論文

> 徴収行政の現状と方向及び滞納処分に関する基礎知識(下)
税理士の債務不履行責任
− 鑑 定 事 例 −
日本大学名誉教授・法学博士 北野弘久

はじめに

税理士の善管注意義務違反・債務不履行責任を問う訴訟が裁判所に係属している。

筆者は、税理士の法的責任については、つとに次のように単なる通常の善管注意義務ではなくプロフェッショナルとしての高度の善管注意義務であることを指摘してきた。

ここでは、税理士の債務不履行責任について私見を明らかにしておきたい。すでに詳細に指摘したあるべき税理士の使命をふまえて、『善管注意義務』(善良なる管理者の注意義務。民法644条参照)の具体的内容も解明されるべきである。税理士は、会社学・経営学等に精通した租税問題の法律家・弁護士としてクライアントである納税者の法的権利を擁護すべき職責をになっている。

そこにおいて要求される善管注意義務とは、一般人のそれではなく、右の職責をになった専門家(プロフェッショナル)としての高度の注意義務である。クライアントからは明示的に具体的に依頼されていなくても、一定の手続をつくすことによって税法上有利な取扱いを受けうる場合は、クライアントにそのことを説明し、クライアントの法的利益のために税法上有利な方法を積極的に選択し所定の行為を行うことも専門家としての税理士の義務である。

いま、課税庁から納税者に有利な取扱いが通達等で示されていて、しかも当該取扱いが日本中で広く適用されているとする。クライアントに当該取扱いの適用を排除しなければならないだけの格別の理由がないのに、同取扱いを適用しないことも、専門家としての税理士の義務違反を構成する。この点は別に、「忠実義務」の問題として論議されているが、専門家としての税理士の高度の注意義務のなかには、当然にこの種の忠実義務も包含されるものと解される。また、税法学という学問の見地から「誤謬」といわねばならない、課税庁通達等が存在する場合に当該通達等に「服従」するのではなく、専門家として自己の信ずる知見に基づいて専門家としての職責を果たすようにすることも税理士の当然の義務である。

以上、例証的に述べた高度の注意義務をつくさない場合には、税理士はその民事上の責任(債務不履行)を免れえない(拙著『税法学原論・5版』青林書院470,471ページ)。

本件の納税者は医師。同医師の経営する医院の事務長(同医師の妻)が税を免れるために関与税理士とは無関係に領収書等に偽計工作を行った。課税庁の担当官からその事実を指摘されて、関与税理士も驚いた。担当官は、本件は国税通則法70条5項の「偽りその他不正の行為によりその全部若しくは一部の税額を免れ」る場合に該当するとして7年間に遡って所得税の修正申告をするよう示唆した。関与税理士もやむを得ないと考えて、納税者を説得し、そのうえで納税者本人から当該修正申告書に署名押印してもらった。

この修正申告書提出後に、納税者(原告)は関与税理士(被告)を相手に税理士の善管注意義務違反・債務不履行違反を理由にして損害賠償請求訴訟を提起した。

税理士の責任について上記のようなきびしい見解をもつ筆者であるが、本件の事実関係をたんねんに聴取・確認等した結果、関与税理士には法的責任は存在しないとの所見をもつようになった。07年3月に以下のような鑑定書を千葉地裁へ提出した。実務の参考になると思われたので、紹介することにした。

本件の税理士側の代理人は藤野善夫弁護士である。

1 被告M・同Sについて

Mは74才、税理士としての経験約40年のベテランであり、かつ氏は税理士業界では人権派の専門家として知られている。T税理士会常務理事・日本税理士会連合会評議員などを歴任された。Sは54才、M会計センターで約30年以上にわたりMの指導を受けられ、税理士資格取得約8年のキャリヤを有する中堅税理士である。誠実かつ良心的な税理士である。

日本の税理士事務所における通常の業務スタイルは、Mの経営するM会計センターの場合、有資格者であるM・Sの指導のもとで、税理士業務補助者である職員が各クライアントへの税理士業務の実務を担当する。本件の場合、原告Dの実務担当者はKである。Kは、特にM税理士の指導に基づいて、法に従って原告の実務を処理していた。

なお、税理士法41条の2は「税理士は、税理士業務を行うため使用人その他の従業者を使用するときは、税理士業務の適正な遂行に欠けるところのないよう当該使用人その他の従業者を監督しなければならない」と規定している。Mらは、Kに対して、常時注意を払ってその監督責任を果たしていた。

