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アメリカの政策によって戦争責任を免れた昭和天皇は、講和後、1952年10月16日に靖国神社を参拝。75年8月15日の敗戦の日に三木首相が現職首相としてはじめて靖国神社を参拝。ただし、「私人の資格」で。78年8月15日に福田首相が三木首相よりも踏み込んで「内閣総理大臣の肩書き」で、参拝。
1979年4月19日になってはじめて、実は78年10月17日にひそかに東条英機以下A級戦犯14人が合祀されていたことが判明した。その14名は、東条英機元首相、板垣征四郎元陸軍大将、土肥原賢二元陸軍大将、松井石根元陸軍大将、木村兵太郎元陸軍大将、武藤章元陸軍中将、廣田弘毅元首相の7名が絞首刑。松岡洋右元外相、永野修身元海軍大将の2名が公判中病死。白鳥敏夫元駐イタリア大使、東郷茂徳元外相、小磯国昭元陸軍大将、平沼騏一郎元首相、梅津美治郎元陸軍大将の5名が受刑中に獄死。以上の人々は「戦死者」ではない。戦死者とはいえないB・C級戦犯についても合祀されている。
80年8月15日に鈴木内閣の閣僚が参拝。81年8月15日に鈴木内閣の閣僚全員が参拝。84年4月13日に自民党総務会「靖国公式参拝は合憲」と発表。85年2月11日に中曽根首相が「建国記念の日を祝う会」主催の記念式典に首相として初めて出席。85年8月15日に中曽根首相は首相として初の靖国公式参拝。86年以降中国、韓国の抗議に配慮して、首相の公式参拝が見送られるようになった。 |
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小泉首相の靖国参拝を日本国憲法20条3項の政教分離原則違反とする司法裁判所の判決が示された。04年4月7日福岡地裁判決は、首相の靖国参拝は、国の宗教活動に該当し神道の靖国神社を援助、助長、促進するような効果をもたらしたと判示し、違憲とした。05年9月30日大阪高裁判決は、首相の靖国参拝は首相としての「職務を行うもの」に該当し違憲とした。 |
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小泉首相の靖国参拝について、中曽根元首相(元海軍将校)は「小泉君、靖国へ参拝したければ、首相を辞職してから行きなさい」と述べる。首相の靖国参拝は、あるべき歴史認識に反する。とりわけ中国、韓国の人々にとっては日本帝国主義・日本軍国主義への反省なしと映る。彼らにとっては「ヒットラーへの参拝」と同じようなものである。この意味において日本国の「国益」に反すると言ってよい。 |
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中国にとっての靖国問題とは、高橋哲哉『靖国問題』によれば、次のごとくである。
「A級戦犯」の合祀を問題にするということは、逆にいえば、それ以外は問題にしていない。B、C級戦犯、日中戦争中に死んだ高級将校たちを問題にしていない。靖国神社そのものを問題にしていない。これは日本の国内問題である。しかも、「A級戦犯」の合祀自体を問題にしているのではない。中国としては、日本の首相がA級戦犯を合祀していることが明らかになっている靖国神社へ公然と参拝すること自体を問題にしている。 |
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A級戦犯の分祀については、1986年2月27日に靖国神社側が拒否した。松平永芳宮司「神社には『座』というものがある。神様の座る座布団のこと。靖国神社は他の神社とは異なり『座』が1つしかない。250万柱の霊が1つの同じ座ぶとんに座っている。それを引き離すことはできません」。靖国神社の「教義」からして、いったん神として祀ったものをはずすことができないというのである。東条家が反対した。「合祀の取り下げは、東京裁判という戦勝国の一方的な断罪を受け入れることになる。それでは、日本の国と家族のことを思って一途に散っていった246万余の英霊に申し訳ない」。(以上、高橋哲哉・前出書)
靖国神社が分祀に同意しないのに政府が分祀を強制すれば、新たな政教分離原則違反をもたらす。 |