論文

> 労使トラブルの実態とその対策(続)
生活保護基準額以下の所得者に対する
国民健康保険税の課税と憲法25条
日本大学名誉教授・法学博士  北野  弘久

1  はじめに

北海道音更町の大畑実氏は、現在、77才であって、生活保護基準額を下回る所得しか有しない。本来であれば、生活保護を申請できる立場にある。しかし、同氏は氏自身の尊厳から、あえて申請をしていない。

氏は、音更町長に対し、平成17年度国民健康保険税減免申請を行ったが、棄却された。そこで氏は、平成18 年6月に氏に対する平成17 年度国民健康保険税減免棄却処分の取り消しおよび平成17 年度国民健康保険税賦課処分の無効確認を求めて、釧路地裁へ出訴した。平成19 年6月26 日釧路地裁判決および平成20 年3月21 日札幌高裁判決は、いずれも氏の請求を棄却した。

そこで、氏は最高裁へ上告することを決断するにいたった。

筆者は、日本国憲法25 条の生存権についての自由権的機能(「公権力からの自由」)にしぼって、本件国民健康税賦課処分および本件国民健康保険税減免棄却決定処分は、いずれも憲法25条1項の生存権についての自由権的機能に違反し(音更町税条例の運用違憲)、違憲・無効とする税法学的鑑定書を08年4月20日にとりまとめた。なお、控訴審の段階で斉藤一久氏(東京学芸大学講師)が筆者とほぼ同旨の鑑定意見書をとりまとめ、札幌高裁へ提出された。以下は、筆者の鑑定書の概要である。

2  日本国憲法と応能負担原則

日本国憲法は租税国家体制(その国の財政収入のほとんどを租税に依存する体制)を前提にしている。公債収入は、納税者からいえば、租税の前払いということになる。租税国家では、憲法政治は所詮どのような租税を徴収し、それをどのように使用するかに帰する。私たちの平和、福祉、人権なども租税問題のあり方によって基本的に決まることになる。実は、憲法典は、租税の取り方、つまり私たちの税負担のあり方、及び租税の使い方に関する法規範原則を規定した法典といえなくはない。

日本国憲法30条は「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」と規定している。私たちは、無条件的に無原則的に納税の義務を負うのではない。私たちは、租税の使途面に関する憲法適合的な「法律」と、租税の徴収面に関する憲法適合的な「法律」に基づいてのみ、納税の義務を負うのである。私たちは、自分たちが納付した租税が憲法の規定するところ(「平和・福祉本位」。日本国憲法の基本的人権尊重規定)に従ってのみ使用されることを前提にしてその限度で、かつ憲法の規定するところ(「応能負担原則」。日本国憲法13、14、25、29条等)に従ってのみ納税の義務を負うのである。租税の実体的あり方の基本原則としてはこの応能負担原則しか存在しないのである。その憲法上の根拠は次のごとくである。

憲法13条は、「個人の尊重」、「人間の尊厳」を規定している。租税のあり方も13条に適合しなければならない。

14条は「法の下の平等」を規定している。ここでの平等は、18世紀、19世紀のような形式的平等ではなく、まさに20世紀、21世紀の現代憲法での平等である。現代憲法での平等は実質的平等を意味し、租税の面では能力に応じた平等を意味する。

25条1項は人々の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障している。ここで問題になる生存権は、社会権としてのそれではなく、自由権としてのそれである。自由権の本質は「公権力からの自由」にある。したがって、自由権については立法裁量、行政裁量などの裁量論が入る余地がない。この規定から、最低生活費相当分には課税除外すべきであるということになる。課税最低限度額は人々の最低生活費以上、具体的にいえば生活保護基準額以上でなければならないことになる。課税最低限度額が生活保護基準額を下回るときは憲法25 条1項の自由権的生存権違反で、違憲・無効となる。

