時潮

国際競争力の妄想
税経新人会全国協議会・研究部長    戸谷  隆夫  

政府、財界が好んで用いる言葉に「国際競争力」がある。これは、国際競争力の強化こそが生活水準の向上につながると言う考え方に起因しているように思われる。

では、「国際競争力」とは何であろうか。国民生活とどの様に関連するのであろうか?

経済誌でよく用いられる指標に、スイスの国際経営開発研究所(IMD)から毎年発表されている「国際競争力ランキング」がある。2007年版国際競争力ランキングでは、1位米国、2位シンガポール、3位香港が引き続き高位置を維持している。日本は前年の16位から24位に順位を下げ、中国は15位とその地位を逆転している。それでは、IMDの考える「国際競争力」とは何であろうか。

競争力ランキングの指標の作成は政府の公表する統計データとアンケート調査の結果を用いて作成されている。具体的には、「経済状況」、「政府の効率性」、「ビジネスの効率性」、「インフラ」の4項目の大分類にそれぞれ5項目の小分類を設けて統計データと各国の企業経営者を対象に行うアンケートを323指標収集し、小項目ごとに分類指標化して評価している。日本では三菱総研が調査協力機関になっている。

調査項目とアンケート対象から、IMDの考える「国際競争力」は「企業の活動を支援する環境が整備されている程度の高さ」を競争力と考えているようである。ここでは、企業にとって都合の良し悪しが評価されるが、国民の生活水準の貢献や国の豊かさは見えてこない。ちなみに、日本のランキングの低い要因に「政府の効率性」「法人税の高さ」「外国人労働者雇用に関する法制度」の低さが挙げられているが、米国や財界の要求と軌を一にしていると感じるのは穿った見方であろうか。

もう一つの考え方としてOECDによる国際競争力の定義がある。OECDによれば「国際競争力」とは「自由かつ公正な条件の下で世界に受け入れられる製品、サービスを生み出すと同時に、長期にわたって国民の所得を成長させる力」である。この定義によれば国際競争力を示す指標として最も適切な指標は貿易に関する指標ということになる。それについては、大和総研の原田泰氏とアジア経済研究所の熊谷聡氏の共同論文「国際競争力は暮らしを豊かにするか?」が分析している。

両氏の検討は、国際競争力を輸出競争力ととらえ、ある国の輸出が世界の輸出合計に占めるシェアの伸び率を用いている。生活水準の指標としては、内外価格差を排除するため購買力平価で計った一人当たりGDPの伸び率を用いる。この両者の関係を見ることで国際競争力と生活水準が相関しているかどうかが分かる。

論文の詳細は省くが、「1978年から2000年までの年次データを分析してみると、日本については輸出の世界シェアの伸びと購買力平価でみた一人当たりGDPの伸びの間には統計的に有意な関係がないことが分かった。日本以外のG7各国についても、やはり国際競争力と生活水準の間に有意な関係は見出せなかった」「一国の所得水準が高くなると国際競争力と生活水準の関係は弱くなる傾向がある」と指摘している。

所得水準の高い国ではGDPに占めるサービスの比重が高くなり、国民の消費がその6割を占めている。その国の経済の活性化を論じるなら、財の競争力より国民の購買力の向上がより資するものではないだろうか。

経済学者ポール・クルーグマン教授は言う。「国の国際競争力は捕らえどころのない、悪く言えばナンセンスなものである」「そもそも国家に競争力などというものはない。競争しているのは個々の企業であって政府が介入するのは有害無益である」(1994年「競争力と言う危険な妄想」)。

(とたに・たかお:名古屋会)


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