本来、消費は人間の生活そのものである。消費することなしに人は生きられない。人は生きるために消費する。人は生命を維持するため衣と食を消費する。人は雨露を凌ぐ住い無しに生きられず住居を消費する。人が人たるために学び、知見を広めるために教育と文化を消費する。消費することが生活であり命の営みであり、生きることそのもの、人たることの証である。
現行消費税は、あらゆる消費、全ての消費に課税することを宣言する。これすなわち、人間生活全てへの課税、人としての存在そのものへの課税である。全ての消費に課税する一般消費税はまれに見る悪税である。 |
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(1)生存権を侵害する消費税
消費税の歴史は古い。しかしそれらは特定の消費への課税であった。基本的には酒やたばこ等の嗜好品や高級品への課税であった。わが国のかつての「物品税」も基本志向は「ぜいたく品課税」であり納得できるものである。「ぜいたく品課税」は余裕のある階層への課税であり応能負担の観点からも首肯される。
しかるに、ぜいたく品課税を拡大し・一般化した「一般消費税」(現行消費税)は、基礎食料品・衣料品などへの課税対象の拡散であり、余裕の無い階層すなわち普通の生活(住まい、食し、衣服をまとい、学び・働き・余暇を過ごすという)をしている人びとの、その生活そのものへの容赦の無い課税である。「人を人として在らしめることを妨げる消費税」と断罪する所以である。故に、消費税は廃止されなければならない。 |
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(2)『税の正義』は弱きものへの愛と、豊かなものの連帯を求める
L・マーフィ/T・ネーゲル著の『税の正義』という魅力的題の書物を手にした。題の魅力に劣らず、論ずるところに私は大いに魅了された。正義こそ、目指すところ・拠り所たるべき理念であり理想である。税もまた正義が貫かれなければならない。「税の目指すべきは正義である」という高らかな宣言が本書の意図である。然り、然りである。
課税原則を語るとき「公平・中立・簡素」といわれる。私はかつてこの原則に異議を唱えたことがある。課税原則の中心は「公平」のみであり、中立とか簡素の原則は副次的なものでしかないはずであると主張した。当然、公平の内実は応能負担原則を意味する垂直的公平である。この真の意味の公平概念が、「税の正義」に通ずると肯じたのである。
本書の筆者は「正義とは公正であること」、「特に弱い立場にある人への配慮こそ正義なのだ」という。引用してみたい。
「私たちは、正義がより関心を持つべきは・・・・・わずかしか資源を持っていない人々の絶対的な厚生のレベルを増加するべきであると考えている」(注1)。
「正義の理論にとっては、富の重要性は・・・・・人々の生の機会を決定する役割から考えられている。富を持つ人々は、もっていない人々よりも、資本主義経済において自らの利益を追求する大きな機会をもっている。機会の文字通りの平等は、富が人生の出発点で平等であるべきであり、富を蓄積する機会は人生の行程全体で平等であるべきだと要求するだろう。この正義の条件が高い優先権を持つならば、・・・・・・全員が人生の同じ出発点に立てるように、財産は人々の間で再分配されるべきである」(注2)。
これすなわち、所得税や相続税に累進税率を適用することの論拠である。 |
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さらに言う。「租税枠組みの結果についての評価は、最低限、二つの事柄に依存するだろう。第一は、租税枠組みが防衛、法の執行、教育といった公共財の適切なレベルを十分なまで歳入を引き上げることができるかどうかである。第二は、それが社会の最も経済的利益の少ない構成員に対して適切な生活水準を結果的にもたらしているかどうかである」(注3)。
思い出す。憲法25条を。「全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という。税の正義の要請は憲法の要請に重なる。
現行消費税・一般消費税は、最低生活を送る人々にも容赦なく課税する税であり、生活水準をさらに引き下げる働きをすることにより人々の生存権を脅かし、困窮させる。200万円、300万円で生活する人にとって、5%の消費税は10万円、15万円の生活費を奪い取られることである。一方、2000万円、3000万円の所得を得る人にとって、100万円、150万円の消費税負担は軽きに失する(高所得者は所得の全てを消費しないので負担はもっと軽い)。正義に反する租税こそ現行消費税でなくてなんであろう。
「税の正義」の筆者は次のような呼びかけを持って本書を締めくくる。「最も現実的な目標は当該社会の全員が少なくとも最低限の適切な生活の質をもつことを保障しようというものだ。低い稼得能力、貧しい教育、ひどく剥奪された幼少環境および家庭環境、不適切な食料・住居・保健医療のために誰も不利な状況から人生を始めるべきではない。そして、・・・・・困窮状態に落ち込んだ状態に放置されるべきではない」。
最低限の生活とその環境を維持・発展させることが政治の責任であり、その財源枠組みとしての租税制度は「最低限の生活の質をもつことを保障するように設計されなければならない」。この理念を実現するには、応能負担原則を体した所得税制を基本にしたもの以外に考えられず、この理念に背馳する現行消費税は廃止するほか無いとの結論に至る。
弱きもの貧しきものへのあふれるばかりの愛情こそ人間にとっての根源的なものであり守るべきものである。「税の正義」は、弱きもの貧しきものを支え守るために、豊かな人々の連帯と愛情を求めるのである。 |
