論文

法律なくして課税なしの原則
立正大学法学部客員教授 浦野 広明
東京税経新人会研究部主催の連続講座「税務調査と納税者の権利」(全5回)の第3回のテーマは、「法律に基づく課税」である。次のようなことを述べ、毎回おこなっている請願例の研究をする予定である。

税は国家と国民との契約

日本国憲法に税ということばが登場するのは次の2条文である。
まず憲法84条は「法律なくして課税なしの原則」について次の定めをしている。

あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

次に憲法30条は「法律なくして納税なしの原則」について次の定めをしている。

国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

上記の原則は国家と国民との税に関する基本的な観点である。
つまり、国家は法律の根拠なしに租税の賦課徴収はできないし、国民の立場からすれば法律の根拠なしに租税を負担する義務を負わないのである。

法律なくして課税なしの原則(一般に租税法律主義といわれる)は、国王や封建領主が勝手に国民の財産を収奪することへの対抗手段として生まれた。すなわち、多大な力を持つ権力側に課税権限を委ねると「公正な判断」ができないという歴史的な認識がもたらしたのである。

法律の根拠なしに課税・納税はできないのであるから、税務調査の過程で税務署から納税者が修正申告の勧奨を受けた場合でも、法的根拠の確認を怠ってはならない。

憲法を活用する納税者は、税務調査などの税務行政の過程で自己の主張を十分に行い、同時に、税務署員が法律にもとづいて調査を行っているか、国家権力によって権利の侵害がないかをつねに監視しなくてはならないのである。

税務調査における納税者の権利といっても一般の市民にはわかりにくい。それは行政の担い手である税務職員が、明治(1868年)以来、今日まで、現行憲法の施行によって衣は変わったものの、その本質的性格において、国民からかけはなれた「おかみ」的存在である傾向が強いからである。明治憲法下の天皇制官僚の時代ならいざしらず、第2次大戦後70年になろうとしているのに、この伝統は温存されたままである。

「官」という言葉自体が、「民」の上位概念として抵抗なく使われていることは批判しなければならない。統括官、調査官、特別国税調査官など「官」がつくと、それだけで権威主義的イメージが浮かぶ。

この権威主義的傾向は、日経新聞などに載っている商売むき出し税理士の広告などの肩書が元国税担当官などを誇っているのを見れば一目瞭然である。それだけではない、もう一方、納税者側にも国税勤務者を重用する傾向は強くある。その原因は、日本の行政の体質の奥深くにひそんでいる伝統的秘密主義である。

行政ぐらい膨大な情報を抱えている組織はない。行政の権威なるものは、すべてといわないまでも、ほとんどが情報独占に由来する。この行政の秘密情報とノウハウを、個人的ルートでつかむ人脈として官の「天下り」が横行する。それゆえ、官民癒着構造をたち切るためには、官の「天下り」にメスを入れることが、不可欠である。

本来公務員は、国民に対する奉仕者(servant サーバント=召使、しもべ、使用人。憲法15条)であるから、主人たる国民に仕え忠実にサービスする義務がある。しかし、現実には、国民の上に立つ支配者顔をする。国民主権というならば、この主客転倒をひっくり返さなければならない。行政改革は、国家権力に対する市民社会の優位を全体として回復するという、日本社会の改革に向けての重要な一環である。

政治経済活動が複雑化するにともない、単なる法律の適用ないし執行ではなく、委任立法や通達などを持ち出す「行政裁量」がいちじるしく拡がる。「法律による行政」の原理が解体し、法律によらない「行政法治主義」が拡大している。

行政活動を規律しているルールは、形式的には法律にもとづいているものの、実態はそうではない。国会の制定する法律は、抽象的な文章が多く、それを具体化するルールは行政の独自的判断に委ねられている(委任立法)。行政立法といわれるものがそれである(政令、省令、告示、規則など)。さらに法的拘束力はないが、行政内部でのみ通用するものとして、通達、行政指導(要綱・マニュアル)その他がある。かくて行政は、税務から外交・軍事にいたるまで広範な独自的権限を統轄している一大王国ともいうべき分野となっている。

法分野のなかでも行政に関する法分野は、ほとんど官僚によって独占されている。明治以来蓄積された行政の法体系は、国民を支配・管理するための技術として機能している。
行政の存在理由

