論文

特集・憲法
憲法9条と平和主義の意義

一橋大学大学院法学研究科教授
只野雅人
1993年 3月 一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)
4月 広島修道大学法学部専任講師
10月 同助教授
1997年 4月 一橋大学法学部助教授
2005年 2月 より現職

9条と平和主義をめぐる現状

一連の有事関連立法の制定、イラクへの自衛隊「派遣」、米軍の世界的再編に対応した安保条約・極東条項の枠組みの再検討など、国内における「軍事」のプレゼンスの拡大・日本の軍事的な役割の拡大に向けた様々な動きが進んでいる。近時かまびすしい「改憲」論議の中でも、同様の動きがみられる。たとえば、2004年11月に明らかになった自民党の憲法改正大綱の原案では、集団的自衛権や「国際貢献」のための海外での武力行使が容認され、国民の「国家の独立と安全を守る責務」が規定されるなど、憲法9条と平和主義の根本的な見直しが検討されている。

憲法制定の直後から再軍備が開始されるなど、憲法9条と平和主義は当初より大きな試練に直面してきた。政府は、憲法9条との根本的抵触が強く疑われる自衛隊や日米安保条約について、一貫して「合憲」との立場をとり続けてきた。しかし他方で、軍事力の行使に一定の歯止めをかける憲法解釈や、非核三原則・武器輸出3原則などの日本独自の「政策」もとられてきた。現在問題となっているのは、これら戦後の9条をめぐる憲法運用を規定してきた枠組みの抜本的な変更である。

こうした動きを前に、9条をめぐり提起されている個々の問題について、憲法解釈上の問題点を指摘することは、もちろん重要である。だが、憲法9条の解釈運用の変更にとどまらず、憲法規定や憲法原則の変更までもが提起されている今日、憲法に何がどう規定されているかにとどまることなく、それがなぜ規定されているのかを明らかにすることが何より問われているように思われる。以下ではこのような視点から、憲法9条と平和主義の意義について考えてみることにしたい。

政府の9条解釈

9条と平和主義の意義を考えるに先立ち、まずは、戦後の憲法運用を規定してきた政府の9条解釈について、確認しておくことにしよう。日本政府の憲法9条解釈は、戦後の日本の「再軍備」の進展とともに変遷してきた。日本国憲法の制定過程で、当時の首相・吉田茂が、「正当防衛権を認めると云うことそれ自身が有害である」と述べ、9条は自衛権を実質的に放棄したものであると解しているともとれる趣旨の答弁を行ったことはよく知られている (1)

だがその後、日本の再軍備が開始され、警察予備隊から保安隊・警備隊へ、そしてさらに保安隊から自衛隊へと軍備の拡張が進むにつれ、それぞれの「軍事力」の保持を正当化する形で、政府解釈は変化してゆく (2)

1950年、「わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察を補うため」(警察予備隊令1条)に、「警察予備隊」が創設された。政府は警察予備隊について、治安維持を目的とするもので、戦争遂行能力をもつものではないとしていた。

1952年、警察予備隊にかわり、保安隊・警備隊が創設される。それにやや先立ち登場するのが、「近代戦争遂行能力」論である。すなわち、9条2項が保持を禁じている「戦力」とは、「近代戦を有効に遂行しうる程度」の実力をさすが、保安隊・警備隊の実力はその程度には達していないから「戦力」には該当しない、というのである (3)

1954年の自衛隊発足以降は、「近代戦争遂行力」論を維持することは困難となって行く。そこでかわって前面に出てくるのが、「自衛権」に依拠した9条解釈である。憲法は独立国家に固有の自衛権までも否定してはいないから、自衛のための必要最小限度の実力の保持は第9条によって禁止されていないという解釈 (4) は、基本的にはその後今日に至るまで、維持され続けているように思われる。「国家固有」の権利としての「自衛権」を根拠に、9条2項が保持を禁じる「戦力」は、「自衛のための必要最小限度を超えるもの」として、限定的に理解されている。
憲法学説の多くは、自衛戦力の保持を正当化する以上のような9条解釈には批判的であった。その何よりの根拠は、憲法が戦争や軍隊を想定した規定をおいていないという点である。憲法の最も重要な意味は、いうまでもなく、権力を制限することによって自由を確保することである。この立憲主義の理念に立脚した近代以降の諸憲法は、様々な形で権力の統制をはかってきたが、中でも最も統制が困難な権力が、軍事力である。

軍の指揮権や戦争を開始する手続を、法律よりも改正が困難な憲法で明示することは、立憲主義にとって大きな意味をもっている。本来の意味での立憲主義的憲法とはいえない戦前の大日本帝国憲法にあっても、軍の指揮権(「統帥権」、11条)、軍の編成・予算(12条)、宣戦・講和の権限(13条)などは憲法上明示されていた(もっともこの憲法の下では、「統帥権の独立」という解釈がとられ、それが軍の独走を招く一因となったことは周知の通りである)。

以上からすると、大日本帝国憲法とは異なり、立憲主義を基本理念とする日本国憲法が、軍の指揮権や戦争開始の権限など、戦争や軍隊の存在を想定した憲法であれば当然備えているべき規定をおいていないことの意味は極めて大きいはずである。「軍事」に関する基本規定の欠如は、日本国憲法が軍事力の存在を想定していないことを強く示唆している。政府解釈以外にも、9条のもとでの軍事力の保持を正当化する解釈は存在する (5)

だが「軍事」に関する基本規定がないことからすれば、9条のもとでは「自衛」目的であれ、「軍事力」の保持は許されないと解するほかないように思われる。

このような9条理解は、日本国憲法の解釈としては最も自然なものであると思われるが、しかしひとたび解釈論の次元を離れれば、それに対する次のような批判もあり得よう。立憲主義を理念とする憲法にあっても、「自衛戦力」までもが放棄されることはほとんどない。多くの憲法は、「自衛権」を前提に戦力の保持を認め、その発動や行使について、議会による承認などのコントロールを及ぼすにとどまっている。

侵略戦争の放棄をうたった憲法は存在するが、「自衛戦力」まで放棄してしまうと、外部からの侵略行為に対して国民の安全や権利をどのように守るのか。政府解釈が、「自衛戦力」の保持を正当化するため、「独立国家に固有の自衛権」に依拠していることは、先にみたとおりである。憲法は、本当に、「自衛権」まで放棄しているのか。またそうだとすると、そこにはどのような意味があるのか。次に、憲法9条の根幹にかかわるこの問題について考えてみよう。
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(1) 1946年6月28日、衆議院本会議での吉田茂首相の答弁。
(2) 政府解釈の変遷につき、佐藤功「第9条の政府解釈の軌跡と論点(下)」ジュリスト1003号(1992年)38頁以下、浅野一郎・杉原泰雄監修『憲法答弁集1947〜1999』(信山社2003年)45頁以下などを参照。
(3) 1951年11月25日、参議院本会議での大橋武夫法務総裁の答弁など。
(4) 1954年12月21日、衆議院予算委員会での林修三内閣法制局長官の答弁など。
(5) ただし、憲法66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定している。「文民」とは通常、現役軍人でないものをさす。現役軍人の存在を想定したかのようにも読める規定であるが、これのみをもって、日本国憲法は軍隊の存在を想定していると解釈することは無理であろう。制憲過程でこの規定が挿入された経緯につき、古関彰一『新憲法の誕生』(中公文庫1995年)293頁以下を参照。

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