2008年は真に「生活者、消費者が主役」の国へ
税経新人会全国協議会 理事長 平石 共子
2008年1月7日は日経新聞の一面見出し「基礎年金、全額消費税で」という大きなタイトルが目に飛び込んできた。多くのサラリーマンにとって1月7日は今年の事実上の仕事始めの日だったと思われる。日本経済新聞社は昨年9月に年金制度改革研究会を立ち上げたといい、その報告記事を大きく報じたのだ。この日をターゲットにしたのは間違いないだろう。
また、この日は経済三団体の首脳が恒例の年頭記者会見を行った。経団連の御手洗会長は、「日本の税制は直接税に偏りすぎており、消費税上げを真剣に考えざるを得ない」と消費税増税は避けられないと意見表明したと伝えられている。まさに、財界と財界を後押しする経済紙が一体となって、新年から消費税増税を打ち上げたという格好である。
2007年11月の税制調査会の答申では、消費税は税制における社会保障財源の中核を担うにふさわしいと述べるにとどまり、増税やその時期については具体的なものは何一つ打ち出せていない。いま、明らかに国民の押し返す力が大きな圧力となって、間違った方向から普通の状態に引き戻す作用がさまざまなところで働いている。その状況下、税制調査会もうかつに物はいえないと読んでいるのだろう。
だからこそ、この日経新聞の記事と財界の意見表明はことさら奇異に映るのである。
報告は、基礎年金の財政運営を社会保険方式から税方式に移行し、財源すべてを消費税で賄うとすると消費税率を5%程度引き上げれば足りるという。
現在3分の1に当たる7.4兆円分はすでに、消費税収などの税財源で賄われているといい、残りの保険料負担12兆円を1%当たり2.5兆円で、5%あげれば12.5兆円、ぴったりといわんばかりである。その結果、家計部門では全体で負担増になり、企業負担の3.7兆円は浮く形に。さすがに国民負担は増加して、企業負担は軽減となるのはバツが悪いのか、研究会は3つの選択肢を考えたとしてその使い道を掲げ、ただ企業負担がなくなるわけではないと強調している。
そもそも福祉国家である日本の税収はすべて福祉に使うのは当然のことで、消費税の目的税化自体がおかしな話である。財源論のみで、ここには本当に国民にとってのあるべき年金制度の議論はない。
その点、「北欧はここまでやる。格差なき成長は可能だ!」(週刊東洋経済1/12号)は、経済成長と高福祉を両立する国、「実験国家」北欧の知恵を知り、日本の新しい可能性を探ろうと呼びかけている。その内容を見ると日本がいかに創造力の乏しい国かということを思い知らされる。国の面積は日本と同じくらい、人口は、道州、県単位なら北欧は身近な存在といい、決して日本と違うというわけではないと釘を刺している。
まず、高福祉・高負担でも国民の満足度は高い。スウェーデンでは、国民負担率(税金と社会保障費のGDPに占める割合)は70%を超える。日本の場合は2007年度見込みで39.7%というからその負担の度合いは相当なものだろう。老後の給付が保障されているから、貯蓄の心配もいらない。なぜ経済成長が可能なのかというと、高齢化が進めば福祉産業に対する需要は当然大きい。スウェーデンではGDP比32%(日本は22.1%)、産業構造が国内の需要と一致している。福祉事業はまさに地場産業、徹底した分権化が行われ、市町村はほとんど福祉と教育に専念している。
スウェーデンでは大学改革により、学費は一切無料、親の所得水準に関係なく誰でも大学進学が可能に。ここに教育の機会の格差は生まれない。フィンランドの子供たちの学力は世界一、国際的な学力到達度調査で常に上位を独占している。求めている学力は「問題点を見出し、解決する能力」であり知識の詰め込みではない。年金改革は、1999年に7年かけてスウェーデンでは「みなし積み立て方式」を発明した。
高福祉のフィンランドでは労務コストも高いのに、世界的な企業ノキアは開発・生産体制は自国であるフィンランドにこだわる。いったい、日本との違いはなになのか。最後にデンマークの雇用担当大臣のことばは示唆に富む。「誰にもフィットする方法はない。それぞれの国が自国に最もフィットするやり方を採用しなければならない」、「わたしたちを模倣することはできないけれども、私たちの経験から学ぶことはできる」。ここには新自由主義による市場原理はどこにも登場しない。わが国は誰のためでもない、自国のための真に国民にとって必要な最善の方法を見出し、実現していくことが求められている。
(ひらいし・きょうこ
東京会)
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