論文

税理士会と税政連は別個独立の団体
- その意義を牛島税理士訴訟に問う -
千葉会  伊藤  清  

はじめに

こんにち、わが国の憲法の教科書や参考書 で、この事件について触れていない書物はないといっても間違いではないでしょう。

私たちは、この事件の訴訟を、当事者(原告・被控訴人・上告人)である税理士の名前をとって牛島税理士訴訟と呼んでいますが、一般には、税理士会のような強制加入の公共的法人の行った政治献金の憲法的意義を論ずる観点から、税理士会政治献金事件と呼ばれることが多いようですが、それが発生した法人名から南九州税理士会事件などと呼ばれることもあります。

私は、この事件は、政治献金と企業・団体の目的(権利能力)との関係、個人の参政権と団体の政治献金との関連、団体内における構成員の思想・信条の自由の問題、つまり私人間効力の憲法解釈にも少なからぬ示唆を与えるものと考えています。

それほど憲法上重要な問題を含んだ事件とされており、しかも私たち税理士の多くが加入する税理士政治連盟(以下「税政連」)の問題であるにもかかわらず、税理士会のなかではこの事件はタブー視されているかのように、あまり会員に語り継がれることがないため、若い新人会会員の皆さんの中にもこの事件についてほとんどご存知ない方がおられると聞き、私もこの事件に若干でもかかわった者の一人として、敢えてペンを執ることにしました。判決を知らない方のために、判決文からの引用(「」内)が多くなりましたが、そのため引用が冗長すぎて、かえってわかりにくくなった点があれば、私の力不足のためですから、お詫びいたします。

それは税理士法「55年改正」のなかで起きた

この事件は、税理士法改正(以下「法改正」)の歴史のなかで極めて重要な改正とされる、いわゆる「55年改正」の渦中で起きました。したがって、法改正の問題に触れないわけにはいきませんが、いま詳しくお話しする余裕はありませんので、簡単に申し上げますと、税理士会には1972(昭和47)年公表の「税理士法改正に関する基本要綱」(以下「基本要綱」)があります。これは税理士会が、当時、全会員の意見を集約して民主的につくりあげたもので、その基本的な理念は、税理士を課税当局の下請けでなく、納税者の権利を擁護する代理人としてその代理権を確立し、税理士会も大蔵大臣(当時、現在財務大臣)の監督を排して自律性を持つものとすることを求めるものでした。日本税理士会連合会(以下「日税連」)幹部はこの法改正案をもって当局との折衝に当たりますが、持ち込んだ改正案が当局に一蹴されると忽ち腰砕けとなり、逆に当局が用意していた当局に都合のよい改正案を押し付けられると、手のひらを返したようにこれに飛びつきました。

その当局側の改正案は、基本要綱とは逆に税理士に対する統制監督権を強めるものであり、そればかりでなく、それまで税理士業務の対象税目は限定列挙していましたが、そのワクを取り外して原則としてすべての税目を包括的に取扱うことができる規定に改めることによって、かねてから導入を目論んでいる一般消費税を税理士に取扱わせるようにすることを狙ったものであることがミエミエでした。

日税連の幹部は税理士の業務が増えることを会員に喧伝し、基本要綱は凍結してお蔵入りにし、以後当局と一体になって当局側の改正案の国会通過に向けて猛進しはじめたのです。そのため国会議員に働きかける運動資金の拠出を、各単位税理士会に割当て、集金督励の檄を飛ばします。その国会議員に対する運動の過程で、こうして会員から集められた資金がワイロに使われたことは、牛島税理士訴訟第一審熊本地裁判決のなかにも「昭和五五年の税理士法の一部改正案成立の過程で、日税政(日本税理士政治連盟・・・引用者)のなした特定政党の特定政治家への一億円を超す政治献金が、社会の糾弾をあび、告発を受けた東京地方検察庁も、これを贈った側にとって右法案成立のための賄賂と認定しながら、他の諸事情をも勘案した上、日税連及び日税政の幹部三名を起訴猶予処分にした」と記述されているように、「法をカネで買うのか」と税理士界は当時マスコミに随分と叩かれたものでした。

絶対容認できない総会決議

南九州税理士会(以下「南九会」)が、1978(昭和53)年6月の総会において、「会員一人当たり5,000円の特別会費を徴収し、これを税理士法改正のための運動資金として、南九州税理士政治連盟(以下「南九税政連」)に寄付する」とする決議を行ったことがこの事件の発端ですが、この決議も、上記した日税連の資金割当に南九会が応えるためのものでした。