2 原告への指導

【1】 原告(医師・D)の経理事務は、事務長のD1(原告の妻)が担当した。被告M税理士、その補助者Kは、くり返し原告に医業と家計の峻別分離を指導してきた。当初は「日報(I)」、「日報(II)」という資料を被告から原告に渡して、日々の入金と支払いを記入してもらう。その際、「日報」上の「本日現金有高」の金額と現実にある手許現金の有高とのチェックをしてもらう。原告に被告から渡された「日報(I)」という資料には、支払いについて「勘定科目」、「支払先」、「支払いの目的」、「金額」、そして「備考」欄があり、その「備考」にはその支払いについて的確な判断ができるように、その支払い内容についての詳細を書くスペースがとってあった。

事務長で経理担当のD1のD医院への出勤はわずか火曜日の午後と金曜日の午後のみであった。Dの経営するT医院への出勤も月曜日の夕方と木曜日の夕方だけであった。日報は毎日の窓口実績の報告であり、毎日、管理・記載する必要があった。D1の勤務実態からは、日報の作成は事実上十分にはできなかった。特に、大切な支払い経費の内容記載が行われなかった。原告の職務放棄である。そこで、被告は税理士として受任義務を誠実に果たすために、支払いについては、領収書等を必ず受け取るようにし、しかも領収書等には支払いの内容が判別できるように、書き込みをお願いした。

つまり、原告が被告に手渡す各領収書等は「日報」における経費表そのものであった。もちろん、被告に手渡す各領収書等は、家計に関するものは排除し、原告の本件医療事業に関するもののみを被告に手渡すこととした。重ねて確認すれば、本件各領収書等は、いわば原告の医療事業の経費帳そのものの機能を果たすように、被告は指導した。

被告は、提出された各領収書等の書き込み等について、慎重に検討し疑問のあるものについては毎月1回は、原告医院へ実際に赴いて、確認して適正に処理するよう努力した。提出された各領収書等につき、家計分を排除し、そのうえで医療事業分に係る支払い内容に応じた勘定科目の仕訳を行った。これは、経理・会計のプロとしての被告の当然の配慮であった。このようにして、被告は、原告の総勘定元帳を作成するよう努力した。

被告がいかに誠実にかつ適正に原告の経理・会計・税務をしていたかは、平成12年9月の税務調査の結果、課税庁の担当官は「ほぼ、完璧に近いですね。今後もこれまで通りやって下さい」と述べていたことによっても明らかである。ただし、今となっては、これは原告から被告に提出された各領収書等には虚構がなく真実であるという前提に立っての被告の処理に関しての課税庁側の評価ということになろう。 (以上につき、乙26号証、乙27号証、乙12号証、乙18号証、乙23号証など)
【2】 被告が原告から提出された各領収書等の扱いについて、いかに誠実にかつ適法に処理しようとしたかの具体例として、例証的にそのいくつかを明らかにしておきたい。
被告は、受け取った各領収書等だけでは判断できないものについては、とりあえず仮払金として処理し、そして翌月の原告医院訪問で内容を確認したうえで、最終処理をする。その内容確認の結果、医療事業と関係のないものについては仕訳を削除し、また事業主勘定に振り替える。乙24号証(総勘定元帳)で明らかのように、例えば平成14年1月4日に事業用通帳から82,283円が落ちているが、この金額だけでは内容がわからないので、原告に確認したところ、昭和62年に投資の目的で池袋のワンルームマンションを購入した際の借入金の返済ということが判明。事業主勘定に振替処理した。
月毎に事業用通帳から自動的に引き落とされる原告個人の国民年金掛金、国民年金基金掛金、医師会の企業共済掛金、保険料等は事業経費にならないので、事業主勘定で処理する。平成14年1月25日の保険料30,400円の経費性が判らないので、原告に確認したところ医師会のグループ保険料ということが判り、事業主勘定で処理した。
平成14年3月5日の200,000円の性格が判らないので、原告に確認したところ、保養所(別荘)の使用料の金額を事務長に支払ったことが判明。事業主勘定に振替処理した。
平成14年4月12日に156,420円の振込支払書があった。原告に確認したところ、マンションの店子に敷金を返済したということであった。本件医療事業と関係のない不動産所得に関するものであったので、事業主勘定に振替処理した。
平成14年4月30日の8,000円と18,400円の税金支払いの意味が判らないので、原告に確認した。自分宅の固定資産税ということが判明。事業主勘定に振替処理した。
平成14年9月11日にT百貨店へ84,262円の現金支払いの領収書があった。被告からの指導に基づく支払い内容についての書き込みが全くなかった。原告に確認したところ、家事関連の購入と判明。事業主勘定に振替処理した。
領収書に「お品代」とある場合には、内容が不明。原告にいちいち確認のうえ、処理するようにしている。
被告から原告への上記指導に従って、原告から提出された領収書等への書き込みに基づいて被告は会計処理をしている。例えば、平成14年1月16日のT百貨店19,530円の領収書に「お礼」との書き込みがあった。そこで、交際接待費として処理した。平成14年1月29日のダイエーの領収書に「蛍光灯代」との書き込みがあった。そこで消耗品費として処理した。平成14年3月12日のS百貨店19,110円の領収書に「M先生・Kさん確定申告お礼。シャツ代」との書き込みがあったので、交際接待費として処理した。平成14年3月20日のO百貨店24,150円、16,012円の領収書に「スタッフへの記念品」との書き込みがあった。従業員への勤続記念としての贈り物なので、福利厚生費として処理した。
(以上、乙23号証、乙24号証、乙25号証)
以上は、平成14年における原告から提出された領収書等につき、被告側の処理の例証である。以上の例証によっても明らかなように、被告は、提出された領収書等の書き込みについて疑問のあるもの、また書き込みのないものについて、原告にいちいち確認したうえで、会計処理をしている。被告は受任者として善良な管理者としての注意義務を尽くしているといわねばならない。