日本国憲法は、その前文で「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」としている。この前文は国民の権利・利益ないし人権の保障と実現のために仕えるところに国政の一環である行政の存在理由=公共性があることを示している。憲法の下においては、国民が主権者であり、政府が行う国政は国民によって信託されているにすぎない。ここで保障されている基本的人権は行政権および司法権はもちろん、立法権に対しても保障されたものである。

先の「法律なくして課税なしの原則」や「法律なくして納税なしの原則」のもとでは、憲法以外においては法律が租税のありかたを具体的に規定する法源を構成する。

税法律においては、課税団体、納税義務者、課税物件、課税標準、税率、帰属等の課税要件を詳細に具体的・客観的に規定しなければならないし、課税要件のような実体法的事項のみならず、租税の賦課徴収・納税等の手続法的事項も法律において詳しく具体的・客観的に規定することが求められる。

ともすれば税の分野では、実体法的事項を重視し、手続法的事項を軽視する傾向がある。手続法は、実体法で規定する納税義務を具体化するものであるから、恣意的に運営されると、具体的納税義務が公正さを欠くことになる。だから実体法と同じく重要視しなければならない。

どんなときに権力を行使できるかの実質的基準を決めるのが、実体法といわれ、権力を行使する手続上のルールを決めるのが、手続法といわれる。この手続法上のルールが守られなければ、人権保障は形だけのものになる。国家権力の行使は、それが一定の手続にしたがってなされる場合にのみ合法的なものとなり、手続無視の権力行使は、手続に反したというだけの理由で非合法となる。

「行政手続において、行政処分の対象となるのは、広く一般の国民であり、多くの市民の利害が関係している。それにもかかわらず、手続法が整備されていない。たとえば、租税行政における事実認定を取りあげてみよう。課税処分は、国民の財産権の自由を侵害する公権力の行使であるから、国民の身体の自由を侵害する刑事処分と同じように、手続的ルールがあってしかるべきであろう。身におぼえもなく一方的に逮捕されては迷惑であるのと同じくらい、身におぼえない収入を認定されて一方的に課税されるのは迷惑である。この点で、納税者の権利は、犯罪をおかした、あるいはその疑いがあるとされる、被疑者ないし刑事被告人の権利ほどにも尊重されていないように見うけられる」(渡辺洋三『法とは何か』岩波書店1979年、85ページ以下)
法律による行政

徴税の確保は重要であるが、これと課税庁がいかなる手続によって徴税を行うのか、逆にいえば国民はいかなる手続によって納税の義務を果たすかということは別問題である。徴税の確保はあくまでも被調査者の人権を尊重する立場になって構成された適正な手続によってなされなければならない。憲法13条(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉)、31条(法定の手続の保障)の適正手続の要請は、税務行政の場においていくら強調しても強調しすぎるということはないのである。

行政手続法の第1条(目的)は、「この法律は、処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関し、共通する事項を定めることによって、行政運営における公正の確保と透明性(行政の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかであることをいう。第46条において同じ。)の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする」としている。この第1条がいう目的は、同法や国税通則法の適用除外とはならない。つまり、行政手続における公正の確保と透明性の向上が必要であることは、税務行政手続全般に当てはまるのである。もちろん税務行政の場においても手続の公正の確保と透明性の向上が求められるのである。

行政の決定過程で、きわめて重要な問題は、決定に至る手続である。国民の権利義務に直接変動を与える行政庁の行為の場合には、特にそうである。たとえば、意に反して税を課すことが一方的に、また理由も明らかにされないままなされるならば、国民の人権は保障されないことになる。それゆえ、国民の権利保障の観点から、行政庁の発動を一定の手続によらしめる必要がある(適正手続dueprocess 等)。

法は権利と義務に関するルールである。権利というものは本来、社会的に弱い者の利益のためにある。国家と国民の関係でいえば、国家は強大な権力をもっているから国民は弱い立場にある。弱い国民はルールがなければ、強い権力をもつ国家からひどい目にあう。それゆえ、租税の賦課・徴収は国民を代表する議会の制定する法律によらねばならない。

「法律による行政」とか「法治主義」ということばの理解には、一般的に、二つの対立的な立場がある。一つは、法律を道具として人民を支配すると解し、もう一つは、行政が行政権者の恣意によってなされることを防止するために、法にしたがっていなければ行政しえぬと解する立場である。

渡辺洋三教授は「法律による行政はむしろ行政をやりにくくするところに主眼があるのである。したがって行政法の解釈も、行政をやりにくくするような方向で解釈されねばならない。それが、行政を法律でしばる、行政を法に従属させるということの本当の意味であり、行政法解釈の根本原則であろう」と指摘する(『法社会学研究1・現代国家と行政権』東京大学出版会)。

