論文

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「日の丸・君が代」私なりの結論
東京会田村美也子  


3月になると君が代・日の丸問題について新聞に何らかの記事が載りますが、今年もまた都立高校の卒業式で「君が代」斉唱時に「日の丸」に向かって起立するなどの職務命令に違反したとして21人の教職員が懲戒処分を受けました。

2003年に東京都教育委員会が入学式や卒業式で「日の丸・君が代」を教職員に強制する通達を出して以来、不服審査請求を行った教職員は延べ223人になるそうです。

私の世代は君が代は国歌、日の丸は国旗と学校で習って育ってきました。だから、これらに反対するという気持ちは持っていませんでしたが、いろいろな人の話を聞くうちに日の丸・君が代がどういう意味を持っているのか少しずつ理解してきました。

そして、去年の娘の卒業式にて参観していた母親の中でただ一人立ちませんでした。卒業生が18人しかいない小さな小学校だから母親の数も知れたものです。立たないことはとても目立ちました。
私自身は、日の丸・君が代には何の感慨もありません。それでも立つまいと決めたのはさらに遡ること1年前です。

教職員が処分をされる、それをかばう生徒がいればまたその担任の教師が処分される。
処分をしてまで強制しようとする国旗・国歌とはいったい何なのか?それっておかしくないのか?教職員が処分され、生徒達が先生をかばうことが出来なくなれば、最後に残っているのは保護者しかいない。そんな思いでした。

我が子の卒業式の1年前から立たないことを決めましたが、行事が近づいてくるうちに気持ちが萎えそうになりました。当日のぎりぎりまでドキドキしていました。

そしてその時がきました。ほんの数分間の出来事でしたが、私は自分の勇気を誇りに思います。立ってしまったら今の政治のおかしさも、憲法9条のことも子ども達に話せなくなってしまう、その気持ちが私の小さな勇気を支えました。

月が明け4月に行われた入学式の時ももちろん立ちませんでした。
再来年、2番目の娘の卒業式があります。また、ただ一人座っていることになるのでしょうが、小心者の私はその日が来るのをまたドキドキしながら待っていることになるのだろうと思います。それでも、9条の大切さを語っていくためには子どもに恥じない、自分に矛盾しないようでありたいと思います。

(たむら・みやこ)

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