3 平成15年10月税務調査と原告の本件仮装処理

原告が被告の上記指導に従って各領収書等の処理をしておれば、本件は起きなかった。被告の全関係者(M、S、Kら)が夢想だにしなかった偽計行為を原告の事務長のD1が行っていたことが、平成15年10月1日の課税庁による税務調査で判明した(以下事務長のD1が行った行為であるので、原告側の行為として扱う)。課税庁担当官が指摘した「被告とは無関係に原告の行った偽計行為」の一端を例証的に指摘する。

例えば原告は平成12年1月5日にT百貨店からダイヤモンド全周ネックレス281,610円を購入した。原告の事務長のD1は、これをあえて5枚の領収書に分けてもらって、購入した。T百貨店の領収書番号No.07923、68,460円。No.07924、50,400円。No.07925、49,350円。 No.07926、57,750円。No.07927、55,650円。以上の合計281,610円。

おそらく上記5枚の領収書には日付が入っていなかったものと推察される。原告は、上記5枚のうち、3枚について、日付と支払い内容の書き込みを行って、被告に渡した。すなわち、平成12年7月2日お中元68,460円。平成12年7月12日お中元50,400円。平成13年1月4日年賀用品代49,350円。被告は、事情を全く知らないので、かつ何ら疑いをもたらすものでもなかったので、平常の処理に従って上記書き込みに基づき、それぞれ各交際接待費として処理した。

また、平成14年11月15日に原告は同じT百貨店でデザインリング234,360円を購入した。原告は、これを3枚の領収書に分けてもらって、購入した。T百貨店の領収書番号No.03503、84,000円。No.03504、94,500円。No.03505、55,860円。以上の合計234,360円。おそらく上記3枚の領収書には日付が入っていなかったものと推察される。原告は、上記3枚の領収書について日付とお歳暮代と書き込んで、被告に渡した。平成14年12月3日84,000円。平成14年12月3日94,500円。平成14年12月3日55,860円。被告は、事情を全く知らないので、かつ何ら疑いをもたらすものでもなかったので、平常の処理に従って、それぞれ交際接待費として処理した。

この偽計行為については、平成15年10月1日の課税庁担当官の税務調査において厳格に裏付けがなされている。すなわち、「D1さん、あなたはT百貨店から買ったネックレス、デザインリングをカードを使用したにも関わらず、手書きの現金支払い用の領収書に分けて作成させ、更にお中元、年賀用品、贈答品代と自ら領収書に記載し、経費として処理しましたね」という一番の問題点を指摘する質問に対し、D1も、顔面蒼白になり、涙を流しながらも認めている。原告(D本人)もその時に初めてD1が個人の買い物を事業の費用として処理していることを知り、立腹し大声で「なんて馬鹿なことをするんだ」とD1に怒鳴りその非をとがめている。

