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時潮
特集 憲法
憲法と政治
-「一強」のひずみと国会 -
研究部長 疋田 英司
はじめに

3月はじめの新聞報道1で明らかになった森友学園への国有地売却をめぐる文書改竄にはじまり、さらにその後、存在しないとされた文書の存在が次々と明るみに出たことで、国会が揺れている。公文書の書き換えも、また国会で事実と異なる答弁が繰り返されていたことも、民主主義の根幹に関わる深刻な問題である。文書の書き換えについて、政権あるいは官邸の関係者からなんらかの働きかけがあったのかどうか、なお明らかではない。しかし、首相・官邸に権力が集中する「安倍一強」ともいわれる政治状況が5年以上にわたり続く中、行政機関、官僚が政権に対して過剰な「配慮」をしたことが問題の核心にあることは、確かである。「一強」のもとで、ある種のひずみが生じているようにみえる。

「一強」のもとでのひずみは、行政との関係だけには限られない。昨年2017年10月の衆議院解散・総選挙に至る経緯もまた、「一強」と言われる政治状況を強く印象づけるものであった。6月中旬、「中間報告」という奇手で参議院の委員会審議をスキップし、共謀罪の創設として議論を呼んだ組織的犯罪処罰法改正案の採決が強行された。森友学園や加計学園をめぐる疑惑が国会で争点となっていたことから、野党は、憲法53条の規定にもとづいて、内閣に対して臨時国会の召集を要求した。閉会中審査は行われたものの、内閣はこの要求に応じなかった。9月末、臨時国会がようやく召集されたが、その冒頭で内閣は衆議院を解散した。

こうした経緯を通じ問われたのは、国会審議それ自体の回避である。憲法53条は、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があった場合、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならないと定めている。召集期限こそ定められていないものの、要求を3ヶ月以上にわたり放置することは、明らかに憲法53条の趣旨に反する。さらに、召集された臨時国会の冒頭で解散を行ったことは、召集要求それ自体の否定であり、憲法違反の誹りは免れない。しかし、召集を義務づけたり、濫用ともいえる解散権行使に歯止めをかけたりする手段は、存在しない。選挙後には、解散権行使の制限など、権力を制限するための憲法改正の必要性も主張されている。

公権力を縛り自由を確保すること - 立憲主義 - が憲法の本質であると説かれる。しかし、文書改竄・秘匿の問題をめぐっても、また臨時国会の召集拒否や解散をめぐる経緯をめぐっても、憲法に最も期待されるはずのそうした機能が、十分に果たされてないようにみえる。なぜこのような状況が生まれたのか。それは憲法の規定の不十分さによるものなのか。さらには、このような状況に対して、憲法にどの様な役割をもとめるべきなのか。以下では、憲法と政治の関係をめぐるこうした問題について、考えてみたい。
一.「政治主導」改革と首相の優位

なぜ「安倍一強」とも言われる状況が生まれたのか2。まず思い浮かぶのは、民主党政権の失敗と政権交代への強い失望、そしてその結果としての野党の弱体化・分裂といった事情である。2012年12月以降、3度の衆議院選挙、2度の参議院選挙で勝利を重ねることで、安倍首相の地位は野党に対してだけでなく、党内においても強まってきた。くわえて、安倍首相や安倍政権・官邸に特有の、ときに強権的とも映る政治手法も、「一強」の印象を強めてきたかもしれない。

しかしそれだけでなく、1990年代以降進められてきた様々な政治・行政の改革や議会制民主主義の運用が、首相や官邸の優位を生み出していることにも、目を向ける必要がある3。首相や官邸の優位は、思いがけない結果ではなく、むしろ望ましいものとして、追求されてきたことがらでもある。まず確認しておきたいのは、この点である。

1990年代以降の制度の改革と運用のモデルとされてきたのがイギリスである。第2次大戦後のイギリスでは、小選挙区制度のもと、保守党と労働党という二大政党間の政権交代が行われてきた。1つの選挙から1名のみが当選する仕組みのもとでは、当選の可能性がある大政党(2つ程度)の候補者に票が集中しやすく、二大政党が生まれやすいといわれる。イギリスでは、二大政党制のもと、選挙戦は、個々の議員の選択というよりも、首相候補となる党首と各党が提示する政権公約(マニフェスト)を中心とした政権の選択(首相と政策パッケージの選択)としての性格を強く帯びてきた。選挙で勝利した政党が過半数の議席を獲得し、そのリーダーが内閣を組織する。安定した議会多数派に支えられた内閣・首相の地位は強固であり、内閣政治、首相政治などともいわれてきた4

