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時潮

時潮
ふるさと納税
〜パンドラの箱、返礼品という混乱の後に〜
相良博史 副理事長
平成30年12月14日に、与党の「平成31年度税制改正大綱」(以下、大綱)が決定、公表された。2019年10月の消費税率引上げを控え、「経済に影響を及ぼさないよう、万全を期す」対策に重点が置かれている。

税経新報の今月号(2月号)の特集は「税制改正」である。消費税率の引上げに伴う対策等については、様々な意見が述べられているのではないかと思われるので、私は、地味な論点、「ふるさと納税」について考えてみたい。

ふるさと納税については、以前から一部自治体の高額な返礼品が問題となっており、昨年9月には野田聖子総務大臣が、返礼品の割合が高い自治体を税優遇の枠組みから外す方針を示していた。大綱では見直しが行われ、返礼品を送付する場合には、「返礼品の返礼割合を3割以下とすること」と「返礼品を地場産品とすること」のいずれも満たす都道府県等をふるさと納税(特例控除)の対象として指定することとされた。

住民サービスは生まれ育った自治体から受けたものの、納税は現在の生活の場である都会で行われる、というサービスの提供と納税の不一致を是正する目的がふるさと納税制度の趣旨である。しかしながら現状は返礼品の競い合い(ゆるキャラ同様、安易な模倣と追随である)で、最早この趣旨からかけ離れてしまっている。

日本経済新聞のコラム「大機小機」において、ふるさと納税制度を「自治体によるレントシーキング(超過利潤獲得競争)を誘発し、社会的資源を浪費する典型的な政策」であると喝破し、制度の導入当初から懸念を表明していた経済学者が紹介されていた(風都 2018 年11 月22 日朝刊 「ふるさと納税の非効率」)が、この経済学者の懸念は今、正に的中している。大綱に従い返礼率を3割以下としても、自治体としては寄付金の少なくとも7割が残る。一方、寄付する側も返礼率が下がったとはいえ、依然として2,000 円の自己負担で、最大、寄付額の3割の返礼があるというメリットは残る。返礼がある限りレントシーキングは繰り返され、返礼品をめぐる混乱はこれからも続くであろう。

本来、寄付には見返りはない。国は、返礼「割合」ではなく、返礼「そのもの」の是非を議論するべきである。

昨年12月22日(土)の朝日新聞朝刊に都城市ふるさと納税振興協議会の1ページの全面広告が掲載された。秀逸なタイトルは「サンタ・食う・ロース」。サンタクロースの巨大なイラストが描かれており、右手に焼酎を抱え、左手にフォークに刺した肉(タイトルからロース肉と思われる)を持っており、その肉を口にしようとしている。赤い衣裳と帽子は、ご丁寧に霜降り模様になっている。秀逸なコピーは次のとおり。

「宮崎県都城市から日本中のみなさんへ・1年間よい子にしていた大人のみなさんに、とっておきのプレゼントを用意しました。・まずはこのホームページをみて、どれが欲しいかを、こっそり教えてください。・A5ランクの都城産宮崎牛に、限定品の焼酎・・・どれもこれも、誰かがあなたの家まで届けに行きます。(実質負担2,000 円!)・まぁ、つまりは、ふるさと納税ってことなんですけどね。それでは、よいクリスマスを!」

この広告からふるさと納税の本来の趣旨は微塵も感じられない。
ふるさと納税はそれ自体新たな税収を生むものではなく、自治体間での税収の移動である。富む自治体があれば貧する自治体がある。サンタクロースが食べようとしているロース肉、実は、どこかの子どもに必要な税収を奪っているのかもしれない。サンタクロースの倒錯した光景である。

パスカルは「パンセ」で、人間を、弱いが考える葦であると表現した。自治体は、寄付が集まる返礼品を考えるのではなく、返礼品など一瞥もせず寄付をしたいと思える吸引力のある魅力的なふるさとの創造こそ考え続けるべきである。
開けてしまったパンドラの箱、最後には希望が残ったといわれている。

(さがら・ひろし:神戸会)

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