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時潮

時潮 鷹山公と現代
組織部長 時崎 賢治
とうとう4月から消費税が8%に上がりました。わが家では家内と2人で週に2 3度、散歩もかねて近くのスーパーに食料品や日用品の買い物に出かけます。3月末近く、いつものように出かけると、店に入る前に異様な光景に驚きました。駐車場に入れない車が列をなして順番を待っているのです。増税前のまとめ買いかなと思いながら店内に入ると、今までに見たこともない賑わいが目に入りました。

普段と違うところは、私たちより少し年配と見られるペアが目立ったことです。駐車場の混みようと不慣れな買い物かごの持ち方を見ると、ご亭主は運転手としてつき合わされたのでしょう。収入アップが見込めない昨今では、少しでも出費を抑えようとのまとめ買いは当たり前のことです。4月に入ってからの店内は、先月末の喧噪が信じられない静けさでした。それでも10日を過ぎる頃には、まとめ買いが底をついてきたのでしょうか、客の数も少しずつ戻ってきたようです。

4月21日、本年3月のスーパー売上高が前年同月比9.4%の増加であったと日本チェーンストア協会から発表がありました。全国一斉に増税前のまとめ買いが行われたという結果でしょう。大部分の国民は将来の不安を拭うために増税を受け入れたように見えますが、果たしてそうでしょうか。過去には大きな反対の声が政治を揺るがし、導入や増税を断念させてきたことがありました。

昭和53年(1978年)、第1次大平内閣時に一般消費税導入案が浮上するも総選挙の結果を受け撤回。昭和61年(1986年)、第3次中曽根内閣時に売上税法構想が浮上するもマスコミや国民は反発。そして昭和63年(1988年)、竹下内閣時に消費税法が成立し12月30日公布。平成元年(1989年)4月1日消費税法施行、税率3%。戦後最大の贈収賄事件と言われたリクルート事件も発覚し、支持率が急激に低下、半年後に辞任。平成6年(1994年)、細川内閣は国民福祉税と名を変え税率を7%にする案を打ち出すも、世論の批判を浴び翌日に白紙撤回。

平成9年(1997年)、橋本内閣は村山内閣が地方消費税の導入と税率5%への引き上げを内定していたものを実施。折からの不景気にも見舞われ、翌年の参議院選挙で惨敗、責任を取って辞任。平成24年(2012年)、民主党政権は「4年間は上げない」との公約を投げ捨て、密室談合のすえ改定消費税法成立。総選挙では厳しい審判が下された。

このように消費税は政権党にとっては命がけの政治課題でした。今回の増税も、ブレーキをかけるどころか暴走に手を貸すように変質してきたマスコミが後押しし、崩壊寸前の民主党野田政権と巻き返しを狙う自民党が、密室で国民不在のうちに決めたものでした。

安倍政権になってからも、政府は国民に、「赤字財政をどうする」「将来に負担を押し付けるのか」「社会保障は破たんする」などと脅しをかけ、「増税は仕方ない」と思わせるように誘導をしてきたのです。来年には、10%への増税が待っていますから、庶民は一層の負担と節約が強いられます。

節約という言葉で浮かんでくるのは、「欲しがりません、勝つまでは」という標語です。大正生まれの両親から戦時中の苦労話をさんざん聞かされました。

もう一つ浮かんでくるのは、江戸時代後期の米沢藩主の上杉治憲(17511822)のことです。上杉鷹山と言ったほうが通るでしょうか。広辞苑などでは、財政的に破産状態にあった藩の改革を自ら率先して倹約を行い、新田開発をして耕地を増やし、養蚕など産業に力を入れ藩財政の再建を果たしたとあります。

私は作家藤沢周平さんの時代小説が好きで、ずいぶん読んでいます。その中に「漆の実のみのる国」という長編小説があり、鷹山の生涯を深く掘り下げて書いてあります。

高鍋藩主の次男に生まれ、米沢藩主上杉重定の養子となり、元服を終えた翌年17歳で藩主となりました。小説ですからいくらか脚色はあると思いますが、随所に書かれている鷹山の考え方は、現在にも教訓となるところがあります。藩主の座を引き受けた直後に詠んだ和歌や、国元の春日社に納めた誓詞、密かに使いを派遣して同じ国元の白子神社に納めた誓詞(125年後の明治24年(1891年)に奥殿から発見された)などは改革への並々ならぬ覚悟が伝わってきます。

組織の改革や大倹令を布き、荒地を開墾し漆・桑・楮などを植え殖産を図りますが、古い慣習にしがみつく重臣や干ばつなどの自然災害に見舞われるなど遅々として進まず、その事業遂行には計り知れない苦労があったと思われます。当時藩主に課せられた参勤交代も、無駄な出費だと仮病を使って免除を願い出たりする。幕府が権威と支配を維持するために諸侯を縛った「礼儀三百威儀三千」などは虚礼の世界に過ぎないと考えていました。藩主の座を早々に譲り、隠居して自らが藩の改革に取り組みたいと実行に移してしまう。隠居する時、次の藩主に「ぜひとも伝えたいことがある」と諭した言葉は実に興味深いものです。

「藩主となって心がけるべきことは、佞者(ねいしゃ)の者を近づけるべからず」「多くの家臣はわが家の末永い保全とわが身の立身出世を求めて勤めており、それが自然でそれが行き過ぎると佞言となる」「耳に快い言葉に惑わされることなく、つねに声なき声に耳を澄まし、誤りなき政治を行わなければなりません」と次のようなことが書き記してある書面を渡します。

一、国家は、先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべきものには無之候
二、人民は国家に属したる人民にして、我私すべき物には無之候
三、国家人民の為に立ちたる君にて、君の為に立ちたる国家人民には無之候右三条、御遺念有間敷候事

これを読み終わった次期藩主は顔を紅潮させ、畏敬の念をもって深々と礼をした、とあります。

昨年11月に着任したケネディ駐日アメリカ大使は在日米国商工会議所の歓迎昼食会での挨拶で「父は東北地方の大名、上杉鷹山を敬愛していました」とのコメントをしました。おそらく、故ケネディ大統領は鷹山の「声なき声、民の声を聴け」という政治姿勢に共感していたのでしょう。同じくアメリカの第16代大統領リンカーンが言った「人民の人民による人民のための政治」の名言は1863年の演説ですが、鷹山はすでに亡くなっています。鷹山が次期藩主に示した三箇条は、先見性のある現代にも通じる教訓だと思う所以です。

振り返って、日本の政治はどうでしょうか。安倍首相とその取り巻きや政権与党のアメリカや財界への阿諛追従(あゆついしょう)、健全な野党を自認する政党の政権への追従、国民の側に立つべきマスコミの政権への迎合等々、民意など無視した横暴が目立ちます。今の日本を見て鷹山公だったらどう思うでしょう。国民生活を脅かし、事業者の事業継続を困難にするばかりか、東日本大震災、福島原発事故に遭われた被災者・被災地の再建・復興の妨げにもなる消費税増税をすんなりと許してしまって良いのでしょうか。

(ときざき・けんじ:千葉会)

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