昨年末から「広がるワークシェア」「なし崩しワークシェア」の見出しが新聞紙上に踊る。挙句に、休業日の賃金カットが1 日あたり15%、2月の稼働日が7日間しかない三菱自動車水島製作所では「給料はピーク時の半分、アルバイトも容認」(中日新聞2月7日)。東芝の会長で日本商工会議所会頭の岡村正氏は「変則的だが緊急避難型のワークシェアの一つと考える」(同)と語っている。本当にワークシェアなのだろうか?
ワークシェアリングを最初に提唱したECでは、1978年に「就業を希望するものに対する雇用機会を増加させるために経済における総雇用量を再分配すること」とワークシェアリングを定義している。ECにおいては雇用創設が目的であり、当初から賃金カットを目的とするものではなかったことが覗われる。
例えば、フォルクスワーゲンの93年協約は2年間、時限的に2割の労働時間を短縮して2割の手当てをカット、会社は3万人の解雇を撤回し一人の解雇もださないと労使で協定した。可能にした背景がある。当時の西ドイツは賃金を下げずに労働時間短縮を進めており、賃金が先進国でトップの高水準であった。中でも超優良企業のワーゲンは36時間労働で、同業他社より手当て込みで2割程度賃金が高い状態にあった。したがって、賃金を下げても生活水準としては"そこそこやっていける水準"は維持された。
オランダでは1950年代から北海油田の天然ガス景気が始まり、好景気に支えられた高賃金、高福祉の国になっていた。70年代に入り不況が始まり、「高賃金の人は雇えない」と大リストラ期に入る。解雇を容易にしたのは国の好況期に作られた高福祉である。病気で解雇されても、労働不能手当てが直前の賃金の100%が認定の下りた直後から、次の就労までの間支払われるという制度を有していた。認定医が産業になり、ちょっとした病気でも容易に認定がされ、認定を受けた人は簡単に仕事を辞めてしまうし、企業も解雇に躊躇がいらなかった。そのため、失業者は増大し9%を超え「このままではだめになる」というところで1982年に政・労・使三者の間でワッセナー合意が結ばれた。
内容の大筋は「労働者はベア凍結する。企業は賃金の抑制分を雇用にまわす。政府は財源が回復したら税金を下げて返す」である。結果は最高時10%を超えた失業率は10年後に2%台に低下。成功の背景がある。短い時間の労働でも差別されないパート労働制度の考案である。週休3日でも4日でも時給はフルタイマーと同じで極端に安い時給にしない。有給休暇も労働時間比例で保障する。年金も最低限の保障をする。その結果、短い時間なら働けるという専業主婦層が働きだして世帯収入は増加、さらにオランダのパートは有期雇用でなく仕事のある限り就労可能のため増加収入を安心して使えるので、消費マインドを刺激し、消費の活性と経済の好転を可能にした。
日本の場合は経済界から提起された。日経連は最初から「就労時間を減らし、その分賃金を下げて雇用を維持する手法」(2000年版「労働問題研究委員会報告」)と、賃下げを前提としている。本音は「雇用維持と総人件費の抑制」(2002年奥田経団連会長総会あいさつ)である。実施された例はない。実施されなかった原因は、それに変わる賃金抑制の手法を経済界が手にしたからではないだろうか。1999年に製造業を除き人材派遣を解禁した。そして、2004年製造業にも人材派遣を認め原則自由化した。その結果は、好景気の中での労働分配率の低下、現代版「口入屋」の横行、格差社会とワーキングプアの出現、そして今回の派遣切りである。このままでは正規社員のワーキングプア化を招き、消費の減退、不況の負の連鎖を作るだけである。
迷い道からの脱出は分岐点まで戻ることである。まず「労働の商品市場」である派遣を原則禁止すること。そしてナショナルミニマムである生活可能賃金を最低賃金とし、所定労働時間で生活できる水準にすること。賃金格差の温床であるパート労働の差別的取り扱いをなくし、有期雇用の原則制限にする。これらは日本が批准していないILO条約に含まれるものであり、EUのスタンダードである。介護の求人は2.38倍(厚生労働省08年11月)など、賃金を始め労働環境を改善すれば社会全体でのワークシェアの余地はある。そして地域雇用の担い手である中小企業に公的資金の導入のスキームが必要になる。そのための制度改革と財政支出で生活の下支えをしなければ、この国の生活溶解が始まる。(参考:竹倍三恵子『ワークシェアリングの実像』他) |