しかし、この総会において、同会の会員でいまは故人となられた牛島昭三税理士は、「この税理士法改正案は、税理士が念願としてきた基本要綱に逆行するばかりか、消費税導入の布石となる法案であり、しかも税政連に集められる寄付は自分の支持しない政党・政治家にワイロとして使用されることは明らかであるから絶対に容認できない」として、この決議に反対し、特別会費の納入を拒否しました。

これに対して同会は、翌79年の同会役員選挙において、牛島税理士を会費滞納者として、なんら本人の弁明を聞くこともなく、同会の役員選任規則に基づき選挙権・被選挙権を停止するという不当な処分を一方的に行ったのです。

これに対し牛島税理士は、翌1980(昭和55)年1月、先の総会で決議された税政連への寄付は、税理士会の目的の範囲外の行為であるから無効である、またその寄付のための特別会費の納入を強制することは、会員の思想・信条の自由を侵害するから違憲である、として、特別会費納入の義務のないことの確認を求め、かつ不当な処分による損害の賠償を求めて熊本地裁に提訴し、ここから以後19年に及ぶ牛島税理士訴訟は始まることになったのです。

第一審から最高裁判決、確認書まで

第一審熊本地裁では、日本大学の北野弘久教授(当時、現在同大学名誉教授)が原告側証人として法廷にたち、南九会による税政連への寄付について、その違法性・違憲性を税法学・憲法学の立場から力強く証言されるなどして、優れた勝訴判決(蓑田孝行裁判官)を勝ち取りましたが、控訴審福岡高裁で逆転敗訴、舞台は最高裁に移り、そこで1996(平成8)年3月19日最高裁第三小法廷(園部逸夫裁判長)のわが国憲法史に残る画期的な判決を見ることになったのです。

この判決は、多くの憲法学者からもリーディングケースになる優れた判決と高く評価されていますが、この判決で最終的に明確になったことは、1、税政連はまぎれもない政治資金規正法上の政治団体であること、2、その税政連への寄付は政治献金であり、税理士会の目的の範囲外であること、3、したがって税政連へ寄付することを決めた南九会の総会決議は無効であり、したがって牛島税理士には特別会費を納める義務はないこと、でした。

なお、その判決で、牛島税理士が南九会に損害賠償を求めた部分については原審差戻しとなり、これは更に1年後の97年3月福岡高裁において南九会と牛島税理士との間で損害賠償額の確定についての和解が成立し、それに引続き今後の具体的措置に関する確認書が両者間で取り交わされ、これによってはじめて牛島税理士訴訟は最終的に決着をみることになりました。

この南九会と牛島税理士との間での確認書は、最高裁判決の精神を受け継いでその具体化を図ったもので、最高裁判決とともに重要な意義をもつものであることを忘れてはならないと思います。

これは一税理士会と一会員とのたたかいではなかった

最高裁判決から、この確認書取り交わしまで1年を要していますが、これは何もその間、骨休みをしていたわけではありません。もともとこの訴訟は、南九会という一単位税理士会と牛島税理士という一私人の争いだけではなかったのです。

南九会の後ろには日税連、それは、この国の保守政権政党と親密な関係にある全国の税政連を束ねる日税政を抱えこんでいて、かつ、それは大蔵大臣の指導監督、ある意味ではその庇護下にあり行政に連なる公共的団体です。そして、日税連としては、その面子上からも、またこの税理士法改正運動を推進し、その資金集めを命じた責任の上からも、この裁判に負けることは絶対に許されません。ひた隠しに隠しているため正確な数字はつかめませんが、日税連が私たち全国の税理士の納めた貴重な会費を費消して支払ったとされる訴訟費用の額は6,000万円を超えるとされています。

もう一方の牛島税理士の後には、わが国の政治をゆがめる企業団体の政治献金に怒りを燃やし、かつ国民個人の思想・信条の自由を希求する熱い思いで牛島税理士と志を一にする支援者・弁護団の集団があります。それは、表に現れている支援の頭数だけではなく、地中のマグマのようにこの国の人権を支え守る国民・市民の厚い支持のひしひしとした実感でした。

