私が初めて君が代斉唱問題に直面したのは、40年以上前の高校時代に遡ります。地方都市の女子高校で、非常に保守的な土地柄にもかかわらず、自由闊達な校風で、後にも先にも学校行事の中で君が代が流れたのは、その1回だけだったと思います。陸上競技場を借り切ってスポーツ大会が催された時のことです。観覧席に座っていたら、「起立、斉唱」と放送が流れたのです。その時、前のほうに陣取っていた古文の林先生は座ったままで私たちに背中を向けていました。私はこの時、反対をするときは座ったままでいることなんだと、勇気がいりましたが林先生に倣い座ったまま沈黙しました。
その後、教室で君が代斉唱の是非を問う議論がありました。公民の先生が問題提起したのです。結局、議論は分かれて結論は出ませんでした。もしかしたら、教師の間で対立があって、スポーツ大会は体育の先生が主導で実施したのかもしれないと今になって思います。
さて、昨年6月18日の東京税理士会第58回総会の冒頭で、まさに突然「起立、国歌斉唱」と号令がかかり君が代の歌唱入り演奏が流されたのです。私と副会長の米澤さんの二人は座ったままで沈黙しました。すでに300人くらいは集まっていたと思いますが、ほとんどの人が起立して小さい声で歌っていました。後で聞いたら、新人会会員の何人かは起立しなかったということでした。
近畿税理士会の総会で君が代斉唱が初めて実施されたという話は聞いていました。しかし、直前の6月10日の理事会で総会の式次第が配られましたが、そこには君が代斉唱は書いていなかったのです。私は東京税理士会は、全国の税理士会の中でも民主的でいろいろあったとしてもまっとうな団体だと信じていたので、不意打ちを食らうとは思いもよりませんでした。総会の中でなぜ君が代斉唱を行ったのか質問すべきでしたが、後の祭りです。
7月13日付で東京税理士会会長あてに、「定期総会での国歌斉唱の取りやめを求める申入書」を提出し、何故今回の定期総会で突然国歌斉唱が行われることになったのか。その経緯を明らかにすることに対して回答を求めました。また、「君が代」の位置づけについて歴史問題をめぐり国民や諸外国の理解は一様ではないこと、 強制加入団体である税理士会の性格上、会員である税理士に実質的には脱退の自由が保障されていないことからすると、会員の思想・信条の自由との関係では、会員に要請される協力義務にも、おのずから限界があることを考慮に入れる必要がある(牛島税理士訴訟最高裁判決)により、税理士会の最高決議の場である定期総会という行事において、国民の理解が一致していない問題を取り入れることは相応しくないことから、今後定期総会において国歌斉唱は取りやめることを求め、回答を求めました。
しかし、9月になっても回答はなく、文書で再度回答を求めるか、直接面談を申し入れるか思案していたところ、11月11日の理事会傍聴で、12月12日の臨時総会の式次第に「国歌斉唱」が入っていることが分かったのです。報告事項でしたが、理事からは何の質問も意見もなかったということです。
そこで、11月27日に、「臨時総会での国歌斉唱の取りやめを求める申入書」を提出しました。
12月12日の臨時総会は東京税理士会の2階会議室で開かれ、250人も入ればいっぱいという会場です。その日、新人会の三役を中心に8名でほぼ真ん中の左寄り一番前の席を陣取って開会を待ちました。狭い会場で、左に日の丸、右に税理士会の旗を仰ぎ、起立して君が代を斉唱する光景は異様なものでした。その中で、私たち8人は着席して反対の意思表示をしました。
始まる前の打ち合わせで、冒頭に発言すべきという意見を受けて、大きく手をあげて最初に私が指名され発言することができました。議長は発言は許容したものの、回答は議題にないのでしないとはねつけましたが、会場から回答するべきだという声がかかり、総務部長が立ち上がり回答しました。
その内容は、国歌斉唱は総会の前に行うので問題はないと考える。強制はしていない。現に起立しなかったではないかという、回答にもならないものでした。
佐伯さんが、関連質問で手をあげ、伊藤清会員が税経新報11月号で書かれた、「内心の自由」について発言し、会場後方からは拍手がわきました。
臨時総会に出席して発言したことが突破口になることを願っています。東京税理士会の機関誌「税理士界」にどのように報告されるのか注目したいと思います。
何しろ定期総会の冒頭は300人くらいしかいませんでしたし、臨時総会の冒頭にいたのは140人くらいです。2万人を超える東京税理士会の会員のほんの一部の人にしか知られていないのです。
たくさん課題はありますが、今年はこの問題は私たちの手で食い止めなければという気概で取り組みたいと思っています。 |