論文

近代税制の基本的役割を問う
東京会井上徹二(埼玉学園大学経営学部教授)

3. 民主主義と税制

税制は国のあり方により影響を受け、また税制のあり方が国の姿を変えていく。近代国家の基本を規定する原理が民主主義である。近代国家の特徴は民主主義原理の貫徹である。そこで、税制と民主主義のかかわりを考察する。

塩崎潤、塩崎恭久両氏が翻訳出版した『税制と民主主義』は、税制を民主主義の問題にかかわらせて考究するというすぐれたこころみである。原著者のスヴェン・スティンモ教授は、税制を近代国家の成立から現代に至るまでを、イギリス、アメリカ、スウェーデンの3か国を取り上げて、主として税制の創設改革を政治的側面から分析検討している。

この中で、「イギリスの税制はその変化が激しく捉えどころがない」という特徴づけをして、その原因は、政党内閣制が徹底し、「政府の交代が税制を大きく変更させる」ことにある、と論じている。税制を含め各政党がどのような社会を目指すかを選挙で争い、国民が選択した政権がその主張に沿った税制を確立していく過程は、問題点を含みながら、あるべき姿、民主主義の貫徹と考えたい。

税は古くから存在した。わが国では、古代国家の租・庸・調、中世近代の年貢なども税の一形態である。しかし、近代国家が近代国家といわれる所以は、税制について国民が決定権を持つ、すなわち、国民が国の主人公であり、国家の財源である税の規模と種類などを国民自ら決定するという原則の確立である。

歴史的に見てもイギリスのピューリタン革命、1789年のフランス大革命、1776年のアメリカの独立宣言等の、民主主義革命の動機・原因の中心は、重税、不公平な税制に対する国民の怒りであったことは周知のことである。つまり、民主主義と近代税制は切っても切れない関係にある。民主主義の原理原則の成り立ちが近代税制の成立そのものであったことを改めて確認したい。
民主主義とは本来人民・国民が主体であり主人公であることを意味する概念である。近代税制はすべての国民の幸せを保証するものでなければならない。近代国家は一方で経済活動の自由を保障する自由競争社会でもある。自由に競争することにより、努力や工夫、切磋琢磨の結果、経済活動が活発になり効率化が図られる。しかし、競争の過程で必ず優勝劣敗があり、経済的弱者の存在、富と所得の格差拡大が不可避である。この矛盾を解決する仕組みが近代税制である。

2001年ノーベル賞経済学者スティグリッツ教授は、『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』の中で、次のように指摘している。「政策支持者の多くはこう言うだろう・・・・貧困層を助ける最善の方法は、経済を成長させることである。彼らはトリックル・ダウン経済学の信者なのだ。最終的には、その成長の恩恵が貧困層までしたたり落ちる(トリックル・ダウン)というのだが、トリックル・ダウン経済学は一つの仮説、信条に過ぎない。

19世紀のイギリスでは、国全体が繁栄していたのに、貧困層は拡大していたと見られている。最近の劇的な反証をあげるなら、1980年代のアメリカの成長がそれである。経済は成長したが、下層の人びとの実際の収入は低下していた。」経済成長が、自動的に社会のすべての人びとの生活向上に結果するものでないことを警告しているのである。

また、スティグリッツ教授は、貧困の問題を扱い、貧困が彼らの怠惰、彼らの責任であるかのような風潮に対し次のようにし指摘する。「貧困層が怠惰なわけではない。貧困層は富裕層よりも長時間、身を粉にして働いている。」「食料が無いから健康に支障をきたし、健康でないから稼ぎが十分に得られず、稼ぎが無いからまた健康が損なわれていく。生きていくのにぎりぎりの生活だから、子供を学校にやれず、教育のない子供は生涯にわたって貧乏でいることを運命づけられる。貧困は世代から世代へと受け継がれる」。