一方、日本では、自民党の長期単独政権が続いてきた。しかし1980年代末、リクルート事件をきっかけに、政治腐敗に対する批判が高まり、政治改革5の機運が生じた。そして1994年、衆議院に小選挙区を中心とした選挙制度が導入された。比例代表を加味した仕組みで並立制と呼ばれるが、小選挙区の比重が高い(当初は500議席中300、現在は465議席中289)。

それまで採られてきた中選挙区制では、各選挙区には2〜 5名の定数が配分され、有権者は1人の候補者のみに投票した(単記投票制)。この仕組みのもとでは、同じ選挙区に与党・自民党から複数の候補者が立ち、激しく票を奪い合う。それが、党内に派閥を生み出し、金権政治や政治腐敗の温床となるとして、批判された。派閥の存在は、党の中央に権力が集中しにくい構造をもつくりだした。この仕組みのもとではまた、野党も一定の議席がとれるものの、複数の候補者を立てると共倒れの危険があるため、大きく議席を伸ばすことが難しく、政権交代は期待しにくい。

そこで、小選挙区を中心とした仕組みを導入することで、個人を中心とした選挙から政策と政党を中心とした選挙への転換、政権交代可能な仕組みの実現が、改革の理念として掲げられた。小選挙区を中心とした仕組みは、大政党への「民意の集約」を促す効果が強い。また、各選挙区から1名のみが当選する小選挙区制や、党が候補者名簿を作成する比例代表制は、中選挙区制とは異なり、ともに候補者の選定を通じて党中央に権限が集中しやすい仕組みである。

次いで、1990年代末から2000年代初めにかけて行われたのが、行政改革であった。中央省庁が再編され、内閣府が創設されるなど、内閣と首相に権限と責任が集中する仕組みの構築が目指された。その際とくに重視されたのが、政治主導という視点である。選挙という民主的基盤をもった勢力(「政」)を官僚機構(「官」)に対して優位させるという理念のもと、従来の官僚主導の仕組みに変わり、国会の多数党に支えられる内閣・首相を中心とした政官関係の再編がはかられた。

行政改革は、本来行政機構内部の改革であるが、「政治主導」の理念のもと、その効果は政治改革とも重なり合うこととなった。2000年代以降になると、衆議院選挙が「政権選択選挙」であることが強調されるようになる。自民党と民主党の二大政党を中心に、各党が首相候補とマニフェストを掲げ、政権をめぐり選挙戦を戦う。選挙で勝利した政党が、党首を首相として内閣を組織し、「政治主導」のもと、「官」を抑えて、国民の支持を得た「マニフェスト」を実施してゆくという構図である。

こうした改革や運用の到達点が、2009年の政権交代と民主党政権の誕生であった。民主党政権は挫折し、大きな失望を生み出すことになった。しかし、選挙における支持を基盤とした首相や内閣(あるいは「官邸」)の優位は、その後の安倍政権に引き継がれることになる。現在、「官邸」への過度の権限集中が問題となっているが、そうした事象が、こうした一連の制度改革や運用の帰結でもあることをも、ふまえておく必要がある。
二.均衡のメカニズムの機能不全

イギリスをモデルとした「政治主導」の改革をどうみるべきか。民主的基盤をもつ「政」が「官」を掣肘し、政治を進めてゆくという理念それ自体は、一概に否定しにくいものである。問題は、政治主導の仕組みに本来伴うべき要素がうまく機能していない、という点にあるように思われる6

内閣や首相への権限の集中は、本来その反面として、権限主体の責任の明確化を伴う。権限が集中することで責任の所在も明確となり、権限行使に対する責任追及が可能となるのである。改革のモデルとなったイギリスの民主主義ではとくに、「説明責任(アカウンタビリティ)」が重視されてきた7。議会の審議を通じて、あるいは究極的には選挙を通じて、権限行使に対する責任が問われることになる。そこでとくに重要なのは、政府の責任を追及する野党の役割であり、また野党の追及に力を与える政権交代の可能性の存在である。権限集中とバランスをとる、均衡のメカニズムということもできよう。

