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時潮

時潮
羊たちの沈黙と税の極意

副理事長疋田 英司
かつて、「羊が鳴かないように毛をむしること、それが税の極意である」といった首相がいた。(1985年2月中曽根首相)
毛をむしっても羊が鳴かないようにするにはどうすれば良いだろう。

気が付かないから鳴かないというパターン。これは負担感がないことが前提となり制度の巧妙さも必須であろう。または単に鈍感な羊ということもあるかもしれない。この類型として源泉徴収制度や間接税が考えられる。これらの徴収事務は事業者が行うこととなっており、税務官吏が徴収を行うことは基本的にはない。

もう一つは、気が付いているが鳴かないパターンである。毛をむしられることを「負担」と読み替えると、その負担は「納得」ができるから鳴かないというパターン。もう一つは「恐怖」や「あきらめ」で鳴けなくなっているということが考えられる。

「納得」は、痛税感はありつつも税の使われ方や公平性に納得性があれば得られるものである。問題は「恐怖」や「あきらめ」により鳴けなくなっている方だ。国家権力に対する「恐怖」や「あきらめ」が「鳴く」意欲を失わしめる結果を招く。

商売をしていた亡祖父がよく言っていたのは、取引高税の調査でひどい取り立てにあったという恐怖心と無力感であった。亡祖父はこの時のトラウマから、その調査後にとった対策は、娘を税務職員の嫁にしたということだった。むろん、孫の私が税務職員になったときは喜んだ。当時の強権的徴税攻撃は国民に「税務署は怖い」という通説を植え付ける効果があり今でも脈々と受け継がれている。

不当な調査要求に対し、恐怖心が背景にあるため早く終わって欲しいと納税者の気持ちが動く。これが泣き寝入りをする=羊が鳴かない構図だ。

しかし、日本国憲法の下で人権無視の税務調査は認めないとする闘いもある。納税者と民主的な税理士そして民主的な税務職員の奮闘で税務運営方針などが定められてきた。

そうすると、税務当局は民主的な税務職員に対する弾圧を始め、民主的な税理士は税理士会の役員から排除し、物言う納税者には差別的な税務調査で弾圧を行ってきた。やはり、恐怖心とあきらめを与える手法だ。

あきらめない国民は手を休めない。納税者権利憲章が民主党政権の樹立によって成立目前まで追い詰めた。これに危機感を持った税務当局は代替案として国税通則法改正案を持ち出した。この改正により、税務調査開始ルールが制定されるなど評価する分野もあるが、弱点もあった。

その一つとして「実地の調査」の範囲だ。国税庁は実地の調査を「納税義務者の支配・管理する場所(事業所等)等に臨場して質問検査等を行う」ことに限定する通達(=国税庁長官の単なる見解)を出し、「実地の調査」でない場合はルールを守る必要がないという通説を流布した。この通達は、納税者の権利を守るという法律制定時の国会の議論を蔑ろにする、いわば脱法行為を国税庁長官が先導しているようなものだと私は解釈している。

この結果、「行政指導」という表現を借りた質問検査権の行使に、税務調査ルールはいらないとの立場を堅持している。つまり「恐怖心」と「あきらめ」で羊たちを鳴かせないシステムは温存させようとしている。

税務行政に限らず、政府はマイナンバー制度を強行しようとしている。事業者は源泉徴収事務や社会保険事務、さらに社会保険料負担など経営を圧迫する法律に悲鳴をあげている。さらにマイナンバー制度の導入により、個人情報の管理責任まで押し付けられようとしている。政府は玉石入り混じる圧倒的な情報を背景に調査を展開することとなる。

羊といえば「羊たちの沈黙」という映画を思い出した。屠殺場の絶対的な力の前に声を失う小羊と幼少期の主人公の経験がトラウマになるのだが、主人公がそのトラウマを乗り越えようとする映画だ。私たちに国家権力に対するトラウマはないだろうか。その問いかけを忘れてはならない。

(ひきた・えいじ:大阪会)

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