最近「格差社会」と言う言葉をよく耳にする。この「格差社会」とは、文字どおり所得格差の拡大、低所得者層の増加を意味する。では、その実態はどのようなものであろうか。所得格差を表す統計上の計数にジニ係数というものがある。このジニ係数は、0から1の間の数値で表され、0に近いほど格差が小さく、1に近いほど格差が大きくなる。
日本におけるジニ係数の推移を見ると、所得再配分後のジニ係数で1981年0.314であったところが、2002年には0.381と約10年で急伸している。ちなみに、1972年の同係数は1981年の0.314と同水準なのである(厚生労働省「所得再分配調査報告書」)。また、他国との比較をしてみると日本のジニ係数は、アメリカ、ポルトガル、イタリア、ニュージーランド、英国についでOECD加盟国25ヶ国中6位となっている(OECD調査 2005年発表)。
なぜ、このような社会になってきたのであろうか。
第一に、1985年ごろより出た「小さな政府」論による規制緩和と自由化の流れの結果であることだ。戦後日本は、戦後の復興期(1945年〜1955年)、高度成長期(1955年〜1973年)、安定成長期(1974年〜1985年)の3つの時期を経て経済を発展させてきた。この時期は、最初の戦後の復興期を除き、企業が利益を上げ、その結果、労働者の賃金も上昇して、それが消費に回り全体としての経済の成長が促進されたのである。1960年代前半の「三種の神器」(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)や1960年代後半の3C(カラーテレビ、クーラー、カー)などがいい例であり、国民の生活水準は急速に上昇した。
また、各種の規制などにより中小零細企業への保護政策も相対的には取られてきたといってよい。それが、80年代前半よりアメリカのグローバル経済政策の圧力を受け、新古典主義の経済政策に徐々に移行してきたのである。規制緩和が必ずしも悪いとは思わないが、その規制緩和により様々な業界に大資本が参入し、資本力のない中小企業の市場を侵食していく。その結果、金のあるものは益々金を手にし、ないものはどんどんふるい落とされると言う社会となってきたのである。
第二に、経済成長率の問題である。日本経済は高度成長期には平均10%弱の年成長をし、安定成長期でも平均4%前後の成長をしてきた。しかし、1996年から2004年の年成長率は高い時で96年と00年の2.8%、低い時は98年の−1.3%で、平均すると年1.01%である。経済成長があまりないということはパイの量が増えないのであり、その意味では分配が問題になる。私は、経済成長至上主義ではないが、経済理論的には経済成長があればパイの増加に伴いより多くの人がそのおこぼれにあずかれるけれども、成長がないときには分配をめぐって争いになるのである。その結果、そのときの政治によって経済格差は拡大することになる。
第三に、不安定雇用の問題である。今の日本では全労働者の3割、女性労働者の5割弱が非正規雇用であるといわれている(橘木俊詔著『家計から見る日本経済』岩波新書)。当然ながら正規雇用の賃金に対して非正規雇用の賃金は低い。夫が正規雇用で妻が非正規雇用(パート)のときはいいが、もし夫が何らかの事情で失業した場合には妻の安い賃金だけが生活の糧になるのである。
ところで、今まで見てきたのは個人同士の所得格差の問題であるが、さらに重大な問題がある。それは、法人企業の問題である。「日本の全産業の内部留保(利益の集積)は02年度には290兆円になり、その57%を資本金10億円以上の大企業が占め」(週刊新社会 2004年12月21日 「道しるべ」)ているのである。290兆円の57%は約165兆円で国家予算の2年分である。このように、国の富が極端に偏り、それが益々ひどくなっているのが今の現状なのである。
経済学の一般的セオリーとして「効率を重んじれば分配がおろそかになり、分配を重んじれば効率が悪くなる」と言うものがある。まさに、85年以来の経済政策は効率に偏重しすぎ、分配をおろそかにした結果なのであり、それが今もまだ続いていることに恐怖を感じる。この状況を何とかする上での税制の役割は大きい。今こそ税の所得再配分機能を発揮すべきときなのである。政治的力関係の上ではまだまったくの力不足ではあるが、税務に関する職業専門家として、まわりの税理士も巻き込み国民に今の状況とその打開策をアピールし、一日も早くこれを改善していかないとならないと思う。
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