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「勤労所得源泉課税のはじめ」
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平田 |
もう一つ、これは亡くなった渡辺喜久造君(後に主税局長、国税庁長官)のために述べておきたいのでだけれども、勤労所得の源泉課税は、率直に言ってそれまでは余り問題にしていなかったのが、ドイツの税制を調べると、当時、ものすごい源泉課税をやっていた。しかもフラットな税じゃなくて、ちゃんと簡易税額表をつくって、源泉課税をやって相当な収入を上げていた。これをやらん手はないじゃないかといって、渡辺喜久造君と一緒に研究して、勤労所得に源泉課税を始めたわけですよ。これはその後、少なくとも税の立場からいったら、大変な意義あるものとなった。申告納税主義のアメリカなども、戦後、日本をまねたわけですよ。
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山田 |
(山田義見、主税局企画課長などを経て大蔵事務次官、後に会計検査院長)終戦のあの混乱時代に税がとれたということは、勤労所得に対する源泉課税を続けていたからです。
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平田 |
しかも、最初は分類所得税でフラットなものだけやっていたのを、戦後はできるだけ所得税を源泉で、しかも累進税率を適用してやった。だから、これはもう大変な発展なのですよ。しかし、これも最初にやるときは大分問題にしたものですよ。
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松隈 |
源泉徴収には徴収交付金というのが幾らか出た。そして、シャウプが来て、国民の税は当然の義務じゃないか、それに手数料をとるというのはけしからんといってストップを食っちゃった。
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忠 |
手数料は、いまで申しますと源泉徴収票、当時の支払調書が1枚幾らという手数料だったのです。ですから、しれたものです。シャウプが来る前のシャベル一派のGHQの連中でした。」(『回顧と展望』上84頁) |
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このような経緯で源泉徴収制度がスタートしたわけですが、これは、戦後のはげしいインフレの時代に、それに見合った形で税収を確保できたというだけでなく、源泉徴収された後の手取額が自分の給与収入であるという先入観を一般的に植えつける結果になりました。それは、激しいインフレ下で、給与が遅配、欠配が続くとか猫の目のように変わる状況の下においては、確実に手許に残る現金だけが収入であると観念することは、それなりの合理性があったと思われます。このことが、労働者の税痛感を麻痺させ勤労所得重課の不公平税制を許している大きな要因となっています。
これは、私の持論ですが、賃金は、平均的にはその再生産費に合致するという資本主義社会の最も基本的な法則である価値法則によって決定されるのですから、平均的な賃金からは所得が発生する余地はない筈です。ここでいう再生産費とは、本人と平均的な家族構成の生活費だけではなく、子女を教育し、健康で文化的な最低限度の生活を維持するために要するすべての費用を含むものと考えなければなりません。
そのように考えれば、高級管理職や経営者の、利益の配当に当たるような高額な報酬だけが給与所得を構成すると考えられます。もっとも、そのラインをどこで引くのかということはむずかしいと思いますが、考え方としては成り立つ筈です。
自分の労働力以外に収入の手段を持たない労働者階級が、所得税の大部分を負担している現状は、何としても是認できません。特に、最近のように労働法制が、生産現場への派遣労働を全面的に合法化し、派遣労働が企業の収益の調整弁に使われるような現状を許すことはできません。派遣切り問題でクローズアップされたように、「給与所得」は、配当所得や不動産所得のような資産性所得にくらべて、担税力が極端に低いことが証明されています。解雇されれば、即、職・住・食を失うという現実をみれば、「給与所得」課税のあり方や、それと表裏一体となっている給与所得に対する源泉徴収制度についても、いま、改めて考え直す時に来ているように思います。 |
(せきもと・ひではる) |