論文

特集消費税仕入税額控除否認 >「日の丸・君が代」私なりの結論
仕入税額控除否認の“適時提示説”への疑念
− 補佐人活動から見た最高裁判決の批判的検討
北陸会藤田康雄  

第3本件事案にあてはめたときに生ずる最高裁判決の“適時提示説”の破綻

滝井裁判官の反対意見を念頭におきながら、前記最高裁判決の結論をそのまま、本件事案にあてはめてみると、一層最高裁判決の異常さが見えてくる。そして、“適時提示説”が、その基礎部分から破綻していることが露呈する。
1担当調査官の想定外の「誤解」
先に触れたように、本件原処分を担当した調査官は、銀行振込書の確認と反面調査による取引先の確認によって、課税仕入れが是認できると認識し、行動していた。その結果、原処分段階では、実際に銀行振込書の確認と反面調査の結果をもとに課税仕入れを積極的に是認した。また、異議決定においてもこれを是認している。その金額は、少額ではなく課税仕入れ取引の約70%を占める億単位の金額である。

原処分を担当した調査官は、本訴において、課税庁側代理人から銀行の振込受取書などに基づき仕入税額控除を認めた理由について尋問され、「その当時は、法定請求書の規定の解釈をそんなに細かく考えておらず、取引の事実とか支払の事実が明らかになる書類であればできるものと誤解しておったと思います」と証言している。担当調査官は、原処分当時、銀行振込書等の確認で足りると考え、自らの判断で、オークション場の計算書等の提示に拘らず、その確認を省略していたのである。

上記“適時提示説”に基づく最高裁判決は、その適否はともかく、実際の税務調査を担当する調査官が、このような「誤解」を平然と犯す水準の公務員によって担われていることを想定していない。そして、調査官が、このような「誤解」のもとで、積極的に提示を求めなくてもいいと判断することも想定していない。このような判断を、原処分の調査官が下してしまった場合は、“適時提示説”に従えば、事後的に提示は不可能であり、救済の機会が失われてしまうことも、全く想定していない。

まさに、“適時提示説”に立つと思われる国税不服審判所は、その見本のように、上記原処分段階の調査官の「誤解」を逆手にとって、特に争点となっていないにもかかわらず、原処分あるいは異議決定で是認されていたオークション場からの課税仕入れにつき、原処分時の担当調査官が法定請求書等を確認していないとして、平成6年分は約1億6,300万円、平成7年分は約3億2,700万円、事後的に仕入税額控除を否認する暴挙ともいえる裁決を行った。

課税庁も、本訴においては、“適時提示説”にたち、国税不服審判所と同様に、原処分段階の担当調査官の「誤解」を逆手にとって、自らが原処分あるいは異議決定で是認し、審判段階で特に争っていなかったオークション場からの課税仕入れを全額否認するに至った。
2やり直しがきかない異常
このように、その是非はともかく、原処分段階の生身の調査官が、調査当時の知識・認識等で、現場で下した判断に基づく調査の程度・内容が、事後的に不備があったとして、仕入れ税額が否認されるとすれば、その原処分段階の調査官の一挙手一投足、知識・認識・判断等の内容如何が課税仕入れの範囲を決定するに等しいこととなる。すなわち、現場の調査官のみが法律の執行者と言う、強大な権力を手にするのである。いわば、調査官がどのような水準の者であろうと、一旦調査の現場に出れば、「神」に近い存在となる。異議・審査・裁判段階では、時間的に過ぎ去った原処分時に立ち返り、やり直すことが二度とできないことは自明である。

租税法において、課税仕入れの認定という課税要件の確定手続に相当する部分を、現場における調査官の胸先三寸、判断内容如何にすべて委ねると言うことがかつてあっただろうか。本件における担当調査官の例のように、裁判における証言台に立ってから、原処分当時は、「誤解しておった」間違ってそう思っていました、と言う言い訳で済ませ、その「誤解」に基づき算定された課税仕入額が、たやすく課税仕入れ要件不備により事後的に否認(減額)され、納税者に不利益に処分されることが許されるであろうか。そして、“適時提示”要件を欠くとして、事後的には決して増額是正はできないものとされ、異議・審査段階はおろか、訴訟段階においても審理の対象とされないことが許されるであろうか。

このような事態は、実質的に不服申立制度を否定するものであり、あたかも中世の暗黒裁判に逆戻りした観である。

これを結果的に是認することとなる上記“適時提示説”にたつ最高裁判決は、その前提において軽薄のそしりを免れず、理論的精緻さに欠けるいわば「政治的判決」である。もはや、その正当性は存せず、破綻していると言わざるをえない。
3担当調査官の「誤解」の修復が必要
したがって、課税仕入れの要件を満たしているかどうかは、異議・審査請求・裁判のいずれの段階においても、客観的に確認可能であれば、これを審理の対象とし、各段階において、それぞれ法律によって与えられた不服申立て機関の審理権限に基づき決すべきである。不服申立て制度が用意されているのは、人類の文明的知恵の結晶であり、誤りを再度正す機会を保障するためである。滝井繁男裁判官の反対意見こそ正当性を有する。

