論文

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再び問う「土地改良区」は誰のためのものか
東京会  市吉  澄枝  

私は今から8年前の2001年9月号の税経新報に、「土地改良区とは誰のものか」題してササニシキの米どころで起った事件と裁判の報告をしました。土地改良区が組合農家から不当に水利権を奪っている事件です。この村八分的な差別がいまだに解決していない異常さを再度問い掛けたいと筆を取りました。
事件の詳細を再度報告します。

土地改良区とは

土地改良区は、昭和24年施行の「土地改良法」により、農家が一定の地区内で土地改良を行う事を目的として設立される法人組合で農家の人達を組合員とし、設立、解散は知事の認可が必要です。日本の農業の生産性を高め、国際競争に耐えうる農業基盤の確立を図る事を目的とし、地域内の農家は加入が強制され賦課金の徴収も強制的なものです。

具体的には農業生産に欠かせない用排水路の整備・管理や、整然とした大きな区画の耕地を造る為、農地の交換分合、集団化等(圃場整理)土地の改良を行います。しかしこれには組合員の3分の2の同意が必要とされています。農水省の公共事業の目玉として多額の補助金が国税、地方税から支出されています。要するに改良区は農民のためにあるのであって、組合の運営は民主的、リベラルが求められ、意見が違うからといって組合員と対立し被告の地位に落とすなど、微塵も考えられなかった事でした。

既に模範的な土地改良実施地区だった地区

登米市中田町は北上連山から流れる北上川の用水を受け、美味な仙台米生産地として有名です。町の7割は米農家、その中で宝江地区は見渡す限りの見事な区画に整理された一枚300坪の田圃が、碁盤の目のように連なり、その中には巾2.5間、大型農機具が自由に通れる立派な道路も走っています。

それは昭和27年まだ土地改良事業が盛んでなかった頃、農家の有志が発起人となり、営農100年の計として耕地の交換分合を行って区画を整理し、道水路を完備、潅排水の合理化を計画。31年には知事の認可を受け宝江土地改良区が設立され、昭和33年全工事を完了したという土地改良のモデルと言われた先進的な地域なのです。宝江小学校の前には「豊穣の礎」と書かれその経緯を記した見あげるほど大きな石碑が建っています。その後改良区は農家の負担を軽くするため、繰り上げ償還を行い昭和45年4月には解散総会を開き管理を町に委託し、いよいよこれから楽になると喜んでいたのでした。

そこに再び土地改良の事業

この地区に、昭和52年新改良区の設立と再度の事業計画が持ち出されました。事業の主目的は農道の狭小、用排水の未分離の解消が謳われていました。中田改良区管内4,000余町歩の大半は、前記の宝江地区170町歩余の他は用排水に問題があったので、宝江地区の農民は、国営灌排水事業などには同意しても自分達の再度の圃場整備事業には同意しなかったのは当然の事でした。土地改良事業の受託者である農民の負担は工事費に留まらず工事後の地ならしや土作り表土が出来るまでの減収の負担など、着工から換地まで10年前後を要する現実と相まって実に大変なものなのです。

負担額の償還に30余年を要する事、その間の高率な利子の支払いなど組合員農家には重くのしかかってきます。未同意者(他地区の耕作田には同意)の人たちは「圃場整備の地区除外」を求めて「宝江地区基盤事業反対期成同盟」を結成し当時の登米郡中田町にもこの事業見直しを要請し町議会も現地を視察して「趣旨了承」していました。ところが改良区は未同意者の切り崩しのため強力な働きかけを行い、地区を拡大して未同意者の比率を低い%で表すなどして3年かかりましたが工事は着工されてしまいました。

未同意者にいやがらせの用水差別

今度の工事は圃場整備の他、用水路のパイプライン化(地中にパイプ管を入れて用水路とする)でした。未同意者は今まで用水排水ともに潤沢に供給され、問題なく何十年と経過している地区ですから、その事に不安を持つ人も無く、又改良区は未同意者の水路の新たな設計について、何ら計画も説明もなく、数年の中断を経て昭和62〜63年頃、工事が進められたのでした。しかし現実に工事が施工されるにつれ、未同意者への差別的な用水の実態が判明したので、すぐに土地改良区や宮城県迫土地改良事務所に改善を訴えたのですが聞き入れられず、平成2年頃から、工事による用水を巡る紛争が多くなりました(施工当初から逆勾配、同意者水田への溢・漏水等)。