このような背後をもつ両者の対峙は、最高裁判決の後も続いていたわけですから、確認書に盛り込まれる具体的事項の取り決めが、決してスラスラと進んだものではなかったことは容易に推察がつくというものでしょう。

それにしても、南九会の総会が税政連への寄付を決議した日から、その決議の無効が確定し、南九会と牛島税理士との間に確認書が取り交わされる日まで、足掛け20年もの歳月を要したことは、振り返ってみて感慨ひとしおというほかありません。改めて亡き牛島税理士に心からご苦労さんだったと感謝を申し上げなければならないという思いでいっぱいです。

八幡政治献金事件裁判とはなんであったか

(1)その経緯の概略
さて会社の政治献金については、かの有名な(というより悪名高きというべきでしょうが)八幡製鉄政治献金事件(以下「八幡政治献金事件」)の最高裁大法廷1970(昭和45)年.6月24日判決があります。この裁判は、ご承知のように、八幡製鉄(現在の新日鉄)が自民党に対し350万円の寄付を行ったことに対し、株主の一部から、会社の代表取締役ら2名に対し、この350万円を会社に賠償するよう求めて起こされた株主代表訴訟です。

その訴えの理由を概略すれば、営利を目的とする会社が政治献金という無償の寄付をすることは定款に定められた目的の範囲外の行為で、民法43条に違反する行為であるということ。政治献金は参政権の行使にほかならないが、これは自然人である国民個人のみが有する権利であり、法人が政治献金をすることは個人の参政権を侵害する違法違憲の行為であるということ。この政治献金は、取締役が個人の信条に基づいて勝手に会社の財産を費消したものであるから、取締役としての忠実義務に違反する行為であること、などであったと思います。
(2)政治献金は会社の目的の範囲内か
政治献金が会社の定款に定めた目的の範囲外であるという上告人株主の主張に対して最高裁大法廷は、「会社は、一定の営利事業を営むことを本来の目的とするものであるから、会社の活動の重点が、定款所定の目的を遂行するうえに直接必要な行為に存することはいうまでもないところである。しかし、会社は、他面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであって、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。(中略)災害救援資金の寄付、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適例であろう。

(中略)以上の理は、会社が政党に政治資金を寄付する場合においても同様である」。「政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがって、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様としての政治資金の寄付についても例外ではないのである」。「要するに、会社による政治資金の寄付は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められる限りにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである」として、被上告人(被告)会社側の主張を支持しました。
(3)会社の政治献金は個人の参政権を侵すのか
また会社の政治献金が個人の有する参政権の侵害という批判に対しては、「憲法上の選挙権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三条に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。

政治資金の寄付もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき憲法上の要請があるものでではない」と、法人の人権を個人と変わらない範囲までにも拡大し、選挙権は自然人にしかみとめられないが、政治資金の寄付は、それが政治の動向に影響があったとしても(もちろんそのためにこそ財界の政治献金が行われ、それが保守政権党を支え、かつ現実に政治を動かしていることは明らかですが)、それは法人の権利として当然に認められるものだとしました。
(4)取締役の忠実義務は
また上告人が、この政治献金を取締役の忠実義務(商法二五四条ノ二)違反と難じている点について、「商法二五四条ノ二の規定は、同法二五四条三項、民法六四四条に定める善管義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるものであって、所論のように、通常の委任関係に伴う善管義務とは別個の、高度な義務を規定したものと解することができない」とし、「その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位および寄付の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内において、その金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄付をなすがごときは取締役の忠実義務に違反すべきというべきであるが、(中略)本件寄付が、右の合理的な範囲を越えたものとすることはできないのである」として、これも上告人の主張を斥けています。
(5)政治献金は災害義捐金と同じ
このように八幡政治献金事件において、全く性質の異なる政治献金と災害義捐金とを同列に並べるなど、一般市民の常識をかなぐり捨ててまで、わが国の司法は、資本・財界の要求・要望を最大限に尊重した判断を示しました。わが国の保守政党は、財界からの政治献金なくしては、その財政的基盤を失い存立が困難となることは当然予想されるところです。そのため、わが国の最高裁は、会社の政治献金をこの国の議会制民主主義を支えるものと祭り上げ、勧奨さえする立派な作文を書き上げたのです。献金する余裕をもたぬ一般庶民の私たちは、この最高裁大法廷のお偉方の御託言にただただ恐れ入るばかりです。
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