なお、そうでないとしても、少なくとも、本件事案のように原処分段階の担当調査官に「誤解」があり、その「誤解」に基づく税務調査の実施が、事後的に回帰不能な重大な結果を課税処分にもたらす場合は、当然に、その後の異議・審査請求・裁判の段階で、審理の対象に据え直し、是正する機会を与えるべきである。不服申立制度あるいは訴訟が後見的に存在する意義は、そこにこそある。

本件事案の場合にまで、上記国税不服審判所と同じ立場に立ち、あるいは課税庁の主張を受け容れ、“適時提示説”に沿った判断に固執すれば、もはやそれは本件事案の具体的な税務調査の経過・内容を無視し、熟慮しない、司法の自殺行為である。
4本件事案の第1審判決の内容と矛盾の顕在化
納税者側は、裁判で仕入税額控除否認につき、おおむね上記のような主張を展開した。しかし、本件事案の第1審判決は、これを認めなかった。

判決は、まず判断の前提として前記最高裁判決の結論を引用したうえ、「税務調査等のために税務職員等により適法な提示要求がなされたにもかかわらず、正当な理由なく納税者がこれに応じなかったときは、その時点において帳簿等の保存がなかったことが事実上推定され、反証のない限り、仕入税額控除は認められないことになる」と解し、「また、この事実上の推定は、その後の不服申立手続や訴訟手続において、その不服申立手続又は訴訟手続の時点における帳簿等の保存が確認されたからといって、それだけで直ちに覆されるものではなく、それ以上に、税務調査等の時点において帳簿等が保存されていたことを推認させる事実の具体的な立証がされてはじめて上記の推定が覆される」と言う立場を示した。

そして、「確かに、証拠(証人W)によれば、W調査官は、本件調査当時、オークションによる車両仕入れに係る銀行振込書等が法定請求書に該当する旨誤解していたことが認められる」と認定しながら、「W調査官がオークション計算書の提示を受けたにもかかわらずことさらその確認を省略したことを認めるに足りる証拠もない」として、「提示をしたという原告の供述は直ちに採用することができない」と決め付けた。結局、“適時提示説”の呪縛に拘束されている裁判所は、あくまで原処分時に「現実に提示があったかなかったか」に強く拘泥しつづけ、現実に「本件調査時においてオークション計算書を提示したものとは認められない」ことのみを理由として、「帳簿等の保存がなかった」と結論づけたのである。

しかし、W調査官は、本件調査当時、銀行振込書等を確認するだけでよいと考えていたのであるから、W調査官が不必要と考えているオークション計算書が提示されても、これを確認する必要がないと判断し、そのように行動した(提示に拘泥する行動をとらなかった)と解する方が、経験則に照らし自然であり、より合理的であろう。

私自身の調査立会の経験から、そのような場面(課税仕入れの具体的な資料を提示しようと取り出したところ、調査官から、「それいいですわ。大体の水準がわかりましたから。」と断わられる場面)をいくつも経験している。税理士であれば、誰でもが経験していることであろう。消費税の課税仕入れの確認に関しては、調査現場では、調査省略は、むしろ日常茶飯事のことである(注3)

裁判官の頭の中には、このような実際の調査現場の実状への理解が完全に欠落している。事実のありのままを見る良識・見識を失い、あらかじめ設定した結論へ強引に持ち込むためだけに、言葉を組み立て、判決を「作文」している。これは、最高裁判決が示した“適時提示”という仕入税額控除否認基準が内包する矛盾の顕在化に他ならない。裁判官が“適時提示”要件に呪縛のようにとらわれ、これに迎合し、無理にすり合わせようとしたことから生じた「足跡」であろう。ここに至っては、租税法律主義の見地を放棄した司法の衰退と理性の退廃すら感ぜずにはいられない。

むすびに

最高裁判決は、憲法判断ゆえ、抽象的な判断指針とならざるを得ないのかもしれない。しかし、上記で明らかにしたように、現実の税務調査の実態、あるいは第一線の調査官の水準と我が国の税務調査の現場を無視した結論は、砂上の楼閣である。何ら、現実の紛争を適切・合理的に裁断し、正義を貫徹する尺度たりえない。

そのような非現実的な尺度は、最高の裁判規範としてあがめる必要はないと考える。

我が国の民主主義と憲法規範が権威をもちえるのは、そこで示される判断規範が、もっともなものとして国民の多数から支持され得る要素をもっているからに他ならない。仮に、最高裁判決といえども、そのかけらもない事例に遭遇した場合は、主権者として、果敢に批判し、これを質していくべき責務が、納税者・国民一人一人に課せられている。これは、「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(憲法12条)と定められている憲法それ自体の要請でもある。

私は、本件事案について税理士補佐人として活動し、訴訟を遂行するなかで、そのことを強く自覚させられた。控訴審では、最高裁判決への批判を一層深化させ、租税法律主義の見地から裁判所に再考を迫っていきたいと考えている。
(注3) 調査現場で日常的に行われている仕入税額控除に係る調査省略の実状について、本件事案の控訴審において新たな証拠を提出したいと考えている。読者諸氏から、この実状に関する税理士としての率直な体験記を全国からお寄せいただければ、証拠として活用することもできよう。ご協力を乞う次第である
(送付先:〒939-8211富山市二口町3-6-1Tel 076-492-7542)。
(ふじた・やすお)

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