期成同盟は東北行政監察局に平成2年2月に相談に行き、差別的(いじめ的)用水を改めるよう県と改良区を指導して頂きたいとお願いし、今までいくら訴えてもごまかしばかりで徒労に終わっている経緯を説明したそうです。そして管内の他地区や隣接する改良区や岩手県南部の改良区まで実地調査をしましたが、このような差別例は無い事が判りました。今度は内容証明郵便を使い改良区理事長宛に何故この地区だけこのように差別されるのかと問い質したところ、「残置・造成した開渠の土水路は未同意者専用で、それは全て国や県の維持対象外の末端小水路である」と文書で回答がきました。今迄の末端用水路の扱いとあまりにも違うのでおかしいと驚きながらも、もう時期的に時間が無いので、やむなく自力と自腹での改善工事を検討しなくてはと言う事になりました。

田植えを目前にしてやむを得ず自費で

田植えの時期も迫り平成3年3月12日行政監察局で宮城県、改良区、未同意者の三者の話し合いが行なわれました。そしてパイプライン化のため今までの小用水路から取水できなくなった未同意者に、改良区の用意した取水栓は余りにも自分達の水田から遠いので、自己負担で、自分達専用とされた土水路を走るパイプを設置する事に話は落ち着きました。その工法は改良区も出席の下に決まったのです。行政監察局の協力を得て、県の課長も立会いその指導の下に、流量計算や資材、用具の発注等々準備が始まりました。

4月4日はもうパイプの用水が始まる日で、米農家にとって田植えの時期の取水は死活問題なので、必死の思いで工事は進められました。ところが改良区は、基盤整備同意者大集会での決議があったとして、何と4月19日午後「原状回復の名目で破壊する」として、完成したばかりの取水施設を切断・破壊するという暴挙に出たのです(裁判では改良区の恫喝的要請に屈して、県が命令した事になっています)。

4月24日になって漸く両者で話し合いが持たれました。「不同意者にかかわる一切の差別をなくす。今回の臨時出費は改良区が負担する。県に依頼して用水確保のため暫定工事を行う。その費用負担は一般組合員と公平なものとする」との協定書が結ばれ、それにより県は更に暫定工事をし、パイプにつけられた26箇所の蛇口から取水されるようになり、漸くその年の用水は確保されました。

ところが10月になって31名宛に届いた費用負担額は、予想を遙かに超えた高額であり、とても納得出来るものでは有りませんでした。そしてその根拠も示さず、交渉もされぬまま、翌年の田植え時期が来ると改良区は勝手に未同意者に「取水停止」を通知し4月初旬県の作った暫定施設26箇所の機能停止の工事を行ない、未同意者の用水配管も無断で撤去してしまったのです。
雑草に蓋われる土水路
雑草に蓋われる土水路

改良区が組合員を提訴

翌平成5年3月になると、改良区は未同意者31名を被告とし自分達が勝手に行った用水施設の撤去費用と県の暫定工事費用合わせて、398万円余の損害賠償請求事件として、仙台地裁に提訴しました。

改良区に被告とされた31名はびっくりして、自分達こそ被害者であると

「改良区は自分達に従来どおりの水利権を保障する責任のあること」

「我々は用水確保について著しい差別を受け、毎年の耕作時期には筆舌に尽くしがたい苦痛を強いられていること」

「今まで水路は幹線支線については国、県が整備し、農民は各自の水田に付帯する小水路(10〜12m)のみを管理すればよかったのに、改良区はパイプライン化にともない、一方的に支線部分を改廃し、30年代先進的に設置された用水路排水路を不用としてしまった」