法律を執行する公務員が、何よりも憲法や法律を尊重する精神を身につけるなら、税務行政は現在よりはるかによいものになるにちがいない。税務職員が持っている専門的知識を、納税者が主役である申告納税制度の発展に寄与させるように仕向けることも、納税者がおこなうべき大切なことの一つである。不当な税務行政や判決をかばう余地はまったくないが、納税者や代理人の水準に応じて税法が執行されるレベルの決まることもまた事実である。徴税権力の濫用から納税者の人権を守るためには、納税者サイドの水準向上が求められる。納税者、納税者団体の関係者、納税者の代理人である税理士や弁護士がすぐれた論理を展開するなら、税務署や裁判所もそれに応ぜざるをえないのである。

今日、国家権力を行使する税務職員(公務員)や裁判官の一人ひとりが、法の支配ないし法治主義の精神を本当によく身につけ、法の拘束を大切に考えているかは疑わしい。税金裁判を一つとっても、裁判官には税法に関する専門的知見がないために、調査官の調査や意見に依存しがちである。調査官の多くは国税庁から出向している職員である。このほかに国側には法務省所属の代理人、課税庁所属の代理人がついて訴訟活動をしている。税務訴訟においては、被告の国も裁判官も税務官庁の身内によって占められてガードが固いから、原告納税者の法廷でのたたかいは、それだけ大変にならざるをえない。日常の税務調査のでたらめさを裁判がかばう結果となっているのである。

それゆえ、裁判過程前の行政過程での税理士(納税者)の権利主張が重要となる(予防法学の実践)。先述のように税理士(納税者)は、権力の行使が法にしたがっているかどうかをきびしく監視し、違法な権力の行使に対し、これをたえず追及するという精神を、本当にわがものとしなければならない。
税務調査

今日の国民の日常生活は、さまざまな「国家」の行政作用の下で営まれている。生徒は義務教育の学校に行く、勤労者は税金を払う、ドライバーは運転免許を持ち、道路交通の法規にしたがって運転する、住宅を建設するには、建築の許可をもらい、建築基準法その他の法規にしたがう、商売を始める場合、多くは営業の許可がいる、だれでも年金とか健康保険に加入しなければならない、等である。

これらの行政作用を規律している法律の総体は行政法と呼ばれている。行政法には普通の民事事件のような私的自治の原則はない。市民相互間を規律する私法は、もともと裁判官の判断ルールを決めた「裁判規範」であり、国民の行動を規律している「行為規範」ではない。

民事法と違い行政法は単なる裁判規範ではなく、第一次的には行為規範である。その意味は二つある。一つは国民に対する命令規範である。もう一つは、権力を行使する公務員の行為をしばる規範である。たとえば税法は、税務職員が国民から税金を取る場合のルールを決めたものである。税務職員の個人的な気持ちや感情、恣意で調査を行ったり、行わなかったりでは国民はかなわない。そこできちんとルールを決めて、それにもとづいて権力の行使をするように税務職員に命令しているのが、行政法である。

国税通則法は税務職員に課税処分(更正、決定、再更正)を行う権限を持たせている。
課税処分を行うか否かの判断をする税務調査について、同法74条の2第1項本文は概要次のように定めている。

国税庁、国税局若しくは税務署(以下「国税庁等」という。)又は税関の当該職員(税関の当該職員にあつては、消費税に関する調査を行う場合に限る。)は、所得税、法人税又は消費税に関する調査について必要があるときは、次の各号に掲げる調査の区分に応じ、当該各号に定める者に質問し、その者の事業に関する帳簿書類その他の物件を検査し、又は当該物件の提示若しくは提出を求めることができる。

また、税務調査を行う職員の権限は、「犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。」としている(同法74条の8)。

調査は、もともと国民の基本的人権に対する重大な侵害行為であるから、納税者の人権侵害手続には最大限の配慮がなされなければならない。

調査を行うに当たって納税者に事前に通知することは適正手続の要請である。適正手続は、誰もが法の適正な手続によらなければ生命・自由または財産を奪われないという原則である。憲法は適正手続の規定を置き(31条、13条)、また、国家権力の行使者に対して憲法を尊重し擁護する義務を課している(99条)。

