論文

近代税制の基本的役割を問う
東京会井上徹二(埼玉学園大学経営学部教授)

1. はじめに

税は近代国家の成立基盤であり国家と国民の存立条件である。税が国に集められ、それを一定の目的に従って支出される仕組みが財政であり国家予算である。

本稿では、まず、税制を考える前提を考察する。すなわち、国家は国民の幸せのため、国民の福祉を維持向上するためにこそ存在するのだということを確認することが重要である。国は企業のためにあるのではない。国は、力の強いもの、豊かなもの、競争の勝者のためにあるのではない。国民すべての幸せを保証することが国家の存在理由である。そのような国家を経済的に支えるための財源として租税が必要となる。「国民すべての幸せの財源としての租税」という観点が根本になければならない。

国家と国民を考える場合の倫理的基礎について議論する。人間観(人の幸せと人と人との関係)、社会観(社会は何の為にあるのか、理想的社会とは)、正義観(人間の幸せのためには何が正義か)などについて考えていきたい。人の幸福、自由と民主主義これらの理念と税制のかかわりの根本に迫りたいと考える。

1. 人間の幸福を保証するものとしての税制

人間は幸せを求める。人間が幸せを求めるということ、そのことの根本的原理をしっかりと見据えること、そこから目をそらさないこと、そのことをあいまいにしないことが極めて重要である。すべての人が等しく、幸せを探し、幸せであり続けることを願っている。生まれたばかりの子供、幼児、少年少女、青年、壮年、高齢者それぞれが、それぞれの幸せを求め生きている。

幸せということは人間の感じ方の問題でもあるので、人それぞれ、幸せの基準なり、何をもって、どのような時に幸せと考えるかは違っている。しかし、共通した、幸せであるための条件、最低限の枠組みがあることを明確にしておくことが重要である。

それは、経済的な保障であり、生活し生きていくための条件保障である。自由という概念も重要である。自由がなく束縛が厳しい場合には人間の幸せはありえない。乳児や幼児が、窮屈な衣類や親の束縛を本能的に嫌がるが、彼らもまた自由を求めているといえる。また、民主主義の概念とその保障が重要である。

自由と民主主義は重なり合い、補い合うものである。民主主義は自由な社会を保障するプロセスといえる。プロセスが大事であるといわれるように、抽象的、建前の自由だけではその真の自由はありえず、自由な議論、情報の共有、多数意見・少数意見の尊重、すべての人の人格と尊厳を認めること、これらの実践が民主主義の概念を構成する。

人間として生活する経済的基盤の保障、真の自由と民主主義の徹底、この3点セットがそろってこそ人間の幸福・幸せが保証されるのである。

人間の幸福を保証するシステムの一つとして税制を捉えることが重要である。人間の幸せを保証するものとして、「民主主義と税制」、「自由と税制」という主題をたて考察する。

わが国では、税制についての論文や文献の大部分は税制の仕組みや制度の解説または、税制と経済成長との関連分析、諸外国との税制比較などにとどまっており、政治や経済・社会などとの関連、社会のあり方、倫理・哲学などの価値観などを踏まえたうえでの税制の考察という業績が極めて少ない。現在の税制改革の議論においてはこうした基本的問題が脇におかれ、「国際競争力の強化のため」「少子高齢化社会に対応」「公平、中立、簡素」という、スローガン的原則が唱えられ、更なる増税体制が敷かれつつある。

2. 自由と税制

(1)自由競争社会と税制の役割
人間にとって自由は根源的なものである。むしろすべての生き物にとって自由は存在条件なのかもしれない。檻に入れられた動物は、本来の資質が歪められ、多くは寿命が縮められる。まして、人間は自由を求める。人間にとって根源的な要求である「自由」という問題と税制について考察することにしたい。2つの点から接近する。自由競争社会における税の役割という視座と、経済学者アマルテイア・センが『自由と経済開発』の中で展開した、「自由」の概念に学びながら、「自由と税制」への接近という試みである。

まず、「自由競争社会における税の役割」について検討する。人間の経済社会において自由競争が展開されることにより、より良いものが、より安く社会に提供され、経済効率が向上し社会がより豊かになっていく。この自由競争原理の基で、近代資本主義社会が発展し、現在の繁栄を謳歌している。しかし、忘れてならないのは、自由競争の結果、勝者の影に敗者が居る、しかも勝者より敗者が多いということである。しかも多数の敗者の存在は避けられない。

スポーツの例が象徴的である。勝者とは、1位・優勝者であり、良くて2位、3位であろう。その他の多くは敗者である。そのタイム差は僅かで、勝者と敗者が生まれる。しかし、その扱いの差は天と地との違いがある。勝者は英雄となり、敗者は忘れ去られる。

スポーツの世界はそれでも良い。しかし、経済社会における競争はさらに厳しく、少数の勝者が多くの富を獲得する。努力と工夫のわずかの差が、極端な成果分配の差に結果する。価格競争に敗れた企業は倒産し、事業主も社員も路頭に迷う。勝者たる企業はさらに売り上げを伸ばし利益を上げ、両者の格差は極端に広がる。この原理が貫かれるのが自由主義経済そのものである。

競争せず、企業が談合し、価格を高く維持し、品質の改善をしなければ、消費者が被害と負担をこうむることになる。その点で、自由競争の重要性がある。問題はその結果起こる、経済格差の拡大をどのように解決するかということである。その解決の切り札が、「税による所得再分配」の工夫である。勝者の利得と富の一部を国家・社会に拠出し、経済的弱者に分配する仕組みである。すべての国民の福祉の維持向上の財源としての租税が必要になり、その租税を、負担能力のあるものが拠出することで社会が成り立ち、存続する。

