判決はさらに、税理士会が「強制加入団体であり、その会員である税理士に実質的に脱退の自由が保障されていないことからすると、その目的の範囲を判断するに当っては、会員の思想・信条の自由との関係で、次のような考慮が必要」として、極めて重要な問題点を指摘しました。
「税理士会は、法人として、法及び会則所定の方式による多数決原理により決定された団体の意思に基づいて活動し、その構成員である会員は、これに従い協力する義務を負い、その一つとして会則に従って税理士会の経済的基礎を成す会費を納入する義務を負う。しかし、法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、様々な思想・信条及び主義・主張を有する者が存在することが当然に予定されている。したがって、税理士会が右の方式により決定した意思に基づいてする活動にも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある。
特に、政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり(規正法3条等)、これらの団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである。(下線は筆者)」とし、「前記のような公的な性格を有する税理士会が、このような事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできないというべき」であると明確に判示したのです。
上記の判決文の中に「市民としての」とのコトバを見て、「この『市民としての』という言葉は素晴しい」と、私と牛島氏は思わず同時に口にしたものです。牛島氏も同じ感慨を持ったと思いますが、私は、近代市民社会における(少なくとも理念的には)国家や結社から自立した自由な個人を連想して、新鮮な感動を覚えたことを忘れません。
この判決の文面上に、憲法という言葉こそありませんが、団体における構成員の思想・信条の自由という人権問題に関し、構成員の自由をこそ尊重すべきことについて大きな示唆に富む、その意味で憲法史に残るすぐれた判決であったと、私は確信しています。 |