時潮

福田首相の所信表明演説
税経新人会全国協議会  副理事長  西田  啓治  
まずは福田首相のプロフィールから、 1936年7月16日生現在71歳福田赳夫元首相の長男(男三人
他に女兄弟)
早稲田大学卒業後現在のコスモ石油に入社
1976年衆議院議員秘書に転身
1990年群馬4区より初当選(53歳)
経歴をみれば、議員初当選が53歳とは、晩生である。これは、父親の福田赳夫氏が「お前は政治家には向かない」との判断により民間会社に就職させ、次男を秘書官にして後継者とする予定であったらしいことによる。その後諸々の事情により、康夫氏が戻され53歳にしての初当選である。

当時同年代同選挙区の小淵恵三氏は既に当選9回、父親を含めて関係者はとても将来首相になるなんて、考えもしなかったようだ。ご当人も「その気」になったのはそう古い話ではないであろうと思われる。そのためかどうかは分からないが、「所信表明演説」にこれぞという強いポリシーは窺い知れない。

「小泉前首相が手掛けた『構造改革』は継続し、それにより生じてきた問題点はきちんと処方箋を講じていきます。」
靖国参拝問題では、「他国が嫌がることをする必要はない」との発言があるらしい。
参議院が与野党逆転している状況では、「野党の皆様と...誠意をもって話しあいながら...」も当然のこととなろう。

現在の衆議院・参議院のねじれ現象は国政の停滞を招き、与野党の余分な駆け引きによりその目的がぼやけた法律が出現せぬかと危惧する。この状況はできるだけ早く解消しなければならない。

国民の本意は、先の衆議院選挙にあるのかそれとも本年の参議院選挙の結果であるのか、いずれであろうとも、このねじれ状況が本意ではあるまいと思われる。早々に衆議院の解散総選挙が行われるべきであり、その結果は参議院においても尊重すべきである。

話は「所信表明演説」の中身に戻る。
実は特筆すべき項目が見つからない。敢えて言うなら、これが特徴である。「自立と共生」と言う言葉を数度使っているが、これとても特徴的な理念とは言いがたい。文言の中で少し気になる部分は、「改革の継続と安定した成長」の中身で「時代に適合しなくなった制度や組織など、日本の将来を見据えた改革を進めていかなければなりません」とある。

基本的には賛成である。我が国の制度や組織で既にその役割を終えあとは単に既得権化され、役人の天下り先となっている組織やそれを下支えする制度がまだまだ見受けられる。時代に適合しているか、国民社会に必要性があるか、税理士制度も含めて取捨の基準であろう。

「格差問題」の中では、「地方自治体に対する一層の権限移譲を行うとともに、財政面からも地方が自立できるよう、地方財政の改革に取り組みます。」

これも基本的には賛成。しかしながら、権限移譲を受ける地方自治体の体質にどうも全幅の信頼がおけない。長年中央集権国家の下での地方自治がしみ込んだ体質は、一朝一夕で変わるものではあるまいし、自治体間の行政手腕の差が顕著に出た場合、土着性のない現代人は簡単にその住居を移動し、社会的弱者のみが住む荒廃した市町村が生じる恐れがあろう。

「環境を考えた社会への転換」では、「従来の、大量生産、大量消費をよしとする社会から決別し、作ったものを世代を超えて長持ちさせて大事に使う『持続可能社会』へと舵を切り替えて...・住宅の寿命を延ばす『二百年住宅』に向けた取り組み...」 これは可能なのであろうか?産業界から異論が出るような気がする。200年住宅、20年自動車、20年ファッション。味気無く、不景気な世の中になる。

ここは人間の生きる楽しみを奪うのではなく、取り組むべきは100%リサイクル社会であろうと思う。産業界のあらゆる企業が今真剣に取り組んでいるテーマである。

これらを見渡してみて、又、派閥の領袖を集めた組閣をみても、凡庸こそその特徴とする取り巻きにある種の安心感を与える首相であるような気がする。

政治家のタイプとしては、秀吉子飼いの大名からもその凡庸の安心感から支援を受け晩年天下人となった徳川家康になぞらえるのは、少し買いかぶりだろうか。それは後世の歴史小説家にでも任せるとして、最近我国の政治家も世襲制の様相が色濃くなってきたことに若干の憂いをおぼえる。

家康公は晩年、一族の保身を図ることを政の中枢におき、それによりそれまでの評価を低下させることとなった。福田首相には、偉大なる凡庸を期待するものであるが...。

(にしだ・けいじ神戸会)


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