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時潮

最近の政治を振り返り、これからを考える
組織部長 時崎 賢治

6 月15 日、民自公が消費税増税で合意、新聞各紙の世論調査で半数以上の反対があるにもかかわらず、26 日には民主党の造反議員も出る中、衆議院で可決してしまいました。16 日には、昨年3 月11 日東日本大震災で発生した福島第一原発の事故を受けて安全確認のために休止していた福井県大飯原発の再稼働を容認しました。福島の事故の原因も解明されていない状況で、専門家の間でも危惧する声が多い中での決定でした。今まで政治にあまり関心がなかった人達も目を向けざるを得ないような出来事が次から次へと起きています。原稿依頼を機に私なりに振り返ってみました。

09 年衆議院選挙で国民は、半世紀以上続いた自民党政治に歴史的な審判を下しました。長年続いた自民党政治に国民は「NO」を突き付けたのです。それは、01 年に発足した小泉内閣の「構造改革」路線に端を発したといってもよいでしょう。小泉内閣は「官から民へ」「改革なくして成長なし」のキャチフレーズでまさにアメリカと財界言いなりの「構造改革」路線をひた走りました。手始めに「不良債権処理」の名で中小企業をつぶし、企業がリストラをすればするほど減税をする「産業再生」法を延長・改悪して大企業のリストラを後押ししました。また、労働者派遣法のさらなる改悪が、非正規雇用者を増やしネットカフェで寝泊まりしながら「日雇い派遣」で働く若者の姿は「働く貧困層」の象徴でした。

その後、08 年の米国に端を発した金融危機では、景気悪化を口実に大企業は製造業を中心に大量の「派遣切り」「期間工切り」を実施しました。景気のいい時は、正社員を派遣や期間工に換えて大もうけをし、悪化すると人をモノのように使い捨てる。このような雇用のルールを破壊する仕組みを作ったのが労働の「構造改革」で、この構造は今日でも大企業が堂々とリストラをするなど大きな社会問題になっています。

社会保障関係では、憲法で掲げられている健康で文化的な生活を保証する国の責任を投げ捨て、「自助」「自立」を押し付けてきました。財政危機の原因はあたかも社会保障費の増大にあると言わんばかりに、財界も先導して社会保障費抑制を要求しています。その抑制方針の対象は医療、介護、年金、生活保護とあらゆる分野におよんでいます。結果、わずかな年金も減額され、その年金からも健康保険料を天引くなど容赦はありません。国民健康保険料が払えず保険証を取り上げられる世帯も増え「病気になっても病院にいけない」手遅れで死亡する例が後を絶ちません。また医師数の抑制政策を続けたあまり医師不足が社会問題化し、医療崩壊の事態が表れています。

高齢化、核家族化の進展で要介護者を社会全体で支える仕組みとして導入された介護保険制度も要介護認定の複雑化、介護施設の絶対数不足、サービスの低下などが問題となっており根本からの見直しも叫ばれています。

小泉首相は、05 年9 月の衆議院選挙で自身念願であった「郵政民営化」は「官から民へ」「民間でできることは民間で」という大号令を掲げ圧倒的に勝利し、07 年の郵政民営化実現の足がかりを作りました。この郵政民営化は、矛盾が噴き出し、後に郵政株売却凍結法案が可決されるなどの混迷が続いています。

小泉首相から続いた安倍首相は、戦後レジームからの脱却を唱え防衛庁の防衛省への昇格、憲法改正への足がかりとなる国民投票法を成立させました。こうしたタカ派的手法はアメリカなどには好意的にみられたものの国内では戦前の日本を思い起こさせ、閣僚の不適切発言などもあって支持率を低下、早期の辞任に追い込まれました。次に続く福田首相、麻生首相も基本的には「小泉構造改革」路線を受け継ぐ形で登場したのですが、国民は長引く不況と国民生活の先行きが見えない閉塞感から、見切りをつけたのが09年の衆議院選挙でした。

自民党政治からの脱却を目指し、国民からも大いに期待されての民主党鳩山政権の登場でした。ところが、首相自身や小沢一郎幹事長の「政治とカネ」の問題が露見し、当初より前途多難の様相を見せました。子供手当、高校授業料無償化法案を成立させましたが、一方では、「ばらまき政治」で人気取りと批判されました。鳩山政権の難関は、沖縄普天間基地の移設問題でした。辺野古周辺への移設で決まっていたものを再度審議することになって、県外移設などさまざまな代替案が提示されましたが、結局県外移設は不可能との結論に達し、再度辺野古への移設で決着をつけました。この大混乱で社民党が連立離脱、鳩山内閣の支持率が急落し、「国民が聞く耳を持たなくなった」と退任を余儀なくされたのでした。

後を継いだ菅首相は財政健全化の一環としての消費税税率の引き上げ発言が尾を引き内閣支持率は激減し、10 年7 月に行われた参議院選挙で過半数を割るねじれ状態を招き、急速に求心力を失いました。そんな中、東日本大震災、福島原発事故が発生すると災害への対応のまずさ、統一地方選挙の敗北などから党内からも「菅下ろし」が活発化すると、条件を付けて退陣するという事態になったのでした。

次の野田首相は、民主党の代表選では、原発事故収束を優先事項と揚げ、脱原発依存の立場で新設はしないと表明、民主党が野党だった時代には、消費税を増税すると日本が肺炎になるとまで言っていました。民主党は「コンクリートから人へ」という公約で、公共事業予算を削減し大型事業を凍結してきたのですが、野田内閣になり八ッ場ダムの建設再開、総事業費3兆円を超す整備新幹線の着工を認めたのです。

09 年衆議院選挙で掲げた公約などことごとく破棄して自民党政治に逆戻りかそれを上回るような強硬姿勢が見られます。何のための政権交代だったのでしょうか。公約を守らず変革に期待した国民を完全に裏切ったと言ってもよいでしょう。

官邸前をはじめ全国あちこちで反原発の集会が行われています。今まで意思表示もしていなかった市民も「今、動かないと」と怒り心頭です。「社会の弱者といわれる人達が、隅に追いやられるのではなく、安心して暮らしていけるような仕組みや制度を作るのが政治だ」と私は思っています。

(ときざき・けんじ:千葉会)


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