「主流派経済学」は、経済成長の結果すべての国民が富み、あらゆる問題解決の唯一の方法であるという「信念」に貫かれている。その説明が「トリックル・ダウン理論」で、成長の結果、豊かなものから、富が下層に「したたり落ちる」ので、貧困も解消する。貧困の原因は彼らが怠け者であり、競争からの落伍者だからであるとするのである。

アメリカの第一級の経済学者がこのような主流派経済学の見解に対し、鋭い批判を公にしたことの意義はきわめて大きい。スティグリッツ教授の指摘のように、貧困が貧困ゆえに再生産されざるを得ないという事実を率直に認めなければならない。

近代国家の原理原則は「国民が主人公である」ということであり、すべての国民の幸せを保証することができなければ近代国家の存続はありえず、崩壊するしかない。「経済活動の自由を保障」しながら、その結果として「生じる格差を少しでも是正し」、すべての人の幸せを保証する知恵が近代税制である。

4. 応能負担原則

税制の基本原則の第一は、国民の負担能力に応じて課税するという「応能負担の原則」である。この点に関しては、すべての財政学者、税法学者、税制の専門家の間に共通の認識、合意がある。

たとえば、政府税制調査会は、『わが国の税制の現状と課題』において、「個人の所得は、消費や貯蓄などに向けられる支払能力の源になるものです。この所得に負担能力(担税力)を見出して課税するものが個人所得課税であり」と述べ、さらに、「公平の原則は、税制の基本原則の中でも最も大切なものであり、様々な状況にある人々が、それぞれの負担能力(担税力)に応じて分かち合うという意味です。」と説明している。

2005年8月28日の朝日新聞の社説が、税制改革を論じ、「収入の格差が拡大する中では、累進的な所得税の持つ所得の再分配効果(お金持ちから税金をたくさん取って、貧しい人に分ける)も大切な役割りを果たせるはずだ。」と指摘している。

しかし、最近の特徴は、社会経済の変化を理由にして応能負担原則の重要性が薄れていることを強調したり、「応益原則」、「租税会費説」、「世代間公平原則」などが主張され、その主張に沿って、「応能負担の原則」に反する様々な税制改正が進められていることである。

具体的には、「所得税の重要性の見直し」に力点を置き、所得税における「累進税率の緩和や最高税率の引き下げ」、「課税最低限の引き下げ」、「所得控除の見直し」などを提言しているのである。こうした「応能負担原則」の見直しの根拠になっているのが、社会の変化、経済の変化、グローバル化などであるが、豊かな社会になり、中産階級が増え貧富の格差が少なくなったため、すべての国民が広く税を負担することが可能になり、現在では、応能負担原則の重要性は低くなったと主張し、累進税率を緩和したり、様々な所得控除の見直しが必要であるとするのである。

そこで、本当に所得が平準化したのか、経済格差は縮小したのか、貧富の格差はなくなったのかの検証が必要である。

5. 経済格差の拡大と税制の役割

橘木俊詔氏は、『日本の経済格差』において、「わが国の所得分配の不平等度は、急激に高まっている」「1980年代後半や、1990年代前半で見ると、わが国は先進諸国の中でも最高の不平等度である。」と言う。不平等を示す指標であるジニ係数を使い、ジニ係数の推移やその比較をすることによって、上記の結論を導いている。ジニ係数は0と1の間を取り、0の時が完全平等、1の時が完全不平等を示し、数字が高ければ不平等度が高い。

わが国は1980年には「0.314」であったが、1992年には「0.365」になり、不平等度が高まっている。イギリスは1988年に「0.35」、オーストラリア1985年「0.32」、ニュージーランド1985年「0.30」と比べると、わが国の不平等度の高さは否定できない。

また、橘木氏は朝日新聞において「深刻さ増す日本の貧困」という論説を載せ、「全国民の平均的所得の50%以下の所得しか稼いでいない家計を貧困者とみなした貧困率が、10年前に8%であったものが最近15.3%までに顕著な増加を示している」ことを指摘している(2005年8月1日朝刊)。