29条については、その2項(「公共の福祉適合」)の存在に鑑み、一定の生存権的財産(一定の住宅地・住宅、現に農業の用に供している農地・農業用資産。一定の中小零細業者の事業所用地・事業所等)についてのみ基本的人権として保護するものと、しぼってこの財産権保障の法的意味を解すべきであるということになる。

以上の憲法の諸条項から導かれる応能負担原則は、国税・地方税、直接税・間接税、個人の税・法人の税を問わず、適用される。また、最低生活費非課税の原則、一定の生存権的財産の非課税・軽課税(利用価値×低税率)の原則を含む。税率については原則として超過累進課税率の適用を要請する。また、課税物件の性質を考慮した「質的担税力」に配慮しながら最終的に「量的担税力」の具体化として総合累進課税を要請する。

しばしば画一的な均等負担、比例負担を正当化するために応能負担原則ではなく、応益負担原則・応益課税原則が持ち出される。またタテの公平である「垂直的公平」よりも現実の人々にとってはヨコの公平である「水平的公平」が重要であるといって、「水平的公平」を正当化をするために応益負担原則・応益課税原則が持ち出される。しかし、応益負担原則・応益課税原則は、課税庁側がその課税の根拠のひとつの説明手段として用いることができるとしても、納税者の税負担配分の原理としては社会科学的にも憲法上も成立しない。

日本国憲法は、巷間主張されるヨコの公平である「水平的公平」は、応能負担原則の具体化であるところの「垂直的公平」の徹底のみにおいて成り立つものと、とらえている。

本件で問題になっている目的税を含めて、租税の実体的あり方については応能負担原則しか社会科学的にも憲法上も存在し得ない。応能負担原則は、租税国家体制を前提とした日本国憲法における最重要立憲主義の要請であることが銘記されねばならない。(以上、詳細については、拙著『税法学原論・6版』青林書院143ページ以下の「応能負担原則」参照)

3  日本国憲法は目的税である国民健康保険税にも応能負担原則の適用を要請する

日本国憲法のもとでは、社会保険料等も租税である。本件で問題になっている国民健康保険税は法形式上も「税」であるので、憲法上租税であることに疑いの余地がない。ところで普通税と目的税との違いは、当該租税収入の使途が法律上特定されているかどうか、にある。特定されていないものが、普通税であり、特定されているものが目的税である。この使途についての特定以外に、両者の違いは全く存在しない。この使途以外については、目的税についても普通税と同様に日本国憲法は応能負担原則の適用を要請している。

国民健康保険税は、国民健康保険事業に要する費用のための目的税である(地方税法第734条1項参照)。

本件音更町国民健康保険税のあり方にも、当然に日本国憲法の最低生活費非課税の原則、累進賦課率などの「応能負担原則」の適用が要請される。音更町税条例においても本来、国民健康保険税について生活保護基準額以下の低所得者には非課税とする規定が整備されていなければならない。この点、雄勝町国民健康保険税条例(甲9号証)17条1項には当然のことながら次の規定が存在することが注目される。

「町長は次の各号の一に該当する者のうち町長において必要があると認める者に対し、国民健康保険税を減免することができる。
1  貧困により、生活のため公私の扶助を受ける者又はこれに準ずると認められる者
2  当該年において所得が皆無となったため生活が著しく困難となった者又はこれに準ずると認められる者
3  前各号に掲げる者以外の者で特別の事情がある者」。

同条例を受けて、雄勝町国民健康保険税条例施行規則3条2項は、同条例17条1項1号に該当する者の免税割合を10 分の10と規定している。ここで注意すべきことがらは、日本国憲法は、「議会のみが課税権を有する」とする法理を採用しているという点である。これが租税法律主義の原則(ここでは本来的租税条例主義の原則)である。同条例17条1項は、「町長は・・・必要があると認めるものに対し、・・・減免することができる」と規定しているが、これは減免するかどうかを町長の裁量にゆだねるという意味ではない。本来的租税条例主義のもとでは減免について町長には裁量権は全く存在しない。同条例17条1項1号の「貧困により生活のため公私の扶助を受ける者又はこれに準ずると認められる者」に該当する限り、町長は減免(減免割合10分の10)しなければならないという意味である。減免しないときは、町長のその行為は本来的租税条例主義違反のゆえに違法となる。町長に裁量権があるとするならば、それはいわゆる裁量権ではなく厳格に何が法であるかについての法規裁量・覇束裁量にすぎない。

