確実に守られてきました。毎月のように開かれる実行委員会、幹事会では積極的な様々な意見がだされ、会議を重ねるたびに少しずつ全体の青写真がハッキリしてきました。実行委員長には、私よりももっと前から全国研究集会に参加されてきた飯塚やよひ先生が就任を快諾してくださり、実務上の負担をかけないことを前提にお願いしたにもかかわらず、指揮をとってくださいました。テーマも実行委員会で決めました。
「広げようピースの○」で、この「○」は、「わ」と読むのです。仲間の和とか輪、平和の和とか、様々な意味を参加者に連想して頂き、かわいいキャラクターも作りユニフォームのポロシャツにも印刷しました。
私は会長として全国研究集会を担当することを積極的に前向きにとらえて、その成功のために会員が一丸となって活動し、それにより一層の新人会活動の活発化を図りたいと考えてきました。ほぼ毎月開催される幹事会には16名の幹事がほとんど出席し、会長として私はとても心強く思いました。
参加者数が低迷していた月例の研修会も開催時間を2時間ずらしたりテーマを全幹事で検討したり、月例会のチラシを作成したり等の工夫を重ね、以前と比べますとだいぶ参加者数も増えてきました。またインターネットに詳しい会員にお願いして千葉税経新人会のドメインを取得し、手作りのホームページも立ち上げました。
このホームページの創設は千葉税経新人会の歴史の上では画期的なことでありました。全国研究集会の開催前には、分科会の資料がHPからダウンロードできるようになり、会場のご案内地図や準備の様子なども掲載してきました。サーバーのレンタル会社に年間数千円の維持費支払だけの負担で、担当者の努力でかなり充実したホームページとなり会の内外からも高い評価を受け、アクセス数も開催が近づくほど伸びていきました。またメールもふんだんに使って連絡をとりあいました。幹事・実行委員会のメーリングリストは4月43通、5月 50通、6月 138通、7月 201通、8月 386通、そして9月に入り、3日の開幕直前までには52通の数多くの書き込みがありました。開催が近づくにつれてこのメーリングリストに登録した幹事・実行委員のみなさん 47名は毎日メールを開く事が恐ろしくなってきたのではないか、と心配するほどです。私も毎朝早く起きて、皆様への感謝のメールを中心に書きました。
今回の研究集会の目玉である分科会、そして翌日の記念講演を、千葉県税理士会並びに東京税理士会の「認定研修」の指定とする旨の申請をしました。これまでの全国各地で開催されてきた全国研究集会が認定研修の指定を受けたのは初めての事でありました。そこで多くの参加者の増加を期待し千葉県約2,300名の税理士全員に、郵送で「税理士会の認定研修である研究集会」を強調したご案内を発送しました。千葉税経新人会の存在を千葉県2,300名の税理士に知って頂く絶好の機会と考えたからです。この封筒詰めも苦労しましたが、実行委員皆様に集まっていただき作業しました。しかし、ダイレクトメールは宣伝にはなりましたが、実際にダイレクトメールにより認定研修である分科会や全体会に申し込まれる方は残念ながら数名でありました。新人会の全会員に、新人会未加入の友人知人の税理士に対しもっと積極的なお誘い依頼を強化すべきでした。
最後の実行委員会は、8月29日(日曜日)10:00〜 17:00に開催されました。8月はどの税理士もお盆休みがあり決算申告で超多忙な月末の日曜日でした。ところが嬉しいことに、実行委員が33人も集まってくれました。これは今年度の千葉税経新人会の定期総会の本人出席者数より多い人数です。本当に感激しました。実行委員皆さんが全国研究集会成功のために心を一つにしている事を誰もが実感したと思います。 |