9月8日の朝日新聞は、総選挙をめぐる解説記事「活況の一方 格差拡大」の中で、「厚生労働省によると、日本の世帯別所得水準は、80年代前半、上位2割と下位2割の開きが10倍以内だったが、90年代後半から急激に拡大し、02年には168倍に達している」と書き、わが国の所得格差が急激に高まっていることを指摘している。

さらに、「親の世代の格差がこの世代でも受け継がれる、『世代をまたがった格差の固定化』につながる可能性もある。公的部門を通じた再分配で対応する以外に方法はない」という、内閣府の「05年版国民生活白書」の一節を引用紹介している。「格差の拡大と固定化」という事実が統計的にも、識者や政府当局でさえ認めざるを得ないまでに顕著になっている。

さらに、佐藤俊樹氏は、この経済格差が固定化する動きを統計的手法を使って明らかにし、特に、階層が世代間で再生産されていることの深刻な実態を分析した上で、「不平等社会日本」という命名を行っている。
ケンブリッジ大学のノリーナ・ハーツ教授は、『巨大企業が民主主義を滅ぼす』の中で、国際的巨大企業がその経済的影響力を強め、政治に介入し、自由化、民営化、福祉の切捨てを要求し、その結果、富裕層と貧困層の格差が拡大し、人間の尊厳を奪い、民主主義の空洞化・衰退化の危機に瀕していることを、様々な事例を挙げて、警鐘を鳴らしている。

例えば、「アメリカでは、1988年からの10年間で、最も貧しい世帯の収入は1%弱しか伸びていないのに、最も富裕な層では15%増えている。ニューヨークで20%の最貧困層が1年で稼ぐのは平均1万700ドル。20%の最富裕層は15万2350ドルである。」という指摘があるが、わが国の最近の経済格差の拡大の先例をしめしている。

そして、ハーツ教授は「トリクルダウン理論への頑固なこだわりを捨て、レーガノミックスとサッチャリズム、つまり合衆国での企業優遇政策からヨーロッパでの法人税減税までを正当化するために用いられる原理原則が残した負の遺産に、すべて終止符を打たねばならない。」「税金を再配分する方法や公共支出について、もっと全般的視点で考え直すことが求められる。」と主張している。

経済格差の拡大は自然現象ではなく、何らかの原因があって、その結果としてあるのである。様々な要因を挙げることができるが、最大の原因は、巨大企業による政治的、経済的、イデオロギー的な影響力の強化、企業活動の自由を何より優先させ、企業活動を妨げる仕組みや考え方を、すべて悪とみなし排除してきたことの結果に他ならない。

税制もまた、企業活動の利益の観点からのみ、その是非を判断するということが当然のように行われている。「効率な税制」、「国際競争力強化のための税制」などの謳い文句である。こうした、主張の根本的誤りを正面から問題にし、先に検討した近代国家における税制の意義と役割という原則的観点から、税制の姿を探っていくことが何より重要なことである。

文責・いのうえてつじ
参考文献
(1) 塩崎潤・塩崎恭久 翻訳『税制と民主主義』今日社、1996年8月
(2) ジョセフ・E・スティグリッツ(鈴木主税訳)『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』徳間書店、2002年5月
(3) 加藤寛監修『わが国税制の現状と課題』大蔵財務協会、2000年9月。
(4) 橘木俊詔『日本の経済格差』岩波新書、岩波書店、1998年11月。
(5) 佐藤俊樹『不平等社会日本』中公新書、中央公論新社、2000年6月。
(6) ノリーナ・ハーツ(鈴木淑美訳)『巨大企業が民主主義を滅ぼす』早川書房、2003年8月
(7) アマルティア・セン(石塚雅彦訳)『自由と経済開発』日本経済新聞社2000年6月。

(本稿の続篇として「あるべき税制と税制改革の論点」を次号に掲載します。編集部)

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