「未同意者には "地区除外耕作地 " 専用として新たに開渠式土水路が設置され個人で整備する水路とされたが、それは従前に比し、甚だしく劣悪なもので、軟弱で漏水もひどく逆勾配の所もある上、水路の長さは400〜1,200m、9箇所の合計は5,155mもある」

「水路の確保のための毎年の重労働、それでも用水は安定せず、品質、収量共に悪影響をしている」

事等を訴え、改良区の不法行為に賠償と慰謝料を請求すると反訴状を提出しました。
家族総出で重労働
家族総出で重労働
手作業の水路づくり
手作業の水路づくり

農民同士を争わせる改良区

実は改良区の用意した未同意者用の水路はその引き回した長さから水路面積が莫大なものとなっている上、その大半が同意者の水田にのみ接しているので同意者の方は農作業や自分達に不要の通水に大迷惑する上、工事費や土地の無駄使いが甚だしいものでした。未同意者は水路の確保の重労働の他に同意者の不満、不平にさらされる事になってしまい、これは中々辛いものになりました。

被告達はその後役場と改良区との間で、維持管理の協定書があると聞いて役場に何回も通い、平成8年9月やっと閲覧が出来ました。それを見て驚いた事に、何と維持管理の対象外とされた未同意者の水路の殆どが役場や改良区の維持管理責任のある幹線・支線とされていたのでした。明らかに改良区は嘘をついて対象外として未同意者の自己管理を押し付けていたのです。この事実はすぐ弁護士にも通知し、これで解決と喜んだのですが、何故か裁判には生かされず判決は平成13年まで延びたのでした。

地裁の棄却判決にすぐ控訴

裁判は8年の年月と50回もの公判を経て、平成13年6月5日判決が出されましたが、「いずれも棄却する」と言うものでした。反訴原告の水利権は土水路の維持管理に多くの労働を要する等の不便が生じたとしても必要な水量は確保されているから違法性は無いと結論付けたのです。

納得出来ない反訴の原告達は同年6月19日仙台高等裁判所にすぐ判決に対し異議申し立てるため、控訴状を提出しました。控訴状では、「改良区は控訴人が用水パイプラインから取水することを妨げてはならない。原告の耕地には県所有の支線用水路から取水する事が出来る農業水利権が否定されている」と強く主張しました。

県議会で質問東北農政局も行政指導

改良区がその組合員を訴えて裁判を起こしたという事件は地域の農家を驚愕させ、噂は広まりました。心無い人たちは被告にされた方達を白眼視し家族も含めて村八分的扱いをするなどの事も有りました。裁判が長引く中、平成15年8月宮城県議会の横田有史氏(共)が事実関係の調査視察に訪れ、12月9日県議会本会議で「中田改良区を巡る問題」として一般質問されました。

「宝江地区は圃場整備の先進的模範事業が行われ、耕作には何ら支障のないとする未同意者に対しパイプラインからの取水を不可能にする設計・施工をし、やむなく自らの費用で設置したパイプラインを改良区が破壊するなど信じがたい陰湿な報復行為も行なわれた」「改良区の役員が農家の水利権を奪う権利など、いささかも有しません。如何なる事があっても、営農のための利水を確保する事は、行政に課せられた不可避的義務であります。県が全責任を持って、早急に解決するため、本庁、地方公所が全力を傾注すべきであります」

これに対して浅野知事は「現在係争中であるので円満に解決する事を期待しております」と逃げ、県の責任に対する再質問には、産業経済部長が「用水路で営農は確保されている」と答え、再々質問には「私は現場はみておりません。現地を見ながら充分に検討させていただきたいと思います」と返答しました。

翌年9月には横田県議の紹介で、共産党の高橋千鶴子衆議員議員も視察に見え中田町圃場整備問題は東北農政局に持ち込まれ、農水省としても国の補助金が出ている事を確認、裁判とは切り離して暫定給水装置を復旧するように土地改良区を指導、是正措置の行政指導も行なう事になったとの報告がされ、その確認も出来たので、これで長年の苦労も解消されるかと提訴した原告31名は喜び合いました。