政治改革においても、また行政改革においても、こうした点は意識されていた。衆議院議員選挙制度の改正を検討した第8次選挙制度審議会答申は、政権交代・政権選択を可能とするために大政党へと「民意の集約」を行う必要性を指摘するだけでなく、「政治における意思決定と責任の帰属の明確化」、そして「政権交代により政治に緊張感が保たれること」の必要性についても言及している8。また、内閣機能の強化を求めた行政改革会議・最終報告は、内閣機能の強化が、「政府の諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにし、国民による行政の監視・参加の充実に資することを目的とする情報公開法制の確立と不可分の関係にあること」を指摘している。国会と政府との関係についても、「国会のチェック機能の一層の充実が求められ、国会の改革が期待される」と述べている9

イギリスをモデルに制度改革は行われたものの、現状では、政策決定権者の責任が十分に追及されず、また文書改竄問題に示されるように、「政府の諸活動を国民に説明する責務が全う」されているとは到底いえない状況である。モデルとなる国の制度は移入されたかもしれない。しかし、アカウンタビリティ、あるいは強い野党や政権交代といった、制度を機能させている諸条件をも、日本という異なる土壌に移植することは簡単ではない。

モデル自体が日本と適合性するものであったのかについても、本来は、考えてみるべきかもしれない。イギリスの仕組みは、政治制度をめぐる重要なモデルの1つではあるが、唯一のモデルではない。また近時のイギリスでは、モデル自体の変化も指摘される。選挙での得票の面では、野党の多党化が進み、二大政党制という構図が崩れつつある。多数党に有利な小選挙区制のもと、議席面では二大政党制が継続しているものの、二大政党の得票率(合計)は、かつての90%台から低下し、70%を切ることもある。2017年の解散総選挙では、与党保守党が勝利したものの過半数に僅かに届かなかった。小選挙区制のもとでは十分に代表されない「置き去りにされた民意」10の存在も問題となっている。

小選挙区には、政権選択を可能にするといったメリットがあるが、他方で大政党に議席が集中しやすいため、それ以外の民意が反映されにくいという大きなデメリットもある。日本では、2005年の郵政解散以来、衆議院小選挙区選挙において、第一党が過半数に満たない得票で4分の3前後の議席を占める状況が続いている。小選挙区だけでなく比例代表制をも組み合わせた制度となっているものの、第一党は小選挙区だけでほぼ過半数獲得が見通せるレベルの議席を得ている。多数党への議席集中と少数の民意の切り捨てという、小選挙区のデメリットが強く現れる結果となっている。政権交代があれば、そうしたデメリットもある程度緩和されようが、2012年以降は、政権交代も見通しにくい。小選挙区制を前提とした二大政党間の政権交代というモデルがうまく機能する条件が日本にあるのか、あらためて検討することが不可欠であるように思われる。
三.憲法規範と政治権力

二で見てきたように、1990年代以降、憲法自体は変わっていないけれども、同じ憲法のもとでの制度の改正や運用を通じ、政治制度が従来とは異なる形で、機能するようになってきた。憲法が細かな規定を置いていない、いわば憲法テクストの「余白」をどの様に使うのか、そこにどの様な制度を配置しそれらをどう運用して行くのかによって、憲法が定める議会や行政のあり方は変わってくる。

そうした憲法テクストの余白の広さには、国によってかなりの違いがある。たとえばドイツやフランスの憲法は、日本国憲法と比べると、統治機構についてより詳細な規定を置いている。日本国憲法のように、余白を広くとった憲法は、制度設計の自由度が高く、柔軟な運用が可能である。しかしそれは、憲法という改正が難しいルールの変更を経ることなく、議会の過半数で改正可能な法律によって、あるいは議会や政府の裁量によって、制度の設計や運用を変更できるということでもある。柔軟ではあるが、公権力に対する拘束の度合いが低い、という見方もありえよう。

