去る7月5日に第166国会が閉会した。この国会は、1月24日に始まり6月23日に閉会することとなっていたものを12日間の会期延長を強行し、同日に閉会したのである。この会期延長により当初7月22日に予定されていた参議院議員選挙が7月29日となるという異例の事態となっている。
さらに、この国会では政府与党の数の力により、20回近い強行採決が行われたのである。具体的には2月2日の2006年度補正予算に始まり、5月11日の改憲手続法、6月19日のイラク特措法、教育関連3法、6月28日の年金時効特例法、社会保険庁解体・民営化法等々である。このように政府与党が強行採決を連発することは異常なことである。
にもかかわらず、与党である自由民主党は、「安倍内閣は、発足から9ヶ月、戦後レジーム(体制)からの脱却を目指した「美しい国」づくりをスタートし、60年ぶりの教育基本法改正と関連3法、憲法改正手続き法の国民投票法、公務員制度改革法、防衛省への昇格、地方分権改革推進法を成立させ、新しい国づくりの礎を築きました。」(第21回参議院議員選挙公示にあたっての党声明 7月12日)とこれらの暴挙を自画自賛している。このような事態は、正に日本の民主主義の危機であると言わざるを得ない。
日本は、憲法に基づき議会制民主主義の政治体制をとっている。つまり、国民の選挙により選ばれた国会議員を代表者として国政を運営する体制なのである。そして、議会制民主主義には、そのような国政運営が国民の民意を反映するものであるとの大前提がある。
次に、民主主義の思想はどのようなものか見てみたい。私は、一人一人の人間が自然権に基づきその尊厳を最大限尊重されるという思想であると思う。そして、一人一人の尊厳が最大限尊重されるということは、自分は他者の尊厳を認め、他者にも自分の尊厳を認めてもらうということではないだろうか。
そうすると、たとえば自分と他者が何かの問題で違った意見を持ったとしてもお互いに尊重しあう中で討論と説得を通じて意見を調整し、意見が一致する場合もあれば、一致せず双方妥協する場合もあるかもしれない。つまり、民主主義の思想の中では、あくまで話し合いの中で、意見の調整を行うのである。これは、国政の運営、国会の運営にも同じことが言える。民主党の渡部恒三氏が自民党の国対委員長を務めたときに「法案審議の日程については野党の話を尊重しろ、強行採決はするな。
なぜなら、民主主義が数で決まるとしたら選挙で与党が勝てば国会審議は必要ないことになる。少数の意見を尊重して運営することが国会の意義だ。」(民主党衆議院議員 郡和子ホームページより)と教えられたそうだが、まったくそのとおりであると思う。そして、かつての自民党は節々で強行採決の暴挙は行ったが、基本的には与野党の話し合いを重視した国会運営をしてきたのではないかと思う。
しかし、今国会はどうだったのであろうか。始めに法案成立ありきで、一方的に審議を打ち切り、採決を強行する。それも、冒頭で述べたように20近い法案をである。これでは、先の渡部恒三氏ではないが、国会審議など必要がないではないか。さらに重要なことは、これら強行採決された法律が国民の民意を反映しているのかということである。
今年1月に内閣府が行った世論調査によれば、「国の政策への民意の反映程度」について、「反映されている」とする者が20.9%(「かなり反映されている」1.3%、「ある程度反映されている」19.6%)、「反映されていない」75.3%(「あまり反映されていない」54.5%「ほとんど反映されていない」20.7%)となっている。そして、「反映されている」と答えた者は2006年2月の前回調査時の24.1%→20.9%、「反映されていない」と答えた者は71.2%→75.3%となっているのだ。このことが何を意味するかは明らかであろう。
安部首相いくら「戦後レジームからの脱却」を唱えても、国民の側は、それが自分たちの民意だとはまったく思っていないのだ。それを、数の力に任せて強行採決を繰り返すことは議会制民主主義の理念から言って絶対に許されないことであり、また、そのような政治を続けさせてはならない。幸い、7月29日には参議院議員選挙がある。この選挙は、安部政権の暴走を止めるいい機会であり、みんなの力でそうしていかなければならないと思う。本稿が税経新報に掲載されるときにはすでに選挙の結果が出ているが、その時を楽しみに筆をおきたい。
(よねざわ・たつじ:東京会) |