ところが当の改良区はこれを全く無視し、翌平成17年の田植えは又又の重労働でした。
延々と続く土水路
延々と続く土水路

高裁の判決

高裁の判決はその年17年の9月22日でした。裁判官も3人、口頭弁論でも真実を訴えてきて、今度こそと期待していたのでしたが、判決は再び棄却でした(裁判官の1人は署名せず)。判決文は「現にこの土水路によって控訴人らの耕作地には必要な用水は確保されているというのであるから、控訴人らの水利権が侵害されているとはいい難いのである」と片付け、事件の趣旨を控訴人のパイプ利用の負担金の金額の問題に判断の多くを割いています。ただ「本件事業はあくまで宮城県の土地改良事業であり控訴人は県から委託を受け管理しているものに過ぎないのであるから・・・・・・」として「パイプラインの延長の問題は宮城県と控訴人らの問題である」といいきっています。

事実認定に誤りがあるとしか思え無いと最高裁に上告とも考えましたが、その前にこの判決を受けて、宮城県を提訴するべきとの意見も出て、仲間と相談、平成19年3月22日今度はパイプラインの施工者であり所有者である宮城県を被告として、「県の設置した26箇所の取水口が機能停止状態のまま放置されている件についてその機能回復を請求、他の取水口の取り付けと原告の取水を要求」して仙台地裁に提訴しました。

仙台地裁は改良区の言い分を鵜呑み

待たれた地裁の判決が今年5月11日に出ました。しかしそれは又もや「原告の請求をいずれも棄却する」というものでした。判決文を読むと、原告の事情を認めながら、「用水は確保されている」とし、「その管理の負担は従前と比べて著しく過重になったとみるまではできない」とか「パイプラインの費用負担額で折り合いがつかないが、その違いは15アールで約73万円にとどまる程度」とか「本件事業の施行されたことにより、原告らの耕作地での収量、品質に悪影響が生じたと認めるまではできない」「東北農水局から改善の要請を受けている事や、原告らが圃場整備のための受益者負担金以外の経常賦課金、特別賦課金を支払っている事は認められるがこれらは前記の判断を覆すほどのものではない」と結論づけしました。

裁判官は一度も現地の視察に訪れていないのによくもこんな判断が出来たものです。「未同意者が工事に当たって水路の説明を受け、了解していた」など改良区の虚偽説明をそのまま鵜呑みにしているなど、全く納得できるものではありませんでした。書記の及川さんは何日も眠れぬ夜を過ごしたそうです。私はこの8月現地を案内してもらいました。収穫時期を前に見渡す限りの田園風景。その田んぼのすぐ横に延々と続く土水路がありました。勾配も無く水量を増やして流せば土手が崩落したり漏水して隣の田に迷惑がかかります。毎年の春は家族も総出で建設機械も借りて、土掘りや雑草取りなど何日も掛かっている。それでも取水が安定せず一等米のとれた優良地が今は二等米しかとれない。収量も減って耕作は諦めようかと思っている。との話に深い憤りを感じずにはいられませんでした。

今は充分間に合っているので結構です。無駄なお金(税金)を使わないでという、ごくまともな行動がどうして不当な扱いを受けなければならないのか。そして20年近い紛争を裁判が救えないのか。地球全体食料不足の心配の中で大切な主食の担い手にこんな仕打ちが許されるのでしょうか。改良区はこの裁判費用や撤去費用を同意者の組合員の負担にしています。農民同士の内輪もめに仕立て上げているのです。この工事につぎ込まれた多額の国、県の補助金は半端な金額ではありません。負担を強いられる農家も大変です。当然お米の原価に反映します。

この負担の一翼が農林省の公共工事である現実に何の反省も無いのです。強制加入、強制賦課の強大な権限を持つ改良区は、多くの農民にとってお上に等しい存在なのです。その改良区が農民に対して脅迫的に対応し、今迄の水利権を奪うなど許されないと思います。慣行水利権を取り返す訴えは水田農家の人権問題でもあると原告の方達の痛切な声でした。「農民の農民による農民のための改良区を」という訴えを、行政も裁判所の判事も聞く耳を持つ事を切に願い報告とします。

(いちよし・すみえ)

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