厚生労働省の調査結果が9月14日に公表された。報告によれば、有期労働者で年収200万円以下が74.0%(09年57.3%)、正職員と同一職務の有期労働者で年収200万円以下が60.3%(同40.7%)、契約社員47.2%(同38.6%)派遣社員56.7%(同45.7%)、有期労働者雇用企業79.7%(同53.8%)と「格差社会・非正規・ワーキングプア」が一層拡大していることが示された。拡大の背景は「人件費コストが増大するから」(50.7%)である。
東日本大震災の直後、震災を口実にソニー仙台テクノロジーセンターで150人以上の期間社員全員の雇い止めが公表されたことは記憶に新しい。
哲学者の高橋哲哉東京大学大学院教授は「ヤスクニ」も「フクシマ」も犠牲のシステムがもたらしたものと告発し、次の様に指摘している。
「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている。そして、隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する」(週刊朝日臨時増刊「朝日ジャーナル」2011年5月「原発という犠牲のシステム」)
非正規労働も犠牲のシステムである。工場や建築現場などで農閑期を利用した季節労働者は昔から存在したが、彼らには帰る故郷も、生業もあった。しかし、現在の「期間工」「派遣労働者」は全く性格が違う。2008年末の派遣村を想起すればよい。彼らにとっては、それが唯一の生業であり、帰る故郷もない。雇い止めになれば生活全般が脅かされる存在である。派遣の自由化を推進したオリックスのCEO宮内義彦氏の「雇用調整のための鉛筆型経営」では「鉛筆の芯にあたるコアの部分を付加価値のある正社員で固めて細くし、外側の木の部分を成功報酬型の社員や非正規雇用の社員で囲むようにし、会社の利益や景気の動向で雇用調整しながら、人件費を変動させやすいようにする。」と唱える。そこには企業・投資家(或る者たち)の利益が、雇用調整の道具とされる非正規雇用の社員(他のものたち)の犠牲によって維持されるシステムがある。それを正当化し隠蔽するロジックが「企業のグローバル化」「働き方の多様性」「労働市場の流動化」であり規制緩和である。そして、犠牲にする者たちは解雇のルールを盾に責任を回避する。
そのことを端的に証明したのがリーマンショック後の雇い止めである。それまで「元気な名古屋、元気な愛知」と言われた愛知県が10,509人と全国でも突出した非正規社員の失業を生み出した。その中の一人、三菱電機で雇い止めにあった、一人娘を抱かえる母子家庭のTさんは「先の不安で自殺まで考えた」と言う。「正社員と同じように働いてきて何故この様な目に遭わなければ行けないのか。同じことの繰り返しは沢山」と他の雇い止めにあった二人と共に、三菱電機に対し地位の確認を求めて提訴した。
2011年11月2日、名古屋地方裁判所は、訴えた三人の原告に対し「三菱電機が実質的な雇用主とは認められない」と同社社員としての地位確認を退けた。しかし、派遣契約の中途解約を行った行為に対しては「身勝手な行為」「リーマンショックで雇用情勢が極めて厳しい中、突然の派遣切りは、ただでさえ不安定な地位にある派遣労働者の生活を脅かした」と指摘し、派遣先の三菱電機に信義則違反の不法行為責任を認定し損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡した。
ソニー仙台テクノロジーセンターの雇い止めを通告された22人の期間社員は雇用継続を求めて立ち上がり、支援の輪が広がっている。
「フクシマ」も「非正規労働」も、肝心なのは、犠牲のシステムをやめることである。
犠牲の救済と或る者(たち)の責任の追及が、その道標になるものと思う。
(とたに・たかお:名古屋会) |