音更町条例166条1項には次の規定が存在する。
「町長は次の各号に該当する者のうち、町長において必要があると認められる者に対し、国民健康保険税を減免する。
(1)災害等により生活が著しく困難となった者又はこれに準ずる者
(2)当該年において所得が著しく減少し、生活が困難となった者又はこれに準ずる者
(3)前2号に掲げる者のほか特別の事由がある者」。

音更町税条例には、前出雄勝町税条例のような生活保護基準額以下の者についての明文の減免規定は存在しない。

すでに指摘したように、最低生活費非課税の要請は、日本国憲法25 条1項の生存権についての自由権機能である。自由権の本質は「公権力からの自由」にあり、法論理上立法裁量、行政裁量が入る余地がない。生活保護基準額以下の者には日本国憲法は目的税である国民健康保険税について課税除外、つまり100%非課税を要請しているわけである。当該者に非課税にするか、しないかの裁量の問題ではない。それゆえ音更町税条例166 条3号の「前2号に掲げるほか特別の事由がある者」のなかに当然に「生活保護基準額以下の者」を含むものとして運用されるべきである。繰り返しになるが、これは憲法25 条1項の生存権についての自由権的機能の要請である。

(以上、本来的租税条例主義の詳細については、拙著『税法学原論・6版』青林書院104ページ以下の「地方税・本来的租税条例主義」参照)

4  大畑実の所得状況

平成17年度の大畑實の所得状況は老齢厚生年金91万6,494円、日本共産党中央委員会からの援助金60万円、同北海道委員会からの援助金18万円の合計169万6,494円である。夫婦2人。老齢厚生年金は、91万6,494円となっているが、これを税法上の所得金額に置き換えると、公的年金等控除額は120万円であるので(租税特別措置法41条の15の2第1項)、所得はゼロとなる。

本人は、77才、年金生活者で高血圧・糖尿病患者、妻64才、リュウマチ病で障害2級であり、就労できない。20年以上使用しているライトバンを有するが、これは地方での交通の命の手段であって財産とはいえない。不動産はなく、家賃を月3万円支払っている。実態は生活保護を受けるべき状況にある。住民税は、当然に非課税となっている。

5  結  語

国民健康保険法6条は、「生活保護法による保護を受けている世帯に属する者」を国民健康保険の被保険者にしない、と規定している。これは、生活保護世帯には生活保護法による医療扶助をもって対処しようという趣旨であると解される。思うに、人々が生活保護の申請をしたとしても必ずしも保護を受けられるとは限らない。また、生活保護の申請をするかどうかも各人のそれぞれの尊厳の問題である(憲法13条参照)。)

現実に生活保護を受けていなくても、大畑實のように、生活保護基準額以下の状況にある者の存在を私たちは看過し得ない。すでに詳論したように、目的税である国民健康保険税のあり方について日本国憲法25条1項の生存権についての自由権的機能が適用される。そうである限り、現実に生活保護基準額以下の状況にある大畑實に対して、音更町長の行った本件国民健康保険税賦課処分及び本件国民健康保険税減免申請棄却処分は、いずれも憲法25条1項の生存権についての自由権的機能に違反し(音更町税条例の運用違憲)、違憲・無効である。

以上により、最高裁においては弁論をおこなって憲法25条1項違反問題について、公正な審理をつくすべきである。そして原判決は破棄されるべきである。

(きたの・ひろひさ)

▲上に戻る