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竹中は、係争期間中の各1月1日現在において所得税法上はもとより、住民税に関する地方税法上も、日本に住所を有していた。
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以上の詳密な検討で明らかなように、竹中は、係争期間中は、日本の所得税の居住者(日本に住所を有する者)であり、各1月1日現在において住民税についても日本に住所を有する者であった。
この点を改めて整理しておこう。
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(1) |
竹中は、係争期間中、各1年以上ひきつづき慶応大学で教育・研究に従事すべき専任助教授として勤務する職業に従事していた(所得税法施行令14条1項1号)。ただ、竹中の専攻分野(アメリカ経済)との関係で、1年分の講義義務を果たすことを条件にして、毎年、数ヶ月のみ、アメリカで調査研究することを慶応大学は許容したにすぎない。そのゆえに、慶応大学は1年分の給与等を支払った。民間企業に置き換えれば、毎年、数ヶ月のアメリカへの短期出張を慶応大学が許容していたにすぎない。辞令上も、そのようになっているはずである。
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(2) |
アメリカでは無給の客員研究員であり、アメリカでは所得を得てはならないという立場にあった。アメリカのビザもJビザ(交換訪問者)であって、アメリカでは非居住者扱いであった。
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(3) |
1月以上海外出張する場合は、現地に住宅を確保するのが通例であり、子供を現地の学校に通わせる例も多い。竹中の場合は、数年間、毎年、数ヶ月のアメリカ出張が教授会の特別の配慮で許容されていただけに、以上のような住宅の確保と子供の現地学校への通学などはごく自然なことである。「税法的事実」としては、現地での住宅のこと、現地での家族の生活状態などは、竹中本人が所得税法上も住民税の地方税法上も日本に住所を有していたという事実に変更をもたらすものではない。竹中は係争期間中、当然に、年間を通じて居住できるマンションを日本で賃借していた。
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(4) |
竹中は、その慶応大学での勤務を含む日本での生活実態を鑑みれば、日本の慶応大学では居住者(日本に住所を有する者)として、所得税の年末調整を受け、そして日本の住所地の税務署長に所得税の確定申告書を提出し、所得税については「全額、日本で納付していた」ものと、税法学の論理上推認される。おそらく居住者として竹中は、日本の所得税額の計算のうえでは配偶者控除、扶養控除の適用を受けていたものと推認される。
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(5) |
係争期間中、竹中についても所得税情報がその住所地の市町村長へ伝達される仕組みになっていたが、竹中は、日本中の住民票を抹消したので、事実上、結果的には日本では住民税を課税することができなかったというのが真相である。係争期間中、竹中の日本住所地の市町村長には竹中に対して「みなし住民」として日本の住民税を課税すべき職務上の義務があった(地方税法294条3項)。
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以上の、住民税と所得税との関係は専門家の間では「公知の事実」であるが(これは一般社会でも「公知の事実」であるといってよい)、甲2号証(本件フライデー)の紙幅の関係上、この点について詳細に報道できなかったので、鑑定人はフライデーの担当者山岸浩史に竹中の事務所へ住民税と所得税との関係についての法律根拠規定をファックスで伝達するよう、お願いした(乙28号証の7頁)。
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