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(3)消費税の先輩「付加価値税」は問題をはらむ
消費税の推進論者は、ヨーロッパでの付加価値税の普及とその税率の高さを吹聴する。そこで、この付加価値税についていくつかの指摘を必要とする。
付加価値税の祖国はフランスである。そして、付加価値税の基盤となった「近代取引高税」が、第一次世界大戦に続く国家財政の窮乏から誕生したということを知っておくことは重要である(注4)。「新税の生みの親は戦争である」といわれるが、まさに付加価値税もまたその汚名にまみれている。実は所得税もまた、イギリスにおいてナポレオンとの戦費調達を目的に整備されたことも先の格言?を裏付ける。
フランスでは1917年に取引高税が創設されたが、取引段階ごとに課税が累積するなど矛盾を解決すべく1954年に付加価値税の創設に至る。その後ドイツ、イタリア、イギリスなどもそれぞれ各種の取引高税・消費税を、ヨーロッパ共同体・共同経済圏の形成という大きな流れの中で、税制の共通化として付加価値税への改変を選択するに到る。
ドイツは1968年、イギリスとイタリアは1973年に施行した。すなわち欧州においては、取引高税から始まる長い歴史経過の中で、より合理的税制として付加価値税に到ったという経過を見なければならない。一方、わが国の消費税創設は増税を目的としたのである。
ヨーロッパ統合という大きな目標において税制を共通化する場合、所得税はまず国情の違いから不可能であり、消費課税としての付加価値税を選択したといえよう。
間接税の欠陥は低所得者への過重な負担という本質を持つことは古くから指摘されてきたことであり、付加価値税がその間接税そのものであるからして、大衆への課税、低所得者への逆進的負担という問題点の批判は避けられない。
そこで、各国とも、基本税率は高くしながら、軽減税率、ゼロ税率、非課税などの緩和措置を講じている。例えば、イギリスは食料品・書籍・医薬品・居住用建物等へゼロ税率を適用しているし、フランスは基本税率を19.6%としながら食料品や書籍等には5.5%と低い税率を適用しているのである。又、消費課税に応能負担原則を少しでも取り入れる工夫として、ぜいたく品への割り増し税率を課す国もある。
ヨーロッパにおいても付加価値税・消費課税を無批判に是認しているのではなく本質的に大衆課税であること、低所得者への過重負担を認識していることを無視すべきでない。その緩和措置を様々施すことでその批判を回避していることを見ておく必要がある。
こうしたことを無視してあたかも世界の流れが消費課税にあるかのように、消費税が良き税であるかのごとき論調を許すわけにはいかない。 |
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(4)アメリカは消費課税を拒否している国である(『税制と民主主義』)
アメリカは問題の多い国である。しかし、税制に関しては常に優等生であり続ける。所得税はその原理原則である総合課税を守り通してきた。法人税にも累進的課税を試みている。個人所得税と法人所得税の不公平を無くすべく「小規模法人」に株主への所得課税を選択可能にする工夫、租税特別措置を利用して課税を免れている個人や法人に課税する「ミニマムタックス制度」を導入したり等の多くの評価すべき先進的試みがある。
そして、輝かしいのは、連邦税制に消費課税を導入することへの断固たる拒否の歴史である。
『税制と民主主義』という素晴らしい表題の著書を見てみよう。「アメリカでは、政治的権限の分立性がその租税政策の発展を形作ってきた。どの大統領も、租税の抜け穴をなくし、課税ベースを拡大し、連邦消費税を導入することによって租税体系を改革しようと試みた。しかし、彼らの努力は、いつでも議会によって斥けられた」(注5)。
さらに具体的に言及する。「歳入委員会のウルマン新委員長は、1979年租税改革法を提案した。それは、10%の連邦付加価値税を創設して年間1,300億ドルを調達し、同額だけの所得税と社会保障税を削減するという内容のものであった。・・・・・しかし、連邦議会は、ただちに否定的に反応した。・・・・・法案は余りにも逆進的であり、複雑であり、最終的には余りに多くの歳入を生みすぎるものとして非難された。」その結果法案は葬られ、提案者のウルマンは議席を失うことになったと記す(注6)。
今でも連邦消費税の議論はある。しかし、所得税こそ税制の根幹であるというアメリカでの多数の合意は健在であると見える。
消費税の本質的欠陥である貧しい・弱いものへの過重な負担を批判する議論が大国アメリカに存在することを知るべきである。
<結論>
憲法の要請、税の正義、税制と民主主義、いずれの観点からも、「消費税」の存在は許されず、増税はもちろん論外であり、廃止すべきものであることが明らかになった。 |
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<注>
L.マーフィ / T.ネーゲル『税と正義』名古屋大学出版会2006年11月。
(注1)134頁(注2)136頁(注3)154頁。
ジョルジュ・エグレ『付加価値税』白水社1985年3月。(注4)14頁。
スヴェン・ステインモ『税制と民主主義』今日社平成8年1月。(注5)76頁(注6)187頁。 |
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(いのうえ てつじ:東京会)
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