(1)税の源泉としての所得と応能負担 |
税制の役割がすべての国民の幸福の保障にあるという観点から、あるべき税制の姿を考えることが必要である。原理的に考えれば、税の源泉は毎年発生する所得(資産の増加)と、過去の所得の残余である資産の2つしかないのは明らかである。結局は、課税源泉は所得そのものである。しかし、人間は生活し、所得を生み出す活動をしなればならない。したがって、所得から生活と勤労のための消費を差し引いたものが課税対象となりうる。マクロ的、国民全体としてみた場合には、課税対象は所得しかなく、さらに課税可能額は所得から生活費・勤労費を差引いた額でしかない。
同時に、すべての人の幸福を保障することが近代国家の理念であることを考えれば、各人がどれだけの税を負担すべきか、負担できるかが明らかになる。わが国の憲法は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定し、最低限の生活費には課税しない、最低限の生活ができない人には国がそれを保障することを原理的に明確にしている。
この憲法の規定をさらに敷衍すれば、税の財源は生活費を上回る所得のある人が負担できるし、負担すべきであること、社会と国家、国民の存在と有形無形の援助があって所得が生み出されていることから、結果として多くの所得の獲得をした人がその一部を社会、他の仲間・国民に還元・提供することが必然であり、そのことなしに社会国家は存続し得ないはずである。 |
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(2)所得格差と税の負担 |
国民所得と税との関連、所得格差の存在と税制のあり方を考察していきたい。税収は国税地方税の合計とし、以下のような関係を前提にして、数値的に検証する。
国民所得=1人当たり生計費×人口+資産増加=基礎消費+余剰消費+資産増加
国民所得が全体として1000、基礎消費が各人250、3人であれば合計750となる。下記のように個人所得に格差があると、所得の多いAは、基礎消費、余剰消費をした上で、資産増加が可能となる。平均所得のBは、所得で基礎消費をまかなえる。低所得者のBは所得では基礎消費がまかなえず、資産が150マイナスとなり、過去の累積資産がなければ借入れするしかない。 |
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国民所得 1000 |
基礎生計費 750 |
余剰生計費 250 |
資産増加 0(A 150B 150) |
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個人 |
所得 |
基礎消費 |
余剰消費 |
資産増加 |
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A |
650 |
250 |
250 |
150 |
B |
250 |
250 |
0 |
0 |
C |
100 |
250 |
0 |
−150 |
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合計 |
1000 |
750 |
250 |
0 |
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Cは生活できず、このような社会は永続できない。解決策は、余裕のある個人AがCに対し所得を150だけ移転すれば良い。Aは150の所得移転するために、余剰消費を削減するか、資産増加を諦めれば良く、移転後もなお他の人よりリッチであり続ける。 |
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所得 |
所得税 |
給付 |
差引 |
基礎消費 |
余剰消費 |
資産増加 |
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A |
650 |
−150 |
0 |
500 |
250 |
100 |
150 |
B |
250 |
0 |
0 |
250 |
250 |
0 |
0 |
C |
100 |
0 |
150 |
250 |
250 |
0 |
0 |
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合計 |
1000 |
−150 |
150 |
1000 |
750 |
100 |
150 |
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この所得移転を国家が媒介する仕組みが税制であり、税の所得再配分機能といわれるものである。この所得税制の根底にあるのは、すべての人が、すべての国民の幸福の願いを尊重し、能力のある人が税を負担し、所得の低い人への所得移転を認めるという近代国家の基本思想である。
ところで所得のみが税の源泉でありえるという原則に立つならば、「税制は所得課税を基本に設計すべき」ことは自明である。歴史的に見ると、近代国家の成立の先導役を果たしたイギリスが1799年に所得税制を立法化し、アメリカでは1913年に所得税を連邦税として導入した。
わが国では1887(明治20)年に所得税法を創設し、徐々にその重要性を高め、戦後はシャウプ税制勧告を受け、所得税中心の税制を確立してきた。しかし、所得税の応能負担原則が少しずつ形骸化されてきた。消費税の創設により、負担能力に関係なくすべての人に一律に、生活費にも課税し、所得税の重要性を否定する動きが顕著である。 |