この点で興味深いのは、政治学者のケネス・盛・マッケルウェインによる分析である11。日本国憲法の規定は、他国の憲法と比較すると、相当に簡潔な部類に属する。人権規定については、1946年の時点ですでに社会権に関する規定が置かれるなどかなり手厚いが、統治機構については、規定が少ないという。そのことが立法や解釈による柔軟な対応を可能にし、70年以上にわたり憲法改正を必要としてこなかったのだと、マッケルウェインは分析する。しかし反面、統治機構についての簡潔な構造は、憲法という改正困難なルールによって権力を縛る立憲主義という観点からみると問題ではないのか。「自分たちを規律するルールを本人任せにしている」12のではないか。こうした指摘は、近時の、公権力を縛るための改憲を主張する議論にも通じるものである。

内閣が野党による臨時国会召集の要求に応じなかったことや、明確な理由を欠いた衆議院解散などを考えると、「自分たちを規律するルールを本人任せにしている」ことの問題性は、たしかに無視できない。とはいえ、権限行使の義務づけや権限の濫用に対する歯止めは、憲法改正を必須とするというわけでもない。

臨時国会の召集については、たしかに召集期限を明文化するというのが、もっとも紛れのない方法ではある。実際、皮肉なことであるが、2012年に自民党が公表した憲法改正案では、現行の53条に、要求後20日以内に臨時国会が召集されなければならないとの文言を付加することが提案されている。とはいえ、あえて憲法改正によらなくとも、同様の規定を、たとえば国会法に、置くことも十分に可能である13。期限こそ明示していないものの、憲法53条は合理的な期間内に臨時国会が召集されることを、当然に予定しているはずである。国権の最高機関の判断で、一定の期限を区切ることは許されるであろう。国権の最高機関によって定められたそうしたルールは、相応の重みをもつはずである。

解散についてはどうだろうか。1952年の衆議院解散以来、憲法7条3号を根拠として、内閣は自由に解散権を行使できるとの慣行が定着してきた(いわゆる7条解散)。憲法7条3号は、天皇の国事行為として「衆議院の解散」をあげている。天皇の国事行為は、内閣の助言と承認に基づいて行われることから、内閣は解散の助言と承認を通じ、解散を自由に決定できるというのである。

とはいえ、天皇の国事行為に関する規定を解散権の行使の根拠とすることについては、学説上強い異論がある14。また、内閣に「自由」な解散権行使が認められるかも、問題となりうる。憲法上明文で解散が行われうる場合として定められているのは、「衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき」(69条)のみである。それ以外に衆議院の解散の可能性を認めることについては、やはり学説上、少数ながら根強い批判がある15

解散は、適切な時期に適切な争点設定のもとで行われるなら、民意を問う手段として重要な意味をもちうる。しかし、実際には、民意を問う必要があるという口実のもと、内閣が自らにもっとも有利と判断した時期に、解散が行われる可能性は常に存在している。2017年の「国難突破」を名目とした解散は、そうした危険性を例証している。

内閣による自由な解散権行使のモデルとなってきたのは、議院内閣制の母国・イギリスである。しかし、首相による自由な解散権行使(国王への解散請求)が確立してきたイギリスでも、2011年、議会任期を5年に固定し、解散を、下院の3分の2以上が要求した場合か下院による不信任の場合に限る法改正が成立している16

日本でも、解散権が恣意的に行使される危険性は意識されており、内閣の解散権行使に一定の枠をはめるような制度の運用が模索されてきた。学説では、衆議院による重要案件の否決、内閣の大幅な組み替え、新たな国政上の争点の浮上、内閣による基本政策の変更など、民意を問う必要がある場合に解散が行われる慣行を確立する必要があることが、説かれてきた17。国会においても、解散権の限界が論じられてきた。1952年の解散に先立ち、当時の両院法規委員会が出した勧告は、解散について、「あらたに国民の総意を問う必要ありと客観的に判断されうる十分な理由がある場合」には行われてよいが、「内閣の恣意的判断によってなされることのないようにせねばならない」と指摘している18。また、衆議院の保利茂元議長が、解散は正当な理由がある場合に限られるとして、内閣による解散権濫用を戒める見解を遺したことも、よく知られている19

