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時潮

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武器考

理事長戸谷 隆夫
「弾薬は弾薬です」。これは、7月30日に安全保障関連法案に関する参議院特別委員会で飛び出した中谷防衛大臣の迷答弁である。やり取りの文脈は社民党・福島議員の「武器(弾薬を含む)から弾薬を外したのは何故か?弾薬も武器ではないか」との質問に対する「弾薬は武器ではない」との答弁である。その後、弾薬を「武器とともに用いられる火薬類を使用した消耗品」と答弁し直した。

翌日の同委員会での共産党・井上議員の「手榴弾は武器か、ロケット弾は?」との質問に「弾薬にあたるので他国軍に提供可能」とし、ついにはクラスター弾、劣化ウラン弾も弾薬にあたると答弁。5日には「条文上は輸送できる対象に核兵器、化学兵器も排除されない」とした。この答弁には岸田外務大臣の驚いた様子が中継の画面に映し出された。外務大臣の「いま承知した」との答弁は軍部先行の戦前を彷彿とさせる。

弾薬は武器ではないのであろうか?税務の世界でよく言われる資産の取得で「セットで一組」と考える私の素朴な感覚で言えば、武器と一体にしないと効能が発揮できないものはセットで考えるべきであり弾薬も武器の構成要素と思うのだが。

昭和28年8月1日法律第145号に「武器等製造法」(最終改正平成26年6月13日)がある。同法第2条では「この法律において『武器』とは、次に掲げる物をいう。一 銃砲(産業、娯楽、スポーツ又は救命の用に供するものを除く。) 二 銃砲弾(銃砲用のものをいい、発光又は発煙のために使用されるものを含み、クラスター弾等の製造の禁止及び所持の規制等に関する法律に規定するクラスター弾等を除く。) 三 爆発物(破壊、燃焼若しくは殺傷又は発光若しくは発煙のために使用され、かつ、信管により作用する物であって、産業、娯楽、スポーツ又は救命の用に供するもの以外のものをいい、銃砲弾、対人地雷の製造の禁止及び所持の規制等に関する法律に規定する対人地雷及びクラスター弾等を除く。)」としている。武器等の「等」とは2項「猟銃等」を含むからであり、銃弾も手榴弾も武器として定義されている。

国際的にはどうであろうか。「国連小型武器政府専門家パネルでの報告書」では「小型武器の定義」として「致命的な戦争手段として使用するため軍隊使用で製造された武器で、(1)一人で携帯・使用が可能な『小火器』、(2)数名で運搬・使用が可能な『軽兵器』、(3)弾薬及び爆発物」の三種類があるとされている(外務省HP)。国際的には弾薬も武器であるとしている。そこには、ミサイル、手榴弾の文字がみえる。

あえて、国内法の規定や国際的定義を無視して、防衛省が武器と弾薬を切り離す意図は何なのだろうか?その理由が中谷防衛大臣答弁の「アメリカのニーズがあるから」に透けて見える。5月に策定した日米防衛指針・新ガイドラインの具体化のためである。

平和でこそ商売繁盛と思うのだが、財界が安全保障関連法案を歓迎するのは何故なのか?国内で弾薬やロケット砲弾を製造するときは「武器」にあたるが、一度防衛省に納入すれば「武器」でなくなる。武器でなければ他国軍への提供も可能となる。仮に、アメリカの軍需企業から日本の軍需企業がライセンスを得て弾薬等を製造し自衛隊に納入する。自衛隊はその「消耗品」を大量に持って米軍の後方支援(兵站)を行う。弾の少なくなった米軍に「消耗品」を提供する。米国企業はライセンス料で儲け、国内軍需産業は自衛隊の買い取りで儲け、アメリカは軍事費の削減で儲ける(すでに米軍は日本の自衛隊を補完戦力とみなしてか4万人の兵士の削減を決定している)。このように考えるのは穿った見方であろうか?そして、費やされるのは日本の国民の税金である。

米国の権威ある外交政策研究季刊誌「Foreign Policy」に掲載された記事をIWJ(Independent Web Journal)が次のように紹介している。

「『日本の軍事的役割の拡大は、ペンタゴンとその業者にとってよいニュースでありうる』何がどう、よいニュースなのか?『安倍は、2014年から2019年の間に、アメリカ製のF 22、F 35、グローバル・ホーク・ドローンなど、新しい戦闘機、海軍の戦艦、ドローンの購入のために24.7兆円(2,400億ドル)を使うことを約束した』」

呼応するように6月30日に閣議決定された「骨太方針2015」では、社会保障費の増加を抑えつつ「ODAの適正・効率的かつ戦略的活用に取り組む。『中期防衛力整備計画』に基づき、防衛力を効率的に整備」すると、産軍複合体推進の態度を明確にしている。安保法案の審議中にもかかわらず、米国に約束したことにはどこまでも忠実な政府の国民無視の態度、欺瞞と詭弁の政府と国民の和解しがたい矛盾がある。

それに対峙する私たちの「武器」は何であろうか?ワイマール憲法を無力化した「ナチの手口」に抵抗し、ナチに恐れられ、書物を焼かれてしまい、亡命を余儀なくされた劇作家・詩人のベルトルト・ブレヒトは1934年に「真実を書く際の五つの困難」を書いた。その中で、ブレヒトは、五つの困難として、「真実を書く勇気、真実を認識する賢明さ、真実を武器として役だつようにする技術、その手に渡ったとき真実がほんとうに力を発揮するような人々を選び出す判断力、そういう人々の間に真実をひろめる策略」(千田是也訳)をあげている。

狡猾で欺瞞と詭弁、うそに塗り固められた政府の宣伝。恫喝と言論統制を強めようとする政府。今でもこのアピールは正しい。真実を武器にしよう。そのために、真実を察知するアンテナを張ろう。真実を見抜く知を磨こう。そして、勇気をもって真実を語ろう。国民の6割強は安保関連法案を違憲とし、8割強が成立に反対している。戦後70年、改憲の策動に屈しなかった憲法を武器にしよう。そして、私たちは真実を知らせ伝える「税経新報」という武器を持っている。

(とたに・たかお:名古屋会)

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