財政赤字の問題を考えるに当たっては、日本の政府部門の負債が巨額であるという、政府(財務省)が宣伝これ努めている事実によってだけではなく、ここに挙げた3つの事実、すなわち、 純負債残高でみると政府の宣伝ほどには負債は巨額ではない、 政府は、なお正味資産を保有していて、そのバランスシートはなお健全とみていい、 日本経済全体でみると、資金は不足しているわけでなく相当に余剰である、という事実をも踏まえなければならない。
そして、それらの事実を踏まえるとすると、何が言えるか。
第1に言えることは、既にある負債の返済についてはさほど頭を使わなくてもよいということである。どうして返済しよう、どうすれば返済できるだろう、返済できなければどうなるのだろうなどと悩まなくてもよい、ということである。現状は、要するに、 相当の規模あった政府の正味資産をこの十年ほどの間にかなり喰い潰してしまった、というこであり、しかし、なお正味資産は残っている、ということなのだ(図表3)。いま抱えている負債については、このまま返済しないで借り続けていてもよい、ということである。 |
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問題は、これから新たに付け加わっていく負債の方である。そのかなりの部分は正味資産を喰い潰していくものであるから、現状のペースですすめば、政府の正味資産はゼロからマイナスへと変わっていくことになる。これには歯止めをかける必要がある。
ただし、そんなに急ぐ必要はない、というのが第2に言えることである。財政赤字の弊害と言われていることが、そのいずれについても、なお数年の間はその弊害が現実のものになって現われるとは見られないからである。
弊害として言われていることの1は、国債価格の暴落である。余りに巨額の国債が発行されているので誰も国債を買わなくなる、或いは償還されないことを恐れて買わなくなる。そうした事態の発生を懸念するむきは多い。
しかし、その懸念は既に10年近くも前から言われていたことである。そしてこの10年ほどの間、全く現実化することがなかったことである。現実化しなかったのは偶然でも好運でもなく、きちんとした根拠があってのことである。日本が金余りの経済である、ということが背景にある。資金が余っている、何らかの形で運用先を求めているという経済にあっては、株式に比べて安全度が高く、社債に比べて信用度が高く、預金に比べて利回りのいい国債については、新規に発行されれば買い手がつく、売る人があれば買う人がある、仮に国債を売って資金を入手してもその資金にそれ以上の運用先がないからそもそも売る人は少ない。こうした経済状況が続く限り、国債価格が暴落するということは考えられないのである。 |
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弊害として言われていることの2は、インフレの発生である。政府にとって国債の負担を最も軽くするにはインフレを発生させるのがもっとも好都合である。インフレを起こすのではないか。また、政府が国債発行で得た資金を支出する。それによってインフレになるのではないか。そうした懸念もしばしば論じられてきた。しかし、これも、ここ10年来、全く現実化しなかった懸念である。やはり、現実化しないのは現実化しないだけの根拠があってのことである。
まず、政府の手でインフレを発生させることは現状では不可能である。現に、日本銀行は、とりあえず消費者物価上昇率が安定的にゼロ%以上になるまではということで闇雲に金融緩和政策を強化しているが、それでも物価上昇率はゼロ%にもならない。圧倒的に供給力過剰(需要不足)の状態にある経済の下では、また、絶えず近隣諸国から安価な商品が流入してきうる状況にある経済の下では、インフレは起こそうとしても起きないのである。
また、政府が国債発行で得た資金を支出することによって、そうでなかった場合に比べて確かに需要は増加するが、もともと大量の需要不足の経済である。それによってインフレが起るということもありえない。
弊害として言われていることの3は、通貨価値の下落、すなわち、大幅な円安の発生である。巨額な負債を抱えている政府は信用を失う、従って、その政府が発行している通貨である円の価値が下がる、という論理だが、これも、とうてい現実化するとは思えない懸念である。
円が体現している価値は、日本政府の信用(力)ではなく、日本経済の信用(力)である。そして日本経済といえば、先に触れたように年間10兆円以上の経常収支の黒字(輸出超過)を生む経済である(2004年について見れば18兆円の黒字)。そうした国の通貨は、大勢としては強くなる(円高になる)ことはあっても弱くなる(円安になる)ことの可能性は極めて低い。
なお、弊害として言われていることの4に、財政の自由度が乏しくなる、ということがある。負債の返済や金利の支払いのために収入の多くを割かねばならず、政策的な支出ができにくくなる、というのである。これはその通りであるが、しかし、だからどうできるというのであるか?
財政支出を削減すれば、将来の自由度を確保するために現在の自由度を放棄する、ということになる。収入(税収)を増加させればいいわけだが、その方法を誤れば1997年の例(後記)に見るように、かえって財政状況を悪化させかねない。時間をかける以外に対処の方法はないのである。
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