こうした限界は、裁判所が明確に違憲・合憲の判断をなし得るようなものではなく、政治的意味合いの強い限界であるとみることもできよう。しかし、国会や内閣など、政治的アクター(当事者)相互の了解によりつくられ、慣行として定着した限界の意味は、決して軽くないはずである。憲法規定に限界を書き込めばたしかに明確ではあるが、それが柔軟な対応を難しくする面もあろう。濫用のおそれと紙一重ではあるが、「あらたに国民の総意を問う必要ありと客観的に判断されうる十分な理由がある場合」の解散の意義は、一概に否定できない。憲法改正による解散権の制限を論じる前に、まずは、これまで模索されてきた解散権行使の制限をめぐる以上のような議論に目を向けてみる必要があるのではないか20

運用による解散権行使の制約を考えるのであれば、とくに重要なのが、解散の「必要ありと客観的に判断されうる十分な理由」をしっかり国民に説明することである。それは何より、国会の審議に期待される役割である。臨時国会の召集要求に応じず解散に踏み切った対応は、この点からも重要な問題をはらんでいる。
四.国会に期待されるもの

国会審議の回避は重大な問題であるが、現下問題となっている、事実あるいは真実に基づかない国会審議も、劣らず深刻な問題である。それは、政府や官僚機構を統制し、国政上あるいは行政運営上の問題を批判的に検証するという、国会の重要な機能を大きく損なうことになる。

文書改竄問題に続き、4月には、国会答弁でないとされていたイラクでの自衛隊の活動の日報が実は存在していたことが発覚した。しかも防衛大臣に報告がなされるまで、存在が確認されてから1年以上が経過していた。文書管理や情報公開をめぐる制度の再検証が不可欠な状況となっているが、そうした制度を基礎づける理念について、またそこでの国会の役割についても、あらためてしっかりと確認しておくことが肝要であろう。

実はそれは、日本国憲法と新た国会制度の発足にあたり、強く意識されていたことがらでもあった。あまり知られていないが、そうした問題意識をふまえて設けられたのが、国立国会図書館である。国会図書館は、軍部や政府・官僚が真実を隠し、国民を戦争に駆り立てたことに対する深刻な反省にもとづき、新憲法で国権の最高機関と位置づけられた国会が十分その機能を発揮できるよう構想された。アメリカの議会図書館をモデルに、単なる図書館ではなく、国会を補佐し、その権限行使を実効的なものとする役割が期待されていたのである。次に引くのは、1946年10月に当時の帝国議会でなされた国会図書館設置に関する決議案をめぐる趣旨説明の一節である。

「わが國政治の最も重大な缺陷の一つは、其の非科學性であると言はれて居ります」「國會が、專ら政府の作つた材料に依つて、當の政府の提案や政策を審議し、批判するやうな有樣では、果して十分國會の職責を盡すことが出來るでありませうか」21

こうした理念にもとづき、新憲法施行後の国会で、国立国会図書館法が採択された。その立役者となったのが当時参議院議員であった歴史家・羽仁五郎である。やや長くなるが、羽仁の趣旨説明を以下に引用する。直接論じられているのは国会図書館の使命であるが、今日の国会に何より求められることがらが論じられているからである。

「眞理は我らを自由にする。これがこの國立國会図書館法案の全体を貫いておる根本精神であります。今日の我が國民の悲惨の現状は、従來の政治が眞理に基かないで虚偽に基いていたからであります。國民の安全と幸福とを守ることを期待されておりました先の日の議会が、その任務をはたすことができないで、遂に官僚、軍閥の前に屈してしまつたのは、立法の全権及びその立法の基礎となるべき調査資料を議会みずからが全く持つていなかつたからであります。新憲法により國会が國の最高唯一の立法機関として、國民の安全と幸福とを守つて行くために、従來のように官僚が立法し、軍閥がこれを命令するというような状態を完全に脱却して、人民主権によつて選挙せられた國会の任務を果して行くためには、その確かなる立法の基礎となる調査機関を完備しなければなりません。」22

羽仁の思想を論じた論考の中で、憲法学者の蟻川恒正は、「情報公開の制度を貫く原理とは、(政府に関する)知識を公衆の利用に供して、以て、これを(公衆の)力に変えるメカニズムでなければならない」と述べている23。羽仁のことばとともに、あらためてかみしめてみるべき指摘である。そうしたメカニズムの中で、国会が果たす役割は極めて大きい。先に日本国憲法は、統治機構について広い余白を残した憲法だと述べたが、余白をどの様に埋め議会制度を機能させて行くべきか、当初において、その方向性はっきりと意識されていたのである。