1974年、衆院大蔵委員会(当時)は「税務行政の改善については、税務調査に当たり、事前に納税者に通知するとともに、調査の理由を開示すること」とする適正手続に関する請願を採択していることを忘れてはならない。
国税通則法74条の9第1項(概要)は次の規定をしている。

税務署長等(国税庁長官、国税局長若しくは税務署長又は税関長をいう。以下第74条の11(調査の終了の際の手続)までにおいて同じ。)は、国税庁等又は税関の当該職員(以下同条までにおいて「当該職員」という。)に納税義務者に対し実地の調査(税関の当該職員が行う調査にあつては、消費税等の課税物件の保税地域からの引取り後に行うものに限る。以下同条までにおいて同じ。)において第74条の2から第74条の6まで(当該職員の質問検査権)の規定による質問、検査又は提示若しくは提出の要求(以下「質問検査等」という。)を行わせる場合には、あらかじめ、当該納税義務者(当該納税義務者について税務代理人がある場合には、当該税務代理人を含む。)に対し、その旨及び次に掲げる事項を通知するものとする。

一  質問検査等を行う実地の調査を開始する日時
二  調査を行う場所
三  調査の目的
四  調査の対象となる税目
五  調査の対象となる期間
六  調査の対象となる帳簿書類その他の物件
七  その他調査の適正かつ円滑な実施に必要なものとして政令で定める事項

この規定は、税務署長が部下の職員に調査権を行使させる場合、税務署長自らが納税者や代理人に通知をする事項を並べたものである。この規定をもって調査の事前通知規定が整備されたという向きがある。しかし、この規定は、調査を行うに当たっての税務署の恣意的願望を並べただけのものであり、事前通知と呼ぶ内容になっていない。どうしても事前通知規定だと強弁したいのであれば「まがいの事前通知」と呼ぶことになろう。

なぜ、「まがいの事前通知」と呼ぶのか。最大の問題点は「調査の目的」である。調査の目的について税務署は、いままで所得の確認・長期未接触などと述べてきたが、通則法が実施された後の調査でも変わっていない。

国税通則法74条の2第1項本文は、「所得税、法人税又は消費税に関する調査について必要があるとき」に限って調査ができると規定している。調査を行うためには、納税者が行なった申告内容について調査をしなくてはならない合理的な根拠を示す事前通知が必要なのである。

調査は「必要がある」場合にしかできない。つまり理由(根拠)がなければ調査はできないのである。目的と理由は意味がちがう。目的は調査をしたいという願望にすぎない。願望で調査はできない。あくまで申告した内容に関する個別的・具体的な理由を納税者に明らかにし、納税者が理解した場合に調査が始まるのである。

刑事手続における適正手続の重要性は欠かせないが、行政権が強大化している今日、行政の場における適正手続の保障もその重要性において変わりがない。

「税務運営方針」(国税庁、1976年)は、税務運営の基本的考え方として次のように述べている。

申告納税制度の下では、納税者自らが積極的に納税義務を遂行することが必要であるが、そのためには、税務当局が納税者を援助し、指導することが必要であり、我々は、常に納税者と一体となって税務を運営していく心掛けを持たなければならない。また、納税者と一体となって税務を運営していくには、税務官庁を納税者にとって近づきやすいところにしなければならない。そのためには、納税者に対して親切な態度で接し、不便を掛けないように努めるとともに、納税者の苦痛あるいは不満は積極的に解決するよう努めなければならない。また、納税者の主張に十分耳を傾け、いやしくも一方的であるという批判を受けることがないよう、細心の注意を払わなければならない。

日本政府は一貫して「納税者の権利につきましては、憲法及び法律の規定などによって既に保障されている」と述べている。
たとえば、尾原榮夫大蔵省主税局長(当時)は、1998年4月8日の参院予算委員会で、山口哲夫議員の質問に対して次の回答をしている。

お答えもうしあげます。納税者憲章のようなものを我が国で設けてはどうかということでございました。先ほど先生おっしゃいましたように、我が国では納税者の権利に関して一つの法令等にまとまったものがないということはそのとおりでございますけれども、今納税者憲章等で定められているような納税者の権利につきましては、憲法及び法律の規定などによって既に保障されているというふうに考えているところでございます。しかも我が国の税務行政でございますが、執行権限の範囲内で納税者の権利保護に十分配意しながら適正に行われているというふうに考えておりまして、改めて納税者憲章等を制定する必要はないのではないかというふうに認識しているところでございます。

この発言を建前ではなく本音にさせるために、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(憲法99条)を使うことになる。

(うらの・ひろあき:東京会)

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