自由競争社会では、「自由競争の結果の勝者が社会存続の財源たる税を負担する」ことを当然に前提にするほかない。そうでなければ社会は存続できず、自由競争、自由を唱えることはまったく意味を成さないことになる。

2人からなる社会の存続に500の財源が必要とする。二人が競争しAが勝ちBが負ける。勝者Aの所得が500、敗者Bの所得はゼロとなる。社会が存続する財源500は誰が負担できるか?A以外に無いといえないか。単純化、純粋化しているが、応能負担の原則の原理はこの事例が示すところのものである。

もうひとつの可能性がある。自由競争ではなく、社会主義的・共産主義的思想、共同生産、共生社会を経済原理にも織り込んだ社会の場合である。社会を構成するAとBがその特徴をお互いに認め合い、共同して所得500を生み出す。その所得から社会の存続に必要な財源500を拠出し・分配するのである。分配もまた2人の話し合いにより、必ずしも2分の1にする必要も無い。このような社会が成立可能なら租税は必要ない。

競争の無い社会はありえないと主張する論者が多いが、筆者はそうは思わない。社会の原型である家族は、まさにお互いの位置と役割を認め合い、子供から大人、幼児から老人まで、お互いの人格と生存の意味を尊重し、経済活動においても、家族のために真剣に取り組んでいるではないか。原理的に、家族のように、すべての人間がすべての人間のために働き活動することはありえるし、そのような夢を捨てる必要は無いと考える。

しかし、自由主義経済、競争社会を原則とする国においては、社会存続のための財源は租税以外に無く、その負担は負担能力のある人が、負担能力に応じて支払う以外に無いという、原理原則を確認する必要がある。
(2)経済学者センの「自由の擁護」
1998年度のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、成長優先の開発に異議を唱え、貧困からの自由や、政治的自由を重視すべきことを主張した。スウェーデン科学アカデミーは、センが「重要な経済問題の議論に倫理的な次元を復活させた」ことを指摘した。センは、著書『自由と開発』の中で「自由」について多くを語っている。センの主張は自由こそ経済問題を考える基礎であるということである。

本書の「はじめに」において、センは「私たちは今、かってないほど豊かな世界に暮らしている。それなのに、私たちはまた、驚くべき欠乏、貧窮、そして抑圧の世界にも生きているのである。いつまでも続く貧困、満たされない基本的な生活の必要条件、繰り返される飢饉と大規模な飢餓、初歩的な政治的自由や基本的自由の侵害、広範な女性の利益や能力の無視、環境や人間の経済的、社会的存続への脅威の増大などが含まれる。」「これらの苦しみと戦うに際しては、様々な種類の自由が果たす役割を認識しなければならない。」と述べ、現代の様々な問題の根本的解決に当たって、「自由」の概念の重要性、自由の概念の正しい解釈の大切さを明らかにしている。

自由とは何か、自由という概念のもつ本質的要素、役割、意義について、本書におけるセンの言説は多くの示唆を与えてくれる。「自由と税制」の問題を考える場合にも、この広がりを持った自由の概念はきわめて重要である。

本書の冒頭は、「開発とは、人々が享受する様々の本質的自由を増大させるプロセスであると見ることができる」という言葉で始まる。本書は「自由と経済開発」(Development As Freedom)と題されているが、開発は単なる経済問題でなく、人間の自由を増大させるという問題であるということを明確に規定している。経済であれ、政治であれ、文化もすべて、人間が自由に生き、人間の生活条件との関連で考えるべきであることを、著名な経済学者がこのような研究書で論じていることに貴重な意味がある。

また、「極端な貧困という経済的不自由は、他の種類の自由を侵害し、人々を無力な犠牲者にしてしまうという明白な事実」「経済的不自由は社会的不自由を生む。社会的な不自由や政治的不自由が経済的不自由を生むものと全く同じである」と、主張する。自由は単に思想的、政治的な概念でなく、本質的に経済問題を含み、経済的不自由(貧困)は他の種類の自由を侵害するのだということを、センは繰り返し主張している。

「自由と税制」の主題に引き直せば、人間の自由を擁護し、人間の様々な自由を守り発展させるために税制はどのような役割を果たせるのか、人間の自由のために税制が果たすことのできる役割は何かという問いに答えることである。人間の自由を基本のところで支えるのが経済的自由、すなわち、経済的に不安の無い状態の維持・保障を、税制が担うこと、税により、所得や富の再分配を図るということである。

また、経済的自由を保障しながら、その結果として起こる経済格差を補う制度は税制しかありえないという事実をしっかりと見据えることである。「税制のグローバル化」「国際競争力を守る税制」「民間活力を支える税制」などという主張は、税制の持つ本質的役割を歪め、貶めるものである。

人間の本質的自由への要求を全ての人に認めるためには、その基礎になる経済的自由(貧困からの解放)が基本になる。自由競争社会で生じる経済格差を人間の知恵として税制が緩和することにより、社会が成り立ってきた。この原理原則を擁護しさらに工夫して社会の発展、自由の拡大に役立てていくのか、社会的弱者をいっそう底辺に落とし、格差を拡大するような税制にしていくのか、どちらが正義であるかの問題である。「貧困からの自由」、卓越した経済学者が唱えたこの概念を借用して、税制は「貧困からの自由」を保障するシステムであると考えてみたい。

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