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時潮

今こそ豊かな社会をもとめて
税理士法「改正」問題特別委員会 委員長 吉元 伸

今年の桜は例年より遅く4月半ばにその花を咲かせた。しかし、町には迎えた春を祝う雰囲気は無い。地震と空前の大津波、そして原発事故。首都圏では電力不足による停電、それに続くガソリンや米などの品不足など、今まではテレビで見ていた遠い外国の出来事と思っていたことが、まさに目の前で展開している。何十年と続いていた「平凡な日常」が突然暗転した場面に私たちは遭遇してしまったのである。

深い悲しみの中、私たちはこれからの時代をどう生きていけばいいのだろうか。今回の大震災・それに続く原子力発電事故は、被災地はもちろん被災地以外の生活にも大きな影響を与えた。今後の人々のものの考え方や生活スタイルまでも変え、そして歴史的な社会の方向性も変えかねないという点で、おそらく3月11日は、それ以前と以後を隔てる分岐点として歴史に刻まれるのではないか。

近代社会はいつの時代も経済成長を追い求めてきた。国家も強力にその後押しをし、企業もどうしたら成長できるのかを理念として研究してきた。その結果として一定の物理的な豊かさを獲得してきたわけであるが、その果てに社会の分業化・系列化・下請け化が進み、自分の仕事さえこなしていけばそれなりの生活ができるようになった。しかし、今回の原発事故それに続く一連の事象は、他人任せでいたのでは自分の生活だけでなく、生命の安全も危うい脆弱な地盤の上に、その「豊かさ」があることを思い知らせてくれたのである。今まで無尽蔵にあるように思えていた電気さえ自由に使えなくなり、その電気を生み出す近代社会のシンボルでもある原子力発電所が、さらに大きな厄災を今も生み出し続けているのである。

連日報道される被災地での多様な助け合いを見ていると、人間が困難な環境の中でこそ、支えあう人間本来持ち合わせている姿が見えてくる。また、ほかの地域でも同様に、被災者のために何かしたいという多くの人々の気持ちのあり様にも人間としての連帯が感じられる。それは、今までとは違った連帯する新しい社会のあり方を予感させてくれる。そこに希望があるのかもしれない。行き過ぎた資本主義のあり方から離れ、成長しなくても人間関係を通じてゆたかな社会もこのような相互扶助から生まれてくるのかもしれない。新しい形の成熟した市民生活のあり方をそれぞれが静かに考えよう。

もちろん被災地の方々の復興を願わずにはいられないが、周りをみわたせば、新自由主義的な政策の犠牲者としてたくさんの生活困窮者も存在している。80年代以降の税制改革のスローガンとしては、「広く薄く税負担をする体系」あるいは「努力したものが報われる税制」であり、富めるものはより富めるものであった。多くの人が疑問に思っていたにもかかわらず、止めることのできなかったこの流れを転換しなければならない。富める者こそ応分の負担をすべき社会。これこそが人間社会の正常な有り様である。

(よしもと・しん:千葉会)


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