しかし、そうした構想が十分に活かされてきたとも、また国会議員に共有されているとも言い難い。今回の一連の問題に示されるように、かえって現実は、当初の理想から遠ざかっているようにも見える。そのような深刻な状況があるからこそ、なおさら、当初の理想に立ち返ってみるべき必要性は大きいともいえよう。昨今、憲法改正ばかりが議論になるが、今ある憲法をどう活かすことができるのかをめぐっても、考えるべきことは多いはずである。

(ただの・まさひと)
1 朝日新聞2018年3月2日朝刊。
2 背景の分析について詳しくは、「特集・議会制民主主義の危機」法学セミナー2017年12月号を参照されたい。
3 1990年代以降の一連の制度改革と運用の変化の意味について詳しくは、杉原泰雄=只野雅人『憲法と議会制度』(法律文化社、2007年)179頁以下を参照。もちろん、以下で見る制度改革だけが「一強」を生み出したわけではない。制度改革を含めた「一強」を生み出している複雑なメカニズムについて、中北浩爾『自民党 - 「一強」の実像』(中公新書、2017年)を参照。
4 イギリス・モデルの構成要素については、近藤康史『分解するイギリス - 民主主義モデルの漂流』(筑摩新書、2017年)40頁以下を参照。
5 政治改革の狙いと帰結について、中北浩爾「政治改革と安倍政権」法学セミナー2017年12月号14- 16頁などを参照。
6 中北・前掲注5・16- 18頁。
7 アカウンタビリティをめぐっては、上田健介「選挙・内閣・アカウンタビリティ」法学セミナー2017年12月号19頁を参照。
8 第8次選挙制度審議会『選挙制度及び政治資金制度の改革についての答申』(1991年4月26日)5頁。
9 https://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/report-final/(2018年4月5日最終閲覧)
10 近藤・前掲注4・194頁。イギリス・モデルの変容についても、同書187頁以下を参照。
11 ケネス・盛・ マッケルウェイン「『人権』が多く、『統治機構』についての規定が少ない日本国憲法の特異な構造が改憲を必要としてこなかった」中央公論2017年5月号76頁。
12 同論文・85頁。
13 こうした見解としてたとえば、宮沢俊義/芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』(日本評論社、1978年)400頁。
14 たとえば、長谷部恭男『憲法〔第7版〕』(新世社、2018年)399- 401頁。
15 たとえば、古川純=山内敏弘『憲法の現況と展望〔新版〕』(北樹出版、1996年)346- 347頁〔山内敏弘執筆〕など。また2017年の解散後の指摘として、長峯信彦「憲法規範を無視する野放図な" 解散権" 行使」週刊金曜日1161号(2017年11月17日)19頁。
16 イギリスにおける解散権制限については、小松浩「イギリス連立政権と解散権制限立法の成立」立命館法学2012年1号(341号)1頁を参照。ドイツでは、憲法規定により、解散は厳しく制限されている。解散は、首相が提起した信任動議が連邦議会議員の過半数の同意を得られない場合、大統領が首相の提案に基づいておこなうことができる(68条1項)。ドイツの解散につき、高田篤「首相の解散権」法学教室2018年4月号53- 55頁を参照。
17 芦部信喜/高橋和之補訂『憲法〔第6版〕』(岩波書店、2015年)335頁。
18 委員会の見解については、佐藤功『憲法解釈の諸問題』(有斐閣、1953年)172頁以下を参照。
19 解散の濫用が問題になるたびに引かれる保利見解については、同『続憲法問題を考える』(日本評論社、1983年)4頁以下が詳しく検討している。
20 こうした限界の意義につき、高田・前掲注16・56- 57頁をも参照。
21 1946年10月11日、森戸辰男。第90回帝国議会衆議院議事速記録第55号922- 923頁。
22 1948年2月4日、羽仁五郎。第2回国会参議院会議録第11号122頁。
23 蟻川恒正「文書館の思想」現代思想2004年10月号84頁。国会図書館設立をめぐっては、只野雅人「国会の情報基盤 - 立法補佐機関の役割 -」(https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/18246/1/0500900601.pdf)をも参照。

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