この偽計行為については、Kも当日まで知らなかった。
(T百貨店の他の事例を含めて、詳細は、乙6号証、乙8号証1−4、乙26号証、乙7号証、乙23号証 D1証言など)。

原告は、つまり事務長のD1は、自分が嘘の領収書をつくらせたことを認めて、担当者の前で、泣くだけであった、という。被告は、以上の事情を知らないので、かつ何ら疑いをもたらすものでもなかったので、被告は平常の処理に従って、交際接待費として処理したわけである。

以上は課税庁担当官が示した偽計行為のほんの二、三の例にすぎない。そのような偽計行為は多くの勘定科目において見られる。担当官は、レシートなどを集めており、各経費項目について否認した理由、根拠について被告に説明した。被告としても可能な限り、反論などをした。担当官は、平成8年分から平成14年分までの各経費項目(専従者給与関係を除く)について、その否認額は合計18,088千円余になることを示した(乙9号証の1,2、乙10号証など)。原告は、「これくらいの額だったらしょうがない」とつぶやいたという(乙23号証)。

4 青色事業専従者給与について

【1】 原告は、D1について青色事業専従者給与を70万円引き上げるための手続を怠ったと被告を非難している。この点について、税理士としての債務不履行が存在するかどうかを検討することとした。D1の事業専従者給与については平成8年7月に60万円にする変更届を提出している。原告は、平成9年になり、3月の確定申告書を提出する際にD1の専従者給与を引き上げる手続を被告に要望した。被告としては税法の専門家として、次の諸事情を考慮して提出を見合わせていたのが真相であった。
平成8年7月に60万円に引き上げたばかりであり、1年後にまた引き上げるのが妥当ではない。
D1の勤務実態は、平成5年の開院当時から、自宅で仕事をしているといって、毎週火曜日の午後と金曜日の午後のみであった。経理担当を含む事務の総括を行う事務長の勤務としては対外的に客観的にあまりにも不十分といわねばならない。平成10年7月から原告Dが別に経営するT医院が開院された。そのT医院でのD1の勤務実態は、月曜日の夕方と木曜日の夕方にすぎない。
D1は、D医院(原告Dの経営する医院)開院までは専業主婦であり、会計・経理事務の能力が不十分であった。
平成12年度の税務調査の段階で、課税庁担当官から、D1の給与について「これ以上上げないでください」という示唆があった。
平成15年度の税務調査の段階で、課税庁担当官からの指摘は、70万円の変更届けの問題ではなく、D1の客観的な勤務実態が問題である、とされた。60万円の届出書によって計算すると、D1は年額1,080万円まで給与の支給が認められたことになる。
  しかし、担当官の提示額はD1の勤務実態からいえば年額400万円相当であるという(乙2号証の1)。被告が課税庁担当官に対して交渉して、「原告Dの経営するD医院が所在するF市で開業している医院の事務長の平均額」を要請した。その結果が、乙2号証の2である。それによれば、たとえば平成14年度は8,459,000円である。月額60万円であれば、年額1,080万円まで許容されるはずであった。これによれば、D1の妥当額は月額60万円以下であり、具体的には月額47万円となる。原告の指摘する70万円の変更届の問題と無関係である。

青色事業専従者給与額については、所得税法57条1項は「その労務に従事した期間、労務の性質及びその提供の程度、その事業の種類及び規模、その事業と同種の事業でその規模が類似するものが支給する給与の状況その他の政令で定める状況に照らしその労務の対価として相当であると認められたもの」と規定している。同条同項の政令とは所得税法施行令164条1項である。

所得税法施行令164条1項は、「青色事業専従者の労務に従事した期間、労務の性質及びその提供の程度、その事業に従事する他の使用人が支払を受ける給与の状況及びその事業と同種の事業でその規模が類似するものに従事する者が支払を受ける給与の状況、その事業の種類及び規模並びにその収益の状況」と規定している。つまり、右の状況に照らしてその対価として相当と認められる金額、ということになる。

F市で開業している医院の事務長の青色事業専従者給与の平均額として課税庁担当官が提示した各年度の給与額は、次のごとくである(乙第2号証の2)。
 
年 度 平成14年分 平成13年分 平成12年分 平成11年分
給与額 8,459,000円 8,654,000円 7,062,000円 7,627,000円
平成10年分 平成9年分 平成8年分
7,627,000円 6,920,000円 7,094,000円
  課税庁担当官が提示した上記実態年給与額を月額に換算すると、次のごとくである。
 
年 度 平成14年分 平成13年分 平成12年分 平成11年分
給与額 47万円 48万円 40万円 43万円
平成10年分 平成9年分 平成8年分
43万円 39万円 40万円
  先に紹介した青色事業専従者給与額に関する所得税法の規定に鑑みて、乙第2号証の2の内容が真実であれば、これに基づくD1の青色専従者給与額否認は、やむを得ない。これによると、平成8年分から平成14年分の実態給与額の月額は、39万円〜47万円ということになる。未届けの70万円、届出済みの60万円ではなく、50万円以下となることに注意されねばならない。被告が70万円の変更届を提出しなかった諸事情は前出のとおりであり、専門家としての税理士の妥当な判断であったと言わねばならない。この点について原告が主張する債務不履行は成立しない。
【2】 原告Dは、被告がD・D1の次男D2について青色事業専従者給与の届出書を提出しなかったことを非難している。
被告が原告からの要請にもかかわらずD2について届出書の提出を見合わせていたのは、次の諸事情を考慮してのことである。
D2は、平成12年4月に診療放射線技師の免許を取得した。原告の医院に就職した。
しかし、その就職の実態は、原告の医院に就職したといっても、別に他の病院に就職してすぐ辞めたり、また原告のところに戻ってきたりしていた。原告のところでの勤務状況も果たして青色事業専従者の要件に充足するかどうか疑わしいという印象をもった。また、しばらく海外で暮らしていた時期もあった。
被告は、青色事業専従者の届出書に記入して準備していたが、以上の事由で提出を見合わせていた。
平成15年の税務調査で「D2の給与はI駅のT銀行に振り込んで、通帳とお金の管理は事務長でD1(D2の母)が管理している」ということが判明した。その意味では、D2の給与の支払いも形式的であり、通常の勤務の実態があるかどうか、厳密には疑わしいものであった。
被告から、平成15年1月に「D2(原告の次男)さんの給与の件ですが、働いていないのなら、支払いはやめましょう」と原告に提言をした。
  以上の諸事情からいえば、D2が青色事業専従者給与を受け得る者(所得税法57条1項、所得税法施行令165条など)に該当するかはきわめて疑問であった。税理士はクライアントである納税者の権利を擁護すべき立場にあるが、それもあくまで法の規定するところに従って行うことが義務づけられている。被告が平成15年12月まで届出書を提出しなかったのは、プロフェッショナルとして法の規定に従って行う必要があったためである。この点の被告の判断は妥当であったといわねばならない。それゆえ、税理士としての債務不履行責任は成立しない。

5 青色申告承認取消し問題

【1】 課税庁担当官は、先に例証的に紹介した原告の偽計行為により、本件は国税通則法70条5項の「偽りその他不正の行為によりその全部若しくは一部の税額を免れた場合」に該当し更正期間は7年になる事案である、と説明する。また、国税通則法68条1項の「その課税標準額等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していた」ときに該当し、重加算税の課税の対象になる事案である、と説明する。以上の事実を前提とすれば、本件は、所得税法238条1項の「偽りその他不正の行為により、所得税を免れた場合」に該当し、理論的には租税ほ脱犯としての刑事責任を問われかねない事案であるということになる。

以上の次第で、課税庁担当官は、本件は、当然に所得税法150条1項3号の「その年における第1号[所得税法150条1項1号]に規定する帳簿書類に取引の全部又は一部を隠ぺい又は仮装して記載し又は記録し、その他その記載又は記録をした事項の全体についてその真実性を疑うに足りる相当の理由がある場合」に該当し、青色申告の承認取消しの対象となる事案である、と強調する。

被告は、原告の担税力を考慮してなんとしても青色申告の承認の取消しだけは阻止したいと考え、課税庁担当官と交渉し、その結果、7年間の修正申告に応ずれば、課税庁担当官としては青色申告の承認取消しは行わない、という結論になったものである。もとより、被告としては、右の結論に及ぶまでには、各経費項目の否認額について反論し、また「すでに平成11年以前は調査が終了しているので、修正申告の期間を平成12年、13年、14年の3年間に限定して欲しい」と課税庁担当官に交渉した。

プロフェッショナルとしての税理士、とりわけ人権派として高い評価を受けている被告は、クライアントである原告の立場を擁護するために、最大限の努力をしたことは証拠上疑いの余地がない。しかし本件は、理論的には租税ほ脱犯として刑事責任をも問われかねない「悪質」の事案である。

原告の行った偽計行為は被告の知らないところで、また、被告とは無関係に、また専門家としての被告も見抜けない「巧妙」な自然体で行われたものである。課税庁担当官から示された具体的な諸証拠により、被告としても、課税庁担当官の指導に従って、本件修正申告に応ぜざるを得なかった。

被告の努力により青色申告の承認取消しを免れ、それによって約3千万円を超える税負担が軽減された。さらに、租税ほ脱犯としての刑事訴追を免れた。原告は、むしろ被告に感謝すべきである。
(乙12号証、乙18号証、乙6号証、乙7号証など)
【2】 原告は、被告が課税庁担当官による示唆により本件12月修正申告に応じたことを非難する。この問題については甲26号証が問題とされている。「個人の青色申告の承認の取消しについて」(事務運営指針)(平成12年7月3日、課所4−17、課資3−6、課料3−10、査察1−26)がそれである。

これは、税務行政内部の一応の運用基準を示したものである。所得税法150条1項3号の基準として、隠ぺい・仮装の事実に基づく所得金額が当該更正等に係る所得金額の50%に相当する金額を超える場合、が示されている。もっとも、右の基準に該当しない場合であっても「相当の事情がある場合の個別的な取扱い」により所得税法150条1項3号により取消しをすることを規定している。また、所得税法150条1項1号又は2号に該当する場合には、所得税法150条1項3号に関するこの事務運営指針の基準によらないで、青色申告の承認取消しを行うことが規定されている。

本件においては、原告が被告に提出した各領収書等の決定的重要性が看過されてはならない。原告においては実質的には所得税法148条で規定する帳簿書類を整備していない。先に明らかにしたように、原告が被告の指導に従って被告に提出する各領収書等が実質的には唯一の帳簿書類といってよい。

もとより各領収書等は各取引の真実を反映するはずの第一級の原資料である。この原資料である各領収書等に被告も見抜けない、いわば「自然体」での虚構が行われていた。これらは、まさしく租税ほ脱犯における犯罪構成要件該当の偽計行為である。甲26号証は一応の運用基準を示したものであるが、量的に所得税法150条1項3号の50%基準を充足していなくても、本件偽計行為の悪質性に鑑み、本件は理論的には、所得税法150条1項3号の青色申告の承認取消し事案であり、実務的にも所得税法150条1項3号該当により青色申告の承認取消しの行われる事案である(この点、最高裁平成17年10月20日  第一小法廷判決・国税速報5799号16頁参照)。

以上要するに、本件青色申告承認取消しを阻止した被告の努力が高く評価されるべきである。

6 結 語

被告も容認している6月修正申告分(減価償却方法を不注意により誤った)は、税理士としての善管注意義務違反である。しかし、本件で争われている12月修正申告分については、以上の詳密な検討で明らかのように、被告につき税理士としての善管注意義務違反は成立しない。

被告は、人権派のベテラン税理士として原告に対して的確な具体的な指導を行ってきた。被告の実務担当者が、被告の責任ある指導のもとに、総勘定元帳の記載および納税申告にあたって、被告に提出された各領収書等に書き込みのないもの、書き込みがあっても判断しかねるもの、などについては翌月、最低一回は原告医院へ訪問し、具体的に検証・確認等して適法かつ誠実に処理してきた。

本件12月修正申告で問題となった各領収書等は、被告も全く見抜けない、いわば「自然体」で行われた悪質の偽計行為である。これらは、原告につき租税ほ脱犯として刑事責任を問われかねない犯罪行為でもある。もし、原告につき租税ほ脱犯に問われた場合には、原告の医師免許も剥奪されないという保証はない。

被告は、本件12月修正申告にあたって、原告にその経緯と諸事情を説明したうえで、原告も納得したうえで、本件12月修正申告に原告自ら署名・押印をした。本件納税申告にあたって、被告は法の規定するところに従って誠実に原告に対処しているのであって、税理士としての善管注意義務違反は存在しない。

以上、要するに、被告の全力投球の努力によって、本件修正申告を行うことで本件は決着したものである。被告のこのような努力により、原告は、青色申告承認取消し処分による巨額の経済的不利益を免れ、また、租税ほ脱犯としての刑事訴追を免れたことに対して、被告に感謝すべきであろう。